結論から言います。
 この大事な時期に、俺、は風邪を引きました。
 どうしてかって? たぶん、昨日緑谷確保のためにまぁまぁ長い時間雨に打たれたから。だと思う。
 ヒーロー科の人間として、編入組の俺はみんなよりスタートが遅かった。言い訳じゃないけど、その分、体ができてない。もともとモヤシでヒヨコだったせいも手伝って、ちょっと雨に打たれたくらいでガタがきたんだと思う。我ながら情けない。
 最近は色々、まぁまぁ、頑張れてると思ってたんだけどな。でも自主練的なのをちょっとサボってた自覚もあるし……半年程度じゃ体の作りまでは変わらないか。

「う」

 顔を伝う汗が気持ち悪くて、枕元にあるタオルを押し当てる。首とか体とかも、べたべたする。気持ちわる。
 鼻風邪でも喉風邪でもなかったことだけが幸いか。焦凍にうつす心配はあまりしなくてすむから。
 なんとか起き上がって水を飲んでると、バターン、と思い切りドアが開いた。「もらってきたぞ、一番強いやつ」全力で走ってきたらしい焦凍が息を切らせて持ってきたのは風邪薬である。寮には一般的な市販薬しかなかったから、わざわざ保健室まで熱風邪用の薬を調達してきてもらった。そっちの方がよく効くから。
 一回三錠の大きめの錠剤を水で飲み下し、眉尻下げて俺の顔の汗をタオルで拭う焦凍を眺める。そういう顔しててもイケメンだなぁ。
 あ、これ、俺今頭回ってない。自分でわかる。焦凍のイケメンに感心するとか今更だ。

「特訓、するんだっけ」
「ああ。時間がもったいねぇからって。緑谷、朝からカツ丼食ってたし、やる気満々だ」
「そ、か」
「……汗ひでぇ。着替えろ」
「んん」

 脱がされるままに着替えながら、回らない頭で、今後のことを考えてみる。
 緑谷は連れ戻せた。それで何かが前進したのかと言われれば、オール・フォー・ワンと対決しなきゃならないアイツの心と体の状態を整えられた……と思う。
 オール・フォー・ワンが死柄木の体を完全にものにする前に手を打たないとならない。そのタイムリミットは変わらない………。

(俺に、できる、こと。は)

 ゆるりゆるりとした思考を回してみても、現状の確認くらいしかできなかった。ああ、風邪の馬鹿。 頭痛い。
 小さな冷蔵庫から新しい冷えピタを取ってきて貼ってくれた焦凍が、冷えピタの上から右手で俺のことを冷やす。つめて。気持ちいい。
 なんかこの状態既視感が、って思ってる間にちゅってキスされた。「……あのなぁ」至近距離でじっとこっちを見つめている色の違う双眸に半ば呆れる俺である。喉風邪とか鼻風邪ではないとはいえ、体液介してうつるかもしれないだろ。
 反省の色がない焦凍が唇を食んでくる。こら。「なんか食った方がいい。何も食べてねぇだろ」「食欲ない」「お粥」「いらない…」「くたくたのうどんは」「いらなぃ……」焦凍のキスから逃げるために布団を被り、キス拒否ついでに寝返りを打って背中を向けてやる。「お前は、特訓、行ってきなさい。俺は、寝てるから」薬も飲んだし、そのうち眠くなるはずだ。寝たら少しはよくなってる。
 だがしかし、今日の焦凍は頑固だった。背中の向こうでムッと眉間に皺を寄せる気配。「じゃあ勝手に作ってくる」それで、バターン、とドアを閉めて行ってしまった。…いらないって言ってるのに……。
 誰か、すすって食べれるエネルギーのゼリーを持ってたら、一個わけてもらおうかな。そんなことを考えながらうつらうつら寝こけていたら、バターン、と勢いよく開くドアの音で目が覚めた。

