ネットとか女子が持ってる漫画とかで『泣き落とし』を勉強した俺と、クラスメイトが毎日じわじわ仕掛けてた心理戦の結果、は自分が緑谷の手紙をドアに挟み込んだことを認めた。
 に騙されていた、嘘を吐かれていたと思うと少し胸がムカついたが、俺もみんなとグルになって一芝居打ったわけだから、おあいこだ。

「申し訳ございませんでした」

 クラスメイトみんなに明け方の共有スペースで事の次第を説明したは、部屋に戻るなり白い防音材の床に額を擦りつけるような感じで土下座してきた。「……別に。もういい」今日はお前のそんな姿ばっか見てる。もういいよ、そういうのは。
 右手を掴んで引っぱって立たせてベッドに連行、押し倒す。
 ぎいぎいと悲鳴を上げるベッドの音には慣れた。ここで眠ることにも、このベッドを軋ませることにも。
 本当に申し訳ないって思ってるなら、土下座するより、もっと効果的な方法があるだろう。
 じっと見下ろしてると、窓の外を気にするように投げられた視線がまたこっちに戻る。情けない顔から困った顔になってる。

「朝だけど」
「ん」
「眠いだろ」
「まぁまぁ眠い」
「寝ないの」

 ぺた、とシャツに当てられた右手の温度を感じながらキスすると、諦めたのか、呆れたのか、薄い色素の瞳が瞼の向こうに消えた。
 避難民で溢れ返ってる学校で授業はないし、ヒーロー科はいたずらに目立つことを避けるために外を出歩けない。つまるところ、今は緑谷のこと以外ですることは自主練以外にない。
 このあと数時間後には授業だとか、そういうのはないんだ。なら何シたっていいだろ。
 細いな、と思う首に顔を埋めて舐め上げる。
 少しだけ汗の味がする。俺のことで冷や汗かいたりしたんだろうか。

「シてぇ」

 耳たぶを嚙みながら囁くと、いいよ、と声が返ってきて、甘くじんわりと俺の脳を溶かした。
 お互いのごめんなさいを込めてしたセックスは、少し遠慮がちで、いつもより多めの砂糖を溶かした紅茶みたいに甘かった。
 次の日は昼も過ぎた頃に起きて、今日の生活リズムはめちゃくちゃだなと思いながら遅い飯を食って、部屋に戻ってとのんびり過ごして、風呂と夜飯をすませて、二十三時近くなった。
 今日は緑谷についての会議はないから、と二人、適当に教科書をめくって内容の復習をする。
 今も緑谷は一人で頑張ってるんだろう。それを思うと気持ちは落ち着かなかったが、今頃、から得た情報を交えてパソコン得意な奴が次の会議の準備をしてくれてるはずだ。

(焦るな)

 俺たち1Aの生徒は緑谷を助けると決めた。
 隠し事をしてたもようやくちゃんとこちら側に立った。全部、ここからだ。
 今日は不規則な生活になったが、さすがに眠いな、と目をこすって教科書を閉じたときだった。神妙な顔をしたが「ちょっと、話があるんだ」「ん」「来て」それで部屋を出るから、よくわからないながらもついていく。
 は一階に行くと傘立てからビニール傘を引っこ抜き、小雨が降る外に出た。
 こんな時間に外でしないとならない話か。
 ……なんか大事なもんか? 緑谷たちに協力していたって話はみんなと一緒に聞いたけど、まだ何か隠してる、とか。
 ビニール傘を広げてポツポツと雨が降る中をついていくと、一人、見知らぬ男が寮の前に立っている。
 誰だ、と顔を顰めた俺とは違い、は義手の左手を上げて「お待たせ」と相手に声をかけると、顰めた顔をしている俺の背中をポンと叩いた。「轟焦凍。知ってるでしょう」「ああ。テレビで見たよ。ヒーローショート」「彼が俺の恋人です」行き交う声に視線を交互に投げていたが、話の流れについていけず、「なぁ」と口を挟む。二人の視線が俺に集中する。

「なんだよ、コレ」

 この状況のことを示した俺に、が微妙に視線を泳がせて逃げた。逆に、男の方はじっと俺のことを見つめてくる。
 なんだこの状況。説明されないままここまで来たし、なかなかに意味がわからねぇ。
 俺たちのことはクラスメイトにはバレてるけど、基本的に外では隠せって、そういう話じゃなかったか。

