オール・フォー・ワンの手によってタルタロスが襲撃された結果、多くの脱獄犯が街に溢れることになってしまった現在。
 濡れた路面に当てていた手を離して一つ吐息したところにズドドドっと超スピードで走って来た飯田が追いついた。「俺より速いとは、やるなくん…!」「個性を先行させただけだから。ズルでしょ」「それを言うならば、俺の個性もズルということになってしまうぞ」「はは」一つ笑って、コンクリートの縄でぐるぐる巻きにしたダツゴクを担ぎ上げてまた超スピードで走っていく飯田を見送る。
 緑谷がオールマイトすら振り切って単独行動を取るようになってしばらく。
 雨がパラつくあいにくの空模様の下、1−Aのクラスメイトは緑谷の行方を捜すことに奔走していた。
 けど、道は険しい。
 道が、というか、溢れ返っているヴィランという存在が、俺たちの邪魔をしている。
 ヒーロー科は将来的にヒーローになろうとしている子が集うクラスだ。そういう志を持った人間が集まっている。
 この捜索の目的は緑谷を捜し出して雄英に連れ戻すこと、なんだけど、だからって見かけたダツゴクを放っておくこともできない。見かけたら片っ端から捕まえて警察に引き渡す。さっきからそんなことを続けていて、肝心の緑谷捜索はちっとも進んでいない。

「いねぇなぁ、緑谷」
「うん。ワン・フォー・オールのせいもあって、移動範囲とかもめっちゃ広いみたいだし…。なるべく手広く探したいけど、ダツゴクは見かけたら放ってもおけないし、ほんと、困った」

 参ったようにぼやいた砂籐に、雨除けのキャップを被りながら肩を竦めて言葉を返す。
 前までならGPSを持って行動、エンデヴァーたちと連携を取りながら動いていたらしいんだけど。色々あって、今は単独で動いてて、満足な連絡がない状態らしい。
 緑谷はこうだと思ったらまっすぐ行く方、だと思うし。今も、周囲を巻き込まんとして一人で動いているんだろうけど。
 少し離れたところで氷の柱が突き立ったのに気付いて、帽子を被った視界を上げる。
 あんなに派手に氷柱を突き立てるってことはそれなりのダツゴクが相手なのかもしれないな、なんて思いながら緑谷捜索を再開して瓦礫が目立つ街を進んでいると、携帯に着信があった。「はい」エンデヴァー、の表示を確かめてから首を捻りながら応じた俺に、エンデヴァーが一言こう怒鳴る。

『焦凍が倒れた!』
「えっ」
『すぐに来いナーヴ。至急だ!』

 倒れた、ってどういう意味ですかと訊く前にブツッと通話が途切れてしまった。「え……」画面を見つめて数秒立ち尽くし、すぐに復帰する。呆けてる場合じゃない。
 眉を顰めている砂籐には今の電話のことを説明して「ごめんちょっと抜ける!」ちょうどよく道路脇に停車した高級車に飛び乗る。なんでかって、運転席に見知った顔があって、こっちに来いとばかりに手招いていたから。
 や、と片手を挙げてみせるホークスに軽く頭を下げる。「エンデヴァーさんの鬼電あったでしょ。そーいうわけで病院行くよ」問答無用で発進した車の座席に背中を埋める形になりながら、一応、シートベルトを締めておく。こんな世の中だから、交通ルールもクソもないとは思うけど。

「あの、どういうことでしょう。焦凍が倒れたとしか聞いてないんですが」
「あーそれね。エンデヴァーさん焦ってて、説明不足だったよね。
 焦凍くんがダツゴクと遭遇して捕らえたはいいんだけど、どうも相手の個性を喰らっちゃったみたいで」
「え」
「大怪我したってわけじゃないんだよ。じゃあなんで病院かっていうと、倒れて意識が戻らないから」

