夏は嫌いだ。
 頭上から降り注ぐ蝉のうるささも、無遠慮な熱と眩しさで照らしてくる太陽も、嫌いだ。
 夏休みが好きって言えるのは、夏の暑さに関係ない涼しさ、夏らしい行事を楽しむ環境に恵まれてる奴らの言い分であって、俺みたいな底辺にいる奴には関係がないのだ。
 夏なんて、ただ不愉快で、不快で、生きにくい季節。
 じわじわと汗が滲んでくるシャツを引っぱり、夏休みの今日も雄英高校に向かう。表向きには出された課題を片付けるため。内心は学校の涼しい空間を求めて。狭くて子供ばかり、おまけに節電って暑いあの場所にはなるべくいたくない。
 ミーンミーンとうるさい音を聞きながら雄英高校までの坂道をダラダラ上がっていく。
 それにしたって暑い。地球が温暖化で全体的にあたたかくなっているって話を受け入れるしかないなって暑さだ。
 酷暑だって言われてたのが殺人的な暑さとかいう見出しを見るようになって、最高気温が40度を記録することも珍しくなくなって。本当、このままだと脳が沸騰してそのまま死ぬんじゃないだろうか。まぁ、それはそれでいいけどさ。
 ようやく辿り着いた校舎、夏の間も開けられている図書館に入り、深く息を吐く。暑かった。すっごい暑かった……。
 学生の姿がまばらにある図書館の端っこの席に陣取り、課題を広げ、適当に参考書を取りに行き、ポケットで震えたスマホを引っぱり出す。『現代個性学』適当な本を抜きつつスマホを眺めると、学生の本業とは違う小遣い稼ぎのデートのお誘いがきていた。「……はぁ」ひっそりと溜息を吐く。このクソ暑いのにみんな元気だな。持て余してんのか、体力と精力。
 いつでも金欠な俺に拒否権はなく、今夜デートしようと誘ってきた相手に二つ返事で了承し、集合は人で溢れるショッピングモールにしてもらう。
 陽のあるうちは学校の涼しい図書館でのろのろと課題をやりながら過ごし、夕方、閉館時間になって学校を後にする。「服…」さすがに雄英の制服で行くわけには…。
 いや、まぁ別にいいか? ホテルに入るわけじゃないし。今から施設に戻って着替えてもう一回外出許可もらって出て、って作業が面倒だ。
 ネクタイは取ってなるべく着崩した格好で待ち合わせの場所に行き、ぐう、と鳴った腹を押さえる。昼食ってないし腹減ったな。でも金は節約したいし。ご飯はこれから奢ってもらえるし、ガマン。
 時間の五分前にやってきたまぁイケメンといえる相手と合流し、ぐう、と鳴った腹を押さえる。うっせぇ。「お腹減った?」「うん」「じゃあまずはレストランだね」にこりと微笑むこのイケメン、誰にでもこういうことをしているらしく、こっちの界隈じゃ有名だ。男子高校生相手にフラフラ、あっちへこっちへ。それで相手がその気になったところで興味のなくなったおもちゃを捨てるみたいにあっさり手離す、らしい。
 今のところ手離されず相手にされ続けている俺は、ショッピングモールにあるレストラン街でパスタやピザを奢ってもらった。食い意地汚く遠慮なく口に突っ込んでいく俺が面白いのか、向かい側にいる相手はニコニコしている。
 その後はといえば、ゲーセンで遊んだり、ウィンドウショッピングをしたり、一時間ほどただのデートをした。それで一万がもらえる。
 次の約束があるらしい相手は「それじゃあまた」イケメンをキラッと輝かせてあっさりと去っていく。その背中を見送って、ポケットに突っ込んだ一万円を握り締める。

(これが俺のしばらくの資金だな。大事に使っていかないと)

 お金をもらってデートをすることを援交というのなら、俺がしているのはソレになる。
 学校にバレたら間違いなくマズいことだという自覚はもちろんあったけど、施設は俺の寝床と最低限の飯を提供するだけで手いっぱいだし、小遣いまで頼ることはできない。『恵まれない子供代表』ということで雄英に入学させてもらった身だから、勉学にも励まないとならない。勉強に影響が出ず手軽に金が稼げる…。そんなのこういうことくらいしか思いつかなかった。
 夏の間は気怠さにアてられるのか、暑さで気が緩むのか、デートの誘いは多い。
 夏の暑さは嫌いだけど、稼ぐ、という意味ではよい季節だった。
 そんな俺だから、雄英一年のヒーロー科が夏の林間合宿に出ていたそのときもデートをしていた。
 ヴィランによる襲撃のことを知ったのは、ショッピングモールの広場に設置された大型テレビが速報として垂れ流し続ける現地の映像を見て、だった。

