大事なところが全然隠せてない透け透けのオレンジのランジェリーに、同じ色の髪飾り。ウエディングドレスを思わせるデザインで半透明っていうこれもエッチな下着をどろどろに濡らした焦凍がぐでっとベッドに転がっている。

(かわいい。っていうかエロい。エッチすぎ。加減するのにすごく苦労した)

 ぼーっとしている焦凍の短い髪を撫でて、花の髪飾りを指で撫でてから取った。寝転がるのには邪魔だろうから。
 少し前ならいざ知らず、今こういうものを手に入れるのは難しいだろう。ってことは、八百万に頼んだのか。タキシード頼むついでに。……今度からどんな顔して彼女に会えばいいんだ、俺は。
 そのまま寝そうな焦凍に布団をかけて、用意したコップに水を入れ、薬を混ぜた。何食わぬ顔でぐでっとしたままの焦凍を抱き起こして「水分摂ってから寝なさい」「…ん……」「体はきれいにしとくから」大人しくコップを両手に持った焦凍が何も疑わずにごくりと喉を鳴らしてコップの水を喉へと流し込む。
 その手からコップを受け取って、すぐにうとうとし始めた焦凍の汗ばんだ髪を撫でつける。「眠いんだろ」「、は」「シャワー浴びてから寝るよ」「ん……」そのまま目を閉じた焦凍にバレないように、空になったコップを落とした右手に左手を添えてぎゅっと握り締める。
 ……感覚が。戻らない。

(セックスで個性使いすぎるとか俺は馬鹿か? うん馬鹿だよ。オトシゴロってだけじゃ説明つかない)

 痺れたままの右手を放置してなんとか左の義手でコップを片付け、シャワーを浴びて、ゆっくり、じっくり、右の腕に通う神経に意識を集中させて、右手の神経をなんとか戻していく。
 身綺麗にしてから部屋に戻れば、薬が入れられてると知らずに水を飲み干した焦凍がすやすやと寝ていた。
 こういうのはあんまりしたくないんだけど。このあとのことを考えると俺も行くって聞かないだろうし、そうなると話がややこしくなるから。今はこうして大人しくしててほしい。
 お湯で絞ったタオルで焦凍の肌を拭い、どスケベなランジェリーは理性フル総員でただの汚れた布として脱がせて、雄英のジャージを着せる。
 全裸よりもエロい格好をした焦凍をきれいにして着替えさせるという試練を終えて、ふぅ、と一息。それから震えた携帯に慌ててベッドを飛び降りる。
 ワン切りだけされた相手はわかってる。もう時間なんだ。呼び出したのは俺だし、急がないと。
 部屋を飛び出した俺はバタバタと階段を駆け下りて外へと行く。
 すっかり瓦礫の残骸のようになってしまった街。そこを見下ろせる場所に一本木が立っていて、呼び出した相手であるホークスはその枝に器用に座っていた。「遅いぞー」「すいません」「や、まぁ五分前だけどね。俺、速すぎる男だからさ」ウインクされて苦笑いを返し、まだ少し痺れている右手で拳を握った。

「焦凍くんは? 俺と君の内緒話なんて、彼なら絶対来ると思ったんだけど」
「眠らせました。薬で」
「ええ……。くんてそういうトコあるよねぇコワイ」

 ふ、と唇を緩ませて笑う。それをあなたに言われるとは。
 俺は笑って彼を見上げる。聡いヒーローを。目敏く耳聡い公安の人を。「もう知ってるんでしょうホークス。俺の個性がもたないってこと」切り出した俺に、ホークスは若干視線を逸らした。まだ全然生え揃っていない羽を居心地悪そうにもぞっとさせて「まぁ。うん。知ってるよ」「先生には、この戦いが終わったらヒーロー科は除籍だと言われました」「それも知ってる」「でも俺は、この戦いが始まる前に、除籍にしてもらうつもりです。ヒーローって言葉にこれ以上泥を塗りたくないので」左の義手でぐっと右の手首を握り締める俺を、ホークスは何とも言えない表情で見下ろしている。
 目敏く、耳聡く、幼少の頃から公安の人間として生きてきた彼には、俺の言いたいことも、俺のしたいことも、全部が伝わっている。
 はぁー、と腹の底から深く深く息を吐いたホークスは、とんっと枝を蹴ると俺の隣に降り立った。その手には三本の紫の液体が入った注射器がある。

