十月。朝晩は夏の気配が薄れてきたその日もの日課であるジョギングに付き合い、汗が気になったらシャワーを浴びるし、そうでなければ飯を食ったら着替えて学校に行く。
 カーディガンではなく制服のブレザーを羽織るようになったは、今日は難しい顔でサポート科……もといたクラスでも変わり者で通っているという発目って女子生徒を訪ねていた。
 なんでも、休日返上で励んでいたヒーロー科の基礎座学の講義が終わるらしく、もこれからはヒーロー科としての実技訓練が始まる。そうなれば自分の腕のメンテナンスはまだしも、新しい機能の開発その他に時間を割くことは難しくなる。故に、ヒーロー科の面子が頼ってるように、ヒーロースーツのことを含めてサポート科にお願いする必要がある……らしい。
 発目って女子と話が盛り上がっている姿を見るともなく眺め、一見すればガラクタのようなものが積み上がっているだけに見えるその部屋に視線を彷徨わせる。
 ……俺はこういうのはよくわからない。興味もなかったし。
 ヒーロースーツもサポートアイテムも必要だから頼んでるだけで、それ以上の思考を割いたことはない。

「まずはイメージですね。ヒーロースーツはヒーローをするときの制服! 自分が着ていて違和感があるものではいけません。あなたの個性がスーツの性能に直結するものでなくても、『これくらいなら着てもいいかな〜』って妥協点をまとめてきてください」
「ヒーロー活動するときの制服、か……。三日でまとめるよ」

 俺を置いてけぼりにした話はようやくまとまったらしい。「お待たせ轟」機械の左手を上げて部屋を出てきたに並び、潰れた昼休みをとくに気にするでもなく教室へ戻る。
 がサポート科からヒーロー科に編入してこれで一ヶ月くらいにはなる。
 いよいよ始まるヒーロー科の実技授業に気負いはないだろうかとの横顔から表情を窺う。「大丈夫そうか。色々」「おかげさまで」へらっと笑った顔を眺めて、ちゃんと笑ってるな、と思う。サポート科にいた頃は上っ面だけの笑顔で目が笑ってなかった。今は、ちゃんと笑ってる。
 そんな昼休みを終えたあとの午後の授業は、ヒーロー科の実技訓練ではなく、ある意味ではもっと大事な『イベント』についての話から始まった。
 そのイベントとは、どの高校でもたいていはある行事。文化祭だ。
 俺としては、ヴィランのことがあるし、文化祭なんて浮かれたもの……と思うが、ヒーロー科で有名な雄英には『普通科』『経営科』がいた『サポート科』と他の科も存在する。全寮制を始めとして『ヒーロー科中心の流れ』に不満を抱いている生徒もいることを考えるなら、文化祭という、一般の生徒が楽しみにしているだろう行事を自粛とすることはできない、というのが先生の言い分だった。

もさ、やっぱ、そういうのあった? 不満っていうかさ」

 つい最近までサポート科だったに芦戸がそう声をかけると、は苦笑いを浮かべた。「まぁ……。正直、全寮制はケッコーね。私生活に制限もかかるし。響いてる生徒は多いと思う」「そっかぁ」ならやっぱ自粛にはできないか。
 文化祭をしなきゃならない。その事実に対して抱く感想は一つ。面倒だな、ということ。中学の文化祭では劇の主役とかやらされた気がする……。
 決まりとして、文化祭では1クラス1つ出し物をしなきゃならない。今日はそれをどうするのかを決める時間となるらしい。
 ヒーロー科の授業ほどではないとはいえ、学校行事としては大事なことだ。
 俺はこういうのよくわかんねぇが、一人一つ意見を言う流れだったので、実現は難しいと思うが「手打ち蕎麦」それくらいしか思いつかなかったから一応言っておいた。
 視線だけ投げてをチェックすると、積極的に話し合いに参加する気はないのか、「メイド喫茶にしようぜ!」「お餅屋さん!」「腕相撲大会!」「びっくりハウス!」次々上がる案に机に頬杖をついて欠伸をこぼしていた。「くんはどうだい、何かあるかな?」飯田に話を振られて初めて気がついたって顔で「え? えー、あー」答えを探すように教室の天井に視線を投げて困った笑みで「えっと、じゃあ、ドリンク提供のカフェとか? メニュー飲み物に限定すれば作る方も楽だし…喉は渇くものだろうし……」「おお、なるほど」黒板にドリンクカフェの文字が追加される。
 1Aの出し物をどうするかで意見をまとめる委員長の飯田、八百万へとその後も様々な案が挙がるが、結局午後の時間内でまとまらずに授業時間が終了した。
 明日の朝までに決まらなかった場合公開座学になるという本気か冗談かわからない相澤先生の脅しを受けて寮に戻り、一階の共有スペースで、クラスメイトの話し合いは続いた。
 はその輪には入らず、隅でインスタントのコーヒーをすすっている。
 その横に立って同じようにインスタントコーヒーを用意して沸かした湯を注ぎながら、「参加しねぇのか。話し合い」と言うと、は僅かに首を傾げた。
 テレビを前にしたスペースではインターンの補修組と爆豪を除いたみんなが集まって話し合っている。
 はそのスペースを見てなぜか苦笑いを浮かべ、ふーっとカップに息を吹きかける。

