膝まである真新しい革靴を履いて、なんかすべすべしてるベストを着て。気慣れないものに無意味にシャツの袖をいじっている俺は、なんとびっくり。魔王退治の旅に行くメンバーの一人として、晴れの本日、旅立つことになりました。
 俺の人生は焦凍のもので、その焦凍が来いって言うんだから。俺に拒否権なんてない。
 それに、仮に行かなくていいってなったとして。それはそれで、焦凍のいる日常しか知らない俺は、どうしたらいいんだろうってなっちゃうしな。俺の人生はもう焦凍ありきのものだから。

「重くない?」
『平気だ』

 寝袋とか食料品とか備品とかは焦凍の白い馬、ナーヴに載せながら声をかけたらほんのりとした声で返事をされた。ように感じて、ちら、と白い馬の横顔を見てみる。……別にこっちは見てない。どこかの誰かの声がちょうどいいタイミングで聞こえて返事みたいに感じただけ、かな。
 剣士の緑谷、騎士の飯田、魔法使いの麗日に、魔法剣士の焦凍。
 マモノとの戦闘は主に四人が担当。
 俺は寝袋とか食糧とか、旅をするには大事なものを運ぶナーヴに乗って移動。馬の世話をしたり、みんなのご飯を作ったりすることが主な役目となる。
 ご飯なんて作ったことがないけど、焦凍のお母さんとお姉さんから簡単に作れるレシピをまとめたお手製の本をもらった。パンと野菜と肉を挟めばいいサンドイッチとか、野菜を一口大に切ってスープにすればいいとか、俺でもできそうなものだけが載ってるありがたいものだ。調理についてはこれを活用するつもりでいる。
 馬の周りに積み忘れの荷物がないことを確認して、手綱を握って歩いて行けば、焦凍たちはもう準備が整っていた。

「行くぞ、
「うん」

 最近ようやく一人で乗れるようになってきた白馬に跨って、手綱をしっかり手繰り寄せて、ふう、と一息。
 焦凍は最後の別れにと炎司さんや冷さん、家族に声をかけられている。「充分に気をつけろよ焦凍」「わかってる」「無理はしないのよ」「わかってるよ」親父さんには少し冷たく、お母さんには少し優しく笑む、そんな姿を少し離れたところから眺める。
 ………焦凍は俺のことを家族にしたいと思ってる。
 この旅が無事に終わったら、俺と結婚して、子供が欲しいとまで言ってる。
 アイツの愛は疑いようがない。だからこそ、その愛に今も少し戸惑う。

(この愛は。俺が受け取っていいものなんだろうか)

 チャリ、と耳で揺れるピアスは自分じゃ見えないけど、魔力が宿ってて、俺に危機が迫ったときにはバリアを張ってくれるというお高いものらしい。
 これも焦凍の愛のカタチの一つなら、他にもたくさん俺は愛を身につけている。
 首のネックレスは光石といって、絶対に光を絶やさないっていう贅沢な石でできたペンダントで、今もぼんやりしたオレンジの光を宿して俺の胸にある。
 まぁ、これはどちらかといえば焦凍の『暗いのが怖い』という対策としてお揃いのものをつけてるわけだけど。
 あとは、左右の手首のブレスレットは焦凍の魔法が込められたものをそれぞれつけてる。いざってときはこれを使え、って。シルバーのブレスレットで、俺なんかが身に着けるには高価すぎる。

「おーい」
「、」

 手首のブレスレットに落としていた視線を上げると、焦凍の上のお兄さん、燈矢さんがいた。「お前も行くんだってな。ご苦労なこった」この人は、焦凍の能力の高さ(魔法が二種類使えることとか、仕事ができることとか)を疎ましく思っている。でも実は口で言うほど焦凍のことは嫌ってはいない。
 その燈矢さんが青い色の炎が入ったクリスタルを俺へと突きつけてくる。「…?」首を捻った俺に「作るの苦労したんだぜ。クリスタルの耐火性能と俺の炎がマッチしなくてなぁ。夏にも手伝わせてようやくできた」青いクリスタルを落とした革袋の中には同じようなものがたくさん入っている。それを押しつけられた。

「ま、御守りだな」
「え」
「俺の炎は焦凍より強い。だからコントロールが難しくてな。『周り全部焼け野原になってもいい』ってときには投げつけて使うといい」

 それはそれで危険な気がするけど……強敵とか、絶体絶命ってときにはアリ、なのかな。
 っていうか、くれるのか。これ。
 他人には無関心なふうに見えたけど、装ってるだけなんだな、この人。作るのに苦労してまで俺にこんなものくれるなんて。
 ジャラ、と音を立てる革袋をしっかりと握り締める。「ありがとうございます」と頭を下げるとお兄さんは肩を竦めた。「どーいたしまして。お前が死ぬと、焦凍、ぜってーめんどくせぇことにしかならねーから。せいぜい足掻いて生きてくれや」じゃあな、と片手を振って城へと戻っていく。
 いざってときのものだから。ベストのポケットに二、三個入れて、あとは大事にバッグにしまっておこう。
 燈矢さんが接触してからこっち、チラチラ俺の方を気にしてた焦凍が、まだ何か言いたそうな親父さんを押しのけてずんずんこっちに歩いて来た。「何された」「や、何も。御守りくれただけ」ポケットから青い炎が入ってるクリスタルを取り出して見せると、焦凍はそれを睨みつけたあとに陽の光にかざした。
「……ふぅん」それで何かに納得したのか、俺の手にクリスタルを置くと「行こう」とナーブの首を叩く。
 焦凍の家族、お城で働いている人間に見送られながら、しばらくのお別れになる街を行く。
 緑谷たちとは街の出入り口である門のところで待ち合わせだ。

