俺、の最近の一日の始まりはこうだ。
 朝の陽射しが射し込んで目が覚めたら、眠気に負けずにベッドを抜け出し、まずは夜中もつけっぱなしのランプや灯りを消して回る。次に手早く顔を洗って着替え、焦凍の着替えを用意する。
 一連の流れを時間に余裕を持ってやりたい。
 そう、やりたい。希望系。なぜかって? 焦凍が邪魔してくるから毎日大変なんだ。
 その日もそう。朝一番にやるべきことをやろうとベッドを抜け出そうとして、むんずと手首を掴まれた。「え、」それでそのまま引き倒されて、俺が世話をすべき紅白髪の焦凍にぎゅうっと抱き締められる。

「おはよう
「はよ。じゃなくて、仕事するから。離して」
「いやだ」

 ……朝一番の仕事は、だいたいこうやって邪魔をされる。
 解放された頃には朝ご飯の時間も近くて、慌てて顔を洗って着替えて、焦凍がのんびり顔洗ってる間に着替えを準備。
 毎日がこんなだから、時間に余裕をもって支度できたことなんて数えるほどしかない。
 俺を世話係にして魔王退治の旅に連れて行こうって本気で考えてる焦凍は、着替えを自分でしない。「ん」脱がせろとばかりにワンピースのシャツの腕を広げてみせるから、もたつきながら胸のボタンを外していく。「これくらいは自分で…」「世話役だろ」「もー」だからってなんでもかんでもするわけじゃないぞ。
 えいや、と脱がせれば、轟のお城に戻ってから親父さんと鍛えるようになった焦凍の立派な腹筋や胸筋とおはようすることになる。
 それで、だいたい、そんな格好なのにまた抱き締められる。「むぐ…っ」立派な胸板なのにいい筋肉はやわらかいらしい。埋もれる。

「襲わないのか」

 耳元で囁く甘い声にごくりと唾を飲み込んでしまう自分の理性が情けない。理性のレベルが低い。「これから、ご飯だろ」「そうだな」「じゃあ、だめ」なんとか言い返し、肩を竦めて俺を解放した焦凍にいつものシャツを着せていく。
 朝の誘惑を乗り越え、その時点でちょっと疲れながら朝食のための大部屋に行って、焦凍を席に座らせる。「おはよう焦凍」「おはようお母さん」朝一番の仕事をやっただけなのに疲れた。やっと休憩できる。
 よし俺は下がろう、と一歩足を引いたらガシッと腕を掴まれた。……嫌な予感がする。
 ぎこちなく視線を向ければ、焦凍がとてもムスッとした顔でこっちを見ている。

「どこ行くんだ」
「使用人は、一緒にご飯は食べられないよ」
「俺の恋人だろう。一緒に食え」

 それで、自分のわがままを発揮するときは使われる『恋人』に、俺は困り果てるわけである。
 焦凍のお母さんは緩やかに笑って「そうね、それがいいわ。一人分、お食事追加して」と控えてるメイドにお願いしてしまうし、その隣のお姉さんは焦凍の末っ子顔になんだかにこやかに笑ってる。「ほんと物好きだなー焦凍」「うるせぇ」「まぁ、いいじゃん。一緒に食えば」上のお兄さんを睨みつけた焦凍に苦く笑う下のお兄さん。
 それで、このお城の城主である人はといえば……黙って腕組みして俺を睨みつけている。
 恰幅のいい人で、魔王を倒す旅に出るという焦凍を鍛え上げている、炎の魔法を使える、この辺りの土地の領主様だ。
 一言で言って、怖い。主に顔が。「」「は、はい」思わず姿勢を正した俺と、親父さんを睨みつける焦凍。一触即発。そんな空気が流れて背筋がひやりとする。「座りなさい」「は、ぃ」そういえばいつまでも立ったままで、給仕も困った顔をしてる。
 すとん、と焦凍の隣の席に腰かけると、なんか嬉しそうに頬を緩ませたのがわかる。
 一家団欒の朝食に俺が混ざる。そのことにも緊張するし、カトラリーの使う順番とか、食事の作法とか、そういうの大丈夫かな、と朝から胃が痛くなる。
 そんな朝食を乗り越えたら、焦凍は午前中はお兄さんたちと見回りに出る。マモノの対応で出払ってる衛兵に変わって、轟家の人間として仕事をするのだ。
 仕事が仕事だから、俺はさすがに留守番だ。
 部屋で焦凍の着替えを手伝い、領主の息子としての身だしなみをチェック。
 うん。今日もイケメン。何も問題ない。ちょこっと髪が跳ねてるくらいかわいいものだ。