「俺は片腕だし、個性も派手じゃないから、サポートや裏方しかできない。そんな奴が意見言ってもね」
「……お前、そういうとこ、ダメだぞ」
「ん?」

 何が、と首を捻ったはいたって普通の、当たり前の顔をしているが、俺はお前のそういうとこは嫌いだ。
 お前はこれまでそういうふうにしないとならない環境だったんだろうが、もうそうじゃないんだ。俺が変われたように、お前も変われる。変わってほしい。もっと胸張って生きて欲しい。そうじゃないと俺までなんだか哀しくなってくる。
 ずず、とすすったインスタントコーヒーが苦かったから冷蔵庫から牛乳を足す。

(飯田たちが話し合っている『ほかの科のストレス発散の一助となる企画』で、食以外)

 普段からランチラッシュの食事の味を知っている雄英生を食で満足させるのは難しい。手軽ではあるが、カフェとか、が言ってたようなドリンク提供の店も『ほかの科のストレス発散の一助となる企画』という目的を考えると一致しているとは言い難い。
 ほかにあった案といえば体験系の企画だが。それでいけそうなもの……。
 カップを傾けコーヒーをすするを見ていたら、いつかにテレビを前に泣いていた姿を思い出した。
 映画と。それから、ライヴ。あれなら観客参加型、が感動で泣いてたように、見る人間の心を動かすというストレス発散の仕方が可能だ。

「ライヴとかどうだ」
「お。おー」

 がなるほどと感心した顔で俺を見上げた。そういう目はちょっとこそばゆくてなんとなく顔を背けてしまう。
 お前が見てたもんと、仮免補講からの連想だが、これなら体験型だし、みんなで盛り上がれる。問題はライヴ、つまり音楽ができる奴が1Aにいるのか、って話にはなるんだが。
 一応、次郎は音楽が趣味で、楽器も一通り扱えるらしい。
 言い出しといてなんだが、俺は楽器はできない。も楽器は無理みたいで肩を竦めている。
 とりあえず、ライヴにしたらどうかという俺の案の受けはよく、その夜のうちに飯田が先生に届け出たから、公開座学という最悪な出し物だけは避けることができそうだ。

「ライヴか〜。参考の映像ならいくらでもあるなぁ」
「見て勉強しとくか。演出とか、裏方もあるだろ」
「なるほど。意見を提供できるだけでも、力になろっか」

 へらっと笑った顔に唇が緩くなる。
 お前のそういう笑った顔、好きだ。
 次の日、授業後にクラスメイトで集まって夜遅くまで話し合った結果、ライヴでの全員の役割が決まり、俺とはライヴ映像を参考に演出を担当することになった。そのことにがかなり驚いていた。

「え、轟ボーカルしないの?」
「歌ったことねぇ」
「イケメン力発揮で観客大盛り上がりだと思うけどなぁ」

 ぷに、と頬をつつかれたからつつき返してやる。「お前こそ、歌えねぇのか」個人的に聞いてみたいという願望を込めて言ってみたら「カラオケなんて行ったこと、は、あるけどさ。まぁあんまりしたくない…」言いながらなぜか表情が曇るに首を捻る。なんかまずいことを訊いたろうか。よくない思い出がある、とかか。
 カラオケの話題についてはそれ以上触れず、趣味で好きなバンドのライヴを何度も見てきたというの意見を中心にして演出の案をまとめていく。
 その週の土曜の午後は、仮免補講がなしになった分、空いた時間を演出の詳細を固めるのに使った。

