「私が説明に来た!」

 その日の午後、ヒーロー学の授業でオールマイトが教室にやってきた。
 一瞬だけ現役ヒーローの頃みたいにムキッとしたオールマイトだったけど、すぐに骸骨みたいに細い体躯になって、黒板に何かを書いていく。

(チームアップミッション…?)

 今日の話の内容は、新たな制度、『チームアップミッション』略してTUMについて。
 なんでも、仮免を取得し今後ヒーローとして活躍の場が増える学生のため、全国の学生を主体とした、チームワークとコミュ力を高めることを目的とした新たな制度……らしい。
 確かに、プロになれば、顔見知りでないヒーローと組む機会は当然あるだろうし、そのことについて四の五の言っている余裕が現場であるかといえば、ないだろう。
 そんなときでも『チームワーク』『コミュ力』を鍛えておけば、見知らぬヒーローとも連携し、迅速に行動に移しやすくなる。
 組織だった犯罪が目立つようになったヴィランに対し、ヒーローもチームを組んで対処することが多くなっている昨今を考えれば、まさに今にピッタリの制度だ。
 そんな制度の説明しているオールマイトを前に机に頬杖をついてしまうのは、俺には仮免がなく、チームアップミッションなる今回の話にも参加できないだろうってことがわかってるからだ。
 チームアップミッションの略、TUMと書かれた封筒をもらっていくみんなを眺めていると、オールマイトに「少年、君もだよ」と呼ばれた。無関係だろうとぼやっとしていた俺は頬杖を崩して「はい?」と首を捻る。

「いや、でも俺は仮免がないですから……」
「ホークスがお呼びでね。職場体験という形に近くすると言っているから、そこは心配しなくて大丈夫だ」
「はぁ…」

 しかも若手で人気なヒーローで有名なホークスとのミッションだって?
 訝しみつつも封筒を受け取って中を検めると、博多駅の指定のお店の前に来るようにと書かれていた。「いいなーホークス! いいな〜」たぶん封筒を覗き込んでるんだと思う透明な女の子、葉隠に苦笑いを返して「荷が重いよ」なんて言いつつ封筒を閉じる。
 明日は朝からチームアップミッションの日になると言われて、ヒーロースーツの入ったケースを取り出して抱えると、轟が隣に立った。なんか機嫌が悪いのか、端整な顔の眉間に皺を刻んでいる。

「どこだった?」
「知らねぇヒーロー。あとはB組の連中が二人だった」
「そっかぁ」

 まぁ、イケメンで実力もある轟なんだ、ヒーロー業界では引っぱりだこだろう。どこの誰に呼ばれたって不思議じゃない。
 轟と並んで下校し、寮に帰って、明日の待ち合わせ時刻に間に合うよう新幹線の時間を確認してメモしていると、ぎゅっと後ろから抱き締められた。「んー?」ぐりぐり頭を押し付けてくる紅白髪を指で梳く。新幹線の時刻を考えると寮を出るのは結構早めにしないとならない、か。
 ぎゅーぎゅーと強く抱き締められて、ちょっと苦しくなってきた。相変わらず力が強い。「苦しい」ぺし、と腕を叩くと少し緩まったけど離されることはない。…明日の準備がしたいんだけどなぁ。動けない。
 轟は机に置いたTUMの封筒を気に入らないとばかりに睨みつけている。

「…あのさぁ。このまま雄英卒業して、ホントにヒーローになったら、いろんな人と組むことになるんだよ。その度に嫉妬してたらお前の身がもたないよ」

 眉間に寄っている皺を指で撫でつけると、轟の眉間から皺は消えたものの、今度は口がへの字になっている。「なんでホークスなんだよ」「さぁ…」それは俺が訊きたい。
 携帯で適当にホークスについてを検索しながら、ざっくり知っている知識だけで語ってみる。「あの人目敏いっていうか、個性故か、周りがよく見えるじゃん。そういう部分で仮免のない俺でも任せてOKって判断がされたとかじゃないの」「…………」むすっと拗ねた空気を隠さない轟にまたぎゅうぎゅうと抱き締められる。だから苦しいっての……。
 仕方ないなぁと紅白色の前髪をかき上げてキスをしてやる。鼻の頭にも、頬にも、もちろん唇にも。
 甘やかしてやっていると、TUMの封筒からようやく視線を外した轟が舌を出すから、応えて人の温度を吸う。
 そうやって甘い時間を作ってやると機嫌が持ち直したらしく、「俺も明日の準備してくる」と畳の自室に戻っていった。
 一つ吐息して、轟がいない間にちゃちゃっと明日の準備をすませ、新幹線の時間、駅に行くまでの電車の時間、逆算して出した寮を出る時間をメモする。「博多かぁ」もやもやっとおいしいグルメを想像する。もつ鍋、水炊き、博多ラーメン……食べる時間があるといいなぁ。
 次の日。指定された時刻より三十分早めに待ち合わせ場所に行くと、ヒーローホークスとして見知っている姿が先に到着していた。
 さすが速すぎる男と称される人だ。ちょっと駅を散策できるかなとか思ったけどそんな時間はなさそうだ。帰りに寄るお店とか下見しておきたかった。

