朝、目が覚めて、狭いベッドで寝返りを打つと、すぐ隣には一番に見たい顔がある。 冬は寒いからと少し伸ばしている黒髪のえりあしを指ですくって絡めて遊んでいると、ピピピ、と携帯のアラームが鳴って、相手はそれで目を覚ます。 色素の薄い瞳と目が合うと、自分の心臓に血が通うのがよくわかる。 「はよ」 「んー、おはよ…」 あまり朝に強くないに一つキスをしてからベッドを抜け出し、自室に戻って学校の準備をする。 鞄に今日の科目の教科書やノートを入れ、そういや朝食の当番だったなと階下に行くと砂藤がもう和食の魚を焼いていた。「おせぇぞ轟」「わりぃ。手伝う」食器の準備と卵焼きの方を担当し、前よりはうまくできたな、と焼き上がりを見て思った。 は自炊できる奴がいいって言ってた。だから調理担当のときは気合いを入れて憶えるようにしてるし、最初は卵すらうまく割れなかったが、なんとかなるようになった。 これならそのうちが満足する料理だって作れる。 いや、作ってやる。雄英を卒業して轟の家に戻るまでには。 密かにそんな目標を立て、十人分の和食と十一人分の洋食、好きな方を選べるようにと準備していると、スリッパをぺたぺた鳴らしながらが階段から共有スペースにやって来た。 眠そうに欠伸をこぼしながら、あろうことか洋食のトレイを取ろうとするその手に和食のトレイを押し付ける。「ん」「ん?」なんで、と首を傾げてみせるに俺は自分がしているエプロンを指した。「ん」「あー。はい。理解した」苦笑いしてトレイを手にテーブルについたが、魚、味噌汁、卵焼き、飯、を順番に見て、卵焼きをつまんだ。あぐ、と一口かじって咀嚼して、ごくり、と飲み込んで言うことは。 「俺、甘いのが好きなんだ」 「…!」 今日のは塩味だった。そうか、甘いのがいいのか。次からは砂糖を入れよう。 今朝の一番の収穫は『は甘い卵焼きが好き』という新事実で、自室の座布団の下に隠してあるメモ帳の『の好物』欄にしっかりとメモしておく。 いつか俺がの好物ばっかり作ってその胃袋を掴める日にこのメモが活躍する、予定だ。 その後は学生らしく学業に励み、午後はヒーロー科、最近はもっぱら実技の対人ばかりの訓練で、今日は『人質、ヴィラン、ヒーロー』役にわかれての演習になった。 くじ引きで、俺は人質。ヴィラン役が。ヒーロー役が飯田と麗日。 最初に与えられたのは人質をどこに隠すかというヴィラン側の時間で、は手錠をつけた俺の背を押して地下へと連行した。個性を発動、階段をぐにゃぐにゃと動かして地下の入り口にコンクリートの蓋をしてしまう。 「…暗ぇ。火、いるか」 俺は人質だが、今はまだその時間は始まってない。「じゃあ今だけ貸して」暗い中返ってきた声に体の左側に炎を灯すと、の冷たい表情が見えた。…役になりきってやがる。 少し伸びた黒髪をぞんざいにかき上げたは地下の一番奥、だだっ広くて配管があるだけの場所で床に手を当てた。 設定として、『ヴィランは人質を取りこのビルに立てこもっている』ということになっている。 この授業では、ヒーロー役が人質を取り戻し、ビルを脱出すると終わる。 基本的にヴィラン側は人質を活用しながら、制限時間粘ってヒーローに抗うか、あるいはヒーローが身動きが取れなくなれば勝ち、となっている。 が地面に手を当てて目を閉じると、ごん、がん、とそこかしこで配管のパイプがひとりでに倒れ出した。俺にはそう見えるだけで、が個性を使って倒しまくっている。 そのうちパイプから蒸気が吹き出し、熱かったり冷たかったりする煙に視界が奪われていく。 最後には俺とがいる地面がぼこりと凹み、俺たちを呑み込んで、辺りは真っ暗になる。 