「アメリカの正規品。日本では禁止されてる。これはまぁいわゆる没収されたブツってやつ」
「はい」
「君はワールドミッションでアジアの粗悪品を使ったみたいだけど、効果時間はあれの比じゃない。一本打てば十分はもつ」

 毒々しい色の液体が入った注射器を握り締めるホークスの表情は、苦悶に満ちていた。「ただし、反動も酷い」「…はい」「本当に、命に係わる、命を懸ける……そういう覚悟をしてる場合にしか使ってはいけない代物だ」「はい」「よーするに向こうじゃ戦争で使ったりするわけだけど」最後に少しおどけて肩を竦めてみせたホークスに苦く笑う。
 同じ目線で、並んで、瓦礫同然の街を眺める。
 ………ヴィランを。オール・フォー・ワンを止めなくては。世界中がこうなる。
 出し惜しみはしていられない。もうそんな状況ではなくなった。
 プロでも、学生でも、もっといえば、戦う意志のある人間ならば、戦わなければならない。
 つまり、戦争だ。
 ピリピリしている右手の指先を噛んでみる。…あんまり痛くない。さっき焦凍に噛まれたときは感じたのにな。
 噛み痕が残っている指を眺めて、「使えるものは使う。学生でも。ねぇ、ホークス」まだ感覚が曖昧な右手を差し出す。ホークスは俺の手のひらをじっと見つめて、はぁー、と息を吐いてその場に座り込んだ。

「なんで君はそーいう思い切りあるわけ……公安の人間でもないのにそうやって割り切って。まだ学生。ね、まだ学生なんだよ君は。さっきまで幸せそうに結婚式してセックスもしてたでしょ。なんでこーなるわけ」
「え、なんでそこまで知って……。
 まぁ、人より壮絶な人生だったので。割り切るの、うまいんですよ。やるべきことをやる。それだけの話です」
「焦凍くんは荼毘と、お兄さんと戦うんだよ。そっちは心配じゃないって?」
「あいつなら大丈夫ですよ。信じてますから」
「…信じてるくせに、置いていくわけか。君は」

 ぼそっとした声に困ったなと笑う。
 そうならないことが理想だ。でも、現実はそんなに甘くいてくれるだろうか?
 もう一つ息を吐いたホークスの手が伸びて、俺の右手に紫色の液体の入った注射器がのせられる。
 力を込めて三本の注射器を握り締める。「切り札は多い方がいい。そうでしょう」「そうね」「ヒーローは、人を殺せない。それが足枷だ。だから」左の鉄の指で注射器の一本を掲げる。毒々しい色。毒の色。その効果も体にとっては毒。一時的に個性の力を増強させる、本場の薬。これを打って、効果が切れたあと、どうなるのかは、想像するまでもない。

「俺が、やります」

 俺の配属はオールマイトが変えてくれた。オール・フォー・ワンとエンデヴァー、ホークスがいる場所に。そこが一番か二番かの激戦区になる。使える人間は一人でも多い方がいい。オールマイトの判断は間違ってない。
 そして。私的判断で俺に薬を渡したホークスも、間違ってない。
 これは必要なことだ。
 ホークスは座り込んだまま顔を上げない。本当はこんなもの俺に渡したくなんてなかったんだろう。だけど状況がそれを許さない。
 ホークスは公安の人間だ。少なくともそうやって生きてきた人だ。必要なことを、必要なときに、必要なだけ。そして、今がそのときだとこの人は判断した。

