その日もいつもと同じ。まぁまぁ忙しないインターンも中日に差し掛かった頃。
 今日は大きな事件がなくて平和だったな、と思いながらバーニンとエンデヴァー事務所に帰還する目前のことだった。
 個性を使って周囲の状況把握をしながらの帰り道、路地裏で寝っ転がって悶絶している誰かがいることに気がついた。「……?」その個所を意識して見てみると、笑い転げているのは警官が二人。壁には何か、落書き? がしてある。

「バーニン」
「ん?」
「あっちの路地裏なんですけど、警官が二人、笑い転げてます」
「はぁ? なんだそりゃ」

 俺に訊かれても。あとそんな訝しげな顔をされても困る。だって事実だし。
 バーニンの判断的には『放っておいていい』になったらしく、俺も、まぁ笑い転げてるだけだしな……ものすごく面白い話とかしてたのかもしれないし、と思って、そのときはそれ以上警官や落書きのことを意識しなかった。
 問題は、事務所に帰還後。お腹が空いたなと思ってカフェでケーキとドリンクのセットを味わっているときに起こった。エンデヴァーの事務室からお呼び出しである。
 ケーキをかき込んで紙カップのカフェモカはそのままテイクアウト、急いで事務室に駆け付ければ、帰還したんだろう焦凍たちにバーニンを始めとしたサイドキックの面々が揃っている。「遅い」「すみません」ぺこっと頭を下げてからそろそろっと移動して焦凍たちの後ろへ。
 怖い顔をして腕組みしているエンデヴァーの前には警察の人がいて、テーブルには、落書きを撮影したと思われる写真が何枚も置かれている。

「被害はすでに五十件を超えています。なにとぞ、犯人逮捕に協力していただけませんでしょうか」
「……我々に落書き犯を捕まえろ、と? 断る!」

 エンデヴァーの怖い声に身を竦めつつ、あたたかいうちにカフェモカをすすっていると、焦凍がチラ見してきた。「ただいま」小声で言われて「おかえり」小声で返し、カップを掲げて飲む? と首を捻ると頷かれたから焦凍にあげることにする。
 よし、集中して話を聞こう。
 本来なら落書きなんて軽犯罪だ。ヒーローが出るまでもなく警察で対処するのが望ましい。
 が、警察の人曰く、落書き犯……自分のことを『ミスター・スマイリー』と名乗っている相手の個性が強力で、警察では太刀打ちができないらしい。
 その個性とは、スマイリーの顔を見た者は突如として笑い転げてしまう、というもの。
 笑い転げる……それどっかで。

「あ」

 思わずぼやいたらエンデヴァーに睨まれた。「いえ、あの……個性で認識しただけなんですが。帰りに、路地裏に、落書きと、それを前に笑い転げる警官二名を確認してます。犯人は視てません」一応その場でバーニンにどうするか確認してスルーでいいと判断した件だ。
 バーニンが「ああ、アレか」と気付いた顔で手を叩く。
 警察の人曰く、その個性を受けると、二時間は笑い転げてしまうらしい。

(笑いたくもないのに笑い続けてしまう…それは地味に辛いな……)

 そんなわけで、ミスター・スマイリーを発見、捕縛しようとしても、警察官では逮捕前に笑わされ、逃げられてしまう。それで五十件まで被害が重なってしまった。だから今回ヒーローに頭を下げて頼みにきた、と。
 エンデヴァーは頭を下げる警察の人に苦い顔をしていたけど、渋々。ほんとーに渋々、パトロールのついでくらいなら落書き犯に注意しよう、という返答をして、警察の人にはお帰りいただいた。
 今日は大きなことはない一日だと思ってたけど、最後に面倒な案件が舞い込んだ形になったなぁ。

「ん」
「ん? 飲んでいいよ」
「お。じゃあ飲む」

 ゆっくりカフェモカをすすっていた焦凍がカップを思い切り傾けて中身を飲み干す間、写真を何枚か手に取ってみる。
 あのとき個性で確認した落書きがどれかまではわからないけど……「なんか、バンクシーを意識してる感じ」落書きで成功している海外の芸術家、だったかな。その真似のつもりなのかもしれないけど。
 緑谷が「相手を強制的に笑わせる個性、か」とこぼして顎に手を当てて考え込む。エンデヴァーは乗り気じゃないのに、真面目だなぁ。
 べこ、とカップを潰した焦凍が首を捻る。「顔を見ないようにして、犯人を確保すればいいんじゃないか」こっちも真面目だなぁ。
 で、その真面目な二人に「まともに論じてンじゃねェこのクソども!」とツッコミ入れるのが爆豪、と。

(顔を見ないようにすればいいなら、俺が一番楽かな。目を閉じてても個性で周囲の把握はできるし、動ける。個性の乱用にはなるけど、視界を補いつつ適当に捕縛してしまえばいいならできると思う)

 警察の人の話だけでの判断だから、実際に現場に立たないとなんとも言えないけど。
 その日はエンデヴァーは家に帰って休むとのことだったから、パトロールはサイドキックの人たちに任せ、俺たちインターン生はそこで解散となった。
 当たり前みたいに寄って来た焦凍と一歩距離を取りつつ、とりあえず、スーツは着替えることにする。

「落書きかぁ」

 ジェラピケっていう女子が着た方が絶対似合うもこもこした生地の部屋着(焦凍が買った)に着替えながらぼやいて、ぐっと伸びをする。スーツを脱ぐとようやく気が抜ける。
 ミスター・スマイリー。
 犯罪には違いないんだけど。なんかイマイチ、こう、気合い入らないな。やってることは落書きだし。
 ベッドに転がって携帯でミスター・スマイリーについて調べていると、ノックなしにガチャッと扉が開いて、開いたと思えば飛び込んできた焦凍がぎゅうっと抱き締めてきた。「」すりすり頬まで押しつけてくる。髪が。くすぐったい。

「かわいい」
「ああ、うん。毎日言うよなそれ…」

 そんなにジェラピケを着てる俺が気に入ってるのか。
 言っておくけど、俺はこのブランドの値段を調べてクローゼットの肥やしにするわけにはいかないなってなったから着てるだけであって、気に入ってるわけじゃないぞ。