 どうやらセントラル病院に向かっているらしい車の中で少し考える。「でも、ダツゴクでしょう。ヒーローのネット網には、ヴィラン逮捕時の個性の情報とか、保存されてますよね? それで焦凍が何をされたかはすぐにわかるんじゃ」ホークスはヒーローでも上から数えた方が早い人なわけだし、情報にアクセスするくらいわけはないと思うけど。
 そのホークスは肩を竦めて「そりゃーわかるよ。わかったから君が必要なんだ」それで、はぁ、と曖昧に頷く俺にキメ顔をしてみせたホークス(前を見て運転してほしい)が言うことは、

「ズバリ、愛さ!」
「…………ええと」

 とても反応に困る。
 ホークスなりのボケなのか。ツッコミとして笑えばいいのか。それとも流すべきなのか。
 俺の反応を楽しんだらしいホークスが前を向いての運転を再開した。

「ナイトメアって個性持ちなんだけどさ。要するに相手に夢を見せるわけ」
「はい」
「それが悪夢だった場合、人ってさ、醒めたいってなるんだよ。自然とね。
 誰だって、自分が望まないもんを見たいなんて思わない。それが意識の目覚めに繋がる。
 ただ、そのヴィランが見せる夢ってのは本人の願望に基づいてる。つまり、どこかしらで望んでいたコトが夢って現実になってて、今焦凍くんはそれを見てるわけ」
「……はい」
「だから目を覚まさない。本人がそうしたいって思ってないから」

 なるほど。個性の効果として『目を覚まさず眠り続ける焦凍』という状態と筋は通ってる。
 でも、じゃあ俺が必要、って意味はよくわからないな。ホークスは愛さとか言ってみせたけど、愛で夢って醒めるもんなんだろうか。
 首を捻って考えている間に病院に到着。悪路でもさすがの乗り心地だった高級車から出ると、病院の入り口には仁王立ちして俺を待ってたらしいエンデヴァーの姿があった。
 慌てて駆け寄った俺に、エンデヴァーが無言で踵を返して歩いていく。その立派な背中を追う。
 具体的に俺はどうすればいいのか、がさっぱりわからないまま案内された病室は、なぜか氷で満ちていた。「さっむ」思わずぼやいて腕をさすって、転ばないよう足元に注意しながら、中央に一つだけあるベッドで寝ている焦凍に寄っていく。
 顔を覗き込むと、確かに寝ていた。ホークスの言ってた通り怪我は見当たらない。「おーい」ぺち、と頬を叩いてみるけど、そんなことで起きるなら俺は呼ばれてないだろう。
 バキ、と氷が突き立つ音がして振り返ると、部屋に入ってこようとしていたエンデヴァーが苦い顔で踏み出そうとしていた足を引っ込めていた。その足元では凍った床から氷が突き出している。「おー、やっぱり行けますねくん」「……そうだな」苦い顔でぼやくエンデヴァーの横でホークスが手でメガホンを作る。

「俺ら、部屋に入れないんだわ」
「そうみたいですね」
「氷がねー邪魔するんだよ。エンデヴァーさんが溶かしてもキリがなくって。でもやっぱり君は大丈夫だった。つまり、愛さ!」

 ちょっと、そういうのは、すごい微妙な顔をしているエンデヴァーがいるから控えてほしい。いい笑顔で親指立てて言うことじゃない……。

(俺が呼ばれた状況は理解できたけど。具体的に焦凍を起こすにはどうしたらいいのか)

