げほと咳き込む。首に手をやって、痕が残ってるんじゃないかと勘違いするくらい強い力で締め上げられたことを思い出してまた一つ咳き込む。ああくそ、全くもう。何で今日に限ってこんな失敗。
 目の前では蔓だか蔦だかを振り回してるでかい魔物が一匹。
 いやそもそも一匹って数え方でいいのかこの場合。蔦と蔓は数えるのもめんどくさいくらいの数があり、それが極彩色のからだ、と表現していいのか微妙な塊から無数に生えている。数えられないくらいのそれを掌底で叩き落し弾き飛ばし蹴り落とし、さっきからそれを何度やってるんだボクは。あの蔦だか蔓だかは無限にあるのかそれとも再生してるのか、さっきから数が減ってない。あの塊に目ってものは見当たらないし口っぽいものもないし、手も足も見当たらない。新種というか派生の魔物か。こういうのの相手はそれなりにできる奴じゃないと対応に困るから、だからヴァンはボクにこれを回してきたわけか。全く持ってめんどくさいことこの上ない。
 跳躍、蔦だか蔓だかとの終わりない掌底の繰り出し。吹き飛ばしてもどこからともなくまた増えてくる。高速再生でもしてるっていうのかこれは。
 思考に一瞬気を取られちょっと足元がすくわれてバランスを崩した。そこを逃すものかとばかりに首に蔦が伸びるしゅるという音。
 しまったと思ったときには遅い。退避のための跳躍は間に合わず蔦に首を締め上げられ地面から踵が浮いた。がっと蔦に手をやって解こうにも締め上げてくる力の方が圧倒的に強い。
 ああだめかと諦めにも似たような気持ちと、だけどそれに焦燥とが合わさる。まだ死ねない。死ねない。死にたくないと。
 思い浮かぶのは馬鹿っぽい顔で笑う彼女のこと。

 魔物討伐の任務で出て行くボクを勝手に見送りにきて馬鹿っぽく手を振っていた。怪我しないでねシンク、気をつけてねシンク。そう言う彼女にボクは余計なお世話だよと返した。変なところで真面目な彼女はシンクにまで回ってくる任務なんだもん、きっとすごく危ないんだよ。だから気をつけてねと言って譲らない。ねぇ指きりと言って差し出された小指にもうしょうがないからはいはいと小指を差し出して指を絡めて指きりをした。怪我しないでねと言われて分かってるようるさいなぁと返して、もう背中を向けた。
 彼女が見えなくなるまでボクのことを見送ってるんだろうなんてこと、振り返らずとも分かってた。

(しね、ない)
 息ができない状態で。それでも譜術を発動させタービュランスを縮小圧縮して下から上へ、地面から空へ吹き上げた。ボクを取り囲もうとしていた蔦の全て、円筒形の範囲に触れたものはスパンと切断された。緩んだ蔦を引き千切って捨てながら跳躍する。
 酸素が足りない、息をしろ。そうすると首というか喉というかが苦しくてげほと咳き込む。ああくそ涙が滲んでる。痛いせいか。苦しいせいか。久しぶりに首なんて絞められたよ。
(死ねない。まだ)
 たんと太い木の枝に着地して、いくらか整った息で相手を睨みつけた。
 1対1、じゃないなこれは。相手の方が手数が多くボクより圧倒的に有利だ。援護が鬱陶しいからって待機を命じたのが間違いだったかなと思いながらその考えを振り切る。置いてきた団員は所詮援護だ、援護っていうのは息の合ったプレーができる者同士じゃなきゃ足を引っぱるだけのもの。今のボクにそれはいらない。
「…めんどくさいなぁもう」
 蔦だか蔓だかには長さでもあるのか、それともただ単に魔物的な思考なのか、蔓だか蔦だかが木の幹に幾重にも重なって絡みつきびきびきと幹自体を折ろうとしている。自分より高い場所にいる奴に手出しするのはいくらかめんどくさいということを相手は分かっているらしい。
