特殊な事情で焦凍と同じヒーロー科へと編入になった。 その存在を意識したのは、焦凍がよくその名を出すようになったからだ。 年末うちに帰ってきたときも、インターン中も、何かと『』という名を引き合いに出す。今この場にいない者に心が持っていかれている、そういう顔をする。 息子がそんなに想う相手との初対面は、まぁ、あまり良いと思えるものではなかった。 ホークスが敵について探っている間、その暗号として寄越してきた『異能解放戦線』という本。これの意図に勘付く読み解くだけの頭を持つ者。それでいて冷静であり、先を知ろう、受け止めよう、とする者。 そして。無情な現実にも怯まない者。 俺はと名乗ったあの学生との短い対話のあと、彼のことを調べた。 その過去は、その冷静さを、思慮深さを、警戒心を忘れないという心を裏付けるのに充分なものだった。 『ヴィランに人質として捕まり、両親を目の前で無残にも殺され、自身も左腕を斬り落とされる』 『その後警察病院に入院、のちに孤児院へ』 『彼の両親の財産はすべて親戚一同がさらったあとで、一人息子ではあるが同時に子供であった彼には何一つ残らなかった』 という人間は知っていた。幼い頃から、絶望を。自分のせいで家族が目の前で死ぬという責め苦を。 という人間は知っていた。何一つ、自分の身一つ満足に残らなかった。それでも生きるということが、どんなに苦痛と汚辱に塗れたことかを。 泥の中でもがき苦しむ。暗い海に沈む。あるいは空から永遠に落ち続ける。いつか溺れて終わる、地面に激突して終わる、そんな未来を思いながら、ただひたすらに沈んで落ちていく。 その手を焦凍が取って無理矢理にでも引っぱり上げたのだろうということは、二人の様子を見ていればわかった。 またあるとき、俺の中ではもう変わらない過去。そして罪。燈矢のことを言われたとき、俺はその話を真剣に考えることなどしなかった。 ……いや、今思えば目を逸らしていたのだ。『骨が一部とはいえ発見されたのだ。生きているはずがない』そうでなければならない。生きていたら、一体俺は、燈矢にどんな顔をすればいい? 何を言えばいい? だから思考を放棄した。賢く先を見据える力のある学生の言葉をなかったことにした。 そして、地獄を見た。 ヴィラン連合の一員である荼毘が、燈矢だった、という、地獄を。息子が大量殺人犯になっていた、という地獄を。 この地獄を予見していたは。ヒーロー名、ナーヴは。できることをした。信じたくはない現実に打ちのめされる俺のための時間稼ぎを、自分の身を炎に晒してまでやってのけた。 そのときに俺は確信した。 ああ、この男は、容易く我が身を投げ出せる、焦凍にとっては危険な奴だ、と。 (だが、お前の個性は、使い勝手がいい。応用が利く。そしてお前は、それに応えるだけの力がある) ヴィラン連合。その戦いが終わるまででいい。その間だけ、ヒーローの未来のため、焦凍のために、その力を貸してほしい。 俺はホークスが持ち掛けてきた案を了承した。危険な賭けだとはわかっていたが、ただでさえない戦力を、ここでリタイアさせるわけにはいかなかった。 俺は秤にかけたのだ。息子やヒーローたちの未来と、という自己を投げ出すことを厭わない、危うい人間の命を、秤にかけた。 その結果が。 「えん、で、ヴぁ」 ぼたぼたと返り血なのか自身の血なのかを落としながら、全身真っ赤な怪物のようになったその姿に、俺は戦慄した。 とてもヒーローとは言い難い行為をすることを、確かに俺は了承した。ホークスのような存在は他にも必要だと、それを成せるだけの覚悟と個性を持った存在が必要だと、日本で使用を禁止されている個性増強剤の使用を許可した。 だが。息子を、これ以上ないほどの笑顔にさせることのできる存在を。結婚する、とまで言って俺を呆然とさせた相手を。こんなふうに血まみれにしたかったわけではなかった。 ここまでするとは。俺も思っていなかったのだろう。我ながら考えが甘い。 