「お! 来たねー遠路はるばるご苦労さま〜」

 軽い感じで手を挙げて挨拶してくるホークスにぺこりと頭を下げて「…ヒーロー名はナーヴです。今日はよろしくお願いします」無難な挨拶をすると、へらっとした笑顔で手を振られる。「いいよそういう堅苦しいの。とりあえず行こっか」「はい」ホークスの特徴である、背中から生えた赤い鳥の翼を眺めつつ、大人しく後に続く。
 このままパトロールに行きたいから、悪いけどちょっと着替えてきてくれるかなと言われて、駅構内のヒーロー専用ルームで着替えて荷物をロッカーに預けて出て行くと、ホークスはさっそく駅の外へと歩き出している。
 その背中には見えないだけでたくさんのものがのしかかっているはずなのに、気負い、ってものを感じさせない。
 オールマイトが引退した今、エンデヴァーに次ぎ、実力・人気ともにナンバーツーと言われているヒーロー。その心中はいかほどだろう。

くんさー」
「はい」
「君、『最悪』を想定して動ける子だろ」

 急な話。それも踏み込んだ話。
 一瞬呆けて、それから唇を引き結ぶ。
 ホークスのような忙しい人がわざわざ俺を指定して面倒を見てくれる、それには理由があったってことだ。この人は俺の過去、経歴を知っている。「そうやって生きてはきました」これまでの人生を走馬灯のように振り返る。
 誰も信じず、何もかもを疑い、どこにも心を置かない生き方。
 そうであるからこそすべての可能性を考慮し、片腕のない不自由な身でも、どこに行っても弄られ虐められるこの身でも、ここまで生きてきた。
 肩越しにこっちを振り返る、ゴーグルの向こうの瞳が細くなる。「でもさぁ、それってしんどくない?」歩きながら、会話しながら、何気ないことをしながらホークスの翼の羽根が飛んだ。歩道橋を頑張って上がって反対車線へ行きたいんだろう老人をいくつかの羽根の上に乗せて運搬している。
 さすがホークス。意識半分以下でああいったこともできるのか。「しんどいとか、しんどくないとか、そういうふうに考えたことはあまり…なかった。です」正直なところを吐露する。「過去形かぁ」笑った声に手袋をした左手の指で頬を引っかく。
 雄英に入って。正しくは、轟焦凍、あいつに出会うまでは、ホークスの言うように生きていた。最悪を想定し人を信じず何事も疑いながら生きることを続けてきた。それをしんどいとは、考えないようにしてきた。
 ただ。最近は。俺がしんどいと思うことを轟がすべて氷の壁で遠ざけて、光の当たらない寒い場所もあたたかい炎で照らしてくるから。そんなあいつを信じないで疑ってかかることは、しんどい、と思い始めている……。
 離れていたホークスの羽根が戻ってきて翼に合流した。

「安心した」
「?」
「俺のようだったらどうしようかと心配だったよ。今はもう大丈夫そうじゃん」
「はぁ…?」

 言葉の意味がわからず首を捻った俺に、ぽん、と手を合わせてホークスが「さ、じゃあ個性展開して。君もパトロールに参加だ、ナーヴ」「あ、はい」言われるままに個性を展開。半径三百メートルくらいに範囲を設定、人で賑わう駅前の空間を把握。…想定しているより情報量が、多い。
 片眉を顰めて頭に手をやった俺にホークスが首を捻っている。「ナーヴの個性は『神経』…自分を中心に神経を接続、空間を把握したり、頑張れば動かせる個性、って認識だけど、合ってる?」「だいたいは」「しかし、今の君を見るに、負担はあるみたいだね」「…情報量が多いと、脳の許容量がオーバーするというか……そんな感じです」駅前、人数の多さに範囲を百メートルまで狭める。このくらいなら無理なく認識できる。急には何事も無理だから、今日はこの辺りから始めよう。
 この範囲ならホークスも感知内なんじゃないかな、俺の個性意味あるかな、と思いつつ、訓練してきたように周囲を認識。意識の半分くらいを個性での範囲認識に割きつつ、目の前の景色を見据え、ホークスのあとについて歩く。
 ホークスの羽根はどういう仕組みなのか、彼自身が見てなくても様々なものを感知し、飛んで行き、人を助けていく。

