ヒーローの仮免を取得した面子でインターンに行っている四人、1Aの緑谷、切島、麗日、蛙吹に何かデカいことがあったらしい。 というのは学校や寮で何かを考える四人の顔を見ていれば察することができたけど、インターンは仕事、守秘義務だってある。だから四人の様子がどこか思いつめたものであることに気付いてはいたけど、何に直面しているのか、ということは深く訊ねることはできないままだった。 それが具体的になんだったのかを知ったのは、市穢八斎會の事件がニュースで報道され、すべてが終わったあと。 クラスメイトに心配され声をかけられる四人を遠目に眺めていると、轟が隣に立った。「行かねぇのか」「轟こそ」「俺は…まぁ、他の奴らが言ってくれてるしな」俺も同意見だ。あれだけド派手になった事件で、犠牲者もいる。四人はいろんな意味で疲れてるはずだし、かけたい言葉はクラスメイトが言ってくれた。怪我はあるけど、四人の五体満足な姿も見られたし、俺はこれで満足かな。 欠伸を一つこぼし、部屋に戻るかな、と踵を返すと、轟がポケットから携帯を引っぱり出した。画面には『親父』という表示と電話マーク。着信か。親父さん…エンデヴァーから。 轟が思い切り舌打ちした。煩わしそうに画面を睨みつけながら外に出て行く姿が珍しい。ああいう不機嫌そうな顔もするんだな。 ああいや、違うか。たぶん、体育祭までの轟は何に対してもあんな感じだったんだ。それが体育祭…緑谷との戦いを経て変わって、俺にはなんかべったりで天然&ホットを暴発させてるだけで。 (親父さんと仲悪いんだなぁ) エンデヴァーとオールマイトの確執についてならぼんやりと知ってる。そんな人が親なわけだから轟も大変なんだろう。と、想像するだけで、実際に話を聞いたことがあるわけじゃないんだけどさ。 でも、せっかく、生きてるんだし。もう二度と会えない、話ができない俺とは違うんだから。話ができるのにしないっていうのはもったいないよな、と思う。 バチャ。 水音が聞こえた気がして足元に視線を落とすと、赤い水溜まりが見えた。そこに浮かぶバラバラになった手足、肉塊。首から切断された両親のこれ以上ない歪んだ顔。裂けそうな口。こぼれそうな眼球。耳をつんざく悲鳴。 ふとしたときに記憶の底から俺の足を絡め取る赤い色を見つめる。 ……あの咽るような血の臭い。忘れるはずがない。 両親の手足と首を落とした、人の血の脂でテカテカした斧の鈍い光がドンと左腕に振り下ろされた気がして体がビクつく。 そんなわけがあるか、とぐっと強く左の二の腕を握り締め、目を閉じ、赤い景色を追い払う。 もうどうすることもできない過去のことだ。忘れていいわけはないが、囚われてはいけない。 四人の無事も確認して満足したしと部屋に戻って、轟に買ってもらったストレッチの本を見ながら自分にできることをやっていると、ノックもなしに扉が開いた。相手は電話が終わったんだろう轟で、せんべいの袋片手に立っている。「お前さ…」せめてノックしてくれよ。俺が着替え中とかシコり中とかだったらどうしてくれるんだ。 とくに硬いと感じる股関節周りを中心にストレッチに勤しむ俺を眺めつつせんべいの袋を破る轟はいたってマイペースで、さっき携帯相手に不機嫌顔をしていたときの様子は欠片もない。「鍵閉めろよ」「お前はノックしろよ。っていうか、鍵閉めたらどう入ってくるつもりなんだ」お前がよく来るから開けてるんだぞ、という意味を込めてみると、首を捻った轟がしれっとポケットから出したのは何かの鍵である。何かの………ん? 「何それ」 「合鍵」 「は?」 「もらっといた」 「もら…えっ」 慌てて机の引き出し、奥の方に入れてある缶の箱を引っぱり出して中をあさってみる。 ない。ここに入れておいた合鍵が……。いつの間に。 っていうか、何勝手に人の机あさってあまつ合鍵ちょうだいしてんの。お前以外に盗られたんじゃなくてよかったけどさ、ちょっと怖いよ。 轟は盗った鍵を返す気はないらしくポケットにしまってしまった。「鍵くらいかけろよ。不用心だろ」「その不用心につけ込むのはどうかと思う…」バリボリとせんべいをかじるマイペースな轟に軽く呆れる俺である。 轟が持ってきたうまそうなせんべいはわさび味でそば粉を使っているらしく、辛うまでどこか上品だ。 