あの日から二日が経過した。
 俺の現在地はセントラル病院。最先端、最高峰の治療を受けられるって話の病院だ。
 燈矢の炎をもろに喰らった代償は大きく、全身に火傷を負う破目にはなったが、個性故か、そこまで重症にならなかった俺は、自分の病室を抜け出ての個室にいた。
 病院でよく見るモニタからはピ、ピ、と規則的な電子音がする。の心臓の鼓動が正常であることを知らせているのだ。
 それなのに、病院で目を覚ましてからこっち、自分のことそっちのけでのもとにいるが、目を覚ます気配がない。

(お揃いになっちまったな……)

 の顔には包帯がぐるぐる巻きにされて、その表情は半分くらいしか見えない。
 燈矢にヤられたとき俺が冷やしはしたが、俺と違って熱の個性があるわけでもないの皮膚はあの高温に耐え切れなかった。
 フードでカバーはされてたが、きれいに揃えられてた髪は焼けてちりぢりになってしまってる。
 もったいねぇ、と思いながら薄い紫の髪を梳く。
 ………荼毘が燈矢だと知らされ、親父が自分を見失うことを、はしっかりと計算していた。そして自分にできること……時間稼ぎをした。
 なんでヒーロースーツを新調したのかって気になってたが、その理由がこんなことのためだとは思わなかった。
 スーツをいくら耐炎に特化させたって、の肌は普通の肌だ。柔肌だ。俺で無理だった炎に耐えられるわけがないのに。
 けど、ここは最先端で最高峰の病院なんだ。髪はいずれ伸びて元通りになるし、きっと顔も治る。そうじゃなきゃ困る。
 力がないままの右手を握って額を押し付ける。「はやく、めぇ、さませよ」ガラガラした声は自分で思っていたよりも酷くて笑えてくるのに、同時に泣きたくなってくる。
 いつまで寝てるんだ。不安になるだろ。早く目を開けて焦凍って呼んでくれ。そうでないと俺は。

(約束したじゃねぇか。お前が死んだら俺も死ぬ。お前がいなきゃ、生きてる意味がないんだ……)

 祈るようにしばらくそのままの姿勢でいたら、コン、と病室の扉がノックされた。返事はしなかったがカラカラと扉の開く音がして『焦凍くーん』と機械のような音声。
 視線だけ投げると、背中の翼がすっかり焼けてなくなっているホークスがいた。

『ちょっといいかな。ご家族、来てるよ。っていうか君動いちゃダメでしょ、病室に戻りなさい』
が、めをさましたら、いきます」

 一言一言嚙みしめるように口にして、まだ火傷でイガイガしている喉で咳き込む。ああ、喉が鬱陶しい。
 しつこいかと思ったが、ホークスは肩を竦めただけで何も言わずに扉を閉めた。
 診察の時間だけは仕方なく医者の指示に従ったが、それが終わったらすぐにの病室に戻る。来てくれたっていう姉さんたちには悪いけど、俺はが目を覚ますまではアイツのもとを離れる気はない。

「あ、」

 それで、戻ったら、ようやく目を覚ましたらしいが看護師に囲まれてアレコレ調べられていた。俺と目が合うと苦笑いなのか照れ笑いなのかを浮かべてみせる。
 包帯のせいで表情の機微はよくわからない。俺も、人のことは言えない程度には包帯巻いてるけど。

「ずっといたんだって? ごめん、いるときに起きなくて」

 顔中に包帯があることを除けばおよそいつもどおりのに目の前がじわっと滲んだ。「ばかやろ…ッ」今すぐ抱き締めたかったが、人がいる。それにお互い怪我人だ。思い切り抱き締めるのは退院するまで我慢する。
 そこまで重症じゃないは、目を覚ましさえすればもう問題はなく、顔の方もちゃんと治るらしい。という話を聞いたと同時に俺は背中を押されて自分の病室まで連行された。「お前の方が重症なのに、何やってんだ」……お前が全然目を覚まさないのが悪いんだろ。
 病室に戻ったら戻ったで、クラスメイトがわっと取り囲んでくる。今は少し、それに救われる。
 窓の外には野次馬が大勢いる。この病院に親父が…エンデヴァーが入院しているからだ。その責任を問う大きな声がときどきここまで聞こえる。
 それをかき消そうとするかのように、みんなは明るい声を出す。「轟〜お前動くなっての!」「も目ぇ醒めたんだね、良かった」「大丈夫か、その火傷」「うん。キレイに治るって」クラスメイトに笑顔を向けたに空っぽのベッドに連行されて寝かしつけられ、八百万が創造したブランケットを被せられる。別に寒くはねぇんだけど……。
 目を覚ましたばかりで『病院にいる』という今の状況以外を把握できてないは、窓の外を見て顔を顰めた。そしてシャーっとカーテンを引いてしまう。

