耳元で声がする。『カツキぃ人間よりも卵、卵を探さなきゃ』オロオロした言葉同様金の瞳をオロオロあちこちに向けている赤いドラゴンに、腕で抱えている外套の中から卵を取り出す。
 カツキ。っていうのか、あの人。

「あの、これ。落とし物」

 卵を掲げた俺に、ドラゴンは『あー卵だぁ!』興奮したのかズドンと太い尻尾を地面に叩きつけるもんだから慌てて卵を抱える。揺れるぅ落とすとこだった。
 ナーヴは焦凍の愛馬で賢くて勇敢だけど、ドラゴンの前まで行く勇気はないようだったから(取って食われたら大変だ)、まだくらくらする頭で苦労して馬を降りる。
 よろけた俺を支えた焦凍が「返すんだろ」とドラゴンとカツキを顎でしゃくるから、頷いて、抱えている卵を落とさないよう注意しながら、一触即発のピリッとした空気の中を歩いていく。
 ここまで旅をしてきた緑谷たちは、この空気を読んで動かず、相手を刺激せずにいてくれてる。助かる。

「どうぞ」

 それで、卵を差し出すと、チッという舌打ちのあとにドラゴンの頭の上からカツキが落ちてきた。なんなく着地を決めると俺の手から奪うように卵をひったくり、傷がないかどうかを引っくり返したりして調べ始めた。
 熱さと暑さ、魔法を使ったことによる負荷で焦凍にもたれかかるようにしてぐでっとしていると、そんな俺たちを一瞥した相手がボソッと「ここでもそうなんか、お前らは」とぼやく。
 俺にはその言葉の意味はわからなかったけど、焦凍には何かピンとくるところがあったらしい。「お前、もしかして」何か言いかけた焦凍を「うるせェわ」とカツキの苛立った声が遮る。

「ンで、俺の縄張りに入り込んだ目的は」
「……強いマモノ目当てだ。魔王に通じている可能性があるから」
「ハァ?」

 お世辞にも目つきがいいとは言えないカツキに睨まれて首を竦める。
 蔑まれるのは慣れていたのに。焦凍に拾われてからはぬるま湯の世界に浸っていたから。言葉の棘に慣れない。「マモノの活発化。お前も気付いてるだろ」「ったりめェだ」卵に異常がないとわかったカツキがドラゴンの口の中にしまう。
 それで、カツキは俺たちを通り越して緑谷の前に立った。「おぅ、クソデク。十年たってもチビだな」「えっ」「クソナードって言った方がわかりやすいか?」それで、緑谷たち三人が顔を見合わせてあっと気が付いた顔をする。「もしかして、かっちゃん!?」「え、嘘っ! キミ、十年前に行方不明になったままの爆豪くん!?」「まさかこんなところで再会するとは…!」わいのわいの賑やかになっている四人はどうやら知り合いらしい。
 ぺた、と額に当てられたひんやりとした右手に視線を上げると、焦凍が後ろから俺のことをぐっと強く抱き締めていた。この暑いのに。頭はおかげでひんやり心地いいんだけど。

「焦凍、知り合い?」
「ん。まぁ。そんなところだ」
「あの人…爆豪、だっけ。なんでこんなとこに」
「さぁな」

 耳元で囁く声にちょっと背筋がむず痒い。
 焦凍のさらに後ろ。むしろ真上か。カツキ、じゃない、爆豪が緑谷たちと話し始めてから、赤いドラゴンの視線が降り注いでて。こう。物理的に痛い気がする。『ねぇ』「はい」ぼそっと返事した俺に焦凍は首を捻った。焦凍には聞こえていないのだ。ドラゴンの声も、愛馬であるナーヴの声も。もちろん、マモノの声も。
 俺にだけ。全部が聞こえている。
 このことはまだ内緒にしてるから、赤いドラゴンがしげしげと覗き込んでくるのに耐える。口でか。『へぇー。カツキでもなんとなくしかボクの言葉わからないのに、キミ、全部聞こえてるの?』こく、と頷いた俺に焦凍が眉間に皺を寄せている。