「他の隊と組む案は早めにね。打診して合わせるのが難しくなるから、なんでもいいから思いついたら言って」
「うっス!」

 俺が買い与えたタブレットを叩くが難しい顔で顎に手を当てる。「とりあえず、これは面白いし、芦戸に話しとく。ミラーボールの青山を動かす……パワータイプの緑谷の引き抜きかなぁ」難しい顔でブツブツ言ってはいるが、負担にはなっていなさそうだ。
 体育館を借りられる日は曲を流しながら演出を練習したり、全体を通しでやって流れを確認したり。
 そうやって迎えた本番当日は、体育館は満員御礼。買い出しに行ってギリギリ戻ってきた緑谷を加え、ライヴは無事開幕。
 演出である俺たちに表立った出番はないが、はそのことに安心もしてるらしい。目を閉じて深呼吸をする顔に緊張はあるが、気負いは感じられない。
 俺が作った氷の舞台を生き物のように動かすというの個性フル活用の負担に耐え抜いてみせ、結果、ライヴが終わる頃には発熱して赤い顔になっていて、「ぉ、おわ、た」へろへろと崩れ落ちるを冷やした右手で支える。

「すげぇ頑張ったな」
「つ、疲れた……もうダメ…」
「あとは任せろ」

 適当な大きさの氷を作ってを寝かせて冷やしつつ、左の炎でライヴで作った氷を溶かす後片付けの作業を再開する。
 俺は峰田の言うミスコンとやらに興味はなかったから、ほぼ片付けの終わった体育館の最後の確認作業を引き受けた。
 はまだ動けないし、裏方で楽した分これくらいはやる。
 を気にする飯田の背を押して「いいから行ってこいよ。は俺がみてる。峰田の暴走は止めろよ委員長」「む…。すまないな轟くん。あとを頼んだよ」文化祭という祭り時でも委員長らしい飯田は俊足で会場の方に向かった。
 体育館を一通り見て回り、落ちてる細かいゴミを拾ったりしながら一周。扉を施錠して鍵を先生に渡し、氷の上でピクリともしないの額に手に右手を当てて冷やす。「文化祭、どうする。行くか」お前がいないなら俺はどっちでもいい。お前が行くなら行くし。
 のそり、と動いたが外していた左腕を掴んだ。「せっかくだし、歩くくらいは…」まだ顔が赤いしフラついてるものの、意識ははっきりしてるらしい。
 機械の腕をバンドで固定して個性で感覚を繋いだがフラッと立ち上がるのを右の腕で支え、左の炎で氷の寝台を溶かして始末しておく。

「みんなと行けばよかったのに…」

 ぼそっとぼやく声に首を捻る。「お前と行きてぇ」「ソウデスカ」「……本当だぞ」顔を寄せると熱で赤い顔が思い切り逸らされた。「ここ外」「誰もいねぇ」ライヴという出し物が終わってからしばらくたった体育館の周辺にはもう人気はなかったが、「誰が見てるかわかんないだろ」自分の口を手のひらで塞いでまでガードしてみせるにむっと眉間に皺が寄る。
 俺はお前とこういうことがしたいけど、お前はそうじゃないっていうのは、わかってはいるつもりだった。
 それでもこうして思いきり拒否されるとちくりと痛む胸があるのだから、心っていうのは本当、厄介だ。

「……じゃあ我慢する」

 顔は離してやるが、腕は離してやらない。熱があってフラフラしてる奴を支えるのは別におかしなことじゃない。
 熱があるせいか知らないが、は文化祭らしい出し物より、飲み物が欲しいとか、アイスが食べたいとか、行く先々で冷たいもんを欲しがった。
 ふわりと漂った甘い香りに足を止めると出店の一つを指して「轟ぃクレープ」「アイス入りの?」「ん」腹が減ったのか甘そうなクレープ屋を指すをベンチに座らせ、望み通りアイスの入ったクレープを注文。熱でショボつくのか、目をこすっているにクレープを持っていく。「ほら」「ありがとー」へらっと笑った顔もやっぱり目がショボついてる。
 そのあとも回ったのは歩いて行ける距離にあるもの。
 は歩いて目で楽しむだけで文化祭を満喫しているようで、お化け屋敷にも入らないし、ミスコンの結果発表の放送にも興味がなさそうだった。
 まだ若干顔の赤いの額には購買で買った冷えピタを貼り付け、フラフラしてるのを支えながら、夕方前には寮に戻った。年に一度のイベントではあるが、熱のある奴をいつまでも出歩かせるわけにもいかない。
 ぬるくなっている冷えピタを剥がして小さな額に新しいのを貼り付け、左腕の個性を解除したから慎重に、壊さないよう細心の注意を払いながら機械の腕を外す。
 俺にはどう扱えばいいのかわからない腕は机の上にそうっと置いて、ベッドに転がってぼんやりしたままののもとへ戻って右の手を冷えピタの上に乗せて冷やす。
 今なら二人なんだからと、いつもより熱い唇に自分の唇を押し付けると、クレープの甘い味がした。
 普段のなら、諦めたように目を閉じるか、元気なら右手で突っぱねるかするが、今のは熱っぽい。目を閉じることも突っぱねることもせず、色の薄い瞳でじっとこっちを見ている。
 ぺろ、と唇を舐めた熱の感触。

