ルークという人は弱音を吐かない人になった。髪を切ってから彼は変わるんだと決めたらしい。
 そしてそれがいい意味でも悪い意味でも自律し自立するということであると、今更ながらに、ボクは思い知らされた。
 ルークが、以前とは違う。

「…ルーク?」
 以前なら。ボクがそう呼べば、ゆり椅子で目を閉じていた彼はとうっすら目を開けて眠そうな顔でこっちを見てなんだよと返してきた。億劫そうに、それでも腰を上げてボクのところに来るルークが、以前までのルーク。
 だけど今の彼はびくりと肩を揺らせ、まるで怒られることを恐れている子供みたいな顔でボクを見た。それから相手がボクだと分かるとほっとしたように表情を緩め「なんだシンクか。驚かせるなよ」と笑う。
 その笑いさえ、どこかぎこちない。
 怒られること、拒絶されること、憎まれること、すべてを恐れている子供。
「…こっち、来てよ。ルーク」
 腕を伸ばしてルークを待つ。以前のルークなら迷わず不思議がらずにボクの手を取った。どうしたんだよなんか用か、とか言って。
 だけど今のルークは、ボクの掌を見つめて表情をなくしている。
「ルーク?」
 これは所謂密会ってやつで、逢瀬ってやつで。だから他の誰かに知られちゃいけなくて。だからボクはその窓を乗り越えてこっちに来てよと言いたかったのに、ルークはなんだか曖昧に笑っただけだった。以前なら迷わず窓を乗り越えてきた。暗がりで光を見つめるボクのところへ、迷わずに手を伸ばしてくれた。シンクとボクを呼んで。
 だけど今のルークは違う。躊躇っている。何かに。
 このボクにでさえ怯えているのかもしれない。
(…だから嫌だったんだ。アクゼリュスを崩壊させるのは)
 歯噛みしてぱたりと腕を下ろした。ルークは何も言わない。ただ困ったように光の灯る宿屋の窓から暗がりにいるボクに曖昧に微笑むだけ。
 すべてはヴァンのせい。ヴァンがルークを利用したせい。
 だけどあいつがいなければルークというレプリカが生まれることもなく、またボクが生き残りこうして想いを馳せることもなかった。
 信じていたすべてに裏切られ、孤独に追い込まれ、責任を負わされ、傷つけられて追いつめられて。
 ルークは疑っている。人を。当たり前だ。ボクだってそうする。
 だけどその疑うべきものの中にボクまで入っているのは、やっぱり少し痛い。
 ルークはいつまでたってもこっちへ来ようとはしなかった。
 ボクらは本当は敵同士で、こうして会っちゃいけないし話だってしちゃいけない。以前のルークはそれを分かっていたけど無視してボクに会った。そんなの関係ないだろと言って。
 だけど、今のルークは? 以前持っていたもの全てを失い何もなくなった彼。そこへ糾弾されるだけの言葉。怯えるのは当然だ。分かってる。
「…来てくれないんならこっちから行くよ」
 呟き、たんと地面を蹴る。ルークが驚いたように目を丸くする。それから多分来るなと言おうとしたのだろう。だけどその唇は窓枠に足をかけて部屋に乗り込んだボクによって塞がれた。「ん」と息を漏らして目を閉じたルークは、拒絶はしていない。
 ただ少し、罪悪感のようなもので片眉を歪めているだけで。
(どうしてそんな顔するの。悪いことなんて何もしてないじゃないか。ルークは何も悪くない)
 最初に接触したのはボクだったし、受け入れてほしいと願ったのもボクだった。ルークは受け止めてくれただけだ。何も悪くない。悪いとしたらボクの方で。
「…やめてよそんな顔」
 思わず唇を離してそう漏らしたら、困ったような顔でルークが「何がだよ」と笑う。いつでもそうだ。笑う必要がないときにまで笑うようになった。そうしたら怒られないとでも思っているかのように。
 その頬に指を這わせ、その視界に掌で蓋をする。困惑したように「シンク」とボクを呼ぶその声に僅かな恐怖がまじっているのをボクは聞き逃さない。
「怖いの? ボクが」
「怖くないよ。なんでシンクを怖がる必要があるんだよ」
 ルークは笑ったけれど、やっぱり震えていた。ボクは息を吐き出す。ルークをこんなにしてしまった世界のすべてが今とても憎い。
「ボクは何があってもルークを否定したりしないよ。ルークがボクを否定しないようにね」
 そう言ったら、ルークは肩を震わせた。貼りつけていたような笑顔が削げ落ち、後にはただ泣き出しそうなルークだけが残った。
「でも…俺は……」
「いいんだよ。ルークは悪くない。ボクはいつでもそう思ってる。悪いのはこの世界だよ」
「シ、ンク」
 掌に冷たいものが当たって、そっと視界を蓋していた手を外す。ルークは涙を流していた。きれいな蒼の瞳を涙でとろけさせてこっちを見ていた。子供の顔で。
「俺、俺は、もう…っ」
「分かってるよ。言わなくても分かってるから」
 ボクより少し大きいくらいのその身体をぎゅっと抱き締めて呟く。
 そう、すべて分かってる。もう拒絶されたくない、裏切られたくない、傷つきたくない。だからいつも無理して笑って話を合わせるし人の気持ちを窺っているし、だから本当に笑えない。その顔に微笑みを貼りつけ、まるでそういう機械みたいに、ルークは笑うしかない。
 分かってる。全て。ルークが本当はただ怖くて恐くて仕方ないだけで、泣き出しそうになるのをいつも必死で堪えてるってことぐらい。
「分かってるから…ボクの前でくらい、ちゃんと泣いていいんだよ」
 息を詰まらせて、その後にぼろぼろと涙をこぼして泣き始めた彼の背中をゆっくりと撫でる。

 全くこの世界は本当にどうしようもない。こんなに弱くて優しいルークを追い詰めることしかできないだなんて、本当に価値も意味もない。
 だからこそ消し去りたい。だけどルークはそれは駄目だと言う。世界は無理矢理変えるものではなく変わっていくものだからと。
 だけどねルーク、もうこれだけは譲れないんだ。ボクはレプリカの世界を作っていいと思うんだ。そしてそこにルークが立って導いていけばいいって、そう思うんだよ。
 その中にたとえボクがいなくとも、ルークが笑っていける未来があるのなら、それでもいいと、そう思うんだ。

「…大丈夫。いつでもいつまでも愛してるから」
 呟くと、ルークが震えた。「お、おれも、あいしてる」と涙で声を詰まらせながらそう言う。縋るようにボクの背中に腕を回してぎゅうと苦しいくらいに抱き締めてくる彼が、今はただひたすらに愛しい。
(ああ全くもう、本当に、ルークは)
 その背中を撫で、最後に抱き締め返して、ボクは彼の耳に囁いた。
「本当に辛くなったら逃げよう。ルークが心から笑える日が来るんなら、ボクは駆け落ちだってなんだってするから」

世界全部で僕らを欺くので