ワープゲートを潜り抜けた先、見渡す限りの山と瓦礫の地に放り出され、大きく息を吸って、吐き出す。
 これでもう在庫はありませんからね、と発目に再三言われたバックパックからガスを噴出、速度を落として降下し、戦いの跡を感じる荒れた地面に手をつく。
 緑谷と青山がオール・フォー・ワンを誘き出し、システム誘導牢を駆使して数秒間の先手を取り、敵を分断しワープさせる。予定していたフェーズ1には成功した。
 ここからがフェーズ2。分断した敵戦力を各個撃破する。
 言葉にするだけなら簡単だけど、そう上手くいくなら、なんだってうまくいくよなぁ。
 大きく息を吸って、吐き出す。
 震えている気がする右手でぎゅっと拳を握る。
 毒を飲み干す覚悟はしてきたはずだ。さようならも、伝えられたはずだ。
 俺は、これでいいんだ。



 背中にかかった声に振り返ると緊張した面持ちの耳郎がいた。常闇も一緒だ。「あんた、大丈夫?」「ん? 何が」「いや、なんか。その、さ。心拍数、異常だよ」自分ではいつも通りのつもりでも、耳のいい耳郎には丸聞こえらしい。困ったな。
 二人がここにいるのは、上空で睨み合っているオール・フォー・ワンとエンデヴァー、ホークス、その二人に何かあったときの繋ぎのためだ。
 常闇はホークスと何度もインターンを共にしてるから連携が取れる。耳郎はもともとは索敵がメインの配属だったと思うけど……彼女の力もパワーアップしてる。後方支援、遠距離攻撃ができる人員として動くつもりもあるんだろう。
 どのみち、顔見知りだ。それに、俺が正気なうちに、二人に周知もしてほしい。
 この戦いが終わったら二度と着ることのないヒーロースーツの内ポケットから、紫色の毒々しい液体の入った注射器を取り出す。
 俺はもうヒーロー科の学生じゃない。ヒーローでもない。ただちょっと戦う気持ちがあって、そのためにここに来た、ヒーローの真似事をしにきただけの学生だ。

「俺、ちょっと、正気でいられるかわらないから。そばに寄らないでね。味方にもそう伝えて」
「何? どういう意味だ。その見るからに毒々しいものは一体何なのだ、

 眉根を寄せてみせる常闇にへらっと軽薄な笑みを浮かべた俺は、注射器の先端を自分の首にブッ刺した。少し震える右手で中身をずぶずぶと押し込んでいく。
 途端に毛虫が血管を這うような不快感に襲われた。吐き気を堪えて左の鉄の手で口を押さえる。「っ? ねぇ、心拍数、尋常じゃ」「…っ、行って」「でも」「行け!」空になった注射器を投げ捨て、バックパックを投げ捨て、振り返る。
 そこにはいつかに見た巨漢の男の姿がある。

「よぉ。何年ぶりだ? 十年ぶりくらいか? あのときのガキがでかくなったなぁ。もぎがいがあるってもんだ」

 痛いくらいに見開いた目に映っているのは、どこにでもいそうな顔の男だった。ただ少し強面で、体格のデカさがそれを強調しているだけの。
 その手にある爪を剥ぐための器具には見覚えがあるし、腰からぶら下げているのは斧という原始的な武器からチェーンソーに変わっていたけど、関係がない。
 ……多くのヴィランを見てきた今だからこそ、こう思うんだろうけど。
 そうか。こんな奴に俺は優しくしようとして、捕まって、両親は、死んだのか。俺の左腕はなくなったのか。
 は、と笑う。おかしくて、おかしくて、体が震えてくる。
 血管中を蛆虫が這い回っているみたいに気持ちが悪い。吐き気が酷い。
 だけど、頭の中に展開されるこの戦場の詳細なデータ。味方と敵の位置の把握。敵の個性。虫が這う気持ち悪さの分だけ俺の個性が伸びていく。
 俺を中心にボコボコと地面が粟立つ。「っ、退避だ耳郎」「でもが、」「アイツならやれる、信じろっ」常闇が無理矢理にでも耳郎を連れて離脱してくれている。個性でそれを感じる。
 ありがとう、と言いながら、俺は目の前の男を木の根でめった刺しにしていた。それでも気が済まなくて木の葉をカッターにして粉微塵にした。
 こいつの個性は分身。渡された資料は読んだ。そんなもの発動させるまもなく粉にしてしまったけど。
 目の前で肉と血の粉になった相手を見下ろし、呆気ない幕引きに一つ息を吐く。
 俺のせいで死んだ両親。自業自得で失くした左腕。何も達成感は感じないけど、一つ、道端にあった邪魔な小石を蹴飛ばせたような気はする。

「ひ…ッ」

 声に視線を投げれば見知らぬ顔が一人。今日この場にいる味方の顔は把握してる。だからあれは、敵だ。
 敵だ、と判断した瞬間ポケットから飛び出した鉄片がその首を刺し貫いた。「ぁ……?」何が起こったのかわからないままに血を吹き出した相手が倒れる。
 ああ、本場の薬はすごいな。血管中を虫が這い回るような不快感もすごいけど、粗悪品とは比べ物にならないほどの力がある。

「…っ、」

 ごほ、と咳き込みながらのろりと歩き出す。
 薬の副作用が強くて、こうやってのろのろとしか動けないことは、もともと機動力のない俺には結構キツいけど。個性でカバーすれば問題ない。
 全開にした個性で敵の位置を把握、力の届く敵の首を刎ねたり足を穿ったりして戦力を削ぎながら、頭上から俺のことを狙っていた敵を木の葉で粉微塵に切り刻み、血の雨を浴びる。おかげで白かったヒーロースーツは真っ赤に染まった。

