仮免を取得した1Aの面子でインターンに行くクラスメイトが出てきた中で、俺はといえば、落ちた仮免の補講で週末が埋まった。
 その事実が、『自分はみんなが受かった仮免に落ちたのだ』という現実をじわじわと突きつけてくる。
 俺はインターンには行けない。仮免がないから。
 一時間布団で横になっても眠気がやってこず、じっとしていれば思い出すのは仮免試験での失敗ばかりで……それもこれも自分で蒔いた種と、ヒーローやってく上で避けては通れない親父って存在のせいなんだが。とにかく、今後もヒーロー目指すなら避けては通れないモノにぶち当たって、それをうまくかわすこともいなすこともできなかった。そういう自分の未熟を思い出し、俺は自分で思ってるより落ち込んでいる………らしい。
 少し走ってこよう。そうすれば嫌でも疲れて寝れるだろう。
 ジャージの上着を掴んで部屋を出て、五階の一番端の部屋から微かな明かりが漏れていることに気付く。の部屋だ。「…まだ起きてんのか」もう深夜の一時も過ぎたってのに。
 ついでだ。寝ろと声をかけに行くと、ドアノブは回った。また開いたままの扉に溜息が出る。
 確かにここは寮で、このフロアには男子しかいないが。それでも不用心だ。鍵をしろって何度いえばわかるんだアイツは。
 扉を開けると、目に沁みる光が飛び込んでくる。「…」買ってやったテレビから眩しい光がチカチカと瞬いている。
 ヘッドフォンをしてじっとテレビを見つめている相手は俺が部屋に入ってきたことにも気付いてないらしい。
 が熱心に見つめているテレビに視線を投げてみると、何か、ライヴ映像だった。欲しいって言ってたから買ってやったディスクのいくつかのうちの一つだろう。
 今は義手のない空っぽの左腕を眺めて、なんともいえない苦い気持ちを噛みしめる。



 ぽん、と左肩に手を置くと大げさに飛び上がったの頭からヘッドフォンがずり落ちた。「び、っくりしたぁ、轟か」「寝ろよ。もう一時回ったぞ」「うそ、マジ? 気付かなかった…」スマホで時刻を確認したが慌てたようにディスクを止めてテレビを消す、その目からぽたりと涙が落ちたことに今度は俺が驚く番だった。「なに泣いてんだ」「え? あー、これはアレだよ。感動の涙」さっきまで見ていたテレビを指して笑ってみせる相手に首を捻る。
 俺にはそういうの、よくわかんねぇな。感動とか、そういうの。
 瞬きで涙を落としたが俺を見て眉間に皺を作った。「で、轟はなんで起きてんの。明日学校だよ」そう思うのも当然か。普段なら寝てる時間だしな。「寝つけねぇから走ってこようかと思って」外を指す俺にの眉間にさらに皺が寄った、かと思うといいこと思いついたとばかりに一人頷いて右手でぽんと膝を叩いた。

