ヒューマライズの施設を制圧したはいいが、目的のトリガー・ボムは見つからず、作戦は失敗となった夜が明け、次の日の朝。よりも先に目が覚めた。
 仮の事務所でも自室は与えられていたが、俺にしてみれば、着替えを取りに行く以外に部屋に戻る理由もない。
 海外のホテルだってせいか、それとも、この空間をエンデヴァーの事務所と無意識で比べているからか。なんとなく、空気が違う気がする。
 あのパンツ買っておいて正解だったな、と昨夜のことを思い出しながら痛む腰を引きずり起こし、まだ寝こけているに一つキスしてからシャワーを浴びた。
 マンネリを心配してこっそり購入しておいたモノの一つで、効果絶大とまでは言わないが、効果はあった。今後はこういうサプライズも織り交ぜていこう。
 任務で海外に行くという話が決まってからの目標。異国の地で初めてのセックスをするというのはこれで叶った。叶った、けど。
 じっと鏡の中の自分を見つめる。
 ヒーローはスーツに着替えたり、俺の個性だと服が燃えたりするから、キスマークなんかの痕になるものは残せない。それが多少不満だ。
 インターンでできた生傷はあれど、鏡の中にいる紅白頭の男の肌に欲しい痕はない。
 あるとき、痕が欲しいと言ってみたら、呆れた顔でダメに決まってるだろと却下された。
 の言うことは最もだ。わかってる。授業で着替えてるときに怪しまれるような跡は残せない。
 雄英に入ったのはヒーローになるためで、色恋にかまけるためじゃない。…そのためじゃなかった。そんなことは想像すらしていなかった。親父への嫌がらせだけで頭がいっぱいだった。
 緑谷が俺の狭い視野を取っ払った。そのあとに出会ってすべてが変わってしまった。自分の中の優先順位が引っくり返った。たった一人に出会っただけで。

(痕が、欲しいな)

 なんの痕もない首筋から鎖骨にかけてを指でなぞる。
 叶うなら、鏡で見たらわかるような跡が欲しい。お前の所有物だ、という痕が。
 それで、俺も痕をつけたい。これでもかってくらい痕をつけてやりたい。俺のものだと見せびらかすように痕だらけにしてやりたい。
 たとえそのうち消えるのだとしても、思い出したら満足するような証があれば、なんとなく物足りないと思うこの気持ちも少しは充足するんじゃないか。
 そんなことを考えながらシャワーを浴び、身ぎれいにしてから部屋に戻ると、が起きていた。まだ顔は眠そうで半分しか目が開いてないし、髪があちこち跳ねてる。「はよ」「んー、おはよぅ…」「シャワー浴びて目ぇ覚ませ」「んー」のっそり起き上がったの裸体から視線を逃がして、左の個性を使って濡れた髪の雫を吹き飛ばした。
 着替えがなかったから、の短パンとTシャツを借りて自室に戻り、適当に着替えてから服を返しに行く。
 今朝の朝食はどうしたのかというと、現地のヒーローがパンを用意してくれていたのを頂戴した。
 が、ずっと甘えているわけにもいかないだろう。
 幸いここはホテルだ。キッチンなどの設備はある。食料さえ仕入れれば食事自体はなんとかなる。と思う。俺は調理できないが、爆豪はなんでもできるし、もそれなりにできる方だし…。
 パンをかじっていると、ヒーロースーツ姿の親父がバーニンを連れてやって来た。

