「なぁ焦凍ォ、帰ろうぜ。お前がいないとお父さんうるさいんだよ」
「頑張れよ。俺がウザかったんだろ、燈矢兄」
「お、バレてる」
「目ざわりな俺がいないんだ。好きに親父にアピールすればいい」

 これで何度目かもわからないやり取りをしながら書類に一筆入れ、に手渡せば、宛名を確認、紙片をきれいにたたんで同じ名前のある封筒に入れて封をしていく。
 ロウソクの火でワックスを溶かして垂らし、轟家の家紋が入ったシーリングスタンプを押しつければ、じゅ、という小気味の良い音を聞く。
 最初は手順を確認しながらたどたどしくやってたし、憶えたての頃は文字の読み間違いもしょっちゅう。スタンプだって失敗してたが、今じゃスムーズになった。
 次の書類を斜め読みしながら、くだらないことを言いに来たなら帰れ、と兄に向けてしっしと手を振る。俺は親父の嫌がらせで降ってくる仕事を処理するので忙しいんだ。
 口をへの字にした上の兄は俺とに交互に視線をやり続けている。

「あのさぁ」
「ん」
「ソイツ、拾ったってガキ?」
「ああ」

 ガキだと言うが、環境のせいで発育がなってないだけで、歳は俺と同じくらいだ。よく食わせてるから、最近ようやく肋骨の骨の浮き具合いが気にならなくなってきた。
 俺以外とは話すなと言ってあるから、は兄に向ってぺこりと軽く頭を下げただけで、俺が渡した書類をさっきと同じようにたたんで封筒に入れて封をしていく。
 兄が嘲笑気味に口元を歪ませて「何ィ焦凍、お前、ソウイウ趣味でもあんの?」と嗤ったから、無表情にその顔を見つめて「だったら悪いか」静かに返して手を止める。
 ソウイウ趣味がどういう趣味のことを言ってんのかはわかんねぇけど。俺は、俺の運命をこの世界で自力で捜し出して、掴んだだけだ。あの時みたいに手を取っただけ。それを嗤われるのは、兄だろうと、許せない。
 右手に霜がおりて体の左側が熱で揺らぐと、兄はすぐに意地の悪い顔を引っ込めた。「悪かったよ。個人の趣味にまで口出しはしねぇ。本題があんだよ」なんだよ、それを早く言え。
 じゅ、とスタンプを押しつけたが隣で小首を傾げた。俺が聞いてもいい話なのか、って顔だが、今更だ。
 兄は真面目な顔になると少し声を潜めてこう切り出した。

「最近、マモノの数が増えてる。対応するのにウチの衛兵が常に出払ってるような状態だ。おかげで街では兵士の目がないってんで、盗賊が元気いっぱいだよ」
「……マモノか…」
「ああ。聞けば、どこも同じ感じらしい。あまりにマモノが元気なもんで、『魔王が復活したんじゃないか』なんて根拠のない噂まで流れてる」

 右手についた霜を左の熱で溶かし、視線を投げれば、窓の外には平和だと感じる田舎町の風景がある。
 ここは大陸でも端の方の、海産物で食っていってるだけの、本当の田舎町だ。
 マモノについては今のところ被害の報告なんかは聞いてないが、対岸の火事、とは、言っていられないだろう。
 俺が物心ついた頃、この世界にも生まれついていたヒーロー、オールマイトが……いや。この世界風にいえば『勇者』オールマイトが、『魔王』……俺から言うオールフォーワンと戦い、完全に倒すとはいかなかったが、弱らせることに成功。これを封印した。
 結果、奴の配下であるマモノはナリを潜めて大人しくなり、世界は平和になった。それが約十年前のことだ。
 ………俺たちが雄英生であった頃。最後の決戦で、ヒーローは負けた。緑谷も、俺も、も、負けた。オールフォーワンに勝てなかった。
 そして、世界は奴に支配された。
 世界の科学レベルは奴が牛耳りやすいよう衰退し、歴史は闇に葬られた。
 俺の知っている『個性』は『魔法』と呼ばれ方を変え、ほそぼそと人々の間に点在するだけ。
 そんな世界ともなれば、数多くの個性、魔法を使い、マモノと呼ばれる異形の個性持ちや脳無を従えるオールフォーワンという存在は、恐怖と畏れの象徴であり、絶対だったろう。
 この世界でもオールマイトが奴を弱らせた。
 なら、次はまた俺たちの番だ。必ず巡って来る。俺が生まれて、が生まれて、出会って、キスして、抱き合った。世界はそういうふうにできている。
「……こっちでもマモノについては気にかけておく」
「おう。で、戻って来いってのはそういう意味もあるわけだよ。正直手が足りない。お前がいりゃだいぶ楽になるんだよ。氷炎の剣士サマ」
「そうだな。のことを親父が認めるなら帰ってもいい」
「そりゃまた難題だな……」