「じゃあさ、一緒に映画見よう」
「は?」
「走って気を紛らわそうっていうんだろ? それもいいと思うけど、違う方法で意識にアプローチかけよ」

 言うが早いか、さっき消したばかりのテレビをつけて座布団を二つ並べると、買ってやったディスクをずらっと並べ始める。「どれがいいかな〜轟希望ある?」「…なんでもいい。お前のオススメで」俺はいいって言ってないが、一緒に見る気満々のに曇った顔をさせてまで走りに出たいわけでもない。補講でそれなりに疲れてることを考えるなら、の言うとおり、この意識を変えられる何かがあればそれでいい。
 が大事そうに広げたボックスからディスクを一枚取り出す。「この部屋防音仕様ではあるけど、音は控えめにしよっか。英語音声日本語字幕だけどいい?」「ああ」部屋の扉を閉めてちゃんと鍵もかける。
 ベッドを背にして寄り掛かる形で座布団を並べ直し、テレビを前に二人で並ぶ。
 そこまでデカいのはいらないっていうから適当な大きさにしたが、二人で見るとなると肩を並べ合わないと画面が見づらい。やっぱりデカいのにすべきだったか。
 が好きで何度も見ているというその映画は、西洋風のファンタジー映画で、小物一つ、衣装一つとってもよくできていた。
 ストーリーは王道な『悪を倒すための旅』だが、敵は強大かつ狡猾で、主人公一行は徐々に追い詰められていく。
 こんなんでこの先の旅は大丈夫なのか、ダメじゃないのか、と心配になるところでエンドクレジットが流れ始めた。「…これで終わりか?」「ディスク1はね。これは連作で、まだ2つある」ディスクの入ったボックスを撫でるがまた泣きそうだ。何回も見てるって言ってるのにその度に感動するんだろうか。「ボリュームあるんだな」「面白いだろ」「ん」へらっと笑った顔に感動故だろうが涙が伝い、それがどうしても気になって指で払う。

「泣くなよ」
「やー、何度見てもいい映画なんだよ。感動。俺もさ、こういう世界に生まれたかったなぁって思うくらい」
「…わかったから泣くな」
「あと、さすがに、眠い。そのせいもある」

 感動の涙と欠伸による涙を混ぜたはテレビを消すともぞもぞと布団に潜り込んだ。「眠いー…」言うが早いか、枕に顔を埋めるようにして寝始めるから、仕方なく俺が向きを変えてやる。そのままじゃ窒息するだろ。
 ごろん、と転がったの黒い髪がベッドに散らばる。
 金がかかるから、面倒だから。伸ばしっぱなしの黒髪にこだわりはないらしく、長い髪は今日も無造作なままだ。
 その漆黒に吸い寄せられるように唇を寄せて、女のもんじゃないからどこかパサついてる髪を指で撫でる。「…なんか、買ってやるか」自分で適当に切っているだけのは美容院なんて行かない、金の無駄だと突っぱねるし。それならそれで自分で手入れさせないと、このままは、せっかく長いのにもったいない。
 黒い髪を指で辿っていくと、自然と眠ってる顔に辿り着く。「……寝たのか?」声をかけても返事はない。映画は二時間あったし、もう深夜もいいところの時間だ。俺も眠い。
 眠いし、いいだろ。今日はここで寝ても。
 シングルのベッドに男が二人は狭いにもほどがあったが、すっかり寝こけている相手が起きないのをいいことに、その夜はの隣で眠った。
 映画のせいか、あれだけ寝付けなくて苦労したのに、ベッドの慣れない感触も忘れて寝こけた俺は「轟!?」という悲鳴のような声で意識が浮上した。「お…」どうやら一瞬で眠ったらしい。「はよ」狭いベッドの上で手をつくとギイと頼りなく軋んだ。男二人分の体重を支えるようにはできてないらしい。「おま、なん、ねて」口をパクパクさせてるが面白い。そんな驚くとこか。

「眠かったから寝た。せめぇな、ベッド」
「そりゃそうだ。一人用だって。二人で寝る大きさじゃない」
「そうか。じゃあ二人用にしてくれ。狭い」
「いや自分の部屋で寝てください。マジで」

