城に帰還して一ヶ月がたった頃。
 は俺の使用人だけど恋人でもある、ということを周知させるため、今日も困り顔のを夕食に同席させ、隣り合った席で魚のステーキとポテトのチップスを食べる。「うまいな」「うん」芋を揚げて塩が振ってあるだけなのに、ポテチってのはなんでこううまいんだろうな。
 家族が揃う夕飯の席では、今日あったことで話題になりそうな報告も上がる。
 俺はいつも通り、街の治安維持活動と外壁沿いのマモノ退治をしただけだから、特別報告できることはなかった。
 が、隣町まで遠征に行っていた夏兄の『善意で窃盗団を捕らえた若者たち』の話を聞いて、ステーキを切るナイフの手が止まった。

「窃盗団の奴ら、衛兵がマモノ退治に出払う度に好き勝手してたんだ。協力は素直に助かったし、こっちに寄ったら夕食ぐらいご馳走するって話しておいたよ」

 夏兄の報告にチラリと視線を上げる。「ここに来るのか」「ああ。なんでも、魔王退治のために情報収集と仲間集めをしてるって」へぇ。そういうまともな奴もいるんだな。
 ステーキを口に運んで、これはあの田舎町の方がうまかったな、なんて思いつつ、何気なく「名前は?」と訊いて「三人組で、代表の子は、緑谷、って言ってたよ」ごくんと魚を丸のみして咳き込む俺の背をがさすって、差し出されたコップを掴んで水を飲み干す。「焦凍?」「げほ…っ。わりぃ。なんでもない」驚いて飲んじまった。

(俺がいて、オールマイトがいて、もいたんだ。出会ってないってだけで、他のみんなだっている可能性は充分ある)

 緑谷がいるなら、飯田を始めとしたかつてのクラスメイトがなんらかの形で存在している可能性は高い。
 そうであるなら、魔王退治……オールフォーワンにトドメを刺すというのも現実味を帯びてくる。
 世界はやっぱりそういうふうにできているのだ。悪をのさばらせたまま終わらないのだ。
 俺は今度こそ、と幸せになる。
 そういう未来を、世界を、掴む。

「焦凍」

 親父の太い声に視線を投げると、こっちを睨みつけていた。

「魔王退治の旅の件、心変わりはないのか」
「ねぇよ。魔王がいたらみんなが困る。ウチも困る。誰かが退治しなきゃならねぇ。だから」

 背中をさすっているの手を握って「そいつらが来たら話をしてみる。信頼できそうな奴らなら、一緒に旅に出て、魔王を倒す」……緑谷たちなら信頼はできるんだが、こういうことにしておかないと『一度も会ってない連中を信用するなんて』って、周りにとっては不自然だし、話が無駄にこじれるからな。
 燈矢兄は肩を竦めて何も言わず、夏兄も言うことはないとばかりに飯を口に運んでる。姉だけは「でも焦凍、危ないし、お姉ちゃん心配だよ」と言ってくれるが、それにはやんわり笑って返すことを憶えた。「大丈夫だよ姉さん。俺にはがいるから」さえいれば、俺はどこでだって生きていけるし、なんだってできる。
 俺の物言いにだいぶ慣れてきたのか、居心地悪そうにもそりと姿勢を正したは曖昧ながらも笑っている。
 姉さんは何か言いかけて口を開いて……結局その場では何も言わなかった。
 母は親父と顔を見合わせて笑むだけで、俺の意志を否定はしない。
 城に帰ってからこっち、親父の出す嫌がらせのような課題はこなしてきたし、トレーニングにだって付き合ってきた。俺の実力は伝わってるはずだ。文句は言わせねぇ。
 睨みつけていると、親父から視線を外した。「見極めろよ」ガタ、と席を立つと部屋を出ていく。
 兄二人も食事を終えて出て行き……俺は、がゆっくり味わっているデザートのプリンを食い終わるのを待って茶をすすった。「うまいか」「うん」「甘いの好きだな」「だって、贅沢品だ」そうか。そうだな。お前にとってはとくに。
 給仕が食器を下げていく静かな音を聞いていると、母がそっと姉の背を撫でた。

「言いたいことがあるのでしょう。冬美」

 母の声にカップから口を離す。
 見れば、食事は終わってるのに姉は席を立っていなかった。
 母に背を叩かれ、姉は勇気を得たように緊張した面持ちで俺を見やる。

「あのね、焦凍。私は心配しています」
「旅のことなら大丈夫だ。親父のトレーニングだってこなしてるし、仕事もできてるだろ」
「そうじゃないの。あなたが強くて真面目なのはわかってる。…でも、私が心配してるのは、精神面の方」
「……?」

