雄英高校一年の新年の朝は慌ただしく始まった。 年末年始こそ犯罪が増えるからとこの場にはいない親父には、今日の午後に会うことになっている。新年早々のインターンが始まるのだ。実質的に冬休みは今日まで。 朝起きて和食の飯を食って学校に行く準備をする俺に、姉さんがパタパタとスリッパを鳴らして寄ってきた。「忘れ物ない?」「ん」「お蕎麦持った?」「ん」鞄を肩に引っかけて立ち上がる。 表で待っているバスに乗り込むと、もう半分ほど知った顔が乗っていた。 「あっけおめー」 「おう。明けましておめでとう」 「轟ィことよろね!」 「こと…?」 首を捻った俺に芦戸がぐっと親指を立てて「今年もヨロシクの略!」「ああ。こちらこそ、コトヨロ」片手を挙げて返し、空いている席に腰を下ろす。 新年、一番に見たい顔、一番に聞きたい声はまだのままだが、これから会える。そう思うとそわそわしてしまう。たった一日離れていただけなのに、早く会いたくてたまらない。 でも、会ったら、ヒーロースーツを持って今度はインターンへ行かないとならない。離れ離れになる…。そう思うと心臓を鷲掴みにされたみたいに苦しくなった。 意識して深く呼吸し、見えてきた学校に、寮に、外で手を振っているの姿に、心臓がきゅうっとなる。 「みんなおかえりー! あけおめことよろー!」 一番にバスを飛び出した俺にが少し身構えた。そのまま、体当たりするみたいに強く抱き締めて、一拍。ざわりと揺れた空気に「焦凍」と諫めるような小声で呼ばれてすぐに体を離す。 「あけおめことよろ」 「はい、あけおめことよろー。さあ来い!」 どうやらそういうお迎えスタイルってことにしたらしく、芦戸が流れでに抱き着いて「よーしあけおめことよろ〜!」なんとなくそんな流れができる。照れて遠慮する女子、ノリのいい男子。俺が抱き着いたという衝撃はイベントごととして流されていく。 そんな挨拶を終えてから皆が寮に戻り、自室から着替えや必要なものを準備する間、学校側がヒーロースーツ一式を一回の共有スペースに届けてくれていた。 今日から一週間、ヒーロー科一年の学生はインターンに入る。 は大阪のファットガムのところで、三年の天喰先輩に見てもらいながらの職場体験になるらしい。 ……ここだけの話。には一緒にエンデヴァーのところに来てほしかった。 理由は簡単だ。一週間も離れ離れなんて、俺が正気を保てそうにないから。 の個性のことを考えれば、エンデヴァーについていくようなインターン、職場体験は無理だというのは頭では理解してる。理解はしてるが、それでも一緒にいたいのが俺の本音だった。 ヒーロースーツのケースを持ったは切島や鉄哲と一緒に駅で降り、三年の先輩を引率係に、大阪まで行ってしまう。 たった一日離れていただけでも辛かった。もっとそばにいたかった。離れたくなかった。今もそう思ってる。 「じゃあね。一週間後に!」 笑顔で手を振るにみんなは手を振り返すが、俺はそんな気力は湧いてこなかった。喪失感が全身を蝕んでいて、とてもじゃないが、笑顔で手を振り返すなんてできそうになかった。 そんな俺を見てが呆れたように息を吐いて目を閉じると、足元がざわざわと動いた。にょろにょろと地面が動いて不器用な『あいしてる』という文字を浮き出す。 それがの個性だとわかるのと同時に涙が出そうになった。 バスが閉まって発進すると同時に個性は解除されて、床はただの床になる。 ラインで『俺も愛してる』と送ると既読はすぐついた。『切り替えろよ。一週間後、すごくカッコよくなってること期待してる』………そんなふうに言われたら。カッコよくなれるよう努力するしかねぇな。 ひょこ、と俺を覗き込んだ緑谷が「轟くん、大丈夫?」と気遣う声に最後に袖で視界を拭い、「大丈夫だ」と返し、顔を上げる。 これから俺はエンデヴァーの下で学ぶ。気に入らないが、俺は親父を利用する。