ごほ、というこもった音がして薄目を開けると、まだ外も暗いっていうのに焦凍が起きていた。
 ぱちっと目が合ったと思ったら逃げるように逸らして、ぎ、とベッドを軋ませ俺を跨ぐようにして起き出す。「どした…?」健康的な時間に寝て起きるお前らしくない早起きだ。
 ごほ、という二度目の音と、「いや。なんでもない」どこか掠れた声にまだ半分寝ていた思考が醒めた。
 まだ春も来ない明け方、ふらついた焦凍の体を抱き締めるようにしてベッドに引き戻して額に手をやると、いつもより熱かった。「あー。風邪かなぁ」ごほ、と咳き込む焦凍が自分の口を手のひらで塞ぐ。

「う、つす。から。へや、もどる」
「いいようつして。ここで寝な」
「ぃやだ。おまえ、かぜ、ながびく。し」
「ハイハイ」

 力尽くで、やろうと思えば振り解くことも簡単なくせに、焦凍は俺の腕から逃げない。
 ベッドに転がして布団を被せ、常備薬の風邪薬を取ってきてコップの水を流し込み、口移しで飲ませても、さっぱり抵抗しない。
 ごくり、と上下した喉仏を指でなぞる。
 しっかり男の子って感じのこの喉仏、けっこー好き。俺はあんまり目立たないからさ。

「あれかな。色々あったから、疲れたんだろ。雪山キャンプに、俺の記憶喪失とか」
「………んなことで、まいってたら。ヒーロー、できね」

 くそ、とぼやいて腕で視界に蓋をして唇を噛む焦凍に少しだけ笑う。
 これは俺の予想だけど。俺が個性かけられて一時的にお前を忘れたこと、お前に冷たく当たったことが、相当響いたんだろう。その自覚があるのかは知らないけど。
 俺が思っているよりも、お前の中って、俺で埋まってるんだなぁ。それを喜んでいいものかどうか。
 俺より小さい額に冷えピタを貼りつけて、ぽん、ぽん、と紅白髪の頭を軽く叩く。「寝なさい。まだ朝まで時間ある」「は………」「俺は映画でも観てるよ」「う、つす。から。おれのへやで…」「俺の個性をお忘れかな? 神経司ってんの。マスクして菌弾いてればうつりません」これはわりと適当に言ってみたんだけど、それだけ辛いのか、風邪で頭が回ってないのか、腕をずらしてこっちを見上げた焦凍が「じゃあ、ねる、から。キス」なんておねだりしてくる。
 これは本当にうつるかもなぁ、なんて思いながら触れるだけのキスをして、じっとこっちを見上げてくる色の違う双眸に手のひらで蓋をする。

「おやすみ」

 焦凍は個性として炎熱と氷結を操れる。自分の体温だってある程度のコントロールは可能だろう。そんな焦凍が『辛い』と思うわけだから、それが俺のせいだとしたら、申し訳ないことをしたなぁ、と思う。
 さらさらしてる髪を撫でながら、大人しく目を閉じている焦凍の横に頬杖をついて寝顔を眺めつつ、這わせた左腕にブランケットを取ってこさせて肩から羽織る。さすがに寒いや。あとマスク、一応しとこう。
 テレビをつけたら眩しいだろうと思い、携帯の小さな画面で適当な動画を流しながら時間を潰して、朝になった。
 朝食の時間になってもすやすやな焦凍の冷えピタを貼り替えてから一階の共有スペースに顔を出すと、その場にいたみんなになんかすごく驚かれた。「あれっ轟は!?」「何々、またケンカ!?」「や、違くて」ぶんぶん両手を振って焦凍が風邪を引いたと説明すると、みんながそれぞれ納得したようなしてないような顔をする。「あの轟が、風邪ぇ?」そこ、邪推するんじゃない峰田よ。別にめちゃくちゃなセックスして足腰立たなくさせたとかじゃないから。
 今日はオムレツとバターを塗ったトーストにメープルシロップをたっぷりかけたカロリーの暴力を胃に入れて、あたたかいお茶を飲んでほっと一息吐いてから食器を片付け、冷蔵庫の扉を開ける。
 りんごは、あるな。風邪といえばりんごだ。

