雄英から約三十キロ。市街を見下ろす、小高い丘に位置する場所に、短い間お世話になる新たな住処、仮設要塞トロイアは佇んでいた。
 かなり無茶苦茶な工期だったろうに、校長のプランニング。パワーローダーの掘削と整地能力。セメントスの建造と運搬能力。エクトプラズムの分身と巨大分身による人出が無茶な工期を可能にした。
 ガチガチな装甲になったハイツアライアンスを見上げて、少しだけ個性を使って調べてみる。うん。中もほんと、寮とそっくり。

「立派〜」
「ハイツアライアンスリスペクトだね」
「新設で親切」
「終の棲家にならねーといいけど」
「やめィ」

 クラスメイトの声を聞きながらボストンバッグを担ぎ直し、割り当てられた部屋に入ってみる。
 最低限の家具、机とベッドとクローゼットがあるだけの殺風景な部屋だ。長居する場所じゃないんだからこれでいいんだけど。
 クローゼットに少ない服をしまい、机の上に腕のパーツや工具を並べて整理していると、ノックなしに焦凍が入ってきた。どこでもマイペースだなぁまったく。


「んー」

 わかりやすいように順番に並べながら、持ってきたスピーカーを置いて、携帯から適当な音楽を流す。「」ぎゅっと背中側から抱き締められて、バッグの中をあさっていた手を止める。「なに。荷解きさせてよ。もうちょっとだから」パーツ、そのままにしておいて、どこか行ったら困るし。
 ムッと顔を顰めた気配がするなぁ。ちょっとくらい我慢できないのかな、焦凍は。「結婚式、やるからな」「まだ言ってんのそれ……」今朝急に結婚式がどうこうと言い始めた焦凍を仕方なく振り返ると、ムスッと拗ねた顔をしている。末っ子顔。

「タキシードは八百万に頼んだ」
「え」
「ウエディングケーキは砂藤に頼んだ」
「え。うそ」
「みんなノリノリだったぞ。下で準備してくれてる」
「はぁ?」

 手から滑った工具がガチャっと落ちて、焦凍の手がそれを拾い上げる。「青山はいねぇけど、仕方ねぇ。本番のときに呼べばいいだろ」机に工具を置いた焦凍が首を傾げると、俺が前髪切るのに失敗したせいで短くなった髪が揺れた。
 いや。っていうか。え? 何? タキシード頼んでウエディングケーキ頼んで、下でみんなが準備してるって?
 右手を壁に触れさせて個性を伸ばしてみれば、確かに下ではなんかわちゃわちゃやっているし、キッチンでは砂藤がテキパキ動いてて、女子が手伝いをしてるのがわかる。
 ぺた、と左手を顔に押し当てる。義手の冷たさが伝わってくるのに顔が熱い。「いや、何してんの、決戦前に……」みんな決戦に向けての心の準備とか、色々したかったろ。
 焦凍に左手を取られて引っぺがされ、赤いんだろう顔を見られて、なんか満足そうに微笑まれた。
 口元を少し緩めて微笑う、そういう顔をされると。俺は弱い。このイケメン。

「いいじゃねぇか。暗いことばっか続いてた。明るい話題が欲しいんだよ、みんな」
「……だからって、結婚式は、ないだろ…」
「嫌なのか」
「嫌とかじゃなくて。照れくさいじゃん」

 右手で顔を隠そうとしたらそっちも握り込まれて、壁に背中を押しつけられる。「」それでキスされると、もう顔の逃げ場がなかった。
 スピーカーから有名なゲームの曲が流れてくる。このタイミングで恋愛ソング。
 じっとこっちを見つめてくる色の違う双眸から逃げたかったけど、ヒーロー科エースのパワーに敵うはずがない。「」「…なに」「かわいいな」「かわいくない」それはどっちかと言えばお前だろ。結婚式がしたいとか、女子みたいなこと言ってさ。
 ちゅ、とリップ音を立ててキスされる。何度も。俺の真似だ。すっかり覚えてる。
 なら勝負だ、と舌を入れるキスを仕掛けて、途端にビクついた焦凍の目が熱で緩む。

「あー、そのー、お二人さん。せめてドアは閉めてね……」

 部屋の外からの声に二人揃って視線を投げると、とても居づらそうに通りがかったんだろう瀬呂が立っていた。「ごめん」どん、と肩で焦凍のことを押せば、不服そうにだけど解放された。
 そんなわけで。
 本当にわりとノリノリで俺たちの結婚式なるものを準備してくれたみんなは、わざわざ色々と再現までしてくれた。『新郎新婦…ではないな! 新郎二人の入場です!』ノってる司会進行役、飯田よ。どこから調達したのかマイクとスピーカーを使った声だ、これ。
 ここまできちゃったらもうしょうがないので、エレベーターの中で待っていたところポチッと開のボタンを押せば、扉が開いて、結婚式場風に飾り付けられた華やかな共有スペースの空間が現れて、ちょっと感激してしまった。
 今の日本じゃ色んな資材が不足してるし、花だって、こんな飾り付けるほどどこから調達してきたのか。
 われんばかりの拍手と背中を押す手のひらに、突っ立っていたところから歩き出す。
 八百万に創造してもらったサイズピッタリの白いタキシードは着慣れない。「よっ、玉の輿!」「くんも轟くんも、カッコイイよー! 似合ってる!」ヒューヒュー口笛もうるさくて、紙吹雪が舞って、みんなが普段着じゃなかったら、並んでる椅子が備品のソファじゃなかったら、本当に結婚式してるみたいに錯覚する。

