事の顛末を短く語るなら、この事態を引き起こしたヴィランの親玉は緑谷とオールマイトが倒した。俺やクラスメイトは二人のサポートに回って、戦いはなんとかなった。
 戦いは、なんとかなった。が。

「……………」

 人がやめろって言ってもきかねぇで、最後まで個性使い続けて、ヴィランの親玉が倒れると同時にもぶっ倒れた。
 入院してこれで二日目。ようやく熱は下がったが、まだ意識が戻らない。
 白いベッドに埋もれたままピクリともしない姿と、ピ、ピ、と響く規則的な電子音を聞いている時間だけが長く、長くて、今日は妙な既視感を憶えている。
 響く電子音。
 心臓の鼓動は正常なのに、意識が戻らず眠り続ける姿。
 何か。思い出せそうで。喉のとこまできてるのにつっかえて出てこない。「……はぁ」諦めて息を吐いてパイプ椅子に腰かけ、組んだ手に額を押しつける。
 オールマイトが俺らの働きに感謝して、なんか奢ってくれるって話だったが。結局行けなかったな。プロじゃない俺らの活躍は世間に公表できないから、そのことも兼ねた労い的なもんだったんだろうけど。
 ……俺はなんでここにいるんだろう。俺がいたところで目を覚ますわけじゃないのに。帰国まで先送りにして。

(ただ、一番に、顔が見てぇって……声を。聞きたいって)

 薄い紫の髪にふちどられた寝顔をぼんやりと見つめて、気が付いたら身を乗り出してキスしていた。
 まただ。
 これで何回目だ。なんで俺はにこうするんだ。
 好きなのか? つい最近会ったばかりの奴が? 少しの時間一緒に行動しただけの奴が?
 自分のことがわからない。
 俺は一体何を望んでて、何がしたいんだ。
 とくにすることがあるわけでもないから、飽くことなく寝顔を見つめていると、瞼が震えた。がた、と椅子を蹴飛ばして「」と呼ぶ。

「……?」

 ぼやっとした顔が、その目が、ようやく俺のことを見た。「しょうと………」「平気か」「ああ。うん。おれ、ぶったおれた…かな?」「そうだ。無茶しやがって」心配したんだぞ、と文句の一つでも言ってやろうと思った。おかげで俺は病院に二日も缶詰めだった。退屈だった。……心配した。
 ぽろ、とこぼれた雫が自分のものだと気付いて指で払う。
 頬が濡れてる。俺、泣いてんのか。なんで。
 ぽろぽろ涙をこぼす俺にが困ったように眉尻を下げて笑む。「おいで」ほら、と広げられた腕の片方がなくて、そのことにぎゅっと心臓が掴まれたみたいに苦しくなる。
 の左腕は二の腕の中間辺りから失われている。それを個性で繋いで、機械の腕を自分の腕としてた。
 まだ目を覚ましたばかりで本調子じゃないの腕に抱かれ、子供みたいにぽろぽろ泣きながら、ぽん、ぽん、と背中をあやす手のひらを感じる。

「俺と、想い出、作りたかったのかな」
「………?」
「ほら。夏の頃はさ。お前と、出会ってなかったろ。これも、俺は、いなかったんだよ。本当は」
「…なんのことだ。何言ってる」

 背中をあやす手のひらは変わらない。優しい。
 は優しい、ということを、俺は知ってる。そんなに長いこと過ごした相手じゃないのに。なんで。「ね、焦凍。緑谷を捜さないと」……緑谷は。みんなと先に日本に戻った。ここに残ってるのは俺だけ。さっきから、の言っていることがわからない。

「俺はさ、この夏は最低だったよ。一番最低だった。エンコーして、しけた金もらって、それでどうにかやりくりして。ほんと、サイテーだった」

 怒った? 別れる? と俺を窺う目を。知っている。俺のことゆるして、と滲んだ声を、憶えている。
 ベッドの中の時間を。疼く腹の奥を。腰を掴んで離さない手を。知ってる。焦凍、と呼ぶ掠れた声を知っている。
 あの日もそうだ。今まで黙っていた、でも大事なコトを告げられた日も、セックスした。何回だってシてきた。俺たちは、そういう、関係。
 じんわりとした痛みを伝えてくる頭に手を添える。
 ……許してやりたいと思った。どうしようもない理由で自分を売ることを選んだお前を、片腕がなくて苦労してきたお前を、許して、赦して、俺が支えてやりたいと。思った。
 だけど、寂しくて。
 頭では理解してて、感情も割り切ったつもりでいたけど。淋しくて。
 じわじわと記憶が浮かんでくる頭が痛んだ。
 九月の明け方、自主練してたらお前の義手を吹っ飛ばしたあの出会いを、憶えている。
 ああ、憶えてる。
 夏のとき。この事件のとき。俺とお前は出会ってない。
 俺は、夏のお前を、知らない。
 たまらなく寂しくなった。夏の思い出がほしいと思った。一緒にアイス食ったり、祭りに行ったり、花火見たり、したかった。
 そんな小さな欲が寄せ集まって、塊になって、夢になったんだ。

