インターン中、エンデヴァーの事務所で寝泊まりし、眠る前、毎日と電話をする。
 その日課も三日目、折り返し地点になったところで、それまで普通に話していたの声がぱたっと途絶えた。「…? どうした?」夜になっても賑やかな街の喧噪が遠くに聞こえるから、この寒いのに、はまた外で電話しているんだろう。その音ばかりが聞こえて肝心の聞きたい声がしない。

『焦凍』

 良かった。ちゃんと繋がってる。「ん」返事をして安堵したのも束の間、『林間合宿の話を聞きたいんだ』と言われて自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
 それなりに長く付き合ってきてる。最近はインターン以外四六時中一緒にいるって言ってもいい。それでもたまにの思考回路の飛躍についていけないことがある。なんで今その話なんだ。

「なんでだ」
『…俺は参加してないから、概要しか知らないし。ヴィラン連合のこと知るためにも、その時の話、聞いておきたいんだ』

 ひやりとした冷たい思案声は、が俺では届かない何かを考えているときのものだ。例えるなら、B組との合同授業、対抗戦の作戦会議で見せたときのような。
 渇いていると感じる喉でごくりと唾液を飲み下す。無意味に視線が泳いで、寝るときは外しているネックレスに行きつく。
 電話の相手の首にも同じものがあるはずなのに、ハート型で、二つ合わせたら一つになる形をしてるのに。それでもときどき、お前のことが遠く感じる。

「お前、難しいことは大人の仕事だって、言ってたろ」
『そうなんだけど。前線で戦えない俺は、せめて頭だけでも人より回しておきたくて。それに』
「……それに?」

 どんどん冷たく平坦になっていく声が『人よりも、最悪、ってものを知ってる。それを想定して動くことができるのが俺の強みなんだ』最悪。その最悪っていうのは、お前が経験した凄惨な運命の日のことを言ってるのか。両親が目の前で殺された日の……。
 ぐっと拳を握って嚙み切るくらい強く唇を噛んで、顔が見たい、と思った。きっとまたあの無表情をしてる。あんま、そういう顔はさせたくない。「……いいけど条件がある」『じょーけん?』いつもの声に戻ったに強張っていた肩の力を抜く。「顔見て話がしてぇ」最近の携帯はそういうこともできるってことは教えてもらって知っている。
 いいけど、とぼやいたが通話をカメラつきのものに切り替えた。ファットガム事務所の屋上なのか、夜のネオンを背景にの顔が映っている。風で黒髪が揺れてて、見てるこっちまでなんだか寒い。『はい』「…ん」教えられたボタンを押すと、俺の画面もカメラつきのものに切り替わった。
 それから、の顔色と声色を窺いながら、色褪せている、と感じる夏の記憶を手繰り寄せては話す、そんな夜を過ごした。
 は真剣に俺の話を聞いた。記憶が遠すぎて手繰り寄せるのに時間がかる俺を急かすでもなく、真剣に抱くときみたいに待って、聞いて、続きを促す。
 そうして話しているうちに荼毘という男のことを思い出した。青い炎を使う、俺のことを轟焦凍と呼んでいた奴。九州では親父とホークスのとこにも現れたっけ。
 林間合宿も大詰めの最後の辺りを話し終えると、は口元に手をやって何かを考えていた。だけどそれが何なのかについては俺には言わず、今度は俺の家族のことについてをもっと詳しく教えて欲しいとか言ってくる。…今日は質問攻めだ。まぁ、真剣な顔で俺の話を聞くお前に見られてるのは、悪い気はしねぇけど。
 ざっくりは話したことがある過去を、憶えている限り、掘り起こせる限りの記憶を綴っていく。
 そうやっての気が済むように全部を話し終えた頃にはもう十二時が近かった。さすがにねみぃ。

。もう寝る…」

 欠伸を殺せなかった俺に、は夜景をバックに優しく笑うというズルい一撃を放ってきた。…ずりぃ。『おやすみ』「…おやすみ」通話を切ってから部屋の電気を消したが、チカチカと瞬くネオンを背景に微笑んだ顔が瞼の裏までやって来て俺を離してくれない……。
 悶々としながらなんとか寝付いた次の日。当然寝不足になった。
 それでもエンデヴァーのインターンは容赦なく進む。
 昼休憩、ビルの上でパンをかじりながら携帯を見るとラインがきていた。だ。『エンデヴァーと話がしたいんだけど』…またか。また、異能解放戦線のときみたいな話か。昨日はそのために俺に話をさせたのか。
 むっと眉根が寄ったが、が望んでいることで、俺が繋いでやれることだ。……叶えてやりたい。その気持ちが勝ってしまい、既読スルーをしてたが、夕方に仕方なく返事をしてやる。
 その日の夜、仕事が終わってから俺との通話をカメラつきのそれにしてやって親父に突き出してやると、の困った声が『えっと、焦凍は席を外してほしいな』とか言う。
 親父に向けて突き出した画面をこっちに戻して、声の通り困った顔をしているを睨みつける。また俺を置いてきぼりにする気か。