『本来なら開演の挨拶や新郎の紹介をしたいところなんだが、ご家族もいないしな。端折れるところは端折っていこう!』
「お」
『というわけで、まずは誓いのキスからだろう!』

 わぁ。さっそくか。
 めっちゃハズカシイやつじゃんそれ。心の準備をさせてほしい。
 しかし、ノリノリの司会進行役の飯田は俺の訴える目には気付かず、律義に紙を取り出すと、『おほん』と咳払い。

『轟焦凍くん』
「はい」
『あなたはくんを夫…この場合夫で合っているか? 夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?』
「はい。誓います」

 焦凍は真顔だ。いたって真面目。『くん』「、はい」ぎこちなく顔を向ければ、ライトで飯田の眼鏡が光ってる。『あなたは轟焦凍くんを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、ともに助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?』「…はい。誓い、ます」ちょっと言葉に詰まった。恥ずかしくて。こんなの練習してないっつうの。

『では、誓いのキスを』

 ですよね。しますよね。そうだよね。
 焦凍に肩を掴まれて、白いタキシード姿のイケメンを真正面から見ることになる。
 事故で短い髪になっちゃったけど。こうしててもやっぱりイケメンだな。「キース! キース!」野郎同士のキスなんて興味の欠片もないだろうけど、峰田と上鳴の囃し立てる声が聞こえる……。
 もうどうにでもなれ、と目を閉じれば、少しして唇にやわらかい温度が触れた。よく知っている感触だ。
 ワーギャーと騒ぐ声を聞きながら、髪を撫でる手のひらの感触に薄目を開けると、イケメンが微笑んでいるという心臓に悪い一撃を喰らった。

「似合ってる」
「……お前こそ」

 俺は服に着られてる気しかしないけど。夢でもそうだったけど、なんでも似合うよ、お前は。
 それで、ふっとライトが消えた。
 これもどこから調達したのか、スポットライトの光がキッチンに集約し、ウエディングケーキを持っている砂藤をピックアップする。
 砂藤が短時間で作り上げてくれたのは、ザ・ウエディングケーキという感じの、白くて花っぽい飾りが施してある三段のケーキだった。
 カートに載せられたケーキが俺と焦凍の前まで運ばれてくる。
 思ってたよりデカい。結婚式とか出たことがないし、パーティーもちゃんと出たことがないから、人生初の三段もあるケーキだ。
 焦凍が右手をかざすと、大きなケーキをカットするための細くて長い氷の刃が生成された。「。手」左手に氷のナイフを持ち直した焦凍に右手を載せる形で氷のナイフを握って、すっかり流されているな、と思う。
 個性を使って周囲を把握すれば、誰か一人くらいはこの場を面倒くさそうにしてるだろうなって思ってたのに、ほとんどみんな笑顔だった。あの爆豪でさえ口をへの字にはしてるけどその場にはいる。馬鹿にした顔もしてない。ただ眩しそうに、ライトアップされた俺たちとケーキを見ている。

『さあ、ケーキ入刀を!』

 飯田の声に、砂藤が作ってくれた三段の白いケーキを見つめる。「これ、写真とか…」「みんな撮ってくれてる」「ああ。そっか」そりゃそうか。だって結婚式だ。
 冷えてて切れ味の鋭いナイフはスッとケーキに吸い込まれ、きれいにカットができた。
 イチゴとか、マスカットとか、オレンジとか、ケーキの生地には贅沢にフルーツが仕込まれている。
 カットした一切れを皿に置いたショートがフォークを持ってサクッと一口大に切って「ん」差し出されたフォークを見つめて、観念して口を開ける。
 そこかしこで携帯のカメラが回ってて、写真も動画も撮られてる。まるで本当の結婚式みたいに。「うまいか」白いタキシードで微笑むイケメンを前にこくりと一つ頷いて、焦凍にもケーキを食わせてやる。「うまいだろ」「ん。さすが砂藤」笑った焦凍に俺も笑ったところで部屋の電気が戻って、ケーキを食べたい女子がわっと寄って来る。「切って切って〜轟! 私も食べる!」「おう」「私もーおっきいのね!」ケーキを切り分けていく焦凍をぼやっと眺めて、手にしている白い皿の食べかけのケーキを見つめる。
 ずび、と洟をすする音に視線を投げれば、緑谷が泣いていた。「お、おめでどぉ…ふだりどもっ」「ありがと……って、緑谷、これなんちゃってだから。本番じゃないから、そんなに泣かないでも…」Tシャツでぐいぐい顔を擦っている緑谷がなんとか笑うから、そういう顔をされるとうつるんだけどなぁ、と思いながら、俺もなんとか笑う。
 やだなぁ。みんな優しいな。
 こんな切羽詰まった状況で、他人の祝福なんて。それも本当に全力で。

(まだ、ここにいたいな)

 じわ、と浮かんだ思いに蓋をする。
 ………俺の個性は限界だ。焦凍を悲しませないためにも、これ以上酷使するわけにはいかない。
 この戦いが無事に終わったとして、自分の左腕を繋ぐ以外、個性を使っちゃいけない。
 相澤先生にも言われてる。この戦いが終わったら、ヒーロー科にはいられない。
 だから、こういう賑やかなのは、これっきり。これで最後。
 目に焼き付けよう。この幸福を。短くとも幸いだった時間を。



 手伝ってくれ、と氷のナイフを差し出してくる焦凍になんとか笑って返し、左手でナイフを握って、華やかな空気の中でケーキを切り分けるのを手伝う。

(幸せだったよ。俺の人生で、唯一)