利用されてやるんじゃなく、こっちが利用して、強くなってやる。絶対に。 天喰先輩の引率、迎えにきたファットガムの巨体と一緒に新幹線に乗り込み大阪へ移動する道すがら、切島と鉄哲の漢らしい会話を右から左に聞き流しつつ、大阪のマップを眺める。 テレビで見たことはあるけど行ったことはない場所だ。まずはファットガムの事務所を中心に地理から把握しよう。 大阪の主要幹線を主体にじっとタブレットの地図を見ていると、天喰先輩が隣で若干首を傾げた。「君は、今回は職場体験だから、危険なことをさせるつもりはない。そんなに気張らなくても大丈夫だよ」「いざってときは地理くらい頭にないと」笑った俺に天喰先輩は自信がなさそうに視線を下にやっている。そういえばこの人こういう人だったっけ。雄英ビッグスリーって言われる人物の一人なのに、すごいネガティブっていう。 「君には一緒にパトロールに出てもらって、そこで個性を使って周囲の状況を見てもらう。実際のパトロール、それに個性を使うということを、感覚として肌で感じるんだ。 きっと、イメージと違うこともあるだろう。そういう生でないとわからない部分の感覚を、今回で掴んでほしい、と思う」 「はい」 博多へ行くときも思ったけど、新幹線ってのは移動が早くて、あっという間に目的地に到着。「おお…」テレビでのイメージの通りたこ焼きやらお好み焼きやらの店がたくさんある。ちょっと、食べたい。 俺の思考を読んだわけじゃないだろうけど、個性が脂肪吸着であるファットはさっそくたこ焼きを購入していた。脂肪が個性に直結する人だからたくさん食べるって聞いてる。「食うか?」ほい、と差し出されたつまようじを受け取ってぶすっと刺して一口。あっつ。あっつい。でもうまい。とろとろだー。 うまい、が顔に出てたんだろう、ファットはにやっと笑って「いい食いっぷりやな。ウチにない偵察の個性、期待しとるで」それでバンと背中を叩かれて危うくたこ焼きを吹き出すところだった。あぶな。 それに、俺の個性は神経系統なんであって、偵察に特化してるわけじゃないんだけど……。 ファットをつついた先輩が「目は通したと思うんだけど。彼の個性は『神経』であって、偵察というわけでは……」一応捕捉してくれた。たこ焼きをガツガツ食べてるファットが聞いてるのかは謎だけど。 切島は前もここにインターンに来ているだけあって、「早く行きましょーよー」と構内を歩いて手を振っている。事務所の場所も分かるんだろう。「待ちぃや〜」巨体をどすどすさせながら動くファットは、デブだけど、動けるデブだ。 天喰先輩が一つ吐息して、自信なさそうな顔で「ああいうのんびりした…自分勝手な…? 人なんだ。無駄にノリがいいかもしれないけど、許してやって」「はい」苦笑いしながらぶんぶんと手を振っている切島、鉄哲のもとへと急ぐ。 そんな感じで、大阪での職場体験は幕を開けた。 ヒーロー仮免の取得ができてない俺は先輩かファットの指示があったときに個性を使い、自分の判断でどうこうすることはNG。 先輩は、学校から俺のことを任されているのか、前を行く切島と鉄哲はファットに任せ、俺の隣でヒーローについての講義をしてくれた。 「ヒーローに求められる基本の三項」 「救助、避難、撃退。ですね」 「そう。普通は救助か撃退、どちらかに基本方針を定めて事務所を構える」 「ファットガムの場合は?」 「撃退だったけど、最近はそうも言っていられない。 知ってのとおり、ヴィランは組織化し、犯罪も計画的なものが出てきている。これに対抗すべく、ヒーローもオールマイティに平たくなんでもできる方がいい、って流れで、だから、ファットは君のことも迎え入れたんだと思う」 「なるほど」 現場経験の長い先輩からためになる話を聞きつつ、意識の半分は半径百メートルまで展開した円状の個性に割いている。 目の前の視界、そして個性による視界の『視る』…これを自然と両立できるようになることがこの一週間の俺の課題だ。 