 首を捻った俺に、視線を俯けた姉は言う。「つい最近まで……くんを連れてくるまでの焦凍は、まるで死んでるみたいな目をしてた。いつも心配してたんだよ」唐突に昔の話をされて、隣でプリンの最後の一口を食べていたがチラリと俺を見てくる。
 そういや、には、俺の過去の話はしてなかったっけ。
 お前を探して息をするだけの日々なんて、取り立てて話すようなことでもなかったってのもある。「いつの話をしてんだよ。今はもう違うだろ」プリンを味わうように口をもぐもぐさせているに頬をくっつけるとびくりと驚かれた。「た、べにくい…」小さな声で抗議されて仕方なく顔を離す。
 そうだけど、とこぼす姉の顔は真剣だ。真剣に俺のことを案じている。
 ……物心ついたときから前世の記憶はあった。だから人に世話をかけたということはないし、手を煩わせた憶えもない。
 ただ、いつでもどこでものことを探してた。それこそ血眼で。姉の目にはそんなガキは弟ながらも奇妙に映ったのだろう。

「……姉さん、小さい頃に絵本を読んでくれたろ」
「え。うん」
「絵本の世界では、王子は姫に出逢うし、姫は王子に出逢う。運命だ」
「そう、ね」
「俺も、自分の運命を探してた。小さい頃からずっと。長い時間がかかったけど、最近になってやっと見つけたんだ。それだけだよ」

 俺の運命たる人の白いふわふわした髪を撫でると、複雑そうな顔をされた。戸惑い、畏れ、不安、喜び……。「不満か?」「や、俺はすごく光栄だけど」「じゃあいいだろ」光栄なら光栄で、そういう顔で笑ってほしいんだけどな。お前はまだ俺の気持ちに困ることが多い。
 運命なんだよ
 一度途切れたその糸が、また撚り合わさって一本になって、俺とお前を繋いだ。ただそれだけの簡単な話なんだ。
 家族の前だろうと構わず俺の運命たる人をぎゅうっと抱き締めると、心と体がとても充足していくのがわかる。右の冷たさと左の熱さがちょうどよく交わった温度で満たされていく感じ。
 ずっとこうしていられるなら、こんなに幸せなことはないが。そういう世界にしなくちゃならない。今のまま満足してたらまた足元をすくわれる。
 最初に出逢った頃は酷いぐらいガサガサだった肌が、栄養あるもの食べるようになった今はだいぶマシになった。頬をすり寄せてもかさついてない。いいことだ。「焦凍」「ん」「人前、だから」「ん」そうかよ。仕方ないな。部屋に戻ったら甘えるからな。
 仕方なく離れると、向かい側でぷっと吹き出す気配。顔を向ければ、姉が口元を押さえて笑いを堪えている。「…姉さん」「だ、だって焦凍。も、すごい変わりよう…!」「うるさいな。いいだろ別に」そんなに笑っちまうほど俺は変わったか? とふと思うが、を探すのに全力すぎて、その頃の自分のことなんてよく思い出せなかった。
 ………に会う前の俺を知っているからこそ心配してくれた姉は、きっと家族を代表してるに違いない。
 姉の隣にいる母は微笑ましいものを見るように俺たちのやり取りを聞いている。
 兄二人は何も言わないし(燈矢はからかってはくるけど)、親父もしつこくは言わないが、みんな俺のことをそれなりに心配してるんだろう。
 に再会する前の俺は余裕がなかったから、家族のそういう気持ちすら全部跳ねのけてたかもしれないが。今はもう違う。だから、母も姉も安心できるようにと笑ってみせる。

「大丈夫だよ姉さん。俺はもう大丈夫」

 ぎゅうっと抱き締める俺に、とても控えめに俺の腕を握るだけのは、赤い顔して視線を俯け下へと逃がしている。
 その姿がとても愛おしい。
 この世界のお前は父性が刺激されるっつーか、母性に目覚めるっつーか。このかわいい奴を俺が守らなきゃって思う。

「じゃあ、部屋戻る」

 席を立った俺にが母と姉にぺこっと頭を下げてから席を立ち、「くん」と姉の声。肩越しに視線だけ投げると姉はなんだか泣きそうな笑顔で「焦凍のこと、よろしくね」なんて言う。
 はなんて答えるだろう。また困ったようなあの顔で曖昧に笑うのだろうか。
 あまり期待はせずにまだほんのり赤い顔を観察していると、隣に並んだがぎゅっと俺の手を掴んだ。自分から。「ぉ」思わず声がこぼれた俺に「大丈夫です。ちゃんと見てます」と言ってまたぺこっと頭を下げて部屋を出ていく、その手に引っぱられるままに歩く。
 俺の部屋に向けて階段を上がっていく細い背中を眺めて「」と呼んで、立ち止まったの顔を覗き込んでみる。また赤い。

「お前は俺の運命だ。
 魔王を倒したら、ちゃんと結婚して、子供作ろうな」
「……お前は最近、そればっかりだ」
「ホントのことだからな。何度だって言う」
「…………わかってるよ。お前が本気だってことは」

 ぼそっとこぼしたあとに俺の手を引っぱるようにして階段を上がり始める。
 そうか。伝わってるならよかった。
 早く応えてほしいが、急かして困らせて泣かせたくはない。
 だから、最近は自分にこう言い聞かせてる。

(ゆっくり、幸せになろう)

 幸せに慣れていないが、ちゃんと幸せを実感して、笑って幸せだって言えるように。焦らず、ゆっくり、幸せになっていこう。