(どうする。ロックブレイクで貫くか? それか草なら燃やすのが早いけど。タービュランスの切断程度ではダメだ、威力が足りない。サンダーブレードの電撃もいまいちそうだし…)
 束の間思考する。びきびきびきと音を立てて木の幹が軋んだ音を立て足場の枝が揺れた。手を当ててバランスを取りながら極彩色の塊を睨みつける。ボクのところに回ってきたのが運の尽きだ。
「じゃあね」
 ばきりと音を立てて折れた幹。たんとその場を跳躍する。追いかけるように蔦だか蔓だかがしなる。それを蹴り落とし掌底で吹き飛ばしたりしながらざざと地面に着地して片手を押し付けた。ざらりとした地面の感触。
 詠唱完了、目標確認、発動。ご、と地面が割れる音。
「ロックブレイク」
 どん、という音と共に地面から岩塊が突き上げた。極彩色の塊をちょうど貫いて。
 息を漏らす。ボクを囲もうと四方八方から襲い掛かってこようとしていた蔦やら蔓やらの動きが止まって、それから力を失いぼとぼとと地面に落ちた。ふぅと息を吐いて地面から手を離す。疲れた。最初から遠距離で攻撃してたら楽だったのに、ボクも馬鹿だなぁ。
(…まぁいいか。適当な報告で)
 首に手をやる。痕になってないだろうかと気になるのは、別に団員に対してじゃない。
 彼女が。あれだけ怪我して帰ってこないでねと言っていた彼女が、悲しむような気がして。
 だけどしょうがない。怪我ってほどの怪我じゃないけど、傷を負った。ボクの力不足だ。
「…はぁー」
 ちょっと休憩。そう思ってぺたんと座り込んですっかり動かない極彩色の塊に視線をやった。
 めんどくさい。後片付けが。どうせ処理班がくるのならとボクは片手を上げて目を閉じて火柱を念じた。極彩色を囲むように譜陣をしき、しっかり思い描いたあとで目を開ける。声にせずとも譜術を発動させ念じた通りの火柱がごおと地面から吹き上がり、極彩色の塊を燃やし尽くした。
 さぁほんとに終わりだ。烈風のシンクともあろうボクが手間取ったけど、これで終わり。

 だから、彼女のところに、帰らないと。
「シンクお帰り!」
「…ただいま」
 頼みもしないのに、彼女はやっぱりボクを出迎えにきた。それで真っ先に首の包帯に気付いてさっと表情を青ざめさせて「シンクそれ、怪我したの? 痛いの?」と詰め寄ってくるから顔を逸らしながら「だいじょぶだよ大袈裟。退いて」とその肩を押して、それとなく団員達から遠ざけた。興味の視線があるのが分かってたからだ。
「ねぇシンク、それ応急処置でしょ? ちゃんと診てもらった方がいいよ」
「だいじょぶって言ったでしょ。平気だよこれくらい」
「だめ。シンクこの間それで風邪引いたでしょ。絶対だめ」
 だけど彼女が譲らない。ボクの手を引っぱって「ほらね、報告なんてあとでもいいよ。っていうか部下の人に任せてほら」とボクの手を引っぱる。
 あたたかい体温がボクの手を引く。
 だからああもうと一人吐息してびしと適当な団員を指差し「お前、報告頼んだよ。適切な処理をしたって伝えればいいから」と言えば狼狽した団員の感じが分かったけど、それ以上は彼女が手を引っぱるもんだから無理だった。あたたかい体温の持ち主に導かれるように中庭を突っ切って階段を、教会に続く階段を見上げる。何もこっちから行かなくたって。ボクはどうにも教会自体が苦手で、できるだけ避けてきたのに。
 だけど他でもない彼女がボクの手を引くから。強く握り締めて、まだどこか青っぽい顔色のままでボクの手を引くから。そんなに心配しなくてもいいのにと思いながら首に手をやる。