「轟はさぁ」
「ん」
「プロヒーローになって、雄英での高校生活を思い出すとき、そこに俺がいることになるわけだけど」
「そうだな」
「後悔するよ。黒歴史になるよ。頭覆って、叫びたくなるよ。俺とそういうことしてる自覚ある?」
「……まだんなこと言うんだな。お前は」

 冷えピタに乗せた右手がパキと音を立てた。冷えピタが少し凍ってしまった。力を入れすぎた。
 ……こんなに一緒にいて、キスでもなんでもアピールしてるつもりなのに。お前にとっての俺は『一時の気の迷い』でこういうことをしていて、『いつかは離れる』ものとして、防衛線を張って、それでも満足できないから言葉でも俺を遠ざけようとする。お前の言う『いつか黒歴史になる過去』をなるべく短い時間にしようとして。
 それは俺のことを思っての気遣いでもあり、そして、臆病なの心の表れでもある。
 ……人を信じることができないままののことをよくは知らない。
 左腕がなくて、両親もいなくて、施設で育って、そのせいでイジメられ続ける人生を送ってきて、だから、他人のことを信じない。警戒する。予防線を張る。防衛線を張る。
 ヒーロー科にきて俺には少し心を許してくれるようになった気がしていたが、それだって短くない付き合いでようやく綻んだってだけで、こうだ。
 まだ頭の中でぼんやり考えていただけのことでも、伝える必要がある。
 ……このままの関係をズルズルと続けてもお互いにとってよくない。決定的な言葉を、言う必要がある。
 まだ早い。責任が取れない。大人になってからの方がいい。わかってはいるが、の不安を拭うためにも、心臓に悪いこの関係を進展させるためにも、ここではっきりと伝えておくべきだ。
 お前が大切だってこと。それがどうしてかなんて理由はどうでもいいくらい、俺の中心にお前がいるってことを伝えたい。

「………まだ、先の話にはなるけど。高校を卒業して、プロヒーローになって、そうしたら、お前を轟にしたい」
「は?」
「養子縁組、っていうのか。手続きする」
「はぁ?」
「必要なら親父の手だって借りてみせる」

 熱のことなんて忘れたみたいに跳ね起きたが驚きに目を丸くしている。「誓約書でもなんでも、いるなら書くぞ」「はぁ? はぁ……ええ…」熱のせいか、それとももっと別のもののせいか。が片手で赤い顔を覆う。
 あの夏の朝、お前の左腕を吹っ飛ばすっていう最悪な出会い方は、それでも奇跡だったのだと、今は思う。

「嫌か」

 これを訊ねるのはさすがに口内が渇いた。嫌だとはっきり言われても諦めないつもりでいるが、傷つかないわけじゃないから。
 は覆った顔を明後日の方に向けて、しまいには俺に背中を向けた。拒絶。「何年後の話だよ…」では、なさそうだ。弱い声は嫌だとは言っていない。
 ほ、と胸を撫で下ろすのと同時に、背を向けたのは顔を隠すだけじゃいられないくらいに照れたからなんだろうと解釈。俺より小さい背中に緩く腕を回して抱き寄せつつ「まずは雄英卒業しないとな。遠いな」「ホントだよ。遠い。それまでに絶対飽きるし、カノジョとかできる」「飽きねぇし作らねぇ。お前がいいんだから」黒髪の間に覗く首筋が赤い気がして唇を寄せて吸うと身をよじって抵抗された。いいだろ、減るもんじゃねぇし。
 部屋の空気が甘くなりかけたところでコンコンと響くノックの音。
 名残惜しいが、人前ではこういうことはするなと言われている手前、体を離し、の代わりに出てやると、外にいたのは緑谷だった。「くん、大丈夫?」「おお。わりと元気」「そっか、よかった。これから下で打ち上げパーティーだけど、これそう?」「連れてく」「うん、待ってるね」慌ただしく廊下を駆けていく姿を見送ってベッドまで戻ると、まだ若干赤い顔をしているが文化祭のオレンジのTシャツを着直したところだった。「せっかくだからこれでいく」熱で汗かいてたけど、本人が我慢するって言うならいいか。
 まだ若干フラついてるに手を差し出す。「ん」「…ん」そろそろと伸びた手が俺の手を握った。その照れくさそうに伏せられた顔が嬉しくて頬が緩む。
 この先もお前が隣にいてくれたら。俺はそれだけで笑って生きていける気がする。