『失敗作』とまではいかずとも、特筆すべきコトもない凡人。
 轟家で焦凍より一年先に産まれたオレは、一年先に世界に誕生しただけの凡人で『最高傑作』からは程遠かった。
 オレは凡人。でもそれでよかったのだということは、最高傑作である焦凍が父であるはずの男に厳しく接されているのを見ているうちに嫌でも理解した。
 もしも立場が逆転していたら、今あそこで体をくの字に折って嘔吐しているのはオレだったに違いないから。
 母は焦凍に構いきりになったが、それも仕方がないと思えた。父であるはずの人はそれだけ焦凍に厳しかったから。焦凍が泣こうが吐こうが倒れようが厳しい個性特訓を課し続けたから。
 そんな母が焦凍に熱湯をかけて火傷を負わせ精神病院送りになったとき、それまであまり焦凍に接さないようにしていたオレに転機が訪れる。
 オレの弟が、いない母を求めて泣いている。唯一甘えられる人を求めて泣いている。おかあさん、と一人泣いている。
 父の暴力とも言える個性特訓から庇ってくれる人はもういない。炎を扱うくせに冷たくこちらを見下ろすあの目に声を上げられる人はもういない。
 姉も、兄も、父から距離を取りたくて焦凍から距離を取っている。見て見ぬフリをしている。
 ただの凡人。そんなオレではお前の苦労の一端も知ることはできないだろうけど……。
 冷やした両手を泣き腫らした焦凍の顔に当てると、驚いたようにこっちを見上げた子供がぽかんと気の抜けた顔をする。
 おにいちゃん、と落ちる声にそうだよと返し、味方のいなくなったお前の味方になろうと、そのとき、オレは。

「……は」

 掠れた息を吐いてピピピピとうるさい目覚まし時計を掴んで睨みつける。焦点が合うのに五秒くらいかかる。
 朝の六時、十分。準備して行かないと。
 まだ寝ぼけている頭で苦いコーヒーを淹れ、昨日の夕食の残りであるカレーを適当に食べていると、ぱた、とスリッパの音がした。すくったカレーを口に突っ込みながら視線だけ投げると夢とは違ってすっかり大きくなった焦凍がいて、部屋の灯りに目を眇めながらぱたぱたスリッパを鳴らして歩いてくる。「仕事って言ったろ。寝てな」「ん…」ぱたぱた歩いて来た焦凍がオレにしなだれかかってくる。
 俺に甘えてくる焦凍を見てると、自然とさっきまで見ていた夢のことを思い出した。
 初めてまともに喋った、あの頃の焦凍は何歳だったか。あれからどのくらいたったのか。十五年…とかか? 月日の流れってこわい。
 プロヒーローをしている焦凍の体重は決して軽いとはいえないわけだけど、背中の重みに耐えながらカレーを平らげる。「焦凍」「ん」ぱた、と一歩横にずれた焦凍の横をすり抜けて流しにカレー皿を下げてちゃちゃっと洗う。
 右側が白く、左側が赤い髪をくしゃっと撫でつけ「寝なさい」と言ってみてもいやだとばかりに頭を振られた。「あんね。オレこれから仕事…」顔と歯をキレイにするために洗面所に行けばそこにもついてくる。眠そう、っていうかほとんど寝てるみたいに目開いてないくせに、何をそんなに必死なんだか。

「きょう、なんじにかえるんだ」
「さー。人次第っていうか……夏はかき入れ時だからなぁ」

 臨時のバイトとして入ってる、海辺にある氷を使う施設のことをぼやっと頭に思い浮かべる。
 夏にはその涼しさから大人から子供まで大人気の氷を使った小さなテーマパーク。その氷を作る個性持ちとして臨時バイトで雇われているのがオレだ。夏の暑さにヤられた氷を新しいものにしたり、補強をしたり、やることはまぁまぁある。「あとは個性のモチ次第? オレは持続する方だけど、あんま長続きしない人もいるし。要するにわからん」「…………」眠そうな顔に若干の不機嫌さが混ざる。
 結局オレが出るまで寝なかった焦凍に「ヒーローの仕事気をつけろよ」「蕎麦ばっかじゃなくて弁当のカレーも食べろよ」「帰りの時間わかったらラインする」あれこれ言葉を残し、マンションの扉を閉めてエレベーターに飛び乗る。
 ギリギリで起きたってのに焦凍に構ってたら七時のバスに遅刻しそうじゃん。乗り遅れたらマズいから走らないと…もーっ。
 半冷半燃。弟の轟焦凍は右が母譲りの個性で、左が父譲りの個性、両方の個性を持ついわゆるハイブリッドだ。
 父曰く『最高傑作』たる焦凍がプロヒーローのショートとしてデビューしてからこれで一年になる。
 そばで見ている限り、ヒーローとしての仕事は真面目にやっていると思う。
 本人は実に微妙な顔をしていたが『抱かれたいヒーローナンバーワン』とか『プロヒーローで文句なしのイケメン枠』とかテレビや雑誌で特集されるのにも応じているし。
 オレは、凡人だから。母譲りの氷の個性を使えるだけ。基本白の髪にメッシュみたいに父の赤い髪があるだけで炎の個性は使えないまま二十歳になった。