「ね、最低な俺のことでも、好きでいてくれる?」

 耳を食む声にぼやっとした視界を上げる。頭が痛い。涙が止まらない。「そんなことで嫌いになれるなら、苦労しない」言葉を吐き出してキスすると、おどけたように肩を竦められた。
 病院の景色が透けるように薄くなって消えていく。
 頭の痛みはピークに達していたが、だからもう一度全部忘れて夢を見よう、なんて気は起きなかった。
 夏。お前ともっと早く出会っていたら、きっとこんなふうだったよな、なんて夢は、もう見ない。
 俺にはやるべきことがある。緑谷のこと。荼毘のこと。崩壊したヒーロー社会も放っておけないし、オール・フォー・ワンのことだってそうだ。俺にはやることがたくさんある。
 そういう全部が終わって落ち着いた頃には、夏も近いだろう。
 俺は現実でお前と夏を迎える。

「目覚める時間だよ。眠り王子サマ」
「……焦凍がいい」
「焦凍。おはよう」

 おはよう、と返して、痛みで白んできた視界を閉ざす。
 次に目を開けたとき、俺は凍った病室にいた。頭にはなんかカチューシャみたいなものがついてて、それがと繋がっている。
 のそりと起き上がった俺に、病室の入り口で鬱陶しいくらい歩き回っていた親父が飛び込んできた。「焦凍!!」…目覚め一番に聞くにはうるさい声だ。
 チッと舌打ちしたくなるのを堪えながら寝台から下り、隣の揺り椅子で寝ている毛皮のコートの肩を揺さぶる。「」「う……」ぱち、と目を開けたが俺のことを見上げて笑う。「おはよ」「ああ。おはよう」ちゅ、とキスしたらが目を見開いて、寄ってこようとしていた親父が氷で足元が狂ったらしくずっこけていた。ざまぁみろ。

「馬鹿なの…?」
「ちげぇ。より頭良い」
「そういうバカじゃないんだよ焦凍。この、ばっか」

 もこもこした毛皮のコートで口を隠してしまったにむっと眉根を寄せる。キス……。
 なんだよ。勝手に俺たちの関係バラしたくせに、俺がするのはダメってか。フェアじゃねぇ。そういうのはずりぃだろ。
 がし、との右手を掴んで、まだスッ転んだところから起き上がってない親父に向けて突き出す。

「俺たち、結婚するから」

 俺が宣言した瞬間親父の顔は面白いことになり、は左の義手を顔に押し当てて表情を隠し、病室の入り口ではホークスが口笛を吹いた。「でも焦凍くん、日本じゃまだ同性同士は結婚できないんだよ」「海外に行きます。そこでする」「焦凍……ちょっと、落ち着いて。エンデヴァーが呆然自失…」知らねぇよ。いくらでもショック受けてろ。
 雄英を卒業したら考えていること……『轟の家に養子に入れる』とか『お母さんたちに紹介する』とか、思いつく限りのことをつらつらと並べていくと、は恥ずかしそうに視線を俯けてホークスや親父の目から逃げた。最終的には「勘弁して」とぼやいて頭からコートを被って椅子の上で体育座りだ。ずりぃ。
 よろけながらようやく起き上がった親父が俺とを見比べる。「本気か焦凍」「ああ。どうしても結婚って形が必要なら、性転換の個性持ちでも探して女になる」別に、お前に認められなくてもこっちは構わないが、そうしてもいいと思うくらいには本気だ。
 ぶっと吹き出したが慌てたように俺の手を掴んで「俺はそのままのお前のことが好き、だよ」後半はボリュームが下がって視線も伏せられてたけど、親父の前でもちゃんと言ってくれて嬉しい。俺も、性転換の個性持ちとか探すの面倒だから、できれば男のままがいい。
 なんか、今日は借りてきた猫みたいだな、かわいいな、と思いながらキスしたら、は諦めたらしい。されるがまま俺に抱き締められて大人しい。

「起こしてくれて嬉しかった」
「ん」
「妙な個性かかって、悪かった」
「ん」
「好きだ」

 一拍置いたあとに「俺も好き」とこぼす声に満足して目を閉じる。
 夢は終わった。
 いつまでだってこうしてたいが、いい加減、緑谷捜索線に戻らないとな。