三月下旬。
 桜の蕾が開き始めたその日、耐熱に特化した新しいヒーロースーツを着用。念には念を、の意識でもろもろ付け足した装備一式を確認しつつ、隣に視線をやると、同じように装備を確認していた焦凍と目が合った。
 色の違う瞳と目を合わせて、どちらからともなく視線を外す。
 いよいよこの日がやってきた。
 いつかに読み解いたホークスからの暗号。異能解放軍がヴィラン連合に乗っ取られ、何か大きな事を起こそうとしている……それに対して学生を含めた現ヒーローが集結し、先手を打つ。今日はそういう大事な日なのだ。

「終わらせよう」
「ん」

 焦凍たちにとっては長い因縁。俺にとっては初めての因縁で、片付けたい事。
 今日ですべて終わらせる。そのためにみんなが準備をしてきた。
 と言っても、仕掛けるのは現ヒーローと、現場の初動のために引き抜かれて行った数人の学生のみ。俺や焦凍は作戦地域からほど近い街の住民の避難誘導がやるべきことだ。

「あの麓にヒーローたちがいる。我々は後方で住民の避難誘導だ。ナーヴ」
「はい」

 バーニンに呼ばれて寄っていくと肩を叩かれた。「私と組んでてやりやすいのはお前だからな。学生との繋ぎは任せるぞ」インターンで一緒に組んで動いていたから、ってことを言いたいらしいバーニンに一つ頷いて「はい」と返事する。
 早々に焦凍と離れることになってしまったけど、昨日ヤることはヤった。今日という日が最悪な展開にさえならなければ問題なく今夜また抱き合えるはずだ。
 焦凍は若干眉間に皺を刻んでいたけど、バーニンが耳につけるタイプの通信機に手を当てて「動いた。私たちも行くよ!」と飛び出すと大人しく従った。
 バーニンは燃えてる黄緑の髪が個性で、それで羽ばたいて飛行したり、炎を飛ばして攻撃したりできる。
 今は羽ばたいて街へ移動するバーニンについていくべく、背負っているバックパックから少量のガスを噴出して降下飛行。オセオンでだいぶ使ったし、これにももう慣れたな。
 降り立った市街地で一つ大きく呼吸し、個性をフル展開する。
 範囲三キロまでの温度のあるものを識別しながら、これも発目に造ってもらった小さなドローンを神経を繋いで動かし、三体飛ばす。
 ヒーロー、学生、みんなが力を合わせて住民の避難を手伝う中、俺は頭上のバーニンが視界に入る位置でドローンを通して避難誘導を開始。
 俺の個性で繋いで操作してるから、開いてる窓から家の中に入って声をかけたり、ビルの隙間に入ったり、手ぐらいの小さな大きさのドローンは融通が利いて便利だ。

「この街一帯が対敵戦闘区域になる恐れがあります。ヒーローの指示に従い避難してください」

 口元のマイクに吹き込んだ声を三体のドローンがスピーカーを通して通達。大きな混乱がないのを確認しながら次の区域に移動し、同じことを通達。この繰り返し。
 周辺で助けを求める声があればバーニンに指示を仰ぎ、適材適所でヒーローを投入。街から確実に人の気配が減っていくのを意識しながら、視界に浮かぶ半透明な地図の範囲を広げていく。
 クラスメイトで判断に困ったと連絡がきた場合の対処はバーニンに判断を仰ぐ。
 本来ならそういうことだけに使う通信だけど、焦凍から『こっちは順調だ』と言う声には少し笑った。どうしても話がしたかったんだろう。仕方ないから「了解」と吹き込んで返し、人がほとんどいなくなった地図を眺める。
 避難誘導は順調だ。大きな問題もなく、時間的遅れもそこまでない。
 それなのに胸のうちにじわりと嫌な闇が巣食っている。
 ………しばらく見ていなかったのに、気付けば、足元が赤い色で濡れている。両親だったものが転がっている。
 ごろりと転がった頭が俺の足にぶつかって止まり、こっちを見上げている顔と目が合う。その顔がすぐに内側から弾けて脳髄をまき散らしながら消えた。「…、」ぐっと目を閉じて赤い色を追い出す。
 今はやるべきことをやるんだ。嫌な感じは気になるけど、プロヒーローを、現場のエンデヴァーを信じるしかない。

「ご家庭や近隣に身動きの取れない方がいましたら教えてください。ヒーローが向かいます」

 マイクに吹き込みながら、ズキズキとした痛みを伝えてくる左腕を握り締める。
 避難は順調だった。その瞬間までは。
 コンクリートの地面に立つ自分の足元がぐらりと傾いだ気がして、転倒を防ぐためにガードレールに手をつく。
 個性でなるべく遠くまで神経を行き渡らせている俺には音が聞こえていた。崩れていく、音が。

「あ、」

 ぶち、と自分の何かが千切れる音がして、反射でドローン以外の個性を遮断した。
 まるで何かに引きちぎられたみたいにズキズキと頭が痛い。
 立っていられず頭を抱えて膝をついた俺にバーニンが上から降りてきた。「おいどうした」「す、みませ……ッ」バーニンの肩を借りてどうにか立ち上がる、その視界の向こうの方。今エンデヴァーを中心に作戦が展開されている病院が、瓦解、しているのが見えた。
 話には聞いてる。ヴィラン連合の主犯、死柄木弔。個性は触れたものを崩壊させるという恐ろしいモノ。
 これがソレだと気付くのに数秒かかった。
 聞いてたのと違う。触れたモノが崩壊するんじゃなく、崩壊に触れたものがまた崩壊し、その連鎖で山が、街が、端から崩れていってる。