この数分で、一体何人を始末してきた? いや、この場合、の覚悟が。己を投げ出してでも、という思いが強すぎた。俺やホークスの予想をはるかに上回った。 「何を、している」 ヴィランと言った方が頷けるような、そんな血に濡れた姿で、相手は俺の傷に簡易の処置を施している。見ればわかることだ。俺を助けているのだ。「しょち。を」「違う。そうではない。貴様…ナーヴだろう」口の中に広がる苦さは血の味だけではない。 しかし、俺の知るは、赤い化け物として、ただ笑った。 「いいえ、えんでヴぁー。ナーヴはいません。ここにいるのは、ただの、ひとごろしです」 その言葉を聞いて、俺は、自分の甘さを呪った。 自分を投げ出すことを厭わない人間。自分の価値を低く設定している人間。焦凍に愛されながらも、そのことすら、おそらく、『俺でなくてもいい』と諦観している人間。その、末路が。これか。 は人を殺した。 かつて両親を殺されたように。増強剤で強くなった個性でただ人を、ヴィランを、殺した。 ここは戦場。ただでさえ敵は多い。そして俺の敵はあのオール・フォー・ワン。地上からの援護でも入れば少数精鋭で立ち向かっているこちらは一気に不利になる。だからこそ地上には人員を割いたし、も組み込んだ。 だがその結果が。 「……ッ」 俺の応急処置を終えてフラフラ立ち上がったかと思えば、茂みに顔を突っ込んで嘔吐し、荒い息を吐き出しながら、毒のような色をした注射器を取り出す。「ナーヴ、」では、ない。もう彼はナーヴではない。己でそう決めてしまった。俺の声は届いていない。 どす、と自分の首に注射器を刺して中身を取り込んだ相手は、空になったそれを捨て、どこか壊れ始めた顔で笑った。 「やる、べき、ことを。えんでヴぁー。あいつには。あなたでなければ。したは、おれが、しょり。します」 ごぼ、と咳き込んで吐血したに「待て!」と声をかけるが、ふらつきながら歩き出すその背中を追えるはずがない。 俺の相手は今もまだ上にいるのだ。焦凍が結婚したいとまで言った相手がどんな状態であろうとも、俺は、俺の相手を間違えることはできない。 俺は、俺の戦場に、戻るよりほかにない。 「!!」 張り上げた声で肺が軋む。だが、茂みの中へと消えて行った、まだ十六歳の学生が戻って来る気配はない。 ………ホークスが提案し、俺が許可し、本人も納得して手にした三本の薬液。 それをすべて取り込んだとき。という人間は、おそらく、壊れるだろう。それほどに副作用は強いと聞いている。 『アチラさんのものってそれほど強力なんスよ。何せ、戦争で負け戦、退路もない、そんなときに自爆覚悟で使えって言われてるモンです。こんなもの、俺だって学生には渡したくはない』 だが、圧倒的に不利な状況がそれを許さず。俺たちは彼の自己犠牲の精神を利用した。 明日のためなら。オール・フォー・ワンを倒すためなら。多くの人間が笑う明日のためなら戦えると。焦凍のためならできると。ヒーローの志をもつ、まだ十六歳の学生に、人殺しになることを強要した。 (俺はッ) 手当された個所にぐっと手を押し当て、飛ぶ。 状況は待ってはくれない。俺はお前の元へ行くことは選べない。 俺はまた犠牲にする。燈矢と冷の心のように。焦凍の時間のように。 そして次は、、お前を。 (この戦いが終わったとき。そこにまだ、が残っていたならば。お前が焦凍と共に生きることを、俺は歓迎する。 だが、もし、という人間が、この世にもういなくなっていたならば。俺は。一生をかけて。焦凍に償わなければ) 世界と、焦凍の愛する人間、ただ一人。それを秤にかけた自分。 たとえこの戦いで勝利し、世界が、ヒーロー業界が、社会が、よくやったと囃し立てても。を欠いた世界を知ったとき、我が子は泣き叫ぶだろう。子供のように泣いて物言わぬその体に縋るだろう。どうしてこうなったと俺に詰め寄り、なじり、愛を失った世界でただ慟哭するだろう。 (が三本目の注射器を使うその前に、決着をつける。俺にできるのはそれだけだ) |