そんなせんべいを一枚もらってかじりつつストレッチを続け、テレビのチャンネルを適当に回す。ニュースかドラマか。どっちでもいいかぁ。 適当なドラマにして、うま辛なせんべいをもう一枚もらう。 いいもの食べてるよなぁ轟って。うまいなこれ。さすが、実家がお金持ちなだけある。 ストレッチを終えて明日の予習のために教科書を広げると、それまでせんべいをかじりながらじっと俺を眺めてた轟が隣に座った。 轟の観察癖? と言ったらいいのか、妙に凝視してくることには最近色々諦めて慣れてしまった。「俺もやる」肩がくっつくくらい寄ってくる轟との距離が色々と近いことにも、最近諦め始めている。 (別に、減るもんでもないし。勉強教えてもらえるのは助かるし。そのお礼とでも思えば……) とくに苦手な英語と数学に時間と思考を割いていると、隣から視線を感じた。 最初こそ無視して教科書を睨んでたけど、じぃ、と注がれる視線が。言いたいことあるなら言えよ。 俺より頭の良い轟は俺の半分の時間で予習を終わらせる。俺が何度も読み返してる教科書の内容ももう頭に入ってるんだろう。だからって俺を観察する必要は微塵もないわけだけど……テレビつけてるんだから見ればいいのに。 そのテレビから、ベッドが軋むような音が聞こえてきた。 視線だけ投げると適当に流しておいたドラマではラブシーンが展開されていた。深夜じゃないからガッツリってわけじゃないけど、濃厚なキスの描写だ。このあとヤることヤるんだろうって感じ。 「あー、替えよ」 どうにも気が散る内容にリモコンを掴むと、右手に轟の手がかぶさる。俺よりでかい。「いいだろ別に」「や、集中デキマセン」「これ以上はないのに?」「なくても」ピ、とボタンを押してニュースにする。今日のヒーローの活躍を取り上げてる。うん、これでよし。 その後もじっとこっちを見てくる轟の視線に耐え、せんべいをかじりながらなんとか予習を終えた頃にはいい時間になっていた。 轟は明日仮免の補講のはずだ。もう寝ないと響く。補講、けっこー厳しいみたいだし。 「轟、明日も忙しいだろ。もう寝ないと」 「ここで寝たい」 「ぶっ」 思わずかじったせんべいを吹き出した俺は、三秒ルールでラグに落ちたせんべいを掴んで口に突っ込んだ。もったいない精神である。じゃなくて。 教科書を片付けながらぎこちなく視線をやると、轟はいたって当たり前の顔で俺のベッドに入っている。許可してないのに行動が早い。「いやちょっと待て、狭すぎるから。自分とこで寝ろって」「嫌だ」「なんでだよ。っていうか歯磨きしなさい」「お」これには素直に反応する。 しかし、それで首尾よく轟を締め出したところで、アイツは俺の部屋の合鍵を持っている。鍵を閉めたところで無駄なのである。 (ええーなんなの……なんで俺のベッドで寝たがるんだ…) 歯磨きを終えた轟は自室から枕だけ持参し、当たり前の顔でベッドに入っている。 新手のイジメかこれは。俺の寝る場所…。 納得いかないながらも歯磨きを終えて部屋に戻ると電気まで落ちていた。本格的に寝る気だぞコイツ。どうしよ。座布団引いた上にブランケットで寝るしかないのかな…。 とりあえず枕をちょうだいしようとベッドに寄ると、右腕を掴まれて引き倒された。さすがヒーローの卵、力つっよ。 「寝るだろ」 「そりゃ寝たいけど、お前がいたら狭くって」 「でも寝れる」 「あのなぁ」 ベッドに引っぱり上げられ、布団も被せられる。…右腕、掴まれたままで、逃げられない……。 観念して枕に頭を預ける。 狭い。男子が二人シングルのベッドで眠るとか、無理があるにもほどがある。轟はタッパもあるし、鍛えてるから体格だっていい。つまり何が言いたいかって、すごく、ベッドが狭い……。 暗闇に目が慣れてくると、寝ると言ってたくせに寝てない轟がじっとこっちを見ているのがわかってしまった。しかも至近距離。ちっか。睫毛数えられそう。 「…あのさ。こういうの、女子相手にした方がいいよ」 「は? なんで女子が出てくるんだ」 「なんでって……」 轟は俺相手にキスしたり顔が近かったり距離が近かったりするけど、健全な男子であればそういうことは女子相手にするものであって、同学年の男子相手にするべきではない。と思う。一般的には。 俺の話が気に障ったのか、火傷の痕があっても端整な顔が顰められている。「俺はお前とこうしたいんだ」俺を愛でたい、って? 