 どうしてだろう、さっきまでそれなりに痛かっただけと思ってた傷が痛み出した。ずきずきという痛み。ああ痛いなと思った。だから大人しく、彼女の言うことを聞いてやろうとも思った。
 それで大人しく彼女に引っぱられるまま医務室なんてところに足を運んだ。だけど肝心の怪我の説明について何もできない彼女はシンクが怪我をしたから診てほしいとそればかりを看護師に頼んだ。馬鹿それじゃ中身が分からないだろとその頭を叩いて簡単に傷を負った経緯を説明する。それで怪我の説明をしてる横で彼女の顔色がもっと悪くなったからそっちの方が心臓に悪かった。
 医者がボクの首を診てる間彼女はシンクだいじょうぶ、痛くない? とうるさくて。平気だよと言いながらそっちこそ顔色が悪いだろと、言えなかった。
 そんなに魔物と戦って怪我をしただけのボクを心配してくれてる、のか。彼女は。馬鹿だな、相変わらず。怪我なんて任務が下ったら日常茶飯事。こんな怪我ともいえない怪我くらいで顔を真っ青にさせてるようじゃ、君は到底戦場になんかは。
 そこまで考えて思考を停止させた。
 馬鹿らしい。君が、誰よりも普通の人で、ただの書類仕事をして雑事をこなすだけの君が、戦場に立つことなんてあるはずない。
「…ほら、終わったでしょ。いつまで座り込んでるの」
 それで、診察室から出て塗り薬があるとかで待たされてる間、彼女はソファに座り込んだまま少しも動かなかった。いつも元気すぎるというかはしゃいでるというか、そういうイメージのある彼女だから、静かすぎるその姿は少し異様だ。だけど顔を上げた彼女がいつものように笑って、心からほっとしたって顔で笑って。「よかった、シンク大したことなくて。よかった」とこぼすから。だからボクはそっぽを向いて襟元をいじる。新しい包帯がくすぐったい。
「…あのさぁ」
「うん?」
「ボクは六神将の一人なんだよ。怪我、これくらい普通なんだから。…だからさ、そんな顔してないでよ」
 相変わらず座り込んだままの彼女の頭を少し撫でる。髪がやわらかい。きょとんとした顔をした彼女が、次には困った顔をした。「シンクは怪我に慣れてるの? 私はそれいやだな。ねぇ、怪我しないでね」と言われて手を握られた。あたたかい体温。そうするとボクはもう閉口するしかなくなる。約束なんてできないし保証だってできないのだ、怪我をしない、なんて。ボクにできるのはそれを心がけること、それくらい。
 それでもいいんだろうか。保証も約束もできないことを口にするだけでも。
 だから小さく「まぁ、努力はするよ」と返す。そうすると彼女が笑った。いつもの馬鹿っぽい笑顔だった。それにほっとしながら緩く腕を回して彼女を抱き寄せた。「」と呼べば「シンク」と返される。ぎゅうと手を握られる。だからその手を握り返す。
 ああ何馬鹿やってるんだろうかボクは。これじゃあもう空っぽなんて言えない、これじゃあもう世界を壊す意味が。なくなる。
 世界を。無意味だと思っていた世界を。呪うだけだった忌まわしいこの世界を、ボクを生み出したこの世界を。ボクは壊してめちゃくちゃにしてやりたかったはずなのに。
 どうして。彼女と一緒にいるだけで、この気持ちはとけていくのか。
「…
「うん?」
「好きだよ。君のこと」
 どうしようもなく馬鹿っぽくて大して秀でた能力があるわけでもない、ただの凡人の君が。それでもボクに笑いかける君が、ボクはきっとどうしようもなく。
 だからボクはぽかんとした顔の彼女に唇を寄せて、キスをした。

 ルールはひとつ。
死 ね ま せ ん