呼び出しを受けた。誰にっていうのは言うまでもなく、あたしの父、オルドレイク・セルボルトにだ。
 嫌な予感がしていた。任務なら自動で通達が来るし、というかそれ以前に、あたし達は父親と関わることがあまりないのだ。あの人は何を考えているのか分からないけれど、それでも何かを考えているらしい。だからいつもどこにいるのか分からない。大抵、探しても見つからない。
 そうしてその父親からの呼び出しに、あたしよりもソルが眉を顰めた。彼もあたしと同じできっと嫌なものを感じているのだろう。
 これから指定された場所まで階段で上がって、尖塔へと続く階段をまた上がって、そこの一番上の部屋にあの人が待っているとのことだった。
 重要な話があるから来なさいと、それだけの通達。そう言った誰か知らないのっぺりした感じの男の人はもういない。
「……ソル」
 振り返って呼べば、彼が顔を上げて低い声で、「行くしか…ないだろ」と諦めたような顔をした。あたしは灰色の石でできた床に視線を落として、「行きたくないなぁ」と漏らした。彼は肩を竦めて「俺も行くから」と言ってあたしの背中をとんと押す。
(行かなかったら、向こうからこっちへ来るんだろうな)
 ぼんやり思って、仕方ないと割り切って一歩踏み出した。気のせいか足元がぐらぐらした。この塔自体に立ち込める血のにおいがひどくなったような、そんな錯覚。
?」
 呼ばれて、あたしは普段通りを装って何でもないよと首を振る。足を動かす。一歩踏み出す。父親が待つ尖塔の先端、あの小さな部屋を思い起こして息を吐き出す。
 そう、行くしかない。あの人には逆らえない。逆らったらどうなるのか、あたし達は怖いほどよく知っているのだから。
「ただいま参りました、……お父様」
 こつ、と踏み出した部屋の中は夕日の赤い色で満ちていた。この塔内では珍しい大きな窓の外を眺めるようにして立っている人物がこっちを一瞥し、「もう少し迅速に動け。他でもないわしの命だ」とまず駄目だしをしてくる。あたしは視線をなるべく床に固定しながら「申し訳ありません」と頭を下げた。
 血のにおいがする。ひどく濃い、血のにおい。
(くらくらする…)
 だけどぐっと強く足を踏み締めて、あたしは視線を上げる。あの人の目を見るつもりはない。あの目は毒されている。あたしはあの目を見るといつも気分が悪くなる。あの目は、毒だ。
 あの人は狂っている。
「まぁ良かろう。こんなことに時間を割いている場合ではない」
 呟いて、その人はあたしの方へ身体を向き直した。あたしはもう少しだけ視線を上げて、あの人の首ら辺を見る。そうすれば視線を逸らしているとは思われないと知っていたから。
よ、わしの子供の中でもお前は特によくできている。それを見込んでの重要な命を言い渡す」
「…はい」
「霊界サプレスの魔王を召喚する儀式を執り行う。お前は、その指導者となれ」
 言われたことが一瞬理解できずに硬直した後、ゆっくりと顔を上げた。その目を見る。あたしの父であるはずの人の目を見る。その目はいつものように狂った色でぎらぎらしていた。
 ああこの人は、本当に狂っている。そう思って、あたしは口を開く。震えないようにと気をつけながら。
「それは…あたしが魔王を宿す器になれと、言う意味でしょうか」
「お前は理解が早くて助かる。その通りだ」
 満足そうに口元を歪めてみせるその人。あたしの父であるはずの人。だけどその人は今あたしに死ねと言っている。遠回しに、死ねと言っている。
 あたしは手足が震えないように必死に堪えながら、どうにかこの人の言葉に緩やかな反論をと思う。考える。この人の考えが変わらないのは知っている。この人は他人に影響されない人だ。常に一人で考え一人で動き、自分一人では無理だと判断すれば部下を使って事を行う。この人は自分の正しいと信じたものを疑わない。この人、この人は、
(本当にあたしの、父親、なの?)
 狂った目をしているその人の背後にある窓から射す赤い光に、血のにおいが増した。あたしはくらくらする頭に思わず手をやって、それから口を開く。
「ですがお父様、それでは世界が滅びかねません。魔王を宿してあたしがあたしでいられるかどうかなど、分かりません。もしかしたら暴走して世界を破壊し尽すまで止まらないかもしれません。…それでも、」
「構わん」
 その人はあたしの言葉を遮り、そう言った。その目は自らの命を自らの夢のために捧げる、そういう狂った目をしていた。
「世界が滅びようとめちゃくちゃになろうと、わしの知ったことではない。新しい世界を創造するのだ。そこに生きるものが人でなくとも、構うまい」
 あたしは眩暈を覚えてふらふらと数歩後退し、どんと扉にぶつかった。ずきずきと頭が痛かった。赤い光が目に痛い。血のにおいが濃い。父であるはずの人はあたしを道具としか思っていない。自分の願いを叶えるための数ある道具の内の一つとしか、思っていない。
 狂ったその目があたしを捉える。あたしはその目を見ず、赤い色で鈍く照らされている床を見ている。
「わしのかわいい娘よ。やってくれるだろう」
 その言葉があたしの耳を掠める。あたしは目を閉じる。答えなんて、最初から決まっている。
 頭を垂れて深く敬意を払う形を取りながら、あたしは言う。決まり文句のようなその言葉を。
「…お父様の、仰せのままに」