冬も深まり、人肌とあったかい布団が恋しくなる季節となった十二月の初旬。 ベッドを抜け出すぬくい温度に意識が醒めた。 手を伸ばして枕元の携帯を掴んで時刻を確認する。六時過ぎ。どおりで眠い。 もそりと動いて部屋に視線を投げると、轟が俺の頬を両手で挟んでキスしてきた。イケメンは今朝もやっぱりイケメンで、眠そうな俺を見て唇の端を緩めている。「試験。だっけ」触れるだけで離れた唇に問うと「ん」と頷かれる。 今日はいよいよ仮免補講が終わるのだ。試験に合格すれば、の話だけど。 俺にはまだ遠い仮免ってもののことをもやもやっと想像しながら「行ってらっしゃい」と手を振ると、「行ってきます」と残して轟は部屋を出て行った。これから着替えて準備して、仮免試験のある会場へ向かうのだ。 うとうとと二度寝をし、飯田からラインで『朝食がなくなるぞ!』と言われて仕方なく起き出して一階の共有スペースへ。「お早うくん」「おー、はよ…」まだ眠い目を擦りつつ片手を挙げる。 窓の外はチラチラと白いものがチラついている。雪だ。その中を男子がはしゃいでいる。「元気だなぁ……」老人みたいな反応だな、俺。 腕のこともあって寒いのは苦手だ。暑いのも好きじゃないけど。 飯田と緑谷が取っておいてくれた朝食、今日はご飯とお浸しと豚の生姜焼きをいただいて、自分の食器くらいは自分で洗おうとゴム手袋をして洗い物をすませる。 「今日は仮免補講最終日だね」 「うん」 「轟くんとかっちゃん、大丈夫かなぁ」 不安そうな緑谷に苦笑いを返して携帯に目をやる。もう十時前じゃん。今日は外出届を出してあるんだった。用意しなきゃ。また伸びてきた髪を切るのと、色々必要なものの買い出し。 部屋に戻ってユニクロのあったかい素材の服を適当に着て、最後に物の良いコートを羽織り(全部轟が買ってくれた)もこもこの格好で寮を出て、エクトプラズム先生に駅まで見送ってもらい、一人電車に乗る。 世間はクリスマスシーズンということで車内はどこか浮ついていて、同い年くらいの男子女子が浮かれた感じで笑い合っているのを見るともなく眺める。 ……俺はもともと孤独な人間で、孤独と友達だった。 轟が現れてからというもの、二人でいることが当たり前みたいになってたけど。本来ならこうして一人でいるのが俺なんだよな。 雪がチラつくクリスマスな街を足早に歩き、美容院で髪を切って量を減らし、寒いから襟足は長めのマッシュウルフヘアになってさっぱりしたあとは、大人が出入りする裏通り、ピンク色のお店にこそこそと入店。轟がこういうプレイがしたいって希望のベッドで使うオモチャのアレコレを購入。 しかし、轟の趣味って……。そんなことを思いながら首輪その他を中身の見えない配慮のされた灰色の袋に入れてもらい、リュックの底に押し込んだ。 (これで俺の用事のほとんどは終わり。あとは………) ポケットで震えた携帯を引っぱり出すと、着信がきていた。「はい」白い息を吐き出しながら仕方なく出てやると『やぁ』と声。電話越しでもキラッて効果音が聞こえそうな爽やかさ。…変わってないな。 一週間ほど前、夏に手切れ金を寄越して以降音沙汰のなかった例のイケメンが連絡を寄越してきた。今日は彼に会うためもあって外出届を提出したのだ。 ……俺が過去に援交をしていたってことは轟には言ってない。 言ったら色々と酷いことになる気がしたから、もうすることもないしって、過ぎた過去として忘れようとしていた。その矢先にこれだ。『約束よりちょっと早いんだけど、会える?』「うん。大丈夫」あまり乗り気でない俺は必要な会話を三言くらい交わしてから通話を切って、はぁ、と溜息を一つ。