 隣で新しいワックスの用意をしていたの手が止まり、困ったように眉尻が下がる。
 この世界でも親父は親父だ。いい意味でも、悪い意味でも。
 ただ、多少は前世、前の人生のことを反省しているのか、ここでは燈矢兄は離反してないし、お母さんも入院するようなことにはなってない。
 兄は肩を竦めて席を立った。「じゃ、帰るわ。土産はねーの?」「入り口のメイドからもらってくれ。お母さんには絶対渡せよ」「へーへー。じゃあなぁ焦凍」片手を上げて部屋を出ていく兄を横目に新しい書類を取り上げる。

「マモノ」
「ん」

 小さな声に目を向けると、が難しい顔をしていた。「マモノって、異形の、あれ?」「そうだな」「そっか。外は危険なんだ」「…ああ」その原因がオールフォーワンの封印が解けたからなのかどうかをこれから調べないとならない。親父も馬鹿じゃあないから情報を集めてはいるだろうが。
 護衛を連れて馬で町を出ていく兄をそれとなく眺め、書類を置く。
 ……そういえば、部屋の中のことや世界のこと、轟家のことや仕事のこと、文字読み書き。屋敷の中でできることばかり教えていたな。

「行ってみるか。外」
「え」
「周囲の把握、しておくに越したことないだろ」

 町から出ていく馬を興味深そうに見ていたがぱっとこっちを振り返って明るい表情を見せる。
 外行きのベストを身に着け、ブーツを履き、腰には剣を下げて屋敷を出る。「一時間ほどで戻る。風呂の用意をしておいてくれ」メイドに言付け、の手を引いて舗装されてない砂利道を歩く。
 漁業で干物や発酵品を市場を回すことで成り立ってる小さな町は、今日も磯臭い。いつも通りだ。俺が手配した町の若手の自警団も普段どおり。「轟様!」手を振る男に手を上げて返し、町の隅まで観察する。やっぱり変わったところはない。
 適当な住人に話を聞いてもみたが、それらしい情報もない。
 途中、が気が付いた顔で立ち止まった。その視線の先には薄汚れた細い路地がある。

「俺、ちゃんとココを歩いたの、初めてだ」

 ……あの路地はが転がっていた場所だ。生ごみとか色んなものにまみれて、自身がゴミみたいな、そんな無価値なものみたいにあの場所に転がっていた。
 一目見たときはそのことがとてもショックで、現実をうまく受け入れられなかった。
 あの頃と違って、左腕はあったけど。長く苦しい生活をずっと強いられてきて、体中骨と皮だらけ。お前に名前を呼ばれるまで、お前がだって確信が持てなかった。
 ………一歩間違えれば死んでいた。そうわかって寒気が止まらなかった。
 今も、夜になる度に、這い寄る暗闇がを覆うんじゃないかって、怖くて、ランタンの火を絶やせずにいる。