が耳にしているインカムからビーという開始の合図が聞こえた。制限時間は十分。 「……やりすぎじゃ、ねぇか」 そういう設定とはいえ、全力、手抜きなし。飯田と麗日の個性を考えると、地下に潜ったと俺を捜し出すのは限りなく難しい。 麗日と飯田のことを考えていると、真っ暗闇の中ガッと口を掴まれた。耳元で「人質が勝手に喋るな」と低い声で言われて背筋がぞわっとする。 犬扱いされてセックスされたときを、思い出した。あのときも酷くしてくれって言って、こんなことをされた……。 「授業だろうと手は抜かない。二人を制圧にかかる」 俺には真っ暗闇で、右も左もわからないが、は違う。この真っ暗闇にいてもビル全体を把握し、麗日と飯田の行動も手に取るようにわかっているはずだ。 俺は人質だから、の言うとおり黙っているしかない。 そのうちインカムからビービーっと終了の音が響き、真っ暗闇から地下の蒸気の中に戻された。「はー、終わったぁ」それでようやくの冷たい声がなくなる。 手錠があった手首をさすりつつ、倒れた配管なんかを戻しながら作ってくれた道を歩いて地上を目指す。 「どうなったんだ」 「俺の勝ち」 「…どうやったんだ?」 「麗日は浮けるから、移動で掠ったときに壁に拘束。飯田のレシプロは厄介だったけど、足元を埋めたときにコンクリ詰めちゃった」 「えげつないな……」 聞いてるだけでかわいそうになってきて同情した俺に、地下への道を塞いでいた階段だったものが崩れ、本来の形に戻っていく。 作り直した階段を上がりながらこっちを振り返って笑うを光が照らす。「本気でやらないとさぁ。勉強にならないし」と笑う、地上の光を受けるその姿が眩しくて思わず目を細める。 明日の授業では今日人質役だった俺を含めた何人かがヴィランかヒーロー役になるらしい、ということを片耳で聞きつつ、麗日と飯田に手を合わせて謝っているを眺め、その向こうのスクリーンでハイライトで流れているヒーロー麗日、飯田の拘束シーンを見る。 大きなスクリーンでは、十分という時間を考えて二人が分かれてビルの捜索に出た。その後同時のタイミングでシンプルかつ迅速に、ビルのコンクリートを利用して二人を拘束。無力化した。 麗日は浮けはするがそれでコンクリートの拘束から抜け出せはせず、飯田はふくらはぎのエンジンにコンクリが詰まって満足に動けなくなり、最後にはコンクリートに絡め取られた。 俺と地下に潜ったのは念のためなんだろうが、それにしたってよくやる。あれだけ個性を連発して、今はちょっと頬が赤いだけですんでる。出会った頃は寝込んでたりしたのに。…も成長しているんだな、と感じる。 その日の授業後、サポート科のラボに寄りたいというについていくと、発目という女子が頼んでいたものを仕上げていた。 俺にはわからない専門用語を連発しながらパーツを手にああだこうだと言い合う二人を眺め、機械のオイルやら独特のにおいで満ちているラボの壁に背中を預ける。 学校では必要以上にくっつかない。その代わり、寮の部屋に戻ったら甘えていい。それが最近の約束事だ。俺はそれを守りたい。 けど、何事にも限界ってものはある。 発目とが近いことに腕組みしてじっと耐え続け、イライラしてきた頃、がようやく俺の方を振り返った。「焦凍、このあとちょっと付き合って」「…ん」言われなくてもそうする。 が付き合ってほしいことというのは新しく頼んだパーツのテストだった。 ゴツくなった左腕と、背中に背負うようにつけるリュックみたいなやつ。これの機能を試したいらしい。 一度寮に帰ってジャージ上下に着替え、先生に体育館使用の許可をもらってから行くと、緑谷と爆豪もいた。ここ最近二人は一緒にいることが多い。