「だったら通話切る」
『ええ…。えっとね、意地悪で言ってるんじゃないんだ。轟家について踏み込んだ話をするから……』
「だったら俺は無関係じゃないだろうが」
『そうなんだけど。えー』

 はネオンを背景に機械の手を自分の額にやると『今から俺、すごく嫌な奴になるからさ。あんまりそういう俺は知ってほしくないっていうか』その言葉の意味を考えた。考えたがよくわからなかった。けど、どんなでも受け止めてやりたいという気持ちが勝った。「ここにいる。聞く」『…はいはい』俺らの言い合いを眉間に皺を寄せて聞いていた親父に通話画面を突き出し直すと、こほん、という咳払いのあと、が話を始めた。

『お時間いただきありがとうございます。勝手なんですが、ヴィラン連合の目的を考えてみました』
「ヒーロー社会の崩壊辺りだろう? それこそ、異能解放戦線の本の中身のようなものだ」
『大まかにはそうなるでしょうが、もっと具体的な件についてです』
「…ふむ。聞こう」

 どっかりとデスク前のデカい椅子に座った親父に、の声は冷たく響いた。『まず、現ヒーロー社会の崩壊には、現ナンバーワンであるエンデヴァー。あなたという象徴を手折る必要があります』「そうだな」『そこで、焦凍から轟家についての話を詳しく聞きました。あなたを手折るためのモノ…弱点となるものを考えたんです』じろり、と親父に睨まれたが睨み返してやった。そもそもお前のせいで色々面倒な家庭になってんだ。テメェの蒔いた種くらいテメェで刈り取れ。
 ちら、と画面を覗くと、は例の無表情をしていたが、俺がカメラに入ったことで少しだけ唇を緩めて笑ってみせた。
 たったそれだけのことで好きだなと思うんだから、我ながら恋やら愛やらに重症だと思う。

『焦凍のお姉さん、お兄さん、お母さんについては、いっそう気をつけていただくでしょうからいいんです。
 問題は考えてもいなかった死角からの、容赦のない攻撃です』
「……なんだ。言ってみろ」

 そして、は口にした。俺は憶えていない、あまり語れていない、燈矢という兄の名を出した、瞬間、親父の顔から炎が出た。
 親父は凄まじい形相をしてたが、は無表情に平たく言葉を続けた。『死体は見つかっていないと聞きました。それは死んでいないかもしれないということだと俺は考えます。そして、もしそうだった場合、あなたにとってこれ以上ない死角からの一撃となるでしょう。あなたを手折るに充分な狂気となる』「…小僧」親父の口の端から炎が漏れた。
 これはさすがにマズいか、と肝が冷えた俺とは違い、そんな親父を見てもは顔色一つ変えない。

『ご存知かもしれませんが、俺の両親は、俺の目の前で、爪を剥がされ、四肢を切断され、痛みに気を狂わせながら死にました』
「……………」
『確実に死んだ。そう言えるのは、目の前でその光景を見て、死体を見た、そのときだけだと思っています。それ以外はどんなものであれ可能性として考える。それが、俺が長年してきた最悪への対処法です』

 親父の顔から炎が消えた。椅子を蹴飛ばし立ち上がるところだったが、座り直すと、はぁ、と一つ息を吐く。溜息なのか呆れた息なのか判断はつかないが、固く目を閉じた姿にはの言葉は届いているようだ。
 画面を覗き込むと、それまで無表情だったが相好を崩して困った顔をした。『嫌な話をするって言ったろ』「ん」俺にとっては、というより、親父にとっては、だったが。『さらに嫌な話をするよ。彼が生きているんじゃないかという可能性の根拠の話』カッと目を見開いた親父に画面を向け直す。この言葉には親父もデスクを叩いて身を乗り出し「どういうことだ」と噛みついている。