白い息がほわっと上がってすぐに消える。 空を舞う雪は相変わらずで、それどころか、昼を過ぎて舞う雪が多くなった気がする。 コートのフードを深く被り、せっかく切った髪が濡れないようにしながら人混みの中を歩く。 待ち合わせ場所は夏に別れたあのショッピングモール。 クリスマスシーズンになってどでかいツリーが飾り付けられてて遠目にも目立つ。 待ち合わせにはピッタリだろうその場所に行くと、ツリーのピカピカした電飾を背景に、上品なコートに身を包んだイケメンが人混みに視線をやっていた。どうやら俺を捜しているらしい。 そういえば、最後に会ったときと今の俺、見た目が全然違うっけ。わからないか。 仕方なく「お待たせ」とイケメンの前に立つと、彼は俺を上から下までジロジロと眺めたあとに「ああ」ぽんと手を打って、例のキラッとした笑顔を浮かべた。「随分変わったね。わからなかったよ」「はぁ」白い息を吐いて相槌を打つ。 気紛れなこの人のことだから、手離したオモチャでもいいから相手が欲しい日っていうのが今日だったんだろうけど。ヒマなんだなぁ。 「最近の雄英はどうだい」 「…まぁ、楽しくなってきた。かな」 「へぇ。あの君が。見た目だけじゃなくて中身も変わったのかな」 「そうかも」 轟焦凍という特定の相手と過ごす日々に慣れてきた俺には、イケメンの隣を歩いても、会話をしても、あまり気乗りがしない。 前なら喜んで食べてたピザやパスタも味気なく、熱心にこちらを見つめる目がどこか不快だと感じる。 ………俺は、轟焦凍に慣れすぎた。 俺っていう人間の人生で、轟焦凍ほど濃厚な時間を過ごした誰かは他にいない。 それでいて、不快ではなかった。不愉快ではなかった。 そう思うときもあったはずのに、結果的に好ましい人間になった誰かは、アイツが初めてだ。 「このあと、どうかな」 だから、初めてのその誘いも、断った。「もう学校に戻らないといけないから。門限があるんだ」本当はまだ一時間は時間があった。だけどとてもじゃないがデート以上のことをする気にはなれず、素っ気なく答えた俺に、イケメンも悟ったらしい。肩を竦めて「そうか、残念」と言いながらも一万を差し出してくる。 俺はその手を札ごと押し返した。 これまで通りなら俺はその金のためにデートをしていただろう。だけど、もういらないんだ、そういうの。 「いい。その代わり、もう連絡してこないで」 言い捨てて、ショックを受けているらしいイケメンを置いてさっさと歩き出す。 雪がチラつく外は寒くて、さっきから左腕がぎしぎしと軋む。 痛い。 寒い。 クリスマス色に賑わう人混みへと彷徨った視線はここにはいるはずのない姿を探す。 左右で色の違う髪をしてるイケメンは、今は補講で試験中。こんなところにいるはずがないのにどうしてか探してしまう。 ああ、腕が痛い。 (もう、帰ろう) 電車に飛び乗るようにして雄英まで戻り、届け出た時間よりも早くに戻ると、エクトプラズム先生が首を捻った。「早イナ」「はは」苦笑いで返し、寮までの道のりを早足で行く。 腕が痛い。今日は雪のせいかとくに調子が悪い。 1Aの寮に戻ると、共有スペースで談笑していた女子に「おかえり〜」と声をかけられた。「ただいま」と返しながら雪のついたコートを払っていると、紅茶のカップを持って八百万がやってくる。「寒かったでしょう。どうぞ」「ありがと」笑ってカップを受け取ると、八百万が心配そうに眉尻を下げた。 「顔色が悪いですわ」 「え? あー、ちょっと、腕が痛いから。かな」 「まぁ。休みませんと」 「これ飲んだら部屋で横になるよ」 ありがたくあたたかい紅茶をすすって飲み、冷えた体をあたためていく。