「あ、轟くんに? 手伝おうか」
「ありがと緑谷。でもだいじょーぶ。俺が作った方が喜ぶだろ、あいつ」

 ぽろっと言ってからゴホンと咳払いすると、緑谷は苦く笑って何も聞かなかったことにしてくれた。賢い友に感謝だ。
 まだあたたかいとは言えない季節だ。りんごをただ切っただけじゃ冷たいだろうと思って、携帯で検索して出したレシピ、りんごの蜂蜜煮を作ってみることにする。
 義手をしてる方の手にはしっかりとゴム手袋をして、切ったりんごが浸かるくらいの量の水を鍋に入れて、はちみつとレモン汁を投入。点火。焦がさないようときどきかき混ぜつつ、水がなくなるまで煮たら火を止めてちょっと放置。粗熱が取れたら完成、と。
 その間にまた冷蔵庫を覗いて、共有、となってる大きな入れ物のヨーグルトを取り出して適当に皿に分ける。この上に蜂蜜で煮込んだりんごを飾って、と。
 まぁこんなものだろうという焦凍の朝ご飯を完成させ、エレベーターで五階へ。お盆を片手で持って自室のドアを開けると、焦凍はまだ熟睡していた。そんだけ辛いか、薬が効いてるのか。
 でもそろそろ一回起きてほしいかな。何か口にした方が体調の回復は早いだろうし。

「焦凍」
「ん………」
「ご飯作ったよ。起きて」

 布団をめくって肩を揺らし、テーブルに置いた盆からヨーグルトとりんごの蜂蜜煮の入ったカップを取り上げ、スプーンを入れる。「はい」「………」のそっと起き上がった焦凍はカップを眺めて、それから口を開けた。……食べさせろ、ってことらしい。
 末っ子が爆発してんなぁ、なんて思いながら、仕方なくその小さな口に入るだけのヨーグルトと切り分けたりんごを運ぶと、眠そうだった焦凍の目がぱちっと開いた。それでもぐもぐ口を動かして口の中のものを飲み込んで、「うめぇ」と俺の手からカップを奪ってぱくぱく食べ始める。
 そりゃあよかった。頑張って作ったかいがあった。

「ただりんご切っただけじゃ、冷たいしさ。蜂蜜とレモン汁入れて煮てみたんだ」
「うめぇ」
「うん。おかわり欲しいなら取って来るよ」
「いる」

 即答だな。まぁいいけど。
 あっという間に空にしたカップを受け取って、なんかにやにやしてるなぁと思うクラスメイトの視線をなるべくスルーしながらレンジではちみつのリンゴ煮をあたため直し、大きな容器からヨーグルトをカップに分けてもう一度五階の角部屋の自室へ。
 ガチャ、と扉を開けると、焦凍がうとうとしながらも起きていた。「おかわり…」「持ってきたよ」はい、とカップを渡して、焦凍の隣に腰かけてぎいとベッドを軋ませる。
 また眠そうになっている焦凍の手元が危うい。カップ斜め。こぼしそう。
 仕方ないからその手からカップを受け取って「はい、あーん」「あ」大人しく口を開ける焦凍にスプーンで餌付けをしていく。「無理して食うなよ。逆効果だから」「ん」「気持ち悪いとか、ない?」「ない。うめぇ。もっと」あ、と口を開ける焦凍にカップのヨーグルトとりんごをあげ続けて、二杯目が空になった。さすがにこれだけ食べれば充分だろう。
 登校の準備をしながら「先生には言っておくから。大人しく寝てるように。お昼は戻って来るから」「ん……」ぼす、という音に振り返ると、焦凍がベッドに転がって枕をぎゅっと抱き締めていた。何してんだ。
 寄っていくと、手を取られた。「」「うん」「うまかった」しゃがみ込んで視線をなるべく合わせる。
 起きたときにしてた咳はないみたいだけど、熱っぽい顔はしてるかな。お昼戻ってきたら冷えピタは替えよう。