「すぐ帰る。昼も一緒に食おうな」

 それで、玄関口まで見送れば、お兄さんたちを待たせてでもぎゅーっと抱き締めてくるもんだから参った。
 焦凍の背中をばんばん叩く。苦しい。そしてハズカシイ。二人ともこっち見てる。上のお兄さんは意地悪い顔してる。「わかった、わかったから。仕事、頑張って」「ん」トドメとばかりにちゅっと唇にキスされた。俺の視線はもう泳ぎっぱなしで、どこへ向ければよいのやら、だ。
 そんな見送りをしたら、やっと一息吐ける。「はぁ……」キスされた唇をなんとなく手の甲で拭って、焦凍と自分の私室へと取って返す。
 次にやるべきは、シーツや寝間着を新しいものに取り換えること。
 定時までに廊下に出しておかないと洗濯物として回収されない。すぐやらないと。
 階段を上がって部屋に駆け込み、枕のカバーやシーツ、タオルの類を取っ払い、洗濯物をカゴにまとめて廊下に出す。
 ……それにしても。ここに来てからこう、焦凍のアピール、すごくないだろうか。あの田舎町にいた頃はそうでもなかったのに。
 なんでだろうなぁ。かわいいから別にいいんだけど、頻度がちょっと、困るな。人前だと恥ずかしいし。

(いや。かわいい、って。………かわいいんだけどさ)

 世にいうイケメンで、将来有望な魔法の使い手なのに。領主の息子って立場だってあるのに。相手が俺とか。それでいいのかって思っちゃうけど。
 洗濯物やシーツの取り換えをしたあとは、部屋を掃除し、窓を開けて換気。
 体力のない俺はこの辺りで一回休憩して、元気なときは揺り椅子で本を読んだり勉強をするし、疲れてるときは仮眠する。今日は疲れてるから眠って体力を回復させるのを優先。
 うとうとしていると、お昼を知らせる街の鐘の音で目が覚めた。「ぁべ」揺り椅子を蹴って立ち上がり、玄関口まで焦凍を迎えに行く。
 たまに絨毯に足を取られて転ぶから、転ばないよう足元に気をつけながら大股で歩いていけば、焦凍が乗馬用の手袋を外しながら扉をくぐってきたところだった。



 ぱっと明るい顔をする焦凍に俺はどういう顔をすればいいのか。嬉しそうに駆け寄ってくる姿に、いつも困ったような笑顔で「おかえり」と言うことしかできない。
 お前の全力の好意に、俺はどう応えるべきなのか。わからない。
 領主の息子という立場があり、氷炎の剣士と呼ばれる才能があり、イケメンであり、性格も悪くない。
 充分持つもの持ちまくっている轟焦凍という男には、それでもまだ望むものがある。それは、

との子供が欲しいんだ」
「へ」
「今は男でも子供が産める」

 ……俺は確かに焦凍とセックスしてる。そうすることも嫌いじゃない。どっちかといえば好きだ。
 男でも妊娠できるって話はぼんやり聞いたことはある。でもそれは、絵本で読む御伽噺のような、現実味の薄い話。じゃなかったっけ。
 お母さんと話したいことがあるなんて手首を捕まえられて連れて行かれたかと思えば、話す内容がそれなもんだから、俺の視線はあっちへこっちへ逃げまくって定まらない。
 俺の子供を産みたいって真剣な顔して話してる焦凍に、その話をされてる冷さんに、俺はどんな顔をすればいいんだ。