「あれ、君のとこの同学年じゃないっけ」
「……うん」
「知り合い、いるの?」
「いないよ。俺はサポート科だから。接点もない」

 救急車で運ばれる学生。負傷したプロヒーロー。そんな映像を少しだけ見つめて視線を外す。
 俺には関係のないことだ。ヒーロー科でもなく知り合いの一人だっていない、ただ同学年がヴィランに襲われて大変だっていうだけのニュース。
 淡白な俺にいつものイケメン面で満足そうに笑う相手が何を考えてるのかは知らないけど、今日は五万を握らされた。「…は?」いつもの食事してデートしただけなのに。なんで。
 ポカンとする俺にイケメンはにっこりとした笑顔で「手切れ金ね」「……ああ」男子高校生相手にフラフラ、あっちへこっちへ。前触れなく目の前のおもちゃに飽きた子供みたいにこれまで付き合ってきた相手を捨てる。噂に聞いていたとおり、相手はあっさりと俺を捨てた。
 羽振りのいい人で、いやらしい目の一つもしないから、都合がよかったんだけどな。これでおしまいか。
 颯爽と去っていく背中を眺め、はぁ、と吐息する。
 夏の空気は気怠く、とてもじゃないがあんなふうに涼しい顔をして歩くことはできない。怠い。しんどい。そんなふうにしか歩くことはできない。
 きっと夏が終わっても俺はこのままだ。しんどい。怠い。そうやってしか生きていけないのだ。
 ヴィランによる襲撃事件を受け全寮制となった雄英高校での生活は、俺にとって窮屈なものとなった。
 外出が許可制になったのがとにかく痛い。気軽に小遣い稼ぎをすることもできやしない。
 そうなると雄英高校内でそういったことをするしかなくなるわけだけど、それがリスキーな行為であることは俺にもわかる。探せばそういう相手はいるかもしれない。でも学生には口の固さはないし、バレて失う社会性は誘った奴にあるだろう。リスクが高すぎる。学生相手に援交みたいな真似はできない。
 なら、誰かに飼われるか、ヒモになればいいのか。金を恵んでくれるような相手…。実家が金持ちとか。ヒーロー科にはそういう奴いたな。
 まとまらない考えをしながら少し涼しくなってきた早朝の空気の中を走っていると、シャッ、と鼻先を何かが通過して左手が持っていかれた。「い…ッ!」遠くの方でガシャンと音。取れた左手、義手が茂みの向こうに落ちた音。
 個性で義手と神経を繋いでたけど、あまりに一瞬の出来事だったせいで大した痛みも感じずにすんだのは幸いか。
 俺の左手を持っていったのは氷、だった。眼前いっぱいに氷。夏には触れればひんやりとしていて気持ちがいい。しかしまぁ、「でか…」ジョギングの道を塞いでいる氷に右手をやって顔をつける。走ってて暑かったしこれは気持ちいいなぁ。左手持っていかれたけど。

「悪い、大丈夫か」

 誰かの個性なんだろうなぁと思っていると、茂みをガサガサいわせながらやってきたのは白と赤の髪が特徴的な男子生徒だった。体育祭で活躍してたから顔は知ってる。名前は忘れたけど。
 俺の左腕がないことに気付くと相手の顔がさっと青くなった。「お前腕っ、俺のせいか」がしっと肩を掴んでくる相手に苦く笑う。「いや、大丈夫。もともと義手なんだ」生身の腕が取れてたらさすがに悲鳴の一つも上げるよ。
 茂みの向こうに転がった義手を拾って持ってくると、相手がほっと安堵の息を吐く。
 体育祭のときは、もっとこう、孤独な一匹狼というか。尖ったイメージがあったんだけど。なんだか普通だな、コイツ。なんて印象を抱きつつ、氷を受けたせいで壊れた左腕をひっくり返したりして損傷具合いを確認する。
 そこまであちこち壊れてはいない。これくらいは自分で直せる。
 壊れた金属の腕をプラプラさせて「これが左腕だから。直せるし大丈夫。でも特訓、もっと人が来ない場所にした方がいいと思う」「そうだな。悪ぃ…」あんなにトゲトゲしてたのになんかシュンってしてる。人って変わるもんだなぁ…。
 肩を落としている相手に悪ノリで「直すのにお金あると嬉しいけどなぁ」なんて笑ってみると、頷くではないか。「そうだな。俺が壊したし、払うぞ」「えっ」「え?」首を捻った相手に俺も首を捻ってしまう。「あ。うん。ありがとう?」「俺が悪いし、礼は変だろ。いくらあればいいんだ」マジか。マジで払う気なのか。サポート科だから研究の費用って題目にすれば金が出るんだけど知らないのかな。