「お昼は卵粥作りに戻ってくるから。それから薬飲んで、元気だったら、夜は蕎麦にしよう」
「うん」

 握った手に頬をすり寄せてくる焦凍にちょっとうずっとする。いつもこう、結構ガシッとくるから。後ろから抱き締めるとか、無理矢理ベッドに放るとか、ヒーロー科エースのパワーフル発揮してくるもんな。こうやって控えめに甘えられるとちょっとぐっとくる。
 後ろ髪引かれながらも、大人しく寝てるという焦凍を置いて登校。相澤先生には事情を説明して、なんだか足りないな、という気持ちになる授業の時間を過ごす。
 その理由は休み時間になってわかった。いつまでたっても焦凍が来ないのだ。、って声が聞こえないのだ。
 部屋で寝てるんだから当たり前といえば当たり前なのに、毎日毎日、たった十分の休み時間でも俺のところに来てたあいつに。俺。慣れてたんだなぁ……。

(依存じゃん)

 他人事みたいに思いながら次の教科、英語の小テストの範囲を教科書でパラパラ確認していると、今日は焦凍がいないってことで気を遣ってくれてるのか、緑谷と飯田が席に来てくれた。「次は英語だね」「うむ。そして小テストだな」「あー言わないで、言わないで。自信全然ないから」このメンツで言えば俺が一番頭が悪いのである。くっそー。
 そして、お昼。ご飯に誘ってくれた飯田たちには申し訳ないけど、焦凍の飯を作りに寮に戻ると言ってしまった手前、約束を破るわけにもいかない。
 息を切らせて走りながら寮に駆け込むと、マスクをして毛布にくるまった焦凍が一階の共有スペースで俺のことを待っていた。「こら、寝てろって、」靴を脱ぎ散らかして息を整えながら、まずは手を洗い、義手の方にはゴム手袋を装着する。
 適当にテレビを見て時間を潰してたらしい焦凍がふらっとした動作で立ち上がって、冷凍庫のご飯と卵、ネギ、塩分に梅干しその他もろもろを用意する俺にぴたっとくっついた。



 それで、聞きたかった声に呼ばれると、俺もうずうずするわけで。「時間ないから……」甘やかしてあげたいけど、自分の飯のサンドイッチ食いながらお前の卵粥も作るという同時進行作業を開始。
 冷凍の飯をチンして作ったから手軽にできた卵粥を、焦凍は満足そうな顔ではふはふと頬張っている。

「今日あった小テスト、焦凍は次の登校のときに居残ってやれってさ」
「ん」
「あとは普通の授業だったから。お前は教科書読めばわかる内容だと思う」
「ん」
「あー、もうこんな時間かっ。ごめん、洗い物できる?」
「やれる」
「薬飲んで冷えピタ張り替えて、大人しく寝てるように!」

 びしっと指さした俺に、こくりと頷いた焦凍を置いて、学校へ猛ダッシュ。なんとか次の授業に間に合った。「ご苦労なことでぇ」にやにやしてる峰田に「うっさい」と軽口を返しながら自分の席にどかっと腰かけて、とにかく深呼吸をして息を整える。
 大丈夫。しっかり薬飲んで、消化にいいもの食べて、しっかり眠れば、もともとが丈夫なんだから、焦凍ならすぐ元気になる。

(明日には。いつも通り。隣にいる) 

 それって依存じゃん。頭の冷静な部分が指摘してくる声を今は無視して、ヒーロー科の授業のためにスーツの入ったケースを持って教室を出た。