パトロールの最中、なるべく個性を解放して周囲の状況を確認していると、大阪という場所はわりと人と人がぶつかり合うんだな、ということが分かってきた。人種というか、都市での人の特徴というか。 ひと際大きな音を意識が拾って、そちら方面に集中してみる。いかにもガラの悪い男に、気の弱そうなサラリーマンが絡まれている。財布を盗られそうになってる。「サンイーター、奥の路地でカツアゲです」「わかった」先輩は躊躇うことなく鳥の翼を生やして路地奥に飛んで行き、一人を鳥の足で掴んですぐに戻ってきた。こういう小さなコトはパトロールで毎度起こる。 さらに、今日は火の不始末を発見した。そこだけ地面が熱を伝えていたのだ。まだ火は屋内に回り始めたばかりで外からはわかりづらい。幸い家の人は留守、と。 「ファット、10時の方角、距離五十メートルの民家で火災です。家に人はいませんが、火が小さいうちに消してしまわないと」 「よっしゃ行くで二人とも!」 「「オス!!」」 民家をどうにかできないかと思ったけど、目の前にあるわけじゃないモノを俺の個性で動かすには少し無理があった。単純な壁を溶かすとかじゃない。火元を見つけて始末をしないといけない。少し、荷が重い。 冬なのに額から落ちた汗を手袋の甲で拭う。 先輩は俺の表情を観察しながら、「君は冷静だね」と言う。…同じようなことを誰かに。ああ、焦凍に言われたんだった。 「まぁ、昔に壮絶な現場を経験していて」 「知っている。……預かる手前、能力と、簡単な経歴は目を通しているから」 ごめん、と謝られて笑って返す。学校側に頼まれたのなら、それは謝る部分じゃないよ、先輩。 個性全開のパトロールが終わったら、ファットガム型の事務所で交代で眠る。 今日は俺が起きている番だから、個性を使ってそれなりに疲れていても寝ちゃいけない。 眠らないよう、屋上でストレッチと筋トレに励む。寒さと左腕が伝えてくる痛みでここにいれば眠気を無視できる。 一通り頑張ったら、自分へのご褒美に、こっそり撮った焦凍の寝顔写真を眺める。 (今頃頑張ってるんだろうなぁ。エンデヴァーのところとか、厳しいだろうなぁ) ヴィランによる犯罪は全国的に増加傾向だ。エンデヴァーのところだけじゃなくファットのところも忙しい。さらに言うなら今は年末年始、犯罪がさらに増加傾向になるときだ。今日寝ないのもそういう理由で、起きている人間で要請があったらすぐ動けるよう備えている。 屋上から大阪の街並みを見下ろし、なんだかふわふわした、不思議な心地を味わう。 焦凍といない夜もこれで三日目。半分だ。 毎日同じ時間に電話をしようと決めて、今日もピッタリの時間にかかってきた。通話、っと。「お疲れー」『おう。そっちもお疲れ』毎日そんな挨拶から初めて、その日あったことを話したり、恥ずかしながら、甘い言葉で愛を囁き合ったりもする。 今日の焦凍は甘えん坊らしく、猫だったらゴロゴロって喉の音が聞こえてきそうなほど甘い声で『早く会いてぇ』と言う。今日は甘えん坊モードらしい。「俺もだよ」返す自分の声まで甘いのがなんだかな。 俺が今日は寝ずの番だと伝えると、『じゃあ俺が寝るまでなんか話しててくれ』と、絵本の読み聞かせみたいなことをお願いされた。そういや施設で小さい子たちにそんなことしたりしたな、なんて思い出しつつ「はいはい」とOKし、今日のパトロールであったこと、大阪のものがおいしいこと、いつか一緒に食べようなんてことをポツポツ話していると、そのうち相槌がなくなり、小さな寝息になる。 ふっとこぼれた笑みを左手で覆う。「…おやすみ」通話を切って携帯をしまい、はぁ、と息を吐く。 冬の街並みは吹く風に身を竦めるようにして足早に行く人が多く、煌々と輝くネオンが眩しくて、星の光は見えない。 俺の光は今眠って陰っているけど、同じ空の下で、繋がっている。 一週間。