愛玩動物みたいに? 実際テレビ買ってもらったり新しい服買ってもらったりしてまさしく愛でてもらってるけどさ。俺はそれに甘えている立場、なんだけどさ。でもなんだかな……。 男子高校生、思春期真っただ中。 青春において間違いなんてものは一つや二つ、誰にだってあるものだ。 俺が金のために援交していたことだってそうだし、今こうして轟が求めるままキスしているのだってそう。誰にだってある間違い。いずれ顔を覆ってわーわー喚いてなかったことにしたくなる、そうやって消したくなる過去になる。なるのに、なぁ。 触れるだけで終わらないキスは、決まって轟が舌を捻じ込んできて始まる。 残念ながら俺はおっさんともしたことがあるし、お兄さんともお姉さんともしたことがある。轟みたいに純粋じゃない。もう色々と汚れてる。そうしないと満足に生きてこれなかったから。 轟から仕掛けてくるけど、俺がやり返すとだいたい受け身になって逃げ腰になる舌から唾液を吸い取る。歯磨き粉っぽい味がする。 右腕を掴んでいた手が緩んだ。 逃がすものかと轟の上に被さって、右手を顔の横について上から唾液を流してやる。「ふ、」なんとか飲み下そうと苦しそうな息をこぼす顔を、もう片手があれば、撫でてやれるのに。 少しは反省すればいいと、逃げたがる轟の上であの手この手でキスを仕掛けていると、股の辺りになんか硬いもんを感じた。気がした。気がしたけどそれは努めて無視。 ついばんで、下唇を噛んで弄び、放置されて疼いたように覗く舌を吸う。 本番なしで場を盛り上げられるようにと色々と憶えた。キスはそのうちの一つであり、雰囲気を作るための基本だ。 これまで他人を突っぱねて生きてきたんだろう、経験がなさそうな轟の舌は逃げ腰だし鈍いし緩い。 潤んだ色の違う両目を見てようやく顔を離す気になった。ちゅ、とわざとらしいリップ音を最後にごろんと轟の横に転がる。布団あっつい。 「寝るよ。オヤスミ」 とは言ったものの、布団を被った体は未だに熱く、轟にいたっては勃起してたし、果たしてこれで何事もなく眠れるのか? という悶々とした時間を長く過ごして、気を失うように寝た翌日。ベッドが軋む音で目が覚めた。朝なのだ。仮免の補講があるから轟は早くから準備しないとならない。 ぼやっとした意識で寝起きもイケメンだなぁと紅白頭の顔を見ているとパチっと目が合った。あ、ちょっと寝ぐせがある。「はよ」「んー。いってらっしゃい」俺は二度寝したいので布団から出ずひらひらと右手だけ振る。 寄ってきた轟が俺の長い前髪をかき上げると額にキスをした。「いってきます」パタン、と部屋を出て行った轟に、キスされた額に右手を置く。「いや…」付き合ってるのかよって会話をしてしまった。なんだよ、行ってらっしゃいに行ってきますにキスって。恋人か。 週末、轟と爆豪が仮免の補講に通う間、俺は休日返上で相澤先生の指導のもとヒーロー科の基礎座学の講義と個性伸ばしの特訓を受け続けた。 おかげで、轟と出会った頃は紙飛行機を飛ばすので精一杯だった個性が、寮の全体像を把握したり、体育館を隅から隅まで観察するのは朝飯前になり、今は徐々にその範囲を広げていくのを頑張っている。 偵察や潜入。建物や地形の把握はヒーローにも必要だ。そういう裏方作業が俺の個性とマッチしていて、今は長所をとにかく伸ばしまくっている感じ。 駆け足で受け続けてきたヒーロー講義が一区切りつき『ヒーロー名を考えておけよ』と言われたその日、部屋で悩みまくっていると、いつものように轟がやってきた。補講から帰ってシャワーも終わったんだろう。 「何してんだ」 「んー……ヒーロー名が全然浮かばなくてさぁ」 机に置いた宿題であるプリントをシャーペンでコツコツと叩く。 適当にテレビつけたり本を見たりネットで検索したり、過去にいたヒーローの名前にも目を通したけど、これだ、ってものがなくて、プリントはまだ白紙のままだ。 俺はもとサポート科だ。ヒーローになるつもりはなかった。つまり、これまでの人生でヒーロー名を考える必要もなかったわけだ。 無理矢理でもいいからといくつか候補を作ってみたけど、軽い気持ちで決めた学生時のヒーロー名が大人になっても呼ばれ続けると思うと……。ここは本気で考えないとならない。だけどどれだけ考えてもいい名前が思いつかない。 