『あのねぇ、カツキはねぇ、強くなりたいってここに来たんだよ』
「強く…?」
『カツキはねぇ、魔法が使えるんだよ。爆発の! カッコイイんだ! それでね、うんと小さい頃に、修行だって言って、自分でここまで来たんだよ。
 爆発使って戦う姿がカッコよくてね。なんだかんだ、面倒見もいいし。だからボク、カツキのことは食べないで見てることにしたんだぁ』
「そっか」
「………さっきから誰と話してんだ」

 焦凍が不機嫌そうに俺のことを抱き締めてドラゴンのことを睨み上げる。訊いときながら心当たりはあるって顔だ。
 これは、隠しててもバレそうだな、そのうち。
 そんな感じで、熱くて暑い場所だったけど、俺たちはそこで爆豪勝己という緑谷たちの幼馴染と再会。なんだかんだで爆豪も旅に同行する形になった。
 本人曰く、『強い奴をぶっ潰したい』……つまり、魔王をヤりたい、らしい。
 一緒にいたドラゴンの方は、活性化しているマモノから縄張りを守るという役目もあるし、お留守番だ。
 街の人から聞いた『火山に恐ろしい化け物が住み着いている』という話は爆豪のことだろう。爆発の魔法が話に聞いた爆音の正体で、恐ろしい怒号っていうのは、怒りやすい性格の大声からきてるんだと思う。
 だから、強いマモノを見つけるという意味では、ここはハズレだったことになる。
 暑くて熱い火山を下山する俺たちにぶんぶん尻尾を振って見送っている赤いドラゴンが『バーイバーイ! カツキをよろしくねぇ〜!』と叫ぶから、頭をつんざく声に片耳を押さえながら手を振り返して応えておく。

「馬鹿ドラゴン! もう卵落とすんじゃねェぞ!」
『はーい!』

 ち、と舌打ちした爆豪の口はへの字に曲がっている。
 口は悪いし、目つきも悪いけど。悪い人間、じゃあないんだろう。
 そう。悪い人間じゃない。お前はゴミ同然なんだから、何したっていいよなぁと汚い口元で笑って俺の左腕をボッキリ折った人間とは違う。悪い人じゃない。
 違う。だから大丈夫。
 ………昔は、人間なんてろくな生き物じゃないって、全部諦めてた。だから何をされたって何も思わなかったし、絶望も感じることはなかった。
 それが。轟焦凍って優しい人間に出逢ってから、変わってしまった。
 ゴミ同然だった俺に優しくしてくれる、愛してくれる、そんな人間がこの世にはいるんだと知ってしまった。
 人間にはまだ希望があるんだと実感してしまった。
 掃き溜めに転がる生きた人形じゃなく、人として生きる、ということを知ってしまった。
 だからこれは。この痛みは。体が長く憶えている、人間に対しての警鐘だ。口が悪くて目つきも悪いからなんて理由で爆豪のことを意識が危険視して、忘れたのか、お前は人間に酷い目に合わされたんだぞって警告してる……。
 ズキズキと痛む気がする左腕を握り締めていると、ずっとこっちを見てる焦凍が眉間に皺を寄せた。「痛むのか」「少し」へらっと笑うと焦凍はもっと顔を顰める。俺が誤魔化して笑うことを許してくれない。
 なんとかナーヴに跨ったまま下山をして、涼しい高原地帯に戻ってきて、気が抜けた。ぐら、と視界が傾いで、体が傾いで、鞍から滑り落ちる。
 地面と激突か。痛いだろうな、と覚悟して目を閉じれば、ぼす、とやわらかい音と感触。
 ……いつかにもこうして助けられた。
 薄目を開ければ焦凍の青い色のベストがある。落ちた俺を抱き止めてくれたんだろう。

「座ってるのも辛ぇんだろ。抱えててやるから、は楽にしてろ」
「……うん」

 素直にこぼせば焦凍の腕に抱え直された。お、お姫様抱っこ……。
 これの何が嫌かって。恥ずかしいってこともあるけど、一番は、焦凍から顔が隠せないことだ。イケメンが目に辛い。
 魔法を使ったことで頭は痛いし、古傷もなんだか痛いし。痛みでぼんやりしてる俺を焦凍が心配そうに見てるから、なんか、自分のことでいっぱいいっぱいな俺って情けないなって、泣きたくなって。だから、笑ってみせるんだ。「だいじょうぶ」って。そうでもしてないと本当に泣きたくなるからさ。