長い人生の中で見ればほんの少し離れるだけなのに、チクチクと小さな針に刺されているような胸の痛みがある。 人を好きになるっていうのはこういうことなのかな。小さなことで一喜一憂して、ちょっと離れるだけでも耐え難くて……できればずっと隣に立っていたくて…。 (どっかの歌にありそうなコトを思う日が来るなんて……人生、何があるかわかんないな) そうして1月6日の午後、次の日の始業式に間に合う時間に大阪を後にした。「また来てな〜!」巨体でぶんぶん手を振るファットに「はーい」と手を振り返し、切島、鉄哲、天喰先輩と新幹線に乗り込む。 電車で雄英の最寄り駅まで行き、そこで待っていたエクトプラズム先生に引率されながら、夕方、見慣れた雄英の学校までの道を行く。 「どうだった、大阪での職場体験」 「思ってたより大変だった。もうちょっと広範囲を視れればいいんだけど、なかなか難しいや」 「…でも、よくやっていたと思う。正直、とても助かった」 「先輩もこう言ってるし、お前デキんじゃん!」 バン、と鉄哲に背中を叩かれた。痛い。「はは…」今回の職場体験では後衛支援に徹して行っていた。これが『本番』ならそうもいかないってわかってるだけに、やれることはやったけど、それでもまだまだだな、という手応えが残っている。 三年の寮でお世話になった先輩と別れ、鉄哲はBの寮へ、俺と切島はAの寮へ。 寒くて軋む腕で寮の扉を押し開けると、パラパラと人がいた。「おーっすおかえり!」ポテチをかじりながら片手を挙げる瀬呂と峰田と上鳴に片手を振り返して「ただいま〜」と言いつつ、視線だけ彷徨わせる。焦凍、は、まだいないか。 切島が談笑の輪に入って「どうだったよインターン」さっそく話を始めている。やる気がすごい。 俺は荷物を片付けようかな。なんだかんだと洗濯物もあるし。 五階の自室に行って洗濯物をまとめ、共有スペースのランドリーで洗濯、乾燥機にかけてから共有スペースを覗く。さっきより人が増えたけど、焦凍はまだいないな。 部屋に戻って洗濯物をたたんで片付け、久しぶりに感じる自室で適当にテレビをつけて夕飯のカップ麺をすすって食べ、明日の準備するかとラグに寝っ転がっていたところから起き上がった、そこで唐突に部屋のドアが開いた。俺の部屋をノックなしで開ける相手なんて一人しかいない。 まだ年始の特番ばかりのテレビから視線を投げると、なぜかヒーロースーツ姿の焦凍が立っている。 「おかえり。なんで、」 ヒーロースーツ着てるんだ、と言おうとしたら体当たりする勢いで抱き着かれた。 どうどう、落ち着け。思いっきり抱き締めるなよ痛いから。「おかえり」「……ただいま」「なんでヒーロースーツ?」青いつなぎみたいなヒーロー着を指すと「帰りにちょっと、な。制服燃えたから」と返された。「また事件?」「ん。そんなとこ」ヒーロー仮免のときもそんなことあったな。ヒーローショート、活躍するなぁ。 よしよしと紅白色の頭を撫でてから、そういえば一週間ぶりだったんだな、ということを思い出す。 なんか、傷増えたな。キレイな顔に擦り傷やら切り傷やらがあるのが、いずれ治るとしても、もったいない、と感じる。それだけエンデヴァーの下で学んだってことなのかもしれないけど。 ようやく体を離した焦凍とキスをして、お互い自然と体温と肌を求めて体をまさぐり合う。「ドア…」俺のスウェットを脱がしにかかっている焦凍は余裕がないらしい。開けっ放し。 個性を使って床から壁、そしてドアに意識を向けて閉じる。鍵をかける。これくらいのことなら朝飯前になったのだから、個性の特訓っていうのは偉大だ。今までやってなかった自分が恥ずかしい。 二人して時間も疲れも忘れてお互いを求めてベッドを軋ませ合い、落ち着いた頃に携帯で時刻を確認したら、もう夜も更けていた。「あべ…」風呂入ってない。明日は始業式で朝から学校だ。宿題の最後の見直しとか、準備、しておかないと。 |