「もうあんなところには行かせない。誓う」

 握っている右手にキスすると、周囲を気にするように色素の薄い瞳が惑う。「え、と、誓われても……」逃げようとする右手をぐっと握り込んで「もう離さねぇ」と続けると、惑っていた瞳が諦めたように閉じられる。
 ここにいるは、俺の知っていると少し違う。風に揺れる白い髪は栄養失調が祟った結果のもので、全身の色素が薄いのも、あの頃よりも折れそうなくらい細いのも、少し似てて、全部違う。
 そりゃあそうだ。雄英生だった頃のは、死んだ。俺はそれを見てる。
 鼻から、口から、目から、耳から、全身から血を流して、使える神経全部使って、全部引きちぎられて。腕も足も動かなくなって、最後には頭と心臓と、絶対触っちゃいけない場所の神経まで使って、あいつは。

「俺は、お前のもの、なんだろ。誓わなくたっていいじゃん」
「大事にしたいんだ」
「あ、そう…」

 照れたように視線を伏せたがもう行こ、と手を引く。周囲の目を気にしてるらしい。
 好意的ではない目から遠ざかるべく、海へ行く。
 浅瀬で作業する男たちを眺めながら海岸を歩くと、海風が吹いて、潮の香りがした。「魚、買って帰るか。食いたくなってきた」「うん。焼くやつがいい」「ん」漁業に勤しむ男たちを眺めながら砂浜を歩き、砂利道を歩いて町に戻り、適当な店で二人分の魚を購入。麻袋に入れた魚を自分で作った氷で冷やしながらまた町を歩く。
 特別な異常はないまま、木製の扉が開け放たれたままの村の囲いの前に立つ。「夜はここが閉まる」「木かぁ……なんか、壊れそう」海風に晒されてるから、マモノが来たら一発で破壊されそうな心許ない防壁だ。ここは、修繕した方がいいな。
 魚もあるしと足早に屋敷に戻り、夕飯に買ってきた魚を追加するようメイドに頼んで、用意してもらった風呂に一緒に入った。「」生きている、と実感したくてキスして舌を出せば、俺とのキスに抵抗がなくなったが自然と口を開けて俺のと自分のを絡ませている。

(まだ、一緒にいるようになって、半年)

 ……あの頃と同じだ。もっとお前と一緒にいたかったのに、叶わないまま、お前は血にまみれて死んでいった。
 じわ、と視界に赤い色が滲んだ気がして、目の前にいるのことを強く抱き締める。「いへ」「、わりぃ」左腕まで強く抱きすぎた。
 力を緩め、困ったような顔をしているの頬に頬をくっつける。「なに、泣きそうな顔してるんだ」「別に。なんでもない」…すぐに見抜いてくる。少し昔を思い出しただけで、大したことじゃない。
 今晩は買ってきた魚というメインが一品多い食事を食べて、とても満足そうな顔をして腹を押さえていると書類仕事を再開。夜も更けた頃に仕事を切り上げ、ランタンの灯りをつけたまま同じベッドに入る。

「火事になったら大変だし、消そう」
「いやだ」
「……夜、こわいの?」
「ああ。こわい」

 窓の外から忍び寄る暗闇が。宵の色が。白いお前を食い尽くして黒く染め上げ、いなかったことにする。それが怖い。
 暗闇の中で、俺の知らないうちに、お前が赤い色にまみれて息を止めることが怖い。
 は火を消すことは諦めたらしく、俺のことを緩く抱き寄せると「じゃあいいよ、このままで。眠ろう」ぽん、ぽん、と頭を叩く手と、背中をさする手。あの頃と違って両手があるのことを強く抱き返し、目を閉じる。

(ここでは、絶対に)

 俺が、お前を、守る。もうあの個性は使わせない。
 なんでもできて便利だと思ってたお前の個性が、お前自身を削っていただなんて、気付けなかった。俺は馬鹿だ。思い当たることはいくらでもあったのに、お前が平気だって笑うから、それで納得してしまってた。俺を安心させるための笑顔だなんて気付きもせずに。

(今度は、俺が、お前を。守って。それから。お前の子供を産む……)

 人類という種の人口が減った故の進化か。この世界では、条件さえ揃えば男も妊娠ができる。らしい。
 よく知らねぇから今度調べておこうと、そんなことを考えてるうちに、俺は眠っていた。