「もしもの話なんだけどさ」

 ホークスの声に意識を半分やりつつ、人、人、人、で行き交う空間も認識する。「君に『空の飛び方』を教えてあげるよって言ったら、どうする?」…言葉の意味を考えた。そのままではないだろう。俺の過去や経歴を知っている人が選んでいる言葉。翼を持つ人の言葉。空の、飛び方。
 俺は空を飛べるのだろうか。どちらかといえば落下していく方じゃないだろうか。
 片腕ではどうやっても空は飛べず、飛び方も知らず、ただ、落ちていく。真っ赤な奈落へと落ちていく。そのイメージは簡単にできた。
 だけど、見慣れた紅白色の髪をしたイケメンが、必死な顔で俺の右手を取って、左手から炎を噴射。ただの落下がそうではなくなり、俺を抱えながら、相手は地上を目指す。そのイメージもまた同時にできてしまって、知らず笑ってしまう。

「俺は、飛べないですし、飛び方はわかりませんけど。おせっかいな奴がいて、俺を抱えて飛んで行くと思うので。助けられようと思います」

 笑って言うと、ホークスも笑った。「それって惚気?」「え」「なるほどね〜そういう相手がいるわけか」「いや、惚気とかでは…」ない、と、思う。たぶん。
 おざなりになっていた個性の方で周囲を確認すると、前方三十メートル先でひったくりが発生。「ホークス」「はいはい、羽が向かったよ」俺が言うまでもなく状況は把握してたらしい。さすがホークス、速すぎる男。
 ホークスの元を離れても彼の意思で動かすことができるらしい羽根は、みねうちでひったくり犯の意識を奪った。遅れて駆けつけた警察官が犯人を逮捕。
 博多の駅前ってことで初めてのミッションではこういった事件がいくつか起こったけど、そのどれもホークスが問題なく対処した。俺はせいぜい少し手伝った程度。
 プロって、ホークスってすごいんだなぁ。そんなことを思いながらホークスおすすめのお店でおいしい串料理をご馳走になり、新幹線と電車を乗り継いで雄英高校に帰還。寮に戻ると、俺の帰りを待ってわざわざ共有スペースで読書してたらしい轟がソファから腰を浮かせた。「おかえり」「ただいまぁ」ホークスに奢ってもらったせいか遅くなっちゃった。

「レポート書いた?」
「ん」
「俺も書かなきゃ」

 部屋に向かう俺に当たり前のようについてくる轟を連れて五階の自室に戻ると、後ろから抱き締められた。だから苦しいって。「お前ね…」紅白頭をすり寄せてくるイケメンの髪を撫でつける。
 俺がいないと駄目そうな轟の様子に、少し興味が出て、訊いてみることにした。「轟さ」「ん」「俺が崖から落ちたとして、助けに飛び込む?」「ああ」「じゃあ、俺が空から落ちてたとして、そしたら?」「落ちても堕ちても同じだ。助けに行く」腰に回った腕があろうことか俺を抱き上げ、そのままベッドまで連行。一緒に倒れ込めばギイギイとベッドが悲鳴を上げる。
 いたって真面目、そしてイケメンな面が俺を見下ろしている。それで言うことはといえば。「セックスしてぇ」「……はぁー」思わず左手を額に当てる俺である。

「今日は初のミッションで疲れたんだけど…?」

 勝手に制服を脱がしにかかっている。俺の話聞いてない。下手に抵抗すれば制服が破けそうで怖いし…それで一回シャツ駄目にしたし……。
 降参、と手を挙げて「わかった、わかったから準備しなきゃ。そのままは、」「した」「え?」「だから、準備。した」恥ずかしそうに視線を伏せての言葉にぱちくりと瞬いて右手を伸ばす。黒い部屋着上下の轟のズボンをパンツごとずり下げて指でなぞってみれば、後ろは確かにやわらかいし、濡れてる。
 ……俺が帰ってくるまでに、部屋に入って準備してたのか。そこまでしてシたいって思ったのか。後ろ濡らしてほぐして落ち着かないくせに、涼しい顔して共有スペースで待ってたのか。何それ、考えただけでエロい。
 もしも気が変わったらウチにおいでよ。新幹線に乗り込む俺に最後にそう声をかけたホークスのことを思い出す。

(もう、手遅れ、かな)

 降ってくるキスは熱烈で、躊躇いはないし、戸惑いもない。
 思えば轟は最初からそうだった。なんでこうなったのかなんて理由を考えるのが馬鹿らしくなるくらい、いつでも俺にまっすぐだった。
 そんな轟を疑ってかかることは、もう、しんどい。疑って傷つけたくない。そう思っている時点で手遅れなのだ。

(轟のことだけは信じてやりたい。なんて、ね)