 なんにも知らずにすぅすぅ寝てる焦凍を眺めて、まるで眠り姫だなぁ、なんて思う。いや、どっちかといえば眠り王子か。今の焦凍の状態にぴったりだけど、語呂は悪いな。
 眠り姫ならぬ眠り王子を起こすにはどうすべきか。
 絵本の物語みたいにキスしてみる? それで起きるなら、親御さんの前でもするけどさ。ここは絵本の中じゃないからなぁ。でもするだけしてみる……?
 悩んでいると、「ナーヴ」とエンデヴァーの苦い声に呼ばれた。
 入り口で氷に阻まれているエンデヴァーとホークスの元に戻ると、医師なんだろう、白衣の人が数名いる。「まずはあたたかい格好を」それでもっこもこの毛皮のコートを渡された。「はぁ」とりあえず着てみる。あったかい。
 次に、カラフルなコードみたいなものを渡された。「これであなたと轟さんの頭を繋いでリンクさせます」「はぁ。これで…?」二メートルくらいしかないコードと、両端についているカチューシャみたいなものをひっくり返す。どうやらこれをつければ俺は轟の夢の中に行ける? ということらしい。医療的な個性持ちの人が作ったものかもしれない。
 廊下に置かれている大きな揺り椅子の背を押して、氷の上を滑らせて移動。焦凍の顔の横に椅子を設置して、カラフルなコードがくっついたカチューシャを焦凍の頭につける。ちょっと、テーマパークっぽいかも。
 コードで繋がったもう片方のカチューシャを手にして揺り椅子に腰かけ、振り返れば、ひらひら手を振るホークス、こっちを睨みつけているエンデヴァー、頭を下げる医師の人たちがいる。

「じゃあ、ええと。行ってきます」
「頼んだぞ」
「頑張れ〜」

 揺り椅子に頭を預け直して、覚悟を決めて頭にカチューシャをつける。
 途端に眠くなってきて、瞼を上げてることが難しくなって、諦めて目を閉じた。
 そうして感じたのは熱。暑い、ということ。
 おかしい。俺は焦凍の氷で覆われた部屋にいて、むしろ寒さを感じてたはずなのに。
「あんた、大丈夫か」
 聞こえた声にはっとして目を開けると、ヒーロースーツを着ている焦凍が立っていた。太陽をバックにこっちを覗き込むようにしている。
 眩しい。春の陽射しじゃないな、と思いながら目を細くして視線を彷徨わせる。
 どこだか知らない都市の様相に、南国を思わせるような木、草原。見覚えのない場所だ。
 首を捻っていた焦凍が「大丈夫そうだな。直射日光だし、寝るならパラソルがあるところにしろよ」と、声をかけておきながらあっさりと離れていく、その背中に伸ばしかけた手で拳を握る。
 落ち着け俺。焦るな。
 目を閉じて、どこか海の香りがする空気を深く吸い込んで、吐き出す。
 情報を整理しよう。
 俺はセントラル病院で『ヴィランの個性によって夢を見続けて眠っている』そういう眠り姫状態の焦凍の夢にアクセスした。
 その結果、氷に閉ざされた部屋にいたはずなのに、太陽の熱に暑さすら感じる見知らぬ場所で意識が醒めた。
 目的である焦凍とは会えたけど、さっきの口ぶりと態度からするに、俺のことを知らない……のだと思う。
 何せここ、夢だし。この陽射しの暑さを考えるなら、季節は夏、って感じだけど。
 夏、か。
 俺はその頃まだサポート科の人間だったし、焦凍には出会ってない。
 さっきの焦凍の口ぶりからしても、ここがそういう時間軸の設定の夢である、という仮説が成り立つ。……かもしれない。何せ夢なわけだから、はっきり言って『なんでもアリ』なのだ。焦凍が望めばたぶんどんなことも再現される。

(焦凍の肩を掴んで「目を覚ませ」っていうのは簡単だ。でも、そういう問題じゃないんだろうな)

 焦凍にはこの夢に望むものがあって、俺が入り込んだ今も、それは続いている。そう思った方がいいんだろう。焦凍が望むものを理解しない限り、夢は醒めない……。おそらくはそういうことだ。
 現実では緑谷の捜索が続いてるっていうのに、忙しいな、俺。でも頑張れ。
 ぱち、と目を開けて、夏っぽい陽射しの中のろっと動き出す。
 日本の夏みたいなむしっとした暑さはないにしても、暑いのは苦手だなぁ。
 何はともあれ、まずはこの場所の把握。現状の確認。情報のすり合わせからだ。