(焦凍の、ために)

 俺のことを救ってくれた。俺の人生に光をくれた。あいつのために。その幸せのために。その未来のために。俺は。俺に。できることを。
 この戦場での、勝利を。オール・フォー・ワンを倒さなければならないエンデヴァーの援護を。
 彼の邪魔は俺がさせない。
 前後から挟み撃ちしてきたヴィランには転がっている瓦礫で頭を叩き潰して殺す。感慨はとくにない。ヴィラン。それだけで殺す意味がある。「アイツを止めろ、止めろぉ!」リーダーのようにも見える誰かを見据え、ごほ、と咳き込む。口の中が苦い。血の味がする。
 切り刻む前に降って来た炎に地面の中へと潜り込み、場所を移動し、相手の背後を取る。まるで古いゲームのドラゴンみたいな姿かたちをした脳無。生きる屍。
 ピン、と弾いた工業用のデカい釘を音速で、容赦なく脳髄を貫く。それだけでどんな巨体だろうと姿だろうと相手は止まる。
 顔を伝って来た赤い色が邪魔で袖で拭う。だけどその袖も真っ赤だから、結局俺の顔は血色でしかない。

「なんだお前……ヒーローじゃ、ねぇな」

 怯えているのか、口が引きつっている敵を前に、俺は笑った。
 ああ、そうだよ。ヒーローじゃないよ。ヒーローにはもうなれないんだ。学生にも、きっと戻れない。何せ俺は人殺しだから。この戦いが終わったら、大人しく、警察に捕まるよ。そういう意識があって、体があって、俺ってモノが残っていたらの話だけど。
 焦凍が荼毘を止めたという無線の声は届いていたけど、俺は今、あいつの顔を思い出すことができない。戦場の情報処理に頭がいっぱいで、それ以上のことを考えられない。
 上ではエンデヴァーとホークスが戦っている。音が聞こえたからもう耳郎がフォローに入ってる。エンデヴァーに何かあったな。俺もフォローに行こう。
 面倒だから、その場の地面すべての木の根を剣山にして敵という敵を串刺しにし、取り逃がした奴は木の葉のカッターで切り刻み、すべてを赤い色へと変える。
 ばちゃ、ばちゃ、と遅い歩みで赤い色を踏みつけながら、個性で把握したエンデヴァーの落下地点へと向かう。
 オール・フォー・ワンは複数の個性を使える。それだけでも強い。それに加えて他者の個性を強奪できる。さらには頭も回る。だから、荼毘という、エンデヴァーにとっての弱点を必ずついてくる。
 伝えはしたけど。どんなに強く立っているように見せても、あの人だって人間だ。怒るときも、弱くなるときも、ある。
 エンデヴァーに群がろうとしていたヴィランの首は投げた鉄片ですべて撥ねた。どさどさと人が倒れてごろごろと首が転がる音を聞きながら、のろりとした動きで倒れている彼のもとへ向かう。

「えん、で、ヴぁ」

 見たところ、右の脇腹当たりに傷があるか。肺はギリギリ外れてる。これなら処置すればまだ動けるはず。
 外したポシェットから簡易の処置を施し、俺の個性を使って血を止めて傷口を塞いでいると、がし、と腕を取られた。「何を、している」「しょち。を」「違う。そうではない。貴様…ナーヴだろう」苦悶の表情。その瞳に映る俺は、頭から真っ赤に染まった、エンデヴァーの知るとしては見る影のない、赤い化け物だった。

「いいえ、えんでヴぁー。ナーヴはいません。ここにいるのは、ただの、ひとごろしです」

 応急処置を終えてふらりと立ち上がり、毛虫が這う感覚に堪えきれずに嘔吐した。「…ッ」この地の全体像を把握していたはずだけど、頭の中の映像がブレ始めている。薬の効果が弱くなってきた。もうすぐ切れる。もう十分たつのか。それとも俺と薬の相性があまりよくなくて、効果時間が思ってたより短いのか。どちらにしてもやることは決まってる。
 血を吸って重くなっているスーツから注射器を取り出してドスッと首に刺し、二本目になる毒を取り入れる。
 虫が頭の中を這っている。気持ちが悪い。気持ちが悪い。でも。それでも。やるべきことのために。守るべきもののために。守りたい光の、ために。
 嘔吐したものの中に血が混じった。
 それでも、空になった注射器を捨てた俺は、笑っていた。

「やる、べき、ことを。えんでヴぁー。あいつには。あなたでなければ。したは、おれが、しょり。します」

 ずる、と足を引きずりながら歩き出す。
 個性の力で周囲のことは把握できる。それを処理するだけの頭もある。毛虫が這い回るような悪寒と吐き気は止まらないけど、やるべきことはやれている。
 把握してる敵の数は減ってる。捕縛もされてる。下についてなら、少しは希望が持てる状態になってきている。
 げほ、えほ、と咳き込んでぼたぼたと口から落ちていく血を眺める。
 だけど。そのたび。個性が力を発揮するたびに、心が、置いていかれるようだ。
 耳から、鼻から、血が出てるのがわかる。関節の節々から血が出てるのがわかる。

(しょ、う、と)

 個性の力が鮮明になればなるほど、敵を殺せば殺すほど、心、ってものが、遠くなる。
 好きだった人の顔が思い出せない。
 光だと思ったものが思い出せない。
 結婚しようと、そう言ってた声が、思い出せない。
 今日まで、あんなに一緒だったのに、左右で違うあの体温が、思い出せない。
 ………今は、やるべきことを。
 敵を、殲滅する。
 ただそれだけの人殺しになれ。真っ赤な怪物になれ。
 それで俺がどうなろうとも。俺の光が生き長らえるなら、もう、それでいい。