「ところで、エンデヴァーは?」

 当然といえば当然の疑問に答えたのは俺ではなく八百万だ。「病室です。術後ですから、絶対安静だと聞いています」控えめな声にの視線が手術室を探すように彷徨う。「そっか。呼吸しづらそうだったし、肺とかヤられてたのかもな……。焦凍は大丈夫?」ひょい、と俺を覗き込んでくる包帯ぐるぐる巻きの顔に小さく頷く。喉はいてぇから、あまり喋れないけど、そんくらいだ。
 が目を覚ました。それまでは頭を空っぽにして考えないようにしていた、考えなきゃならないことが山ほどある。
 荼毘。あいつの憎しみの炎は親父よりも強かった。俺の火力では勝てなかった。
 親父は荼毘と戦えない。実際、アイツの前に立つことすらできなかった。
 の言ってた『最悪』の顕現。
 なら、俺がやるしかない。火力では勝てなかったが、親父が立てないというのなら、轟家の人間として、俺がやるしか。
 ぐっと握った拳にぽんと手が置かれる。の右手だ。
 ……は最悪を知っている。目の前で両親が惨殺され、自身の左腕も失うという最悪を。
 俺とは違う人生という経験を積んできたはやんわりと笑う。俺の考えていることなんてわかっているみたいに。

「エンデヴァーはまた立つよ」
「……なんで」

 なんでそう思うのか、と問う俺に、は病室の扉を指した。そこにはいつの間にか姉さんと兄さんと、そして、お母さんがいた。姉さんたちは来るだろうと思ってたけど、まさかお母さんまで来るなんて。
 呆然としている俺に、お母さんは言う。「話し合いをしに来たの」と。
 轟家の話し合いに俺は邪魔だろうと思ったけど、焦凍が病院着を掴んで離さないもんだから、部外者である俺もエンデヴァーの病室にお邪魔することになった。
 家族の人たちも死んだと思っていた轟燈矢という人間。
 彼の思惑通り、病室にいるエンデヴァーは心を大きく抉られていた。「お…」泣いているエンデヴァーに焦凍が若干引いて俺に隠れる。いや、何してんだよ。
 焦凍の背中を押して前にやりながら、エンデヴァーに向かって頭を下げておく。
 涙ながらに「すまん。本当にすまない。後悔が、罪悪感が、今になって……心がもう」泣きながらに話すエンデヴァーに、お母さん、冷さんが前へと進み出る。
 焦凍のお母さんは、つい最近まで入院してたらしい。
 轟家が、エンデヴァーがピンチの今、彼女も動いたのだ。
 焦凍の話で聞いたよりも凛とした印象のある女性だった。「話をしに来たの。うちのこと。燈矢のこと」……やっぱり俺は部外者だしこのへんで出ようかな、と背を向けようとすると強く裾を引っぱられた。焦凍お前ね……。
 俺はまだ、轟家の人間じゃない。将来的にそうなれればいいという淡い希望はあるけど、轟家が本当に大変な今、そういう余分なことは言うべきじゃないし、必要以上に首を突っ込むべきでもない。

「外にいるよ」

 病院着を脱いででも外に出ようと紐を解いたらぎょっとした顔で手を離された。よし、今のうちに。
 失礼しました〜と言いつつ病室の外に出ると、ベストジーニストとホークスがいて驚いた。「え」「シー」いや、まぁそりゃ騒ぎませんけど、病院だし。二人とも安静なはずなのにどうしてここに。とくにホークス、背中の翼が全部焼けちゃうくらいの重症だったはず。
 にこ、と目元で笑ったホークスがすいすいと手元で携帯を操作すると、その携帯から『やぁ、久しぶりだね』と声がした。ホークスも荼毘の…燈矢の炎でヤられてる。うまく喋れないからの措置だろう。
 ぺこ、と頭を下げて小声で「お久しぶりです」『飛び方、教えてあげるよ?』いつかにも聞いたセリフに苦く笑って「間に合ってます」と返すと、残念、と肩を竦められた。
 轟家が話し合っている間、俺は二人からこの二日で起きたことについてのあらましを聞いた。
 死柄木、荼毘、トガヒミコ、スピナー、スケプティック、幹部を含む超常解放戦線構成員132名。七体の脳無ニア・ハイエンド、そのすべてが行方不明。
 さらに死柄木と脳無によりタルタロス他六か所の刑務所が破られ、少なくとも一万以上の受刑者が野に放たれた。
 対して、あの日集っていたヒーロー界の中枢メンバーが死亡及び重症。さらに、風向きの悪さを察したヒーローたちが今も続々と辞職中。
 ヴィランはさらに活性化。ヒーローを信じきれなくなった一般市民が武器を手に取り戦うことで、被害が被害を呼ぶような状況。