『焦凍に聞きましたが、ヴィラン連合に荼毘という男がいますよね。青い炎を使う』
「ああ」
『燈矢さんが生きていると仮定して年齢を数えた場合、符号します。それに、炎を使いますし』
「それだけでは……アイツが生きているということにはならん」
『あと、焦凍への執着と、あなたへの執着。どちらも見て取れました』
「…それは……」
『話に聞いた限りでは、燈矢さんが生きていた場合、相当にあなたを恨んでいることになります。自分を使ってでもエンデヴァーをヒーローの座から引きずり下ろす……それくらいはしようと考えるんじゃないでしょうか』

 親父が苦い顔で口を真一文字に引き結ぶ。
 林間合宿でのこと。脳無を回収しにきたと言いながらホークスと親父を炎で取り囲んだこと。そしてが挙げたことを考えれば、もしかしたら、という可能性は、あるかもしれない。
 画面を覗くと、無表情だったが口元を緩めた。『あくまで可能性の話であり、それが現実になったらエンデヴァー、あなたに大打撃だ…と、考えただけです。嫌な話をしてすみません』ぺこ、と頭を下げたの後ろでネオンが瞬いている。眩しい。

『こういうことは、誰かが考えて、あなたに告げないといけないと思って。
 俺のことはどうか、くだらないことを言うガキだと思ってくれて構いませんので。それでもその可能性だけは考えてほしいんです。
 あなたは、狙われている』

 親父が何も言わないまま黙っちまったから、代わりに俺が「轟家のこと考えてくれて、ありがとな」と言うとはようやくちゃんと笑ってくれた。
 そのままおやすみをして通話を切って、「焦凍」という重苦しい声に視線だけ投げてやると、親父が手を組んでこっちを見ていた。「…何」言いたいことがあるならさっさとしてくれ。
 親父は俺の携帯を指すと「彼とはどういう関係だ」と言う。
 一瞬その言葉を深く考えて、まだナイショにするように、というの言葉を思い出した。だから本当のことは言えない。
 のことを『恋人』で『付き合っている』という言葉を使わずに表すなら?
 少し考えて、浮かんだ。「大事な奴だよ」誰よりも、自分よりもずっと、大事な奴。
 夜に輝くネオンの瞬く光。それをバックに淡く笑ったり、表情を失くしたり、わざと嫌な言い方をしたりしてみせた、俺の大事な人。

(毎度事務所の外から電話してくるけど、体冷えるだろ。中入ってろよ。部屋くらいはファットガムの事務所でもあるだろ)

 寝る、と言い置いて親父の部屋を出て当てがわれている自室に戻り、ベッドに寝転がって電話をかけ直すが、繋がらなかった。…シャワーかもしれないし、話疲れたのかもしれない。
 だけど、今日の通話はほとんど俺と話してくれてない。あれじゃ足りない。
 ポツポツとメッセージを打ってみたが、既読、の文字はつかなかった。
 なんだ。ホントにシャワーか。……外で冷えたから浴び直してるとか。
 未練がましく携帯の画面をつけたまま、暗くした部屋でじっとラインの画面を見つめ続け………気がついたら寝ていたらしい。ヴー、と震える携帯の音で目が覚めた。「お…」寝ぼけ眼で通話ボタンを押すと、『ごめん、急な要請が入ったから出てたんだ』と声。
 そうか。仕事だったのか。それは悪いことをした。「こっちこそ、わりぃ。でんわ……さっき、おやじとばっかで、おれとあんましゃべってねぇ。と。おもって」眠い目を擦りながら身を起こすと、繋がった音の向こうでふっと笑う気配がした。

『かわいいな焦凍は』
「はぁ?」
『かわいいよ。お前は』

 そんなにかわいいと俺もどうかしちゃうよ、と囁く声に体が疼いた。さっきまで寝てたのにじわっと股間辺りが熱くなってくる。
 カッコイイってのはよく言われるが、俺のことかわいいとか言うのは、お前だけだ。
 これで折り返しも過ぎた四日目。インターンもあと半分もない。我慢しろ。「」『ん』「…はやくあいたい」『俺もだよ』そばにいたら、よしよしと頭を撫でてくれてたんだろうか。そんなことを思いながらごろりと転がって寝返りを打ち、なんとか目を開けようと努力したが、無理だった。「も、ねる」とこぼすと笑った声に『おやすみ。愛してる』と言われた。ぱち、と目を開けて通話画面に焦点を合わせたが、切れてしまっていた。
 …なんだよ。俺にも言わせろよ。ばかやろう。