轟くんの目元に酷いクマがあることに気付いた僕と飯田くんは、その日一日なるべく彼のことを気遣って声をかけた。「大丈夫? 轟くん。保健室行く?」「大丈夫だ」その度に彼は大丈夫だとだけ言って首を横に振るばかり。目元のクマのことを指摘しても黙ってしまうし、どうしてそんな顔をしているのかの理由もわからない。
 この間のヒーロー仮免試験。轟くんは落ちてしまったけど、その理由については本人も納得していた。だからそのことが原因ではないと思う。
 昨日血相を変えて寮を飛び出して行ったことに関係があるのかもしれないけど、彼が話さないのなら、無理に訊ねることもできない。
 最近の轟くんはサポート科の人とご飯を食べていたりしたけど、今日はいないのか、彼は僕らと一緒に蕎麦を食べていた。
 午後のヒーローの授業をフラつきながらもなんとかこなした轟くんは、授業後、保健室に直行した。
 やっぱり具合いが悪いのか……と思ったけどそうじゃない。
 保健室の奥のベッドで眠っている人に見憶えがある。サポート科の。最近轟くんがよく声をかけに行く子だ。「やっぱり…」声を潜めて呟いた僕に飯田くんが眼鏡をくいっとさせる。

「知り合いか」
「僕とは直接ではないけど。轟くんとは知り合いだね」

 黒髪を無造作に伸ばして適当に一つにくくっている、いつもそんな感じだった彼の名前を僕は知らない。
 彼のベッドのわきにあるパイプ椅子に腰かけた轟くんは、何をするでもなく、眠っている彼を見ているだけだ。
 こちらに背を向けているから彼の表情はわからないけど、なんとなく、泣きそうだな、と思う。
 どうしようか、声をかけるべきかな。でもなんて? 二人でひそひそ相談していると、なぜかやってきた相澤先生にぴゃっと飛び上がる僕。「せ、先生」「何やってんだお前ら」「あ、えっと。その。轟くんが心配で…」酷いクマを作ってたのにわけを話してくれなかったけど、彼は友達だ。友達が困ってるなら力になりたい。助けたい。という思いのもと僕と飯田くんはここにいる。
 先生は保健室にいる轟くんを見て察してくれたようで、ふう、と息を吐くと面倒くさそうな顔をして中に入っていった。「轟」「はい」「例の件だが、もみ消された」「……そうですか」「中心になって仕組んだ女子の祖父が雄英へ多額の出資をしててな。校長も頭が上がらんそうだ」僕らにはなんの話かわからなかったけど、轟くんの表情で、その話が彼にとって歓迎するものでないことは理解できた。

「そこでだ。をヒーロー科へ編入させるという案が出た」
「…は?」
「本人もまだ知らん。話として出たってことを伝えておこうと思ってな」
「先生。の個性は戦うものではないですけど」
「お前、俺をなんだと思ってる。戦いが得意でなくてもやれることってのはあるし、個性を磨いてくのがヒーロー科だぞ。それとも今の状況のまま、サポート科に残すか?」

 僕と飯田くんは顔を見合わせた。「つまり…くん、ヒーロー科にくる?」「かもしれん、という話だな」保健室で眠ったまま目を覚ましてないこと、昨日血相を変えて飛び出して行った轟くんを思うと、彼の身に何かよくないことが起こって、結果、今の状態になっている…ということだろうと思うけど。
 彼をこんなふうにした誰かには『もみ消し』をされて事を咎めることができない。次も同じようなことが起きるかもしれない。それを防ぐために、今いるサポート科からヒーロー科へ編入する……。
 話は以上だったようで、相澤先生はとても面倒くさそうな顔で保健室を出ると、隠れていた僕ら二人をがしっと掴んでポイっと保健室内に放り込んだ。「お」それで初めて僕らに気付いたらしい轟くんが眠たそうな顔に驚きを混ぜる。

「なんだ。いたのか」
「や。うん。あの、心配、でさ」

 笑った僕に飯田くんが深く頷く。「話は聞いていた。彼がヒーロー科へ編入するなら、委員長として、俺は全力で彼をサポートしよう」「…まだそうなるかはわかんないけどな」目を覚まさないままのくんを見つめる轟くんの目は眠そうだったけど、どこかやわらかくもある。
 もしかして轟くんって……。
 そんなことを考えながらリカバリーガールに保健室を追い出され、三人で寮に戻った。
 次の日、轟くんは朝から寮に姿がなかった。朝食もパンを一個持って出て行ってそれっきりらしい。
 まさかね、と思いながら飯田くんと登校すると、サポート科の方がものすごくわいわいしていたから、気になって顔を覗かせると……やっぱり轟くんがいた。背が高くて紅白の髪をしてるから遠くからでもわかる。
 その轟くんに妙に懐かれているのが昨日の彼、くんだ。丸一日眠っていたって話だったけどやっと目が覚めたみたいで、今は轟くんからなんとか逃げ出したいという顔で左右に視線を投げて助けを求めている。
 僕と飯田くんは困っている彼を放っておけず、彼の腕を掴んで離すものかって力の轟くんを二人がかりでなんとか引き離した。「落ち着いて轟くん、ね? くん困ってるよ」昨日はクマが酷かったけど、今日の轟くんはだいぶ回復している。よかった。
 轟くんはいたって真面目な顔で「来るだろ、ヒーロー科」彼の目にはくんしか映っていない。あれ、僕のことは無視…。
 言われたくんはといえば、掴まれていた右腕をプラプラさせながら「や、無理だろ。サポート科の人間がヒーロー科とか? 色々ムリありすぎ」「やってみなくちゃわからねぇ」「あのなぁ…」言いかけた彼と轟くんの雰囲気が喧嘩気味なのにハラハラする僕と、「落ち着こう二人とも」と委員長らしさを発揮する飯田くん。頼もしい。

「俺が守る」
「は?」
「お前のことは俺が守る。だからヒーロー科に来い」

 久しぶりに、轟くんのイケメンクールでホットな天然が爆発した音、というか声、を聞いた。
 僕も飯田くんもくんもポカンとした顔をして、爆弾発言をした轟くんだけが真面目な顔をしている。
 一番に我に返ったくんが深い息を吐いてない左腕を抱くように右腕をやって、その手で拳を握る。「お前ってホント……」ぼやく彼への殺意にも似た敵意、に生徒の人混みに視線を向けると、女子生徒が数人、轟くんの爆弾発言を引き出させたくんを睨んでいた。
 サポート科からヒーロー科へ編入する理由。昨日何かに巻き込まれたくんと、きっと彼のために動いた轟くん。そして、くんを睨めつける目、目、目。
 なるほど。そういうことか。
 合点した僕は、轟くんに助け舟を出すことにした。「僕、轟くんと同じクラスの緑谷っていうんだけど。一緒に頑張ろうよ」笑いかけた僕に彼は困った顔を向けてくる。「いや、俺は…」「委員長の飯田だ! 君のことは俺が全力でサポートしよう!」こんなときでもはっきりシャッキリな飯田くんに彼がたじろいで、はぁ、とまた息を吐く。
 そんな感じで、サポート科のくんはヒーロー科1年A組にやってくることになったのだ。