「じゃあ、五万とか」
「五万でいいのか。今は手持ちねぇからあとでもいいか」
「え。あ。うん…」

 本気で払うつもりらしい相手にじわっとした罪悪感が生まれるものの、雄英が全寮制になってからというものデートで稼げなくなっていて資金不足すぎた俺には魅力的な申し出だった。五万。もらえるなら欲しいに決まってるだろ。
 道を塞いだ氷を炎の個性を使って溶かした相手が「あんた、名前は。俺は轟焦凍」「サポート科の、。です」「。ほんと、腕のことは悪かったな。あとで」じゃあ、と茂みの向こうへ消えていくジャージの背中を見送り、中途半端に壊れた腕を見下ろす。
 壊れた腕を持ったままジョギングするのも怠いなと思ったから寮に戻り、そういう気分でもなくなっていたからシャワーを浴びて汗を落とし、手順を無視して取れた腕がズキズキと伝えてくる痛みに耐える。「くそ…ッ」神経を、繋いだまま取れたから。痛いな。オフにすべきところをしなかったから。一眠りできる時間があるのに眠れそうにない。
 痛みに耐えながらもそもそと朝食を食っていると、「おーい〜」男子の声に視線を投げる。「なに?」「ヒーロー科の轟来てっぞ」あー。何もこんな早い時間帯に来なくてもいいのに。律義だなぁ。
 寮の外に出ると、今朝見たときと同じジャージ姿の轟が立っていた。「はよ」さっきはまだ暗いうちの遭遇だったし、有名人には憶えをよくしてもらいたいからとりあえず挨拶くらいはしておく。「はよ。腕、大丈夫か」Tシャツから覗く左の腕がないことを気にしている視線に苦笑いする。いってぇよおかげさまで。

「神経繋いで動かしてるからさ。急に取れたら当たり前だけど痛いよ」
「悪かった……」
「別に怒ってはないって。事実言っただけ」

 寮の方から興味津々という顔でこっちを覗いている数名の視線が気になったから、「ちょっと歩こ」と先導すると、轟は大人しくついてきた。
 現金のやり取りはできれば誰にも見られたくない。
 ここなら誰もいないな、という林道まで来てくるっと振り返ると、相手はまだ申し訳ないって顔で俺の空っぽの腕を見ていた。「ん」右手を差し出すと、白い封筒を渡される。「五万で直るのか」…またそういう。轟、お前って騙されやすいタイプなんじゃないの。「直ると思いたいけど…まぁ、頑張るよ」「足りなかったら言ってくれ。用意する」ほら、またそういう。お前絶対騙されやすいタイプじゃん。
 まっすぐこっちを見て、おそらく俺の心配をしている色の違う両目に笑いかける。「そうだな。足りなかったら言うよ」渇いた喉から言葉を吐き出して、罪悪感の苦みを噛みしめる。
 体育祭で注目されてた、実力もある轟焦凍ってのは、父親があのエンデヴァーらしい。現役のトップヒーローエンデヴァーの息子がコイツ。つまり、轟の実家は金がある。今こうやって五万をパッと渡せるくらいには金がある。
 コイツ、騙されやすいみたいだし? もし俺がヒモとかするなら轟ほどちょうどいい男はいないかもしれない。……もしもそういう関係になれるのなら、だけど。
 じゃあ戻ろう、と寮までの道を行くすがら、俺の空っぽの腕を気遣っているらしい轟に苦く笑うことしかできない。
 俺を案じている相手を都合よく騙そう、なんて、俺もなかなかに最低だ。