新年度、始業からの雄英高校でのスケジュールは、一年とは思えないくらい忙しいものになった。
 のんびりできていたのは始業式からの数日程度。それだって、とある件のことで親父とが初の顔合わせをするに至り、そんで、今。だ。
 無意味に緊張している手で拳を握って、解く。
 は俺がインターンのときホークスからもらった『異能解放戦線』の本を机に置いたところだ。
 インターンに集中してて時間も取れなかったし、俺は斜め読みしかしてないが、はこれを読破したらしい。それで親父と話したいとか言うもんだから、理由はよくわからないがこの場を設けて。それで今、家の和室で親父とが顔を合わせている。
 はデカい我が家に対してかなり驚いてはいたけど、親父に対しては物怖じせず「轟焦凍くんのクラスメイトで、と言います。今日はお忙しい中お時間を取ってくださってありがとうございます」スラスラ言葉を紡いで軽く頭を下げると、例の本に右手を置いた。「本題、入ってもいいでしょうか」「ああ」親父はチラッと俺に視線を寄越して『これはどういうことだ』と言いたげな顔をしてくるが、俺だって知らねぇよ。求められた通りセッティングしただけなんだから。
 は一瞬考えるような間を作って俺に目を向けたあと、まぁいいか、という吐息を一つ。

「この本は焦凍がホークスにもらったのだと聞きました。同じようにその場にいた緑谷、爆豪、そしてエンデヴァーにもこれを配ったと。
 これからのヴィランの思想にも繋がるだろう内容ですし、後学にと思って目を通したんです」
「…それで」
「マーカーが引かれていましたよね。ここがポイントだ、という文に」
「そうだな」
「焦凍が言うに、ホークスは『ナンバー2』という言葉を何度か使用しています。それをもとに読んでみたんです。マーカーの引かれた文の2文字めを」

 が何を言っているのか俺にはサッパリだったが、親父は何かを悟ったらしい。「…聡いな君は」とぼやく親父の顔が最初に浮かべていた訝しげなものから感心したようなものに変わる。
 この場で話についていけてないのは俺だけ。親父はこの場の意味を理解し、はまっすぐ親父を見据えていて、そこに躊躇や躊躇いはない。
 俺だけ、ついていけてない。なんの話かわからない。
 置いてきぼりは嫌だと伸ばした手での服を掴んだ。「なんの、話だ」「…ん」は苦笑いに困った顔を混ぜる。その手にある『異能解放戦線』……ここに込められた意味を理解したものだけがわかる場所がある。
 机の上の本をひったくってマーカーのあるページの二番目の文字を拾っていく。
 のいる場所から置いてきぼりは何より嫌だった。「焦凍」親父の止める声がするが知るものか。二番目。二番目の文字を。
 『敵』『は』『解』『放』『軍』……。『連』『合』『が』『乗』『っ』『取』『り』………。

(あ? なんだこれ)

 マーカーの引かれた二番目の文字が。繋がってくる。文章になる。
 本から顔を上げた俺にが溜息を吐いた。「簡単な暗号だよ」「暗号」そう言われりゃそうだが。
 もう一度視線を落として本を読み進めていく。
 マーカーの二番目の文字が文章になるように繋がっている。直接は言わず、あるいは何か事情があって言えず。それでも伝えたいことがあったホークスは暗号という形でこれを預けてきた。俺は気付かず、親父とはメッセージに気がついた…。
 『数』『十』『万』『以』『上』、『四』『か』『月』『後』、『決』『起』………。
 が右手でやんわり俺から本をさらった。「そういうコトで、気がついちゃった身としては、確認せずにいられなくて。焦凍にこの場をお願いしたんだ」俺に説明しなかったのは、俺が気が付かない方がいいと判断したのか。自分が抱え込めばそれですむと思ってたからか。どちらにせよ、は一人でどうにかしようという悪い癖が出たわけだ。話を始める前に迷ったような間があったのもそういうことだ。
 カコン、と庭でししおどしが鳴る。
 はいたって冷静だ。難しい顔で腕組みしている親父を前にお茶を一つすすって、主に俺のために、話をまとめてくれた。

「ホークスが言いたかったのは、異能解放軍がヴィラン連合に乗っ取られた、という報告。その数が十万という規模であること。四ヶ月後に決起が予定されていること。それに備えてくれ、ということ」
「……じゃあ。一年の俺らにインターンに行けって話が急に出たのは、このためか」
「たぶんそう。
 急なインターン再開がずっと頭に引っかかってたんだけど、この説が正しいなら、その早急さにも納得できる」

 肩を竦めたに、親父が難しい顔で口をへの字にした。誤魔化さないのはそれが本当だからだろう。
 ヴィラン連合。直接関わったのは夏の合宿と、オールフォーワンの件くらいだが、いくつかの事件の裏にいたんじゃないかって話は聞いてた。それがいつの間にか規模をデカくして決起を企ててる? そんなことあっていいのか。
 背中を冷たい汗が流れた。
 十万という途方もない敵の数に、現ヒーローの数、そこに学生を足しても、あまりにも差がある気がしたのだ。
 親父やトップヒーローの面々は一人で何十人というヴィランを相手にできる。雑魚なら一撃で沈められるような実力もある。単純な数の差がイコール戦力に繋がるわけではない。…わかっちゃいるが。
 ヴィラン連合はオールフォーワンという裏のリーダーを失って大人しくしているんだろうと思ってたが、違った。違ったんだ。
 は俺の様子を見てたようだが、親父に向き直ると「俺は学生ですし、この話に首を突っ込む権利などはありません。ただ、知ってしまった手前、確認せずにいられなかったので」「…そうか」親父は重苦しく相槌を打つと、じろり、とを睨み据えた。並みの人間なら怯むだろうその鋭い眼光もには効かない。
 何せ、過去にもっと凶暴なものとたった一人で対峙している。そういう過去を知ったから、は何にも動じないし、冷静なのだ。今はそのことがわかる。