(しばらく、見納めだな)

 石畳の道。整備されている街並み。噴水広場。人で賑わう商店やレストラン。
 人がみんなこういう暮らしをできたら、豊かで、幸せで、幸福なんだろうな、というのを体現した街。
 俺は今日ここを出て、緑谷たちが仕入れた情報の一つである『強いマモノ』の元へ向かう。
 なんでも、以前戦ったマモノが死に際に『魔王様にもらった力が……』的なことを漏らしたらしい。
 その言葉の意味についてを考えるなら、最近マモノが活発化しているのは、魔王がマモノを強化して回っている、ということ。
 たとえ魔王自身でなかったとしてとも、側近のような、力を持った誰かがマモノを強化している。
 だから、強いマモノと戦っていけば、自然と魔王に近づけるんじゃないか。
 そう簡単に行くかどうかは疑問だけど……遭遇したマモノが仮に喋らなかったとして。俺に少し考えがある。だから旅が無駄になるってことはないと思う。
 でも、焦凍に言ったら怒るだろうから。そのときまでは内緒だ。
 街で情報収集をしたんだという緑谷たち三人の話によると、この街から見えてる火山の方から、時折恐ろしい爆発音や怒号が響き渡ることがあるらしい。
 それがマモノの仕業かは確認してみないことにはわからない。
 ということで、街を出て一番の目的地が火山という、なかなかハードな道のりだ。
 高温地帯。見えるものといえば草木のない岩と地面、ひび割れた大地に、もくもくと煙を出している火山。
 ここに入ってからというもの、青い空は濁った色の雲の向こうに消えてしまった。

「ナーヴ、俺降りようか…?」

 ただでさえ熱いし、暑いし、人にも酷だけど馬にも酷な環境に思わずぼやくと、『平気だ』とぼんやりした声が頭の中で響いた。
 そういうことらしいから、自分の足で歩くってことをしないまま、辛そうに歩みを進めるみんなのことを馬上から窺う。焦凍だけは魔法の関係でいつもと同じイケメンで歩いてるけど、緑谷たちは熱くて暑くて辛そうだ。
 こんな暑い、熱いところに、マモノ、いるだろうか。
 ここまでの道のりを見た感じ、マモノの食糧になりそうな食べ物と言えるものも見かけてないし、こんなところ、巡回の衛兵とか仕事関係以外の人は滅多に通らないだろう。それこそドラゴンが住んでいるくらいしか……。
 ドラゴン、で思い出して、暑くて脱いだカーディガンの下に着ているベストを撫でてみる。
 焦凍曰く、これはドラゴンの鱗を編んで作られている。らしい。だからとても防御力が高いとか。
 じゃあ焦凍が着ればいいのにと思ったけど、本人はごわごわするから嫌だそうだ。
 これ、ごわごわするかな。そんなことを思いながらエメラルドの色を撫でていると、『うわああ落ちたあああ』と悲鳴のような怒号のような声が頭の中を突き抜けた。「…っ?」思わず頭に手をやった俺を焦凍が見上げてくる。「どうした。やっぱ辛ぇか。下で待っとくか?」「いや。大丈夫。違くて。えっと、」うまいこと説明できないけど、なんか、誰かが何かを落とした。と思う。
 なんとなく上を見上げると、何かがキラリと光った。「朝の陽射し、宵の闇っ」抱えていた外套に神経を接続、バサッと放り投げて、落ちてくる何かを受け止める。
 すごい勢いで落ちてきた何かだったけど、外套を貫通せずにすんだ。
 物を操るのは疲れるからしたくないんだけど。ちょうど落下地点にいたし。つい。
 焦凍が眉尻をつり上げてふわふわ落ちてきた外套をキャッチするのと同時に接続を切る。
 すぐにやめたけど。目の前が。揺れる。「うぐ…」鞍に両手をつきながら、焦凍が外套から出したものを見て目が点になった。

「何、それ」
「卵。だろうな」

 そんなことよりとぼやいた焦凍がじろりと俺を睨み上げる。目が据わってる。コワイ。「魔法は使うなって言ってるだろ」「ご、ごめん」「……まぁ今のはしょうがねぇってことにしとく」それで外套ごと卵を預けてくる焦凍が剣を抜いた。まさかそんなに怒ってるのかと思って生唾を飲み込んだけど、違う。卵に気を取られてたけど、進行方向、緑谷たちも武器を手に構えている。敵だ。こんな暑くて熱い場所にもマモノがいるのか。
 そのマモノは空から降ってきて、ドオン、とすごい着地音を響かせた。
 そのマモノは。赤い鱗を持ったドラゴンの形をしていて。その頭には人型のものが立っている、ように見える。

「なんだテメェら。縄張りン中までズカズカと」

 さらに言うなら、人の言葉を喋っている。
 焦凍に内緒にするために口の中だけで「朝の陽射し」と呟いて魔法の用途を指定、目に見える景色を拡大させるため「宵の闇」力を使う場所を目に固定する。
 拡大した景色の中に見えたのは、半裸だけど、流暢な人語を喋る人。人はまず住まないというか住めないだろうこんな場所だけど、でもここを『縄張り』だと主張する人、だ。
 それで、その人は俺たちのことを睨み据えるとものすごく機嫌が悪そうに眉を顰めてみせるのだった。