気がする。 はジャージの上着をまくって左腕を露出させた。意識を集中させるために深呼吸すると、じ、と自分の新しい左腕を見つめる。 「じゃ、いくよ」 「ん」 どこから何が来ても対応できるよう腰を落とすと、まだ若干違和感があったが堪えた。右手を前にやって冷たい息を吐き出し、いつでも氷が打てるようにする。 と、ドシュ、と音を立てての左腕が飛んだ。「は?」素でこぼしてからはっとして氷の壁を作るが、発射された腕は器用に壁をかいくぐって俺の首を掴んで地面に倒した。「…っ」掴んで抵抗したが離れない。そのまま、腕から出てきた細いロープが俺の足を縛って自由を奪い、手も拘束された。なんだこれ。 俺の様子を見ていたが「まぁ、うん。使える」とぼやくと手足の拘束が緩んで、首を掴んでいた腕が離れた。ごほ、と咳き込んで起き上がる俺に差し出される右手を掴んで立つ。 「なんだそれ」 「第一案。飛び道具として、いざってとき使えるようにしてもらったんだ。 まぁこれは初対面の相手にしか使えないから、やっぱりどうかなとは思うんだけどね。来るってわかってたら避けられるだろうし、焦凍の場合、炎使えばこんなの溶かせるだろうし」 ぶつぶつ言いながら左腕をつけ直すにむぅっと眉間に皺が寄る。「首が、いてぇ」別にそんなに痛くはなかったがなんか悔しかったので訴えてみたところ、「ごめん、加減したけど、そんな痛い?」と心配そうに眉尻を下げられた。 そっと首を撫でる右手を掴んで頬に押し付けると、今度は呆れた顔をされた。「嘘か」「苦しかったのはホントだ」「はいはい」ごめんよ、と首を撫でた手が離れる。甘やかすのは部屋で、だから、今この場ではこれ以上の触れ合いはない。 その後は空中に浮かぶための装備を使って浮遊ってのを試して、ドッカンドッカンやり合ってる緑谷と爆豪を残して体育館を引き上げた。 陽が沈んだ、寮までの帰り道。 誰もいないのをいいことにくっつくとが一つ息を吐いた。白く濁って消える吐息が寒々しい。 「俺は戦闘系の個性ではないから、自分で動くなら、こうやってサポートの道具を増やすしかないんだ」 「…後ろで俺らの支援してればいいじゃねぇか。それだけで助かる」 「それだと俺が納得できないんだよ」 苦笑いしたに唇を押し付けてキスをすると、人目を気にしたように視線が迷い、すぐに腕を突っぱねて体を離される。 ……これはただのイメージだ。頭にこびりついてしまった良くない妄想だ。 今日ヴィランになりきってたお前が当たり前のように暗闇に沈んでいくのが、本当は少し、怖かった。 「が、心配だ。無理しそうで」 頑張るお前を見る度に感じていたことを吐露すると、きょとんと不思議そうに俺を見上げたが首を傾げると、揃えた黒い前髪がさらりと揺れた。「それ、お前が言う? 俺はお前の方が心配だよ」「俺は平気だ。ヒーローになるためにずっと生きてきた。けどお前は違うだろ」イジメがあって、それで急遽ヒーロー科に編入してきた。もともとはサポート科。ヒーローをサポートすればそれでいい場所にいた。 は訝しげに眉を寄せると、「心配なんだ。月曜からのインターンだって」と続ける俺の頭をぽんと叩く。ぽん、ぽん、と子供をあやすように。何かに納得したのか、その表情は優しい。 「お前の隣に立たせてよ」 「、」 「そりゃ、元サポート科。頼りないだろうさ。でも、ここ一番を前に、お前の背中に隠れてるだけの俺ではありたくないんだよね。せめて斜め隣くらいには立ちたい」 だからさ、もうちょっと頑張らせてよ。そう言って笑う。 胸をいっぱいにする愛しさのままに抱き締めたかったが、俺より細い肩に額を押し付けるだけで我慢した俺を、褒めてほしい。 |