「お前たちには食料や日用品の買い出しを命じる」
「はい」

 一番に返事したのはで、次が緑谷。俺と爆豪は眉間に皺を寄せただけ。
 いつも端的だな。俺らはインターン生でたまたま居合わせた仮免ヒーローではあるが、だからって顎で使っていいわけじゃないだろう。もうちょっと説明ってものをしろよ。
 相手が親父だからいらぬ反感を憶えるんだろうが、やっぱりちょっとイライラする。
 が僅かに首を傾げて「エンデヴァーは、会議ですか」「ああ」「必要なものがあったら携帯にお願いします」「わかった。封筒内の現金でやりくりをしろ」親父から茶色い封筒を受け取ったが頷くと、さっそく世界規模の会議があるのか、親父はバーニンを連れて会議室の方へと消えた。
 パンにジャムを塗りたくったものを口に運びながら、眉間に寄っていた皺を意識してなくす。
 エンデヴァーに買い出しを命じられた俺たちインターン組は、朝食後ヒーロースーツに着替え、スーパーへ買い出しに出かけた。
 昨日の時点でテロの事件に決着がついていれば必要なかったんだが。仕方がない。
 調理ができるとは言えない俺は、調理ができる組に言われるままカートに缶詰めやらパンやらを入れ、が読めなさそうに睨んでいる英語表記の物の説明文を読み上げたりして買い出しの手伝いをする。
 預けられた現金で領収書を切ってもらい、買い出しをすませ、爆豪とが要領よく紙袋に買い出し品を納めていくのを眺めてまとまった荷物を抱えスーパーを出た。
 が紙袋両手にしきりに周囲を見回している。それに首を捻って「どうかしたか」と問うと、いつもとは違う、どこかキラキラした目をしたが言う。

「初めての海外だし。任務はあるにせよさ、やっぱいいよなーって」
「…そうか?」

 同じように周囲に視線をやってみる。
 日本では見ない建物、日本にはない食べ物、白い壁に煉瓦色の街並み。日本ではここまで飛び交わない異国の言葉と空気。
 見慣れない景色に囲まれても、俺はのように心は動かなかった。まだお前と映画見てる方が現実味がある。
 俺はピンとこなかったが、緑谷にはの気持ちがわかるようで、力強く頷いて「わかるよ、日本とは違う賑やかさだよね」「ね〜。俺こういうの好き」……相手が緑谷だから許すけど。気軽に好きとか言うな。一瞬発火するかと思った。
 オセオンの街並みについてで盛り上がる二人に、爆豪が不機嫌そうに舌打ちした。「待機かなんだか知らねーが、なんで俺が買い出ししなきゃなんねーンだぁ!?」それで突然キレた。いつものことだけどな。
 爆豪が不満に思ってるコトの答えは簡単だ。「チームで一番下っ端なのは俺らだから」たまたまエンデヴァーの事務所にインターンで来ていて、世界選抜チームに加われた。いわばオマケ。こういった雑事をする必要のある立場だ。
 親父に顎で使われてムカつくって気持ちはわかるけどな。やるべきことはやらねぇと。
 が一つ頷いて「インターン生だししょうがないよ。とりあえず、戻ろっか」と人で賑わう通りを行く。「俺の前を行くなや」それで爆豪にケチつけられて肩を竦めて速度を落としている。
 の隣に並んで、同じ景色を眺めてみるが、やっぱりそこまで心には響かない。
 とくに日本がいいとか日本が好きってわけじゃないが。畳が落ち着く、くらいの好みはあるけど、究極のところ、がいれば俺にはどこだって同じだ。どこだっていい。世界の中心でも、世界の端っこでも、変わりない。

「観光、できたらよかったけどな」
「それだけは残念だね。待機だからしょうがないんだけど」
「ちょっとでいいから散策したかった……」

 二人の会話に混じりながら、本気で残念そうに肩を落とすに、親父に抗議してみるか、なんて考えたりした。
 そのとき、俺たちのいる1ブロック先から突然爆発音が響き、ケースを抱えた二人組が飛び出してきた。そのあとに店主だろう人間も。「宝石強盗だぁ!」ヒーローの出番か。
 手にしている紙袋を素早く地面に置いて「は荷物を頼む」「おっけー」仮免のないは自分の判断で戦闘に個性を使うことができないから、俺らが手にしてた荷物の見張りを頼み、俺と爆豪、緑谷の三人で強盗犯の二人組を追う。
 二人組はこの手のことに慣れてるのか、二手に分かれた。