考えすぎて疲れた頭を机につけて、胡坐をかいて座った轟に視線を投げる。「轟のヒーロー名ってなんだっけ」「ショート」「あれ、名前じゃん?」「ああ」「名前でいいの」「……まぁ。こういう自分も、いい加減受け入れないとなって。そういう意味でも名前にしたんだ」「ふーん…」考えるのが面倒で、ってわけじゃなく、考えた末に。かぁ。 俺はどうしよう。どうするのが最適だろう。「憶えやすくて、人と被らなくて、俺を体現している名前……」思いつかん。いっそ隻腕とかにするか。憶えやすさはピカイチ。でもただ隻腕だけだと芸がないし………どうしよう…。 悩みすぎてパンクしてきた頭で唸っていると、轟が首を捻った。お風呂上りでさらっとしてる髪が揺れる。 「の個性は神経だから…英語でナーヴとか」 「ほう」 パチン、と指を鳴らす。短いし憶えやすいし個性由来のヒーロー名だ。被らない気がする。それでいこうかな。 プリントに『ナーヴ』と書き込んで、一応意味も小さく書いておく。これならダメ出しはされないだろう。よし、一番手強い宿題が終わった。 ペンを転がして「ありがとーおかげで終わった」プリントをファイルに挟んだ俺に轟が黙る。何かを考えるような間。「それでいいのか」「うん。簡単、憶えやすい、被らない」「じゃあキスしてくれ」鞄にファイルを突っ込む手が固まる。「いつも俺からだ。お前からしてほしい」ぎこちない動きで振り返れば、せんべいの袋を放り出してこっちににじり寄ってくる轟がいるではないか。 キスがご褒美だとでも言いたいのか。ずっと悩んでたヒーロー名が決まったことには感謝だけどさ……。 俺がこれでもかってほどにキスしてやった夜以降、轟からのスキンシップは今まで以上に激しくなった。今もまさにそうで、四つん這いでにじり寄ってきた轟に肩を掴まれる。「キス」「あー、はい。ハイハイ」力で敵うはずのない俺はもう色々諦めているので、轟が望むままにご褒美をあげるしかないのである…。 ヒーロー科1Aでクラスきってのイケメンが俺にキスをねだるとか、世も末である。 ちゅ、とリップ音をつけて触れるだけのキスをして、絆創膏やら擦り傷やらの目立つ顔を撫でる。それだけ補講が大変ということなんだろう、轟の綺麗な顔には毎週生傷が絶えない。 「補講大変だなぁ。傷だらけ」 俺の手のひらに顔をこすりつけてくる轟が犬みたいだ。「労わってくれ」「はいはい」肘までない左腕で緩く俺より広い背中を抱いて、右手で轟の紅白頭をぽんぽんと叩く。 俺の週末もヒーロー科の座学と個性特訓で埋まるとはいえ、轟も大変だ。 俺はヒーロー仮免受けられて来年、一年生とになるだろうし、そのとき一発で受かればいいけどなぁ。できれば大変そうな補講はしたくないな。 轟の気がすむようにあやしていると、コンコン、と部屋の扉がノックされた。「おーいいるか〜」砂藤の声だ。なんか用事だろうか。 立ち上がった俺についてくる轟が本当に犬のようでなんだかな。 ドアを開けると砂藤がシフォンケーキを二皿持っていた。俺の後ろにいる轟を見るとやっぱりかという感じで吐息し「今日焼いたんだわ。みんなにも配ったからさ、二人も食べろよ。こんな時間だけど」「おー、さんきゅー!」糖分を力に変えるという個性持ちの砂藤は甘いものを作るのが得意なのだ。おかげでこうしておこぼれに預かれる。 その場でケーキをつまんで食い始めた俺に砂藤は呆れ顔だったが、「おいし〜ありがと〜」程よい甘さ、程よいしっとり加減に心からの言葉を贈ると照れくさそうに頭を掻きながら「用事はそんだけだ。じゃーな」と隣の部屋に戻って行った。 轟も食べれば、と紙皿を後ろにやると、なんかすげぇ顔をしていた。イケメンが台無しだ。 あれ、轟って甘いもの嫌いだっけ? いちごミルクとか飲んでなかったっけ。 「料理、できる奴がいいのか…?」 渋い顔で砂藤の手作りシフォンケーキの紙皿を受け取る轟に首を捻る。別にそういう意味で喜んでたわけではないけど。「まぁ、できる方がいいだろうな。自炊すれば食費は浮かせるし」ケーキの最後の一欠けらを口に突っ込む俺に轟の眉間にまた皺が寄る。 何考えてんのか知らないけど、どうせまたとんちんかんなことなんだろう。 轟って天然だからな。天然でイケメンってもう凶器じゃんって思うけど、最近その凶器度に拍車がかかってるのはホントどうかと思う。自重しろ。 |