「無論、日本全国のヒーローを結集して事に当たる。学生の出番はあくまで『保険』だ。インターンはそのための演習という立ち位置だ」

 親父の重苦しい言葉。そのわりにインターン本気で俺ら三人を見ていたことを思うに、保険は、現実に必要になるだろう。敵はそれだけ多く、おそらく、強大。
 は一つ頷くと、ぺこっと頭を下げた。「お時間ありがとうございました」「…ああ」「帰ろう、焦凍。先生が待ってる」正座から立ち上がって手を差し出すを見上げて、その手を掴んで立ち上がる。
 相澤先生は何も言わずに俺とを学校まで送り届けてくれた。
 たったの五分、十分もない話し合いの場だった。たったそれだけの時間だったのに、異能解放戦線の本を前に、俺の意識は暗かった。
 四ヶ月後、そう遠くはない未来に待つ暗さが、俺の意識を暗くしていた。
 部屋に戻るなり日本茶を淹れたが「ん」と湯飲みを差し出してくる。受け取って中身をすすっても味はよくわからなかった。
 はい、とこれも差し出されたせんべいを受け取ってかじると激辛せんべいで、名前のとおりに辛いと思った。舌がピリピリする。

「さっきの話、びっくりした?」
「…びっくりした」
「俺が呑み込んでればいいのかなとは思ったんだけど。焦凍にも関係のある話だったから、はっきりさせた方がいいと思って」

 がり、と激辛せんべいをかじったが尻で飛び上がった。「かっっら!」「辛ぇな」「うげー失敗した辛すぎる」俺が持ってきたやつじゃないから、このせんべいはが購買で買ったものなんだろう。
 ごくごく茶を飲み干して参ったように舌を出すから、顔を寄せて吸っておく。舌がピリピリしてて肌触りとか味とか全然わかんねぇ。
 ちゅっちゅとリップ音のする辛いキスを繰り返していると、少し気分が落ち着いた。俺より細くて小さい右手をぐっと握って自分の頬に押し付ける。
 ヒーロー志望で雄英に入って、数聞いて慄くなんて、俺もまだまだだ。
 相手がどれだけ巨大で強大だろうとも、ヒーローがやるべきことは決まってる。
 頬を撫でる手のひらに体重をかけて自分を押し付けて、そのまま倒れ込んで、俺より細くて薄い体に手を這わせていく。「こら」本気で止める気はない手に頭をぐりぐりされながら、めくり上げたシャツの下にある肌色に舌を這わせる。よっぽどせんべいの辛さが効いたのか、少し汗の味がする。
 俺を落ち着かせるためなんだろう、口では駄目だと言いながらはいつもより優しく俺のことを抱いた。

「俺や焦凍、雄英のヒーロー科がやることは、変わらないよ。今まで通り、勉学に励んで、インターンにも行く。それだけ」

 狭いベッドの上で裸の体をくっつけたまま、心地のいい声が降ってくるのを聞く。「それだけか」「そ。簡単だろ。難しいことの全部は大人がやってくれる」機械の左手がゆっくり優しく俺の顔をなぞった。額からこめかみ、頬から顎まで、ひんやりと冷たい温度が撫でていく。
 腹ん中に埋まっている熱に手のひらを被せて深く呼吸する。その度に体が少し軋む。
 最近、セックスの度に思うことがある。

と、溶けて、一つになれればいいのに)

 知らず滲んだ涙をぬるい舌がなぞって舐め取った。
 俺を甘やかすときの優しく笑った顔で俺の目元をなぞり、口まで下りてきたぬるい温度を求めて舌を出す。
 甘くて気持ちが良くて、意識がふわっと浮いて心地よくて。ずっと続けばいいと思う時間もいずれは終わり、「飯食わなきゃ」とベッドを抜け出したが服を着出したのを見て夢は醒めた。
 のそり、と身を起こして腰とか腿とか攣ってそうな痛みに眉を顰めつつ、落ちているジャージ上下を着る。
 調理が簡単、用意も簡単。冬はこれ、ということで最近の寮の食事は鍋が多い。今日も鍋パで、クラスメイトがもうつつき出していた。
 この間B組が来ての鍋パはさんざんだったから、そのリベンジも兼ねてるんだろう。

「あ、良かった、呼ぼうと思ってたんだ」

 片手を挙げた緑谷に手を挙げて返し、空いてるソファに陣取り、隣で「腹減った〜」といつも通りの顔で小皿を取ったを眺める。
 親父との話の内容は他言無用だ。それくらいは俺もわかってる。お前みたいにうまくはできないが、いつも通りを心掛けるよ。
 肉やら魚やらをてんこ盛りにしたがその皿を俺に押し付けた。「食べなさい」「ん」大人しく箸を取りウインナーをかじる。
 何も知らないクラスメイトはインターンと授業、怒涛の一月についてで盛り上がっている。
 俺はそこには参加できないが、同じコトを共有しているがいるから、それでいい。「あっちー。うま」満足そうに肉を食ってる横顔を見てるだけで俺の心も満足する。
 俺は、これでいい。これがいい。