かっ、と音を立てて光が炸裂した。それは彼女を呑み込み白い祭壇を呑み込み俺をも呑み込んで、固く閉じた瞼の裏まで白で焼くほどの威力だった。
っ」
 彼女を呼ぶ。見えない視界の中、開けられない瞼の裏で彼女を探す。もっと早くにここへ来るべきだったのだ。俺は遅すぎた。遅すぎた。
 一番辛くて一番痛くて一番悲しい思いをしているのは彼女のはずなのに、そんなことにもすぐに気付けず、気付いて手を伸ばしたときにはもう、彼女は遠かった。
 ふっと、押さえつけられていたはずの腕の拘束がなくなる感じがした。炸裂している光がだんだんと収束していく気配。
 薄く目を開けて地面を這って、その場から白い祭壇のある方へとにじり寄った。彼女のもとへ。一歩でも近くへ。ただそれだけを思って身体を動かす。
 ほどなくして光は完全に治まった。まだちかちかする目をいっぱいに開けて祭壇に視線を走らせる。彼女は、とそれだけを考える。
 彼女はいた。白い祭壇に立ち尽くしていた。目を閉じていた。儀礼服であろうどこもかしこもぞろりと地面につくほど長い服だけが、風に弄ばれているようにゆらゆらと揺れていた。
…?」
 ゆっくりと名前を呼ぶと、彼女が薄く目を開けて虚空を見つめ、その後気付いたようにこっちに視線を向けて目を細める。
「…ソル」
 紛れもなく、彼女の声だった。俺は手をついて一挙動に身体を起こして、足をもつれさせながら駆け出して白い祭壇を二段飛ばしで駆け上がる。彼女がこっちを見ている。俺は手を伸ばして彼女を抱き締めた。変わらない体温が腕の中におさまる。
 はまだ生きている。生きている。
…良かった」
 儀式はきっと失敗したのだと、そう思った。彼女は生きている。俺のことを憶えている。だから彼女は彼女のままで、何かにのっとられているとかそんなことはきっとない。
 どうだ見たか、という思いで俺は顔を上げてそこら辺で呆然としてるのだろう召喚師達の方を振り返った。
 だけど振り返って、息を呑む。十数人いたはずの召喚師やその他の警備の兵、全てが焼け焦げたようにして死んでいた。どれも到底生きているとは思えないようなものばかりがごろごろと転がっていた。完全に予想していなかった展開に頭が追いつかない。
「何だ…これ……」
 今更ながらに鼻にくる、生き物の焼けたにおい。思わず顔を顰めて片腕で口元を覆った。彼女はといえば、俺の腕の中から死体を見ていた。見ているというより眺めていた。ただ、景色の一部を見るように。
?」
 彼女を呼ぶ。嫌な予感がどくどくと心臓を脈打たせる。彼女が視線を移して俺を見る。その表情が少し、曇る。
「あたしのせいだわ。あたしの中の…魔王が」
 彼女がぎゅうと俺の服を掴んで胸に頭を預けてきた。それからか細い声で言う。
「成功、しちゃったのよ。召喚が」
 言うが早いか、彼女の背中からめきめきとありえない音がして、背中側が丸く空いている、まるでそのために空けたような穴の向こうの背中からずあと骨が伸びてその骨からさらに細い骨が伸びて、その間に何か膜のようなものが張ってその間から羽が突き出て、あっという間に翼ができた。
 彼女を抱く手の力が緩くなる。それを見計らったように彼女が俺の腕から逃げ出し後退って離れていく。
 その顔には微笑み。ただただ悲しそうな微笑み。
「ごめんねソル。ごめんね」
 ばさり、と彼女の背中に生えた翼が動く。我に返って手を伸ばして彼女の腕を掴もうとするも、それをすり抜けて彼女は空に舞った。悲しそうな微笑みのまま俺を見下ろし、彼女はそれでも笑う。
「いつあたしがあたしでなくなるか分からない。だからソルは逃げて。あたしの手の届かないところまで、逃げて」
