幸せそうに笑ってるのが気に入らなかった。ずっとずっと。
 ボクは空っぽだったはずなのに、いつからかこの心は憎しみや怒り、悲しみや憂いといった負の感情で全てを締め付けられるようになっていた。
 まだ二年と少ししか生きていなかった。生きていなかったけど、ボクはもう十分すぎるくらい心を消費していた。残っているのは空っぽの身体だけ。烈風のシンクなんて呼ばれるくらいに迅速に行動できても、心は置いてきぼりを食らう。
 無意味。そう、全く持ってその通り名は通り名だけで肩書きだけで、ボクにとっては無意味だった。
 だから、ボクにとって意味のあるものは心をすり減らしていく感情だけで。それ以外にボクには何も残っていなくて。無駄に動ける身体に、心はいつも置いてきぼりを食らう。
 気付いたら人殺しをしている。気付いたらこの拳が誰かを叩き付けている。気付いたらこの身体が譜術を発動している。
 そんなふうに戦ってきて、気付いたら、もう地核で。ああボク何しに来たんだっけと考えて、そうだ確かタルタロスに潜入して邪魔をしに、と思考が巡って。

「…っ、シンク」
「、」

 呼ばれて意識が現実に返る。そうするとボクに襟首を掴まれている誰かが見えた。まるでボクがその首を掴んで壁に叩き付けたみたいな、そんなふうに苦しそうな顔をしてボクの腕を掴んでいる誰か。
 誰だっけ。もう一度そう考えて、ああそうだ導師一行の中にいる、純粋に導師イオンを守る導師守護役だと思考が巡って。こっちとパイプ役になってるあいつじゃなくて、こいつは本当にただ純粋に導師守護役をやってる奴だ、と思って。

「…レプリカだって。笑っちゃうよね」

 薄く笑う。落ちた仮面は向こうの方で転がっている。本当ならそのまま地核に落ちるつもりでいたのに、こいつがボクの名前を呼んで手を伸ばしたから、誰よりも早くボクに駆け寄ったから。一瞬思考が鈍ってだぶって全てが飛んで。気付いたらこれだ。
 彼女がボクの手を掴んでいる。けほと苦しそうに咳き込んで。ボクが叩き付けたんだろう、背中、痛いかな。痛いんだろうな。そんなことを思いながら、自分の息も荒いことに今更気付く。当然か、さっきまでボクは戦闘を繰り広げていたんだから。死にいくつもりで。ここにいる全員道連れにするつもりで。
 だけど苦しそうにしている彼女を見ていたら、そんな気が失せた。譜陣は消してやったんだ。ボクはすべきことはした。もう、いいだろう。
 譜術の気配と剣を抜く音に、「動いたらこいつの首へし折るよ」と言う。それで動こうとしていた奴全員が息を呑んだように動きが止まる。

「ねぇ」
「っ、」

 その襟首を締め上げながら、ボクは薄く笑う。もうこの心はマシなもんじゃなくなってる。イかれてる。分かってる。ボクが一番誰よりおかしい。こんなことしてまで生きて、まるで何かに縋ってるみたいに。
 馬鹿みたいだ。全部。
 だから彼女に唇を寄せた。目を見開いた彼女に構わずその唇を奪う。首を絞める力を緩めながら。
(後悔。してよ)
 だから。ボクは彼女の頭を一つ撫でて、たんとその場を跳んだ。ずると壁に背中を預けて彼女が放心したようにボクを視線で追いかけて、ボクの足場がないということを悟ると「シンクっ」と首を押さえて咳き込みながら、それでもこっちに向かって手を伸ばすから。

「後悔。してよ」

 だから最後、ボクは口に出して彼女にそう言った。
 ごぅと風が吹く。どこか生温い風。それなのに色がありすぎて気持ち悪いぐらいの地核へと、ボクは落下した。最後、目を見開いてそれでも手を伸ばしてボクの名前を呼んだ彼女に満足しながら。
 ボクが誰かの心に影を落とせるのなら、この世界を呪って呪って呪ったことが形となるのなら、ボクはそれで本望だ。彼女が後悔してくれるのならそれで。
 ずっとずっと望んでいたのは誰かの後悔。そして恐らくそれは彼女の後悔。
 そんな醜い自分を思ってボクは薄く笑った。タルタロスは頭上で小さくなっていくだけ。ボクを呼ぶ声はもう聞こえない。
(後悔してよ。ねぇ、

regret
(何より嫌いだったのは、君に一つも優しくできなかったこんな自分自身だったよ)