 俺から距離を取るように必要以上に壁に貼りついているに首を捻り、ベッドから抜け出てぐっと伸びをする。狭かった。あとやっぱ落ち着かないな、ギイギイするの。俺は畳が落ち着く。
 じゃあ自分とこで寝ろ、ってのはそれはそうなんだが、なんかしっくりこねぇな。なんでだ。
 考えている俺をよそにベッドから抜け出したが携帯を掴んで目を剥いた。「うっそ、時間、時間ヤバいよ轟」「ん」何時だ、と問おうとしてコンコンと扉をノックする音に視線を投げる。「おーい起きてるか、朝飯なくなるぞ」砂藤の声だ。そうか、もうそんな時間か。急いで学校行く準備しないとな。
 鍵を開けて出てきた俺に砂藤がぎょっと驚いた顔になる。「と、轟?」「おう」「なんでの部屋に…」「映画見て寝てた」寝たとはいえ、睡眠時間は五時間ないだろう。陽の光が眩しく感じるし、頭も体も若干重い。
 砂藤の呆れたような顔に片手を振って返し、その日は注意力と集中力が散漫になりつつも、なんとか学校を終えた。
 と見た映画のおかげか、補講に対する憂鬱や親父に対する黒くもやもやとした感情は気にならなくなるくらいには薄れていた。映画ってすげぇ。
 午前中は学生らしく学業に励み、午後はヒーロー科らしくヒーローに根差した授業を行う。
 そんな学生らしい日々に『新聞社の取材』という名目でよくわからない男が転がり込んでくることになった。「取材…」ぼやいたに視線だけ投げる。難しい顔をしたは左腕を隠すように腰に巻いていたジャージの上着を羽織り直している。「なんで隠すんだよ」「…悪目立ちは避けたいだろ」そういうもんか。
 取材の目的は『寮生活を始めた生徒たちの暮らしぶりをレポートする』だそうだ。
 つまり、普段通りでいい。とくにインタビューがあったり何かをしろというわけではないってことだ。
 朝の8時から夕方6時まで居座るらしい記者は無視することにして、まだ部屋に左腕があるままのを手伝って朝食を用意してやる。

「朝の呼び出しで急いで下りてきたからさ…ありがと轟」
「ん」

 がカメラを気にしてなるべく俺の体を盾にしようとし、食事に手をつけない。「…食えよ」「いや……」記者のカメラを気にしすぎている。今すぐ部屋にとって返して腕をつけてきたいって感じだ。
 仕方なく魚の身をほぐして箸でつまむ。「ん」「ん…?」箸を突きつけると、たっぷりした間のあとに小さく口が開いた。魚を食わせて飯も食わせる。これなら腕は使わないし気にならないだろうと思ったが、はそうではなかったらしい。「いや、あの、自分で…これあーんじゃん」「それがどうかしたか」卵焼きを持っていくと食いながらも眉間に苦悶の皺を寄せている。味がマズいとかではなく何かに悩んでいる顔だ。何に悩んでるんだか。
 寮生活を始めた生徒たちのレポート。当然、学校での授業風景も撮られるし、昼飯のときも撮られる。
 なるべくカメラに映るまいとして俺を盾にするのもそうだが、はまだ暑いってのに制服の上にカーディガンを着て義手の腕をなるべく隠そうとしていた。

「気にしすぎだろ」
「いやー…だってさぁ……」
「カメラ、嫌いか」
「まぁね。…片腕の人間が映ってる写真ってのは、誰が見ても奇異なもの見る目をするし。そういうのは映らない方がいいだろ」
「……………」

 その言い草が気に入らなかった。
 にとって自分は『腕の欠けた奇異な存在』で、『虐められて当然の弱者』で、『良いところなんて一つもない』と笑って言う。そのことに慣れて絶望すら感じなくなってしまった。
 麻痺した心で諦めたように笑う顔が、俺は、嫌いだ。
 ハンバーガーをかじっているの肩にぐっと腕を回し、カメラがこっちを捉えているのを承知の上で、ハンバーガーに食らいつく。
 目を丸くして固まった相手に満足して顔を離す。ハンバーガーの脂がすげぇ。はこういうの好きだよな。前も食ってた。「お、ま、何し…今の撮られてたら」「いいだろ別に」唇の油を指で拭って自分の昼飯である蕎麦をすする。
 午後の授業は相変わらず個性を磨く特訓だったが、今もまだヒーローの基礎座学をやってるは体育館の隅っこで講義を受けている。俺は氷と炎を同時に出すべく自主練を重ねながら、一人講義を受けてる長い黒髪の後ろ姿を視界の片隅で眺め続けた。
 その日は授業を終えた頃に雨が降り出した。
 サアサアと音を立てる雨を眺め、は大きく溜息を吐く。
 寮までは走れば数分とはいえ、機械の腕を抱えているはものすごく怨めしそうにポタポタと雨粒を落とす空を睨んだ。「くっそー…轟傘ある?」「ねぇな。取ってくるから待ってろ」「え」「腕濡らしたくないだろ」カーディガンでなるべく隠している左腕を指すとは微妙な顔で黙り込んだ。「じゃあ、待ってる…」「ん」これからは折りたたみの傘を持ち歩こうと心に決めながら寮まで最速ダッシュを決め、寮の入り口にある傘立てからビニール傘を引っこ抜いて来た道を駆け戻った。
 通り雨だろうが、本降りの雨だろうが、機械の腕を持っているにとっては天敵ともいえるものが降り続ける空の下、傘を広げて帰っていく生徒たちの中で一人だけ立ち尽くして雨を睨んでいる姿。
 天に挑むような。なんてたとえが浮かぶのはアイツと見た映画のせいか。