「轟焦凍くん」
「……なんだ」
「君、彼が援交していたって知ってるかい」
「エンコー…?」

 首を捻った俺に、隣で一つ息を吐いたが「援助交際のことだよ」と言う。エンジョコウサイ。「エンジョコーサイってなんだ」「ああ…」左手を額に押し付けたが神妙な顔で俺のことを見つめる。薄い色の唇が開いて「お金をもらう代わりに、デートしたり、キスしたりすること」その言葉を聞いた瞬間、個性が勝手に出た。体の左側から火が出て右側に霜がおりる。
 援助。交際。そういう字か。
 そういえば、出会った頃、お前はまぁまぁ酷い身なりをしていた。ボロボロの靴だったし、美容院に行く金がないからと髪は伸ばしっぱなし。着てる服も制服以外は古着ばかり。
 俺が金を使うようになってからマシになったが、そういう雰囲気は、していた。
 ……最初に口を塞ぐキスをされたとき。手慣れているな、と思った。経験があるんだろうってのは長く深いキスから悟るのに充分だった。
 知ってた。気付いてた。
 ただ、指摘するのは怖くて、何も言えなかっただけ。
 望んでいない答えを知ったとき、自分がどうなるのかが怖くて、目を背けることを選んだだけ。
 意識して息を吐き、顔の左側でゆらゆら揺れている炎を左手で握って消し、霜がおりた右側の体温を意識して上げる。
 援助交際。その話をするのに知らない男が口を挟んでくるってことは。「あんたも、エンコーの相手だったクチか」「ああ。そして、彼が本当に好きになってしまった」じろり、とを睨みやると、神妙な顔と目が合う。
 ………爆豪の提案で、八百万と組んであんなことをしたが。もう一回アレをぶちかましたいくらいには俺は怒ってる。
 体の左側からまたユラユラと炎が立ち上がり始めたとき、がその場でキレイに土下座した。地面が濡れてるのも構うことなく傘を手離して額を泥に擦りつけて「黙っててごめんなさい」と謝る。「…そんだけか」俺はまぁまぁ怒ってるんだが。

「お金がなかったから、仕方なくしてたんだ。お前が俺にお金使ってくれるようになってからはしてない」
「ふぅん」
「ホントだよ」

 ……知ってるよ。四六時中って言っていいくらい一緒にいたんだ。それくらいわかってる。………わかってる。
 だけどどうにも治まりがつかない炎を揺らめかせたまま目の前の男を睨み据える。
 確かに俺は怒ってる。援交について今まで黙ってたこと、俺にまだ隠し事をしてたこと、ムカつかないと言えば嘘になる。けど。

「譲る気はねぇよ。は俺のだ」

 傷つかなかったといえば嘘になるけど。今更、過去にあった気に入らない事実の一つを告げられたくらいで手離したりはしない。
 そんなに軽い愛じゃないし、それで離れられるなら、自分の気持ちにこんなに苦労はしない。
 いつまでも土下座しているの両腕を掴んで引っぱり上げるようにして立たせ、泥で汚れてる顔を服の袖で拭ってやる。情けねぇ顔だ。雨降ってるのに土下座なんかするから泥だらけじゃねぇか。

「怒った?」
「怒った」
「別れる…?」
「別れねぇ」

 ほ、と息を吐いて安心した顔に「でも怒ってる」念のためもう一回伝えるとまた神妙な顔に戻った。
 俺とのやり取りを見てた男は一人肩を竦めてこちらに背を向け、歩き出している。
 は相手を引き止めなかったし、俺も言いたいことはなかった。
 過去にとデートしていた奴だと思えば体の左側は熱くなったが、過去のことだ。過ぎ去ったことはなかったことにはできない。これからの、未来のことで、過去のことを埋め合わせていくしかない。
 の腕を引っぱって寮に入り、傘立てに傘を突っ込んで部屋まで戻って、俺より華奢な体をベッドに倒す。
 言い訳しないんだから、これは俺がしたようなドッキリじゃない。
 どんなに気に入らなくても、不特定多数に対して笑っていた。笑う自分を切り売りしていた。それがの過去なのだ。
 薄い紫の髪に指を絡めて引っぱる。「さっきのなんだよ」「ええと。ああしないと諦めない、と言われまして」「……じゃあ、エンコーのこと、ずっと黙ってるつもりだったのか」ぽた、と今頃になって落ちた涙にの右手が伸びて細い指が目元を撫でる。「怒るし、泣くだろうし。もうしてないことだから、余分なことはいいかなと思って……」ごめん、と謝る色の薄い唇に噛みつくと血の味がした。
 飽きるくらいキスしながら泥で汚れたスウェットの部屋着を剥ぎ取り、自分の服も脱ぎ散らかしながら狭いベッドに転がる。
 昨日寝る前だってシた。最近連日シてる。そろそろ腰が死にそうな気がするが、こうしてないと今日はいられそうにない。

(大事なこと黙っていられたのはさみしい。かなしい)

 それでも好きなんだから、我ながら、どうしようもない。
 別に泣きたいわけでもないのに、涙で目の前がぼやけている。
 痛くした俺に、慈しむような優しいキスをしながら、「お前だけだ」とやわらかい声が降ってくる。「俺にはお前だけ。焦凍」ちゅう、と乳首を吸われて体が跳ねる。そこは嫌だって言ってんのに。
 頭を掴んで引き離せば、も泣いているようだった。

「俺のことゆるして」

 滲んだ声に、俺より華奢な肩を抱き寄せる。
 細いままの体躯。やせ細ってはいないがあまり筋肉もつかないし贅肉もないままの細い体で「汚れててごめん」と呟く。

(汚れたくて、やりたくてそうしたんじゃない。そうせざるを得ない状況があった、それだけなんだろ)

 もう怒ってない。どうしようもなかったことで怒り狂ってお前を責めるような奴にはなりたくないから、俺はこの件では怒らない。
 泣くなよ、と言うと焦凍こそ、と返された。確かに、と少しだけ笑うとも唇を緩めて少し笑う。
 その夜は脳がとろけるくらいに甘くて優しいセックスをして、朝まで二人でベッドを軋ませた。水分を摂りながら、お互いへの愛を囁き合いながら、ときどき泣きながら、お互いのことをめいっぱい愛した。