「轟くん頼むよ! 滑り台がマズい」
「はーい」

 夏はどこもかしこも暑いから、冷たい滑り台は子供に大人気だ。大人気すぎてさっそく氷が溶けてきたらしい滑り台まで走り、炎の個性持ちの人が氷を溶かしたとこに新しい滑り台を造り出す。
 同じようにチェアやテーブルを見て回って空いている席は一足先に新しい氷で補強をしておき、氷の解け具合いによって新しいものを作り上げる。
 パキ、と音を立てて新しいテーブルとチェア2つを用意したオレにわっと歓声が上がった。「氷ー!」「すごーい!」子供の手離しな賞賛っていうのはいくら聞き慣れてもこそばゆい。まっすぐな目とか苦手だ。
 氷のチェアに座ったとき冷たさをやわらげるための皮をかけて、関係者以外立ち入り禁止のスタッフルームに引っ込む。
 梅雨から夏が異常な人気度を誇る氷のテーマパークは海沿いにあり、都心からは距離がある。それでも夏は毎日のように人が訪れてコレだ。なんとか人に分散してもらおうって朝早くからやってるのに、全然、忙しい。

「はぁ……」

 氷が溶けないようにとガンガンに冷房をきかせているパーク内でぐったりしていると、ポケットに突っ込んだままのスマホが震えた。
 引っぱり出して確認すると、焦凍からだった。文面はなくて写真が一枚貼り付けてある。
 放っておくと外食で蕎麦ばかりの焦凍に食べろと作ったカレーの弁当が空になっている写真は、ちゃんと食べた、って言いたいらしい。『よく食べました』…我ながら甘やかしすぎか、と思いつつも一応そう送っておいてやるとすぐに既読がついた。
 携帯片手に返事を待ってるなよプロヒーロー。暇じゃないだろ。
 お昼休憩は提供されるカフェの飯を食べ、パーク内の氷に気を遣いながら定期的な見回りと氷の補強、あるいは新設と撤去を続けて、夕方。暑さのピークも過ぎ、氷の維持だけならどうにかなる店長に後を任せ、激務から解放されて帰りのバスに乗り込み帰路を辿る。
 朝八時過ぎから夕方五時まで仕事って。氷の都合があるからほぼ施設に縛り付け、その代わり仕事内容は氷全般に気を遣えばいいだけとはいえ。
 一歩間違えば人の命だって奪うかもしれない氷塊だ。一日三万という割のいい給料だけど、その分責任とかもある。

『終わった。今から帰る』

 今五時だから、食材買って帰って、早くて七時前か。
 焦凍からの返信はないし既読もつかないところを見るに、ヒーローの仕事か何かなんだろう。オレも忙しいけどアイツも忙しいよな…。
 都心まで行くバスに揺られ、座席が空いてた今日は終点までは居眠りして少しでも睡眠時間を確保。バスを降りたら駅前のスーパーに寄って少しいい食材を買い、今日は麺類の気分だなと焼きそばを作ることに決める。
 それにしても外はあっちぃなと白いシャツのボタンをぶちぶち開けたけど、まぁあんまり意味がなかった。暑いものは暑い。日本は陽射しがっていうより湿度が、だもんなぁ。
 夕方になってもゆでだこになるかと思うほどの気温の中を、えっちらぼっちら、買い物袋を揺らして歩く。
 駅近の分譲マンションは、とてもじゃないがオレで手の届くシロモノじゃなかった。それを焦凍が『俺が払う』と言い出して、『代わりに家事炊事をしてほしい』とか言うから、都会の利便性&広い部屋に惹かれたオレは弟の申し出をあっさりオーケーし、現在、轟兄弟の二人でここに住んでいる。
 灯りが落ちたままのマンションの部屋は3LDKだ。二人で住むにはちょっと広いけど困るほどではなくて、一人で住むには広すぎる。
 見慣れた部屋に「ただいまー」と帰宅。明日の焦凍の飯の作り置きを兼ねて焼きそばを作って食べ、焦凍が帰ってきたらすぐに作ってやれるよう蕎麦の準備もしておく。
 風呂に入り、洗濯もすませ、やるべきことを終えて適当にテレビを見ながら過ごしていると、ガチャン、とドアの鍵が外れる音がした。顔を向けるとどこかボロッとした焦凍が帰ってきたところだった。「おかえり。蕎麦作る」冷たい蕎麦が大好物な焦凍のためにいい薬味とネギも用意した。
 もともと一人暮らしが長く家事炊事が嫌いではないオレは手早く弟の夕飯を用意。「ほい」「…いただきます」行儀よく手を合わせた焦凍の顔がまだボロッとしている。
 レンジでチンしたホットタオルでちゅるちゅる蕎麦をすすっている焦凍の綺麗な顔を拭う。……汚れてるだけで怪我はなさそうだな。よかった。
 個性のためか左右で色の違う瞳とぱちっと目が合う。「怪我は?」「ない」「そ」服の下も大丈夫、と。
 ふわ、と欠伸の漏れた口を手のひらで隠してタオルは洗濯機へ。