 彼女が俺に背中を向けて飛び去っていく。届かない手を伸ばして祭壇の先まで走った。「!」と叫ぶように呼んでも彼女は俺を振り返らない。
 彼女が向かった方角は無色の派閥本部があるあの暗く重い空気の立ち込める方で、俺がいくら呼んでもは一度もこっちを振り返ることなく、その姿は重い鉛色の空へと消えた。
 呆然としていたところから、ようやく頭が動いた。ポケットに手を突っ込んでサモナイト石を取り出す。聖母プラーマと契約した石。
「…我が名の下に顕現せよ聖母。全てのものを分け隔てなく癒す、光の化身」
 出でよプラーマ、と呟けば、霊界の門が開く気配がした。これはこれですごいものだと思っていたのに、魔王を召喚したときのあの濃い感覚と比べたらなんてちっぽけなものなのだろうと思う。
 現れたプラーマをこちらを見る前にもう彼女の飛んでいった方を見ていた。やはり同じ世界の住人の気配というのは分かるものらしい。その顔つきは珍しく険しい。
「……分かるのか」
 呟けば、プラーマはこっちに顔を向けて淡い微笑みを浮かべた。
『数いる魔王のうちのどれか、というのは分かりませんが…魔王がいるという感覚だけは分かります』
「…そうか」
 そうこぼしたとき、ずんと地面が揺れた。前置きのない揺れにふらついて祭壇の柱に背中をぶつけ、痛みに顔を顰めながらも顔を上げた先に見えた火の手に目を見開く。
 火が上がっているのは他でもない、あの塔のある場所だ。遠く離れていても分かる。これは、彼女が。
「…魔王のせいなのか」
 呟けば、『それだけではないでしょう』と静かな声でプラーマが言って、その顔に悲しみを浮かべる。
『彼女の意思がまだ残っているのです。だからこそ、彼女が一番憎んでいた場所が、今破壊されている』
 ああなるほど。そう思ってからゆっくりと柱から背中を離してふらつく足取りで歩く。プラーマが俺を振り返って『どうするのですか』と問う。『私は癒すことはできますが、魔王を引き離すことはできません』という声が耳朶を打つ。
 ぎゅうと拳を握って「俺をあそこまで連れていってほしい」と吐き出せば、プラーマが目を丸くして『何か策が?』と言う。俺は首を振った。策なんてなかった。ただあそこへ行かないといけないのだと漠然と思っているだけだった。
 彼女があそこにいる。一人きりで。魔王を宿して、戦っている。まだ負けてない。彼女の思いを感じる。だから俺は行かないといけない。
「ただ…思うんだ。が呼んでる。助けてほしいって言ってる。が俺を呼んでる…だから行かないと」
『それで、貴方はどうするのです?』
「……俺は…」
 炎の上がる塔のある場所から視線を引き剥がしてプラーマを見た。こっちを見つめる真摯な瞳に、俺は笑う。
「俺は彼女を助けたい。それが無理でも…無謀でも。彼女の側にいたいんだ。俺にはそれしかできないし、それしか、思いつかない」
 プラーマが目を閉じた。『分かりました』という短い声と彼女の微笑みに、俺は頭を下げる。「頼む」と言えば、彼女が手を伸ばして俺の頭を一撫でした。やわらかくあたたかい感覚に冷え切っていた身体に力が戻ってくる。驚いて顔を上げれば、プラーマはやっぱり笑っていた。
『貴方のような人間ばかりがいたならば、リィンバウムは今もきっと楽園のままでしたね』
 遠い昔を思い出すように目を細めて、プラーマが笑う。

 俺は目を閉じて彼女を思った。閉じた瞼の裏に浮かぶ彼女の笑う顔。心から笑うなんてことのできる場所には生まれられなかったけど、それでも、笑おうと思えば笑えたのだ。俺達は一人じゃなかった。一人じゃなかったのだ。
 側にはいつも、君がいた。
(今行くからな。