くん」
「、はい」

 冷さんに呼ばれてそろりと顔を向けると、優しく笑んでいた。「まずは、二人とも、座って」ゆるりと示されたソファに腰掛けると、冷さんがメイドを呼んでお茶の用意をさせながら、本棚の方に目を向けた。冷さんの部屋には本がたくさんある。「確かに、そういう本はあります」「あるのか」明るい顔をした焦凍に、冷さんはひやりとした冷たい目を向けた。焦凍の右側の力は冷さんから引き継いでいる、それを感じさせる冷たさ。

「でも、焦凍。あなたは復活したかもしれない魔王を退治しに行くのでしょう」
「うん」
「妊娠してしまったら、旅をするどころではなくなるわ。戦うなんてもってのほか」

 確かに。冷さんの言うとおり。仮に焦凍が妊娠して俺の子供を宿すとして、タイミング、ってものはあるだろう。
 ……この話の相手が炎司さんだった場合、落ち着いて話をすることはできなかったろう。焦凍の突然の物言いにも冷さんが冷静に思考してくれてることが助かる。
 手早くお茶を用意したメイドが紅茶のカップを置いて琥珀色の液体を注いでいく。
 何かに意識を逃がしたくて、熱い紅茶をすすって、用意された芋のチップスをつまむ。「それにね焦凍。子供を作るということは、あなた一人の問題じゃないわ。くんにとっても大事なことよ」パリパリと薄い塩味のついたチップスをかじっていたところからそろっと顔を上げる。二人の視線が俺に集中してる……。
 焦凍が不服そうに眉根を寄せて「、俺との子供、欲しくねぇのか」なんて言うから困ってしまった。「えっと……」冷さんも見ている。ここで誤魔化し笑いで逃げるわけにはいかないだろう。
 自分の正直な気持ちを。伝えよう。

「………俺は、自分の親がわかりません。おまけに、路地裏で這うように生きる生活を長くしてきました。
 だから、『幸せな家族』も、『幸せな家庭』もわからないし、『両親』ってものもわからないし、そんな自分の『子供』っていうのも……正直、よく、わかりません」

 顔も声も知らない親。つい最近まで汚い路地裏に転がって、汚く生きるしかなかった自分。何も持たず、何も与えられない人間。
 それを思うと、どうしても、苦く笑うことしかできない。
 こんな俺の子供が欲しいなんて、焦凍は本当に物好きだと思う。
 俺の人生は焦凍のものだ。だから、子供が欲しいって言うなら、焦凍の好きにすればいい。
 でも、それで生まれた子供の責任まで、俺は、考えられない。未だに自分のことで手いっぱいだから。
 ………あまりに轟家と違う自分が、まだ汚い気がして、白いシャツに黒いベストとズボンを身に着けている体を見下ろす。
 ゴミはついてないし肌だってきれいだ。飢えることもなく、雨風の心配もしなくていいし、追いはぎや理不尽な暴力に怯える必要もない。そういう場所で生きているのに、俺の根っこはまだ汚い路地裏に転がっている。

「わからないんだ。焦凍。ごめん」

 ぽた、と落ちた涙が格好悪いなと袖で拭っていると、横から強く抱き締められた。「俺も、わりぃ。ちゃんとお前の気持ち聞いてなかった。急ぎ過ぎた」泣かないでくれ、と耳を食む声に、甘いなぁ、と思う。
 俺の人生はお前のものなんだろ。お前の好きにしていいのに、こんなふうに、俺の気持ちを大事にして。愛して。

(俺には、過ぎた愛だ)

 お前の愛は大きくて、重たくて、潰れてしまいそうだってときどき思うけど。いつかその愛をちゃんと抱き締めて、持ち上げて、抱えられたらいいなと思ってるのも本当だ。
 そのいつかが。焦凍は早い方がいいんだろうなぁなんて思いながら、あたたかい腕の中で目を閉じて………冷さんの前だったってことを思い出してばっと腕から抜け出す。
 泣いてるところ見られた。情けないところも見られた。焦凍のお母さんに。「あらまぁ」朗らかに笑う冷さんと不満そうに手をぐっぱさせる焦凍を前に、顔が、あっつい。恥ずかしい……。
 別に格好つけたいわけじゃないけど。これは。恥ずかしい。