「オレ、明日も早いからさ。もう寝るよ」

 十時になっている時計を指すと、それまでひたすら蕎麦をすすっていた焦凍の動きが止まった。「俺は今帰ってきた」「知ってる。でもオレは寝る」「……………」焦凍が大好きな蕎麦と寝室に向かうオレを天秤にかけ、葛藤の末にオレを選んで部屋まで追いかけてくる。
 構わずベッドに寝転ぶと、上から覆い被さられた。重い。すっげぇ重い。「おま…」身長180以上ある筋肉ついた野郎を支えられるほどオレは鍛えてない。何せヒーローじゃないからな。「重いって」ぐりぐり頭を押し付けて退こうとしない焦凍に嘆息する。ガキか…。

「蕎麦。おいしくなくなるぞ」
「いい」
「あっそう」

 今日の焦凍は、朝からそうだけど、そういう甘えたがりらしい。
 ………一体いつからこうなってしまったのか。
 最初がどこだったのか、を思い出そうとするも、弟と家族の境界線を踏み越えたのがいつだったのか、明確には思い出せない。
 手を繋いだのはいつだったのか。キスをしたのはいつだったのか。
 それ以上をしたのはいつだった?
 家族に感じる以上の愛と欲を抱いたのは一体いつから?
 母親が精神病院入りさせられ、父親は厳しすぎ、オレ以外の家族は父に見て見ぬフリ。拗らせるには充分な家庭環境だったとはいえ、思い出せない、ってのも厄介だ。この間違いを正すこともできやしない。
 オレの腹の上に座った焦凍がじっとこっちを見下ろしてくる。大の男の体重に腹が潰れそうだけどなんとか耐えるオレ。

「…なに」

 ジーパンの上からでもわかるくらい勃起している股間を指でつつつっと撫でる。
 朝は気付かなかったけど、もしかしてこんなにしてたんだろうか。

「オレさ、明日も朝六時起きなんだけど」
「知ってる」
「今日も個性フル活用だったから、疲れてんだけど」
「そうか」

 自分からパーカーを脱いだ焦凍がばさっと服を床に落とした。Tシャツも、ジーパンのベルトも。
 こうなるともう抱き潰すまで満足しないしオレを寝かせないってことは経験上理解していたから、はぁ、と息を吐く。
 オレの睡眠時間がなくなる。絶対なくなる。ヒーローしてるから仕事のあとも体力あるんだよ焦凍は。満足するのに何時間抱くと思ってるんだ…。
 諦めて両腕を広げると迷うことなく飛び込んでくる。重い。その重たい焦凍を横に転がして、このためにセミダブルのサイズになったベッドを軋ませながらジーパンを脱がせてパンツだけにする。「お前さぁ…」ビッキビキに硬くなってる雄が泣くぞ。大してイケメンでもないし、そもそも血の繋がってる兄ちゃんのオレとセックスとかさ。
 『抱かれたいヒーローナンバーワン』とか『プロヒーローで文句なしのイケメン枠』とか、世間じゃ焦凍はその界隈を賑わせてるみたいだけど。みんな全然わかってない。
 子供の頃と同じ、色の違う左右の瞳を潤めてキスをねだる顔に唇を落とす。「」「ん?」「はやく」ねだって舌を出す顔が気持ちいいことをしたくて仕方がないと言っている。

(せっかくのイケメンなのに、女みたいに蕩けた顔して)

 オレが何年もかけて植え付けた快楽に酔いしれた結果、二人でいるときは堕落しきった生活をするようになった焦凍。
 男を咥えることを憶えて、女としての快楽を知って、オレに寄り掛かって依存して、食べるものも着るものも全部オレが用意するまま。
 オレが手を離したら生きていけないかわいい弟はもう小さな子供ではなく、立派モンをそそり立たせたまま、自分から後ろの孔を解し始めた。口寂しいのかオレのをしゃぶりながらである。「お前、さぁ…」先走りが滲んでいるペニスをつつつっと指でなぞるとわかりやすく反応が返ってくる。ちょっと後ろを弄ってるだけでコレか。まったく、どんだけやらしーんだか。