「バーニン」
「お前もドローンで頼む」
「はい」

 頭の痛みを無視してマイクに口を寄せて「みんな退け、今すぐ逃げろ! 『崩壊』が来る!」バーニンに続けてコンクリートの地面を蹴ってバックパックのガスを噴出、空中に逃げる。
 触れたものを破壊するどころか、病院から始まり街までどんどんと伝播して触れたものから崩壊させていくその衝撃は、言葉じゃうまく言い表せなかった。
 ビルも、家も、道路も、人も。すべてを粉々にしていく。
 目の前で起こった一つの最悪。
 痛む頭に手を添えながら、焦凍が抗ったんだろう、氷の壁ができている一帯に向かって飛ぶ。
 この一瞬で、逃げ遅れたどれだけの人が瓦解して死んでいったろう。
 病院で一体何があったのかと、バーニンがエンデヴァーに連絡を取ろうとしてるけど、繋がらないらしい。「病院何してんだ。誰か応答しろ!」と急く声に返事はない。
 最悪が、両親の頭のようにごろりごろりと転がってきて俺にぶつかり、弾ける。
 死柄木弔。できればここで終わらせたかった因縁の一つが、終わらないで立ち上がった。あの個性に対抗できるのは相澤先生、イレイザーヘッドくらいだろう。
 ズキズキと痛む頭で思考だけは止めない。
 この頭の痛みは俺の個性が死柄木の個性の一端にヤられたからで、すぐに切除したから問題ないとは思うけど、それでもこれだ。
 何度も声をかけてようやくインカムに返答があったらしく、「ワン・フォー何!? とりあえずアシスト向かう!」インカムに向かって噛みつくように行ったバーニンがどこかに向かって飛ぶのに、ついていくべきか迷った。
 でも俺程度の個性じゃついていっても攻撃には参加できないし、今は頭が痛くてあまり個性を使えないし。指示もされてない。ここは学生らしくしていようか。
 見慣れた紅白頭を見つけられたことにホッとしながらコンクリートの地面に降りると、俺を探してたんだろう、必死に辺りに目を向けていた焦凍が俺を見つけたとたん人目なんて関係なくぎゅっと抱き締めてきた。力強い。痛い。「無事だったか」「うん」はは、と笑いながら砂埃にまみれた焦凍の頭をぽんぽんと叩く。
 今は緊急事態だから、俺たちの抱擁を気に留める目もないし、あったとして流してくれる。

(お前に会ったおかげか、頭痛いの、ちょっと良くなってきたかも)

 対死柄木戦が始まっているらしく、地に接さずとも戦えるヒーローたちが揃って同じ方角へ向かう中、学生や地に足つけた個性のヒーローたちは引き続き住民の避難誘導を続けている。
 立ち止まっていちゃいけない、と焦凍の肩を押して体を離して……足元にまた血溜まりが見えた。「くそ」小さくぼやいて何度か瞬きするけど赤い色は消えてくれない。ごろり、と転がってきた頭が言う。「地獄に堕ちろ」と。
 ああ、そうだな。死んだら地獄に行くと思うよ。心の中でそう返すと血の色が薄くなっていって消える。「?」どうした、と手を引く焦凍に何でもないと笑おうとした矢先、緑谷と爆豪が飛び出して行ったのが見えた。「え、二人とも!?」「どこ行くんだっ」焦凍と一緒に声をかけると緑谷は「忘れ物! すぐ戻るから!」と言い置いて行ってしまった。
 いや、忘れ物って。このタイミングで?
 二人揃ってポカンとしたあと、ぐっと拳を握る。

「焦凍」
「ん」
「エンデヴァーが心配だ」
「緑谷たちもな」
「うん。でも俺、ちょっと移動の速度は出なくて」
「わかってる。抱きついててくれ。俺が行く」

 俺たち学生がやるべきは住民の避難誘導だったし、学生という身分であることを考えれば自身を避難させるべきだった。
 それでもそのときやるべきことが避難じゃないってことは、俺と焦凍の間で一致していた。
 焦凍の右手に抱き上げられる形で首に腕を回し、足元の氷と左手の炎、両方を使った速い速度に耐えながら個性を展開。周囲の状況を確認しながら進む。
 この感じ、ちょっと懐かしいな。オセオンでもあったっけ。
 ………あの頃は良かったな。そんなこと考えてる場合じゃないってわかってるんだけど、思ってしまう。
 あちこちでヒーローが戦っている。博多でエンデヴァーが手こずったあの脳無が何体も確認できる。「これは……」呻く俺を抱く焦凍の腕の力が強くなる。「大丈夫だ。まだなんとかなる」「うん…」想定していた最悪へまた一歩状況が近づくのを感じながら、舞い上がる粉塵の中、目を閉じて、束の間未来を想う。
 焦凍の隣にいて。焦凍のお兄さんやお姉さんに挨拶して。お母さんとも会って。あのエンデヴァーに頭を下げて、轟家の人間として一緒に生きていく未来。
 その未来図に入った小さなヒビに、今は、気付かないフリをする。