「待たせた」
「や、すごい速い。サンキューってなんで一本…」
「二本は走るのに邪魔だ」
「あっそう」

 そういうことにしておいて、一本だけ取ってきたビニール傘を広げ、色取り取りの傘が咲く帰り道の中を歩いて寮まで戻った。
 なるべく記者と関わりたくないのか、はすぐに部屋に閉じこもったから、本片手に邪魔して、予備の腕の改造をしてる姿を横目に何度か目を通した文庫本を斜め読みする。
 金属同士がぶつかる音とか、工具が回転する音とか。うるさいといえばうるさいが、嫌いではない。
 のことを眺めながら本を斜め読みするという我ながら器用なことを一時間も続けていると、緑谷からラインがきた。『ご飯の時間だよ! くんも呼んできてね』さんきゅー緑谷。助かる。
 栞を挟んだ本を閉じ「、飯の時間」と声をかけるが工具の回転音にかき消されて届かなかった。
 仕方なく近くに寄って、が工具を使う手を止めたタイミングで右手に手のひらを被せる。「ん?」長い黒髪をかき上げながら顔を上げた、その額になんとなくキスをすると仰け反ったが椅子から転がり落ちそうになったから、片腕でキャッチした。「飯だって」「あ、あー、うん」ぎこちない動きで工具を机に置いたが腕を叩くから離してやる。
 基礎体力の向上を目指して始めた朝のランニングは続けているが、筋力その他にはまだ手を出してない。もとサポート科だったの体は細いままだ。
 いずれ筋肉がつくんだろうか、この体は。このままじゃ加減を間違えたら折っちまいそうだ。


「んー」

 階段を使って一階まで行くの斜め後ろにつきながら「筋トレはしねぇのか」と訊くと苦笑いされた。「順番にやらないと体力もたないって。もともとモヤシなんだからさ。ランニングで体力つけて、それから追加してくよ」「そうか。どのみち、ストレッチはした方がいいぞ。お前体硬いだろ」「うっ」図星をつかれた、ってふうに固まるに一つ息を吐く。
 風呂では基本腕を外してるから、は片手しか使えない。その状態を少しでも補うなら体の柔軟さを上げればいいと思うし、どのみち、ヒーローには柔軟性は必要だ。の個性は前線に立つものじゃないが、体が硬いよりは、いざってときに動けるしなやかさもあった方がいい。
 が眉尻を下げて自分の体を見下ろしている。「やっぱ、いるかな。柔軟性とか」「あるに越したことはない」「そっか…。ストレッチか。何から始めればいいやら」「俺が教えてやるよ」片腕しかないと難しいこともあるだろうしな。
 階段を下りる足を止めたがこっちを見上げてきた。色素の薄い瞳に俺が映っている。「轟さぁ」「ん」「…いや。やっぱいい」首を捻って続きを促すが、は階段を駆け下りて一階の共有スペースに飛び込んでいる。「……?」言いたいことがあるなら言えばいいのに、何逃げてんだ、アイツ。