「……賢い君のことだから。予想はしているだろうけど」

 きっといるよ。君のご両親を殺したヴィランが。
 小さくぼやく声に、少しは心が波打つかと思ったけど、静かなものだった。「いるでしょうね。ヒーロー科に配属になって、個性の情報の少ない俺に、ちょうどいいとあててくる。相手もきっとそれを望む。あのときヤり損ねたガキを殺そうって、俺の前に立つ」知らず笑って、歪んだ口に注射器を押し当てる。
 ああ、焦凍を寝かせておいてよかった。

(こんな歪んだ顔、見られたくない)

 オール・フォー・ワンとやり合うのは、奴の個性を強奪することを考えての少数精鋭のみ。
 だから俺は、地上で、ヴィランの数を減らす役目を担う。もちろん、薬のことは誰にも内緒だ。
 まだ生え揃わない翼を震わせたホークスが立ち上がった。「轟くんになるんだろ」急な言葉にきょとんとした俺に、ホークスは真摯な目を向けてくる。「絶対になれ。俺との約束だ」「……ええと。ハイ」「法律くらいコネ使っていくらでも変えてみせる。だから焦凍くんと結婚しなさい、ちゃんと」「え、と。その。はい」雰囲気に押されてかくりと頷いた俺に、バサ、と翼を開いたホークスが空へと飛んで行く。
 残された俺は、一人、注射器の中の毒々しい液体を眺めた。
 ……毒を飲み干す覚悟はできている。
 俺の人生は、とうの昔にまっとうな道から外れた。その外れた道から焦凍が俺の手を引っぱったり、ときには飛んだりして、なんとか普通の道に連れ戻してくれていた。……でも。

(ごめんな)

 この戦いで、俺は人殺しになるよ。
 どのみち個性が限界で、ヒーローにはなれないんだ。お前の隣に立つことはできないんだ。後ろでサポートすることだってきっと満足にできなくなる。だからさ、全力を出せるうちに、全部出しきって、お前が生きやすい世界を作ろうと思う。

(たとえば、そこに、俺が、いなくても)

 お前は優しい奴だから。そんでもってイケメンだから。俺じゃなくても、お前には誰かがいる。たくさんの誰かがいる。その中から俺より好きになれる奴を選ぶだけでいい。
 俺は特別いい奴でもないし、優しくもないし、イケメンでもないし。人よりだいぶ不幸な人生を送って来ただけのつまらない人間だ。
 お前の隣で笑ってるのは、俺じゃなくたっていい。
 注射器をポケットに突っ込み、何食わぬ顔で仮設要塞のトロイアに戻る。「おや、轟くんはどうしたんだい?」集まった人間でお茶でもしてるのか、紅茶のカップ片手に話しかけてきた飯田にいつもの笑顔で「寝ちゃってる」なぜこんな早い時間に寝たのか、察する人間は察するし、鈍い飯田とかは「相変わらず早寝だな…いやしかし、いくらなんでも早いのでは?」なんて首を捻っている。
 その場に八百万を発見した俺は、そっと彼女に歩み寄った。焦凍が頼んだモノがモノだけにちょっと顔は見れなかった。こそっと「焦凍が無理言ってごめんね。ありがとう」と耳打ちしてからエレベーターで5のボタンを押して自室に戻った。
 焦凍はすやすや平和な顔でベッドで眠っている。薬が効いてるんだろう。
 ぎ、とベッドに腰かけて、震える右手で焦凍の手を取る。祈るように、その手に額を押しつける。

(お前には、俺じゃなくたっていい)

 そう自分に言い聞かせる。この決意が鈍らないように、何度も、何度でも、言い聞かせる。

(お前の未来のために命を懸けて戦う。お前の未来のために人を殺す。お前の未来のためならなんでもする)

 なんでもするよ。なんでもする。
 人を殺すことも。自分を殺すことも。そんなの、どっちだって変わらない。
 ありがとう、さようなら、俺の愛しい人。たったの半年だけど、俺に幸せを教えてくれた人。生まれてきてよかったなって思わせてくれた人。
 短くなった紅白色の髪を指で梳いて、目を閉じる。

(さようなら。俺は、幸せだったよ)