。できた」
「……、」

 ああ。いらないって言ったのに、飯作りに行ったんだっけ。
 一体何作ったんだ。っていうか焦凍、料理、できたっけ?
 なんとなく嫌な予感を覚えつつも怠い動作で起き上がって、お盆に載ったものを見て目が点になった。
 こう。色は蕎麦なんだけど。煮すぎてくっちゃくちゃになった、蕎麦だったモノ。が器に入ってる。
 焦凍にも煮すぎたって自覚はあるのか、箸で蕎麦だったモノを取ろうとしてもろっと崩れて失敗すると肩を落としていた。「わりぃ。うまくいかなかった」……いや。うん。予想はしてたよ。
 汁を吸い過ぎてくちゃくちゃになってる蕎麦を箸で食べる自信はなかったから、這わせた左腕にスプーンを取ってこさせる。

「食べさせて」
「…おいしくねぇぞ。こんな蕎麦」
「何か食べた方がいいんだろ」

 あ、と口を開けた俺に、蕎麦だったものをすくった焦凍が迷った末にスプーンを突っ込んでくる。
 噛む必要がないくらいやわらかくなってる蕎麦(煮すぎてめんつゆの味しかしない)を食べて、見るからにしょんぼりしてる焦凍に何か言おうか……と考えたけど、何言っても納得しなさそうだし、やめた。
 ただ、黙って口を開けてくちゃくちゃの蕎麦を催促。それに応えて焦凍が蕎麦をすくってはスプーンで食べさせる、という時間が続く。
 汁吸って膨らんだ分、器を空にした頃には俺の腹もいっぱいになっていた。
 歯磨きした方がいいのに、もう眠くてしょうがない。
 ギブしてベッドに転がった俺を焦凍が覗き込んでくる。「寝るか」「うん……」もう目を開けてるのも起きてるのもしんどい。「おやすみ。元気になれよ」ちゅ、と唇に降ってくる熱に閉口して、最後に瞼を押し上げると、空になった食器を持って部屋を出ていく焦凍の背中が見えた。
 パチン、と部屋の電気が消えて、視界が暗く落ちる。
 堕ちる。
 赤い闇の中に。
 水の音を立てて、おちる。

「懲りない子」

 足元に転がる人の頭が喋っている。二人分。「そんな個性で何ができる」「また人を殺すのか。お前のせいで?」「私たちは」「お前のせいで」「死んだのに」人の頭が二つ、俺の左右の足にゴンゴンとぶつかってくる。
 その頭に手を伸ばして、右手と義手の左手を当てる。
 ………十年かかったけど。いいかげん、さよならするときだ。
 これから大事な戦いがあるんだ。たぶん俺の人生で一番大事になる戦いで、大事な人と一緒に、未来のために、命を賭けて、戦わないとならない。日本のため、世界のためはそのついで。俺はしょせんそういう器の人間でしかない。
 そう。器が知れてる。だから。

(それで、たとえ、個性が俺のことを蝕もうとも)

 増強剤を打って以降、深化を続ける個性に、いずれ呑まれるとしても。どこまで続くのかわからない覚醒が恐ろしくても。もう逃げないよ。
 だから、さようなら。俺を引き留めていた過去の人。
 左右の手から垂れた個性が二人の頭に行き渡り、染み渡り、血肉として分解されて、赤い色の中に沈んでいく。
 ……空が。青いな、とか。花が咲いててきれいだな、とか。
 思い切り笑うと案外と幼い顔するんだよな、とか。抱き締めるといつも左右で微妙に体温が違うんだよな、とか。そういうことをこれからも感じていたいから。
 たったそれだけのことのために、俺は、戦うよ。

(………そんな簡単な理由で、前に進めるものなんだな。十年、縛られてきたものから)

 暗闇の中で目を覚まして、右手を握ってる体温に視線をずらせば、ぼんやりとした視界に紅白色の頭が認識された。
 ベッドに寄り掛かるようにして焦凍が寝ている。体温もわかる。ってことは現実。か。
 俺を起こさないようにって思って部屋の電気もつけなかったんだろう。真っ暗。
 薬を飲んで寝たおかげか、頭は多少スッキリしていた。この分ならちゃんと食べて寝れば明日には治ってそうだ。よかった。
 っていうか今何時だ、とそろりと動かした右手で携帯を点灯させるとまだ夕方だった。……特訓行けって言ったのに。結局俺のそばにいたのか。馬鹿だなぁ焦凍。俺のこと好きすぎ。
 ほんと、馬鹿だなぁ。
 お互い馬鹿みたいに好きだなんて。ほんと、どうしようもないな、俺たち。