ふと目を覚ますと、プレハブ小屋のような簡易な建物の壁が見えた。
 薄暗いそこで何度か瞬きし、自室でもない場所で目を覚ました不思議に僅かに首を捻る。
 まぁいいか、とりあえず動こう。そう思って動かそうとして足がちっとも言うことを聞かず、起きたばかりでぼやっとしていた意識はそこで急速に醒めた。
 薄暗い視界の中視線を落とし、床に転がっている格好の自分の足をじっと見てみる。
 足首の辺りにある違和感。そして動けないことを考えるなら、俺は足を縛られているってことになる。
 でも手は自由だな、とついた左腕が、ず、と崩れた。起きがけの姿勢から冷たいコンクリに体をぶつける破目になり、なんでだ、と見た自分の左腕が、なかった。二の腕からぽっかり、あるべきものがなくなり、ぼたぼたと赤い色を落としていた。
 熱い。
 痛い。

(なんで腕がないんだ。なんで)

 右手で自分の左腕を抱えるが、血は止まらず、足元には赤い水溜まりが広がっていく。
 そこに転がっているのは自分の左腕だけじゃなかった。自分よりも大きな大人の腕。足。そして首から上の頭がごろりと無造作に転がり散らばっていた。
 ……痛みと熱で吐く息が震えている。
 ごろり、と血の中を転がった頭の顔は、俺の両親のものだった。
 口が裂けるんじゃないか思うほど引きつり、目がこぼれるんじゃないかと思うほど見開かれ、ごろりごろりと血の中を転がる頭から這いずりながら距離を取る。
 四肢をバラバラに切断されたマネキンみたいに無造作なのに、そのすべてから赤い血を垂れ流して、明らかに、死んでいる。それなのにその顔にある目がぎょろりと俺のことを見るからヒッと引きつった声が漏れた。

「あんな大金を払ったのに、すべて無駄だったわ」
「私達は死んだ」
「あなたのせいよ」
「お前のせいだ」

 胸を突き刺す言葉に視界が滲む。
 血で滑る床を蹴って両親だったものから遠ざかろうとするがうまくいかない。足が縛られてるせいだ。まずはこれを解かないと。
 うまく動かない右手でなんとか拘束を解こうとする俺のもとにごろごろと頭が二つ転がってきて血に染まった両目が俺を睨み上げる。「お前のせいで」「私達は死んだの」聞くな。死人は喋らない。これは悪い夢だ。
 夢だ、と思うのに、今もまだぼたぼたと血を落とし続ける、左腕があるべき場所が痛い。疼く。痛くて痛くて泣けてくる。
 立ち上がることもままならない足元では絶叫顔の頭が二つ、とんとんと俺のことを叩いて、ついに裂けた口から血と俺への恨み言をこぼしながら、その頭がパンと弾けて飛び散った。
 びしゃ、と顔を叩きつけた生ぬるい温度。
 喉の奥まで張り付くような血の臭いに、鉄錆の味に、みぞおちの辺りが気持ち悪い。吐き気がする……。
「ッ!」
 ベッドから転がり落ちてドスンと床に転がった、その衝撃で、ようやく悪い夢は醒めた。
 見慣れた天井が映る視界に安堵しながら、荒くなっている息を整えようと右手を胸に当てて深呼吸をする。深く息を吸って吐く。それだけのことなのにあまりうまくできない。
 は、は、と荒い息を吐きながら左腕に手を這わせると当然そこには何もない。
 随分昔に失くした腕。失くした両親。
 俺が心のどこかで思っている罪の意識が集積された夢は思っていたよりもキツくて、なんとか息を整えて起き上がったものの、胡坐をかいた格好から動けそうになかった。
 夜中の空気は冷たくてシンと静かで、そうしているとまだ自分があの倉庫にいて、足元には血だまりが広がっているような、そんな風景が、見えるようで。

「どうか、したのか…?」

 声にのろりと顔を上げると、ベッドには紅白頭の整った顔立ちをした奴が枕から頭を持ち上げてこっちを見ていた。
 轟焦凍。顔の左側に大きな火傷の痕があって、それでもイケメン。それなのに男の俺とキスやらハグやらを始めとした恋人まがいのことをしている変わった奴だ。
 俺と目が合うと何度か瞬きしたあとにベッドから抜け出し、「」と俺のことを呼ぶ。
 すっかり醒めたその声に右手を伸ばして俺より広い背中に縋りつくと、生きている人の温度がした。
 そのことに自分が思っているよりもずっと安心したらしい。
 俺よりも鍛えていて立派な胸板に耳を押し付けると、とくとくと静かに鼓動する心臓の音がわかって、詰めていた息を細く長く吐き出す。「とどろき」掠れた声で相手のことを呼ぶと、「ここにいる」と応えられる。
 轟は何も言わずに俺のことを抱き締め続けた。その体温と心臓の音を提供し続けた。
 そうやって何分くらい甘えていたろうか。酷い夢に感覚が麻痺していた心がようやく息を吹き返して、途端に恥ずかしくなってきた。

「あー、えっと、ごめん。もう大丈夫」
「まだ震えてるぞ。無理すんな」

 耳元でのイケボという破壊力よ。おかげで耳が熱い。「いや、ほんと、大丈夫。寝よう?」念のため言っておくとおかしな意味ではなく、明日も学校だからもう眠ろうという意味だ。
 右手でベッドを指す俺に轟が腕の力を緩めてそのイケメンを近づけた、かと思えば額にキスされた。頬にも、鼻の頭にも、もちろん唇にも。轟が触れたところから顔に熱が灯っていくのがわかる。
 キスするだけじゃ飽き足らず、轟のあたたかい左手が俺のことを撫でていく。
 まだ夜明け前の深夜の薄暗い部屋で目を凝らすと、轟が真剣な顔で俺を案じているのが分かった。分かってしまった。
 夜中に起こしやがって面倒だなとか、夢くらいで何ビビってんだとか、思っていいのに、本気で案じて心配だとばかりに眉尻を下げてこっちを見ているその顔をまっすぐ見られない。
 ぼす、と轟の肩に頭を押し付けて思う。

(なんで俺のことなんか好きなんだ、お前)

 俺はこんなにどうしようもない奴なのに。