『悪い情報ばかりでもないよ。ヴィラン連合のギガントマキア、例の巨人。それにミスターコンプレスは確保。超常解放戦線の構成員も多くを確保してる』

 明るく言ってみせるホークスに、俺は苦く笑うしかない。
 確かに、最低最悪の結末ではないかもしれない。でもこれは当初の予定からすれば充分に最悪な結果だ。
 事実上、ヒーロー社会は崩壊した。

「それでも、かなりの『最悪』でしょう」
『そーね』
「エンデヴァーが立ち上がったとして、支える家族がいたとして。それだけではとても…。国は海外のヒーローに助けを求めていないんですか?」
『動いてはいるよ。でも手続きが滞っててね。すぐには』

 敵はまだ多く、味方の数は作戦時よりも大幅に減った。
 死柄木たちだけでなく、多くの脱獄ヴィランまでいる。ヒーローが現在進行形でさらに減るだろうことを考えると、現状はとても楽観視はできない……。
 包帯の巻かれている顔に手を当てて考えていると、ベストジーニストが俺を覗き込んできた。「なるほど。確かに、君が後進育成したいと言うだけはありそうだな」『そーでしょー。焦凍くんの彼氏みたいですしね』…ん? 聞き捨てならないセリフが聞こえたぞ?
 ぎこちない動きで顔を上げると、ホークスがいい笑顔でこっちを見ているではないか。「えっと……」『口は堅いし、頭は回るし、演技もうまい。焦凍くんのためだって言ったら拒まないよ』「はぁ。えーと何がでしょうか」なんか嫌な予感しかしないけど。

「此度の責任はナンバーワンだけのものじゃない。轟家だけに押し付けず、我々もそれを背負うつもりでいる」
『トップ3のチームアップって感じ?』

 ぐっと親指を立てていい笑顔でとんでもないことを言われて、少し放心して、それから安心した。
 ヒーローの辞職が相次ぐ中、ベストジーニストとホークスは変わらないってことだ。この状況でもヒーローとして立ち続ける。彼らはそう言っている。
 病室の中から焦凍おおおおと野太い泣き声が聞こえてきた。エンデヴァーだろう。そこから逃げるように焦凍がスパンと病室の扉を開けて出てきて、俺の他にベストジーニストとホークスがいるのを見て取ると驚いたあとにむっと顔に皺を寄せて俺のことを二人から遠ざけた。
 二人は示し合わせたように焦凍と入れ替わりで病室の中へと入っていく。トップ3のチームアップの話をしに行くんだろう。
 たん、と静かに扉が閉まって、焦凍が拗ねた様子で俺の病院着の裾を握り締めた。
 包帯が巻かれている手に右手を置いて、指を一本ずつ剥がして、絡めて、握り込んでいく。

「エンデヴァーに話があるとかで、外で待ってたんだよ。その間二人から外の現状について聞いてた。それだけ」

 本当はチームアップの話に巻き込まれそうとか不確定な要素もあるんだけど、今はその中身もよくわからないし、置いておく。
 ふぅん、とぼやいた焦凍が病院の廊下に目を向けた。ナンバーワンヒーロー、つまるところビップがいるここは管理されていて誰の姿もない。
 誰もいないから、お互い包帯だらけの顔だったけど、キスくらいはできた。お互い、かさついた唇だった。

「ところで、おれにいうことは?」

 ジト目の焦凍に寝続けて凝っている背筋を伸ばしてぺこーっと九十度のお辞儀を披露。思い当たる節はありすぎるのです。「ごめんなさい」「なにが」「えっと…また怪我をした。から」インターンでオセオンという国に行ったときも大怪我を負って焦凍を泣かせた。今回も、大怪我まではいかずともまぁまぁ怪我をした。死ぬほどの無理をするつもりはなかったけど、無茶をしたのは事実だ。
 焦凍が何も言わないから、土下座が必要か、と思って膝を折ったら繋いだ手を引っぱって止められた。引っぱられるまま焦凍の肩に額をぶつける形で抱き締められる。
 ………ここ、病院なんだけど。今は誰もいないからまぁいいか。
 怪我なら焦凍だってしたじゃん、というのは野暮なので言わないでおこう。