「てめーらは右行け!」

 爆豪の指示にとくに異存はないから大人しく従う。
 氷結を使って犯人を追い、狭い路地に逃げ込んだ疾風を纏う個性持ちの前面に氷結の壁を作ることで相手を激突させて意識を奪う。「手間取っちまった…」俺の氷結は大雑把だから、周囲に巻き込めない人間がいると使えないのがネックだ。
 案外と時間をかけてしまったことを反省しながら、気付いた。
 強盗犯が持ってたケースがない。あれに宝石が入ってるはず。
 途中、疾風の個性持ちのせいで吹き飛ばされた人を助けていて今俺に追いついた緑谷を振り返って「緑谷、ケースがねぇ」と報告すると、緑谷は何かに気付いたように駆け出した。「仲間がいる!」二人組。そう思っていた宝石強盗にはまだ仲間がいたらしい。気付かなかった。
 俺では追いつけない速度で路地を飛び出して行った緑谷を見送る形になり、はぁ、と息を吐いて、気絶しているヴィランを縛り上げる。
 こっちを放置するわけにもいかない。警察に引き渡さねぇと。
 緑谷のスピードがあればもう一人も問題ないだろうと思い、現地の警察に強盗犯のヴィランを任せ、いったんのもとに戻った。「おかえりー」一人で八袋の荷物の番をしてたには変わりはない。スリなんかには合わなかったんだろう。「あれ、爆豪と緑谷は?」首を傾げたに二人のことを説明しようとして、爆発音を聞いた。
 …海外も忙しないな。ヒーローはどの国でも忙しい。
 にはまた荷物を見張っててもらい、爆発音のした方に氷結を這わせて向かうと、緑谷と遭遇した。どうやらまだ強盗犯の仲間を追っているらしい。お前で追いつけないってことは、相当できる奴なんだろう。

「あっちは任せろ」

 炎と煙が上がる高速道路を指すと「お願い!」と残して緑谷が飛び出していく。
 地上から高さのある高速まで氷結を這わせて伸ばして現場に到着。燃えている車を氷で包んで消火し、運転席で意識を失っている男を慎重に外へと運び出す。
 そのとき、車体に無数の穴のようなものがあることに気付いた。どう見ても車の事故でできたって傷じゃない。
 訝しみながらも、遅れて来た救急車に意識のない男を任せ、警察との事務手続きをすませての元に戻ると、爆豪も戻ってきていた。けど緑谷の姿はない。

「あン? クソデクはどうした」
「宝石強盗の仲間を追ってって……俺は事故の方に対処してたから、そのあとはわからねぇ」

 が考えるように視線を上に逃がす。「緑谷ならすぐ解決しそうだけど、遅いね。…いったん荷物置きに戻る?」その提案に爆豪と一瞬視線が合う。
 ち、と舌打ちした爆豪が紙袋を三つ抱えた。「とっとと帰ンぞ」先を行く爆豪に、紙袋を三つ抱えたが続く。
 なんとなく納得できず、片腕で紙袋を二つ抱えて、一つをから奪った。「持てるけど…」不思議そうに首を捻る顔から視線を外す。それでも持ちたいんだからいいだろ、別に。
 オセオンにいる間の臨時事務所に戻ると、エンデヴァーに「バカモノ!! 」と一喝された。なんでだ。

「今は重要任務中だぞ! それ以外の事件は地元のヒーローに任せておけばいい!」

 ……気に入らない言い草だった。
 困ってる人を助けるのがヒーローだし、第一、事件に大きいも小さいもないだろうが。
 言い返そうと口を開いた俺の横でがぺこっと頭を下げた。「すみません。ここの管轄からクレームがありましたか」おずおず顔を上げたにエンデヴァーがぐっと唇を噛む。「クレームは、なかったがな。次はあるかもしれん。勝手な行動は現地のヒーローの迷惑にも繋がる。慎め」俺と爆豪は返事をしなかったが、だけは「はい」と大人しく声を返す。
 はこういう世渡りがうまいな、と思いながら、買い出してきた食品をしまっていると、緑谷から電話がかかってきた。ようやく強盗犯を捕まえたのかもしれない。「緑谷? 犯人とケースは…」一番に気になったことを訊くと、電話の向こうの緑谷が慌てた様子で言う。『いきなり警察に襲われた!』と。