「大丈夫? 」「無理はいかんよ」心配してやってきた麗日や耳郎にやんわり笑って「だいじょーぶ」と返し、早めに紅茶を片付けて、カップを八百万に返す。「じゃあ、ちょっと戻って、横になる」「お大事に。あたたかくなさってね」「夕飯呼ぶから」サポート科の女子は冷ややかな目で俺を見下すだけだったけど、今のクラスメイトは厚意で世話を焼いてくれる。ありがたい話だ。 ひらりと手を振って返し、男子寮のエレベーターに乗り込んで、深く息を吐く。 腕がズキズキと痛む。ずっと昔になくなった腕の断面が、あるべきものがないと叫ぶように、痛む。 寒いとこうだ。だから、夏は暑くて嫌いだけど、冬は痛くて嫌いだ。とにかく傷に沁みる。 自室に戻ってコートを脱ぎ、部屋の暖房をオンにして左腕を外し、ベッドに倒れるように横になる。 目を閉じると今日のことを思い出した。 それなりのイケメンに笑いかけれてなんとなく感じた不快感。手を握られて感じた違和感。違う、という気持ち。 そんなことを考えていると「疲れたな…」思わずそんな独り言がこぼれた。 夏。その頃なら、こんなコト当たり前だったのに。一人で行動するのも。知らない誰かとデートするのも。 (俺はいつの間に、お前がいないとダメな奴になったんだろう。なぁ、焦凍) 気付いたら寝ていたらしく、「」と揺り起こす手と声に薄目を開けると、寝る前まで考えていた紅白髪のイケメン、轟がいた。「おかえり…」「ただいま。風邪引くぞ」求めたら最後、離したくなくなる。だから今まで俺からは伸ばしてこなかった手を、伸ばして、轟の手を掴んで引き倒す。「お、」どさっと俺の上に倒れた制服姿を片腕で抱いてみる。俺より鍛えてるし俺より重いし、俺よりタッパもある。そのくせお前は俺に抱かれるんだ。 「うっひゃー…」 声、に部屋の入り口に視線を投げると、麗日がいた。「…寝ぼけた」ということにしておきたくて轟を離したけど、今更といえば今更である。 轟は扉の向こうで赤面している麗日を指して「飯だって」いたって涼しいいつもの顔だ。ああ、そういえば耳郎とかが呼んでくれるって言ってた気がする……。それで麗日が呼びにきたのを轟が見つけたとかそういう流れの…。 人前で俺の方が墓穴を掘るとは。なんてことだ。 すごすご起き上がってカーディガンを羽織り、どこか赤い顔の麗日が「えっと、準備しとくね!」と駆け出すのを見送る。 女子トークで絶対今の言われるんだろうな。そんでどこかでツッコミ入るんだろうな。覚悟しておこ…。 麗日がいなくなると、轟が当たり前のごとく俺のことを抱き寄せた。「なぁ、試験終わった。ほら」それで運転免許証みたいなヒーロー仮免のカードを見せてくる。写真でもイケメンだなお前は。「おめでと。頑張った」「ん」犬みたいに頬を擦りつけてくる相手に片目を瞑る。 こうすることに慣れて、こうされることにも慣れて。自然とキスまでしている。違和感が仕事をしない。不快感も仕事しない。困ったな。このままじゃ俺は轟なしでは生きられなくなってしまう。 きっと、いずれ、飽きるのに。飽きられるのに。夢から醒める日が来るのに。 「ご飯、終わったあとで。ね」 「ん」 すり、と頭を擦り寄せて大人しくなった轟の紅白の髪に顔を埋める。試験が大変だったんだろう、汗のにおいがする。それがベッドの上の焦凍の姿を連想させるから、なるべくさりげなく俺より立派な胸板を押して体を離す。「腹減った」「さみぃから鍋だって」歩き出した俺に並ぶ轟焦凍という人間。その微笑みに心が掴まれていることには、もう、気付いている。 |