プロのヒーローになって三年がたった頃、複雑かつ異例な依頼が飛び込んできた。
 その内容とはいえば、まるで雄英の頃のヴィラン全盛期を思い出すような。けれど目的はその真逆。『ヒーローを育成するための施設』でようやくできた成功体の面倒を見ろという、耳を疑うような話だった。

「は?」

 やっとこぼれた声は掠れていた。手にしているタブレットを持つ手は震えている。
 たくさんのバツで消された子供の顔に、その下にあるのは名前ではなく『個体番号』……このタブレットは、名前すらもらえないまま、あるいは名前を消された、失くした、実験の最中で消えていった人間がたくさんいると謳っていて、その中で唯一顔が潰れていない、成功体、となっている人間が一人、死んだ目をしてこっちを見ている。
 男なのか女なのか判然としない中性的な顔立ちに、緑の長い髪に、無気力そのものの目。

「冗談だよな」
「………事実だ」

 親父の重い声に、バン、とタブレットを机に叩きつける。
 ヴィラン連合はその昔、その技術で脳無という化け物を創った。それは死体を応用して個性をいくつも植え付け人形のように操るという、ヒーローにしてみりゃ怪物を創った。
 その技術を応用して。転用して。まるでオールフォーワンのように、無個性の人間に『ヒーローとして使えそうな個性』を植え付けて定着を促す、そういう実験を何年も重ね、ようやく成功体が完成したが、制御に難がある。実力のあるヒーローに世話を任せたい。叩きつけたタブレットにはそんなことが淡々と綴られていた。
 親父を睨みつけるが、奴はタブレットを机に置いて俯いたまま顔を上げようともしない。
 ヒーロー界の重鎮である親父が、この件を知らなかったはずがない。
 黙認していた。知っていた。そういうことだ。
 ああ、そりゃあそうだろうさ。過去に自分の子供で似たようなことをやった野郎だ。痛い腹を殴られて、蹴られて、『お前だってやったことだろう』と大勢に指さされたら、『ヒーローの数が足りないんだ。やるしかないんだ』と言われたら、黙るしかなかったんだろうさ。
 親父の立場がわからないわけじゃない。だがこれは。これじゃあ。やってることはヴィランのそれと変わらないじゃないか。
 無個性の人間が個性因子を弄られて個性を宿す。それが定着しないで暴走したら、どうなるか。想像なんてしたくない。
 もともと持ってる個性をコントロールすることだって難しいのが子供だ。何年も個性と向き合って、それを自分の血肉のようにして、やっとまともに扱えるようになる。それが個性だ。与えたからどうにかなるってもんじゃない。
 個性が発現しなかった五歳を過ぎた子供。そして、顔写真に年月日とバツがついている。植え付けられた個性については黒く塗り潰され詳細はわからない。
 そんな電子書類が、もういない子供の形が、いくつも、いくつも、数え切れないほど。

「受けねぇ。やってられるか、こんなこと」

 当然の如く言い放つと、親父は昏い目で俺を見上げた。「ならば奴も処分になる」「あ?」部屋を出て行きかけていた俺が振り返ると、部屋の電気を消した親父が壁に映し出したのは、タルタロスぐらいに厳重な場所で目隠しされ、猿轡をされ、これでもかとばかりに頑丈に拘束された誰か。
 いや。あの長い髪。さっき見た。成功体、ってなってた奴か。

「命令系統のコードが焼き切れたとかで、誰の言うこともきかんのだそうだ。故に拘束されている。
 ただ、お前の……個性をかけ合わされて、同じような境遇で生まれて生きた、お前となら、生きてもいいと。ヒーローをしてやってもいいと、そう言っているそうだ」
「………っ」

 ぎ、と拳を握り締める。
 ここで俺がこの話を蹴れば、成功体だとかいうこいつは処分されるだろう。そうしてヒーロー量産計画は頓挫、あるいは凍結する、はずだ。
 たった一人の命を犠牲にすれば。今後の無個性の子供たちが玩具にされることはなくなる。
 どちらを優先させるべきかは明白だった。
 一人と、大勢。
 たったの一人と、数え切れないほどの大勢の子供たち。
 …………だけど俺はヒーローだ。ヒーローなんだよ。
 たとえば一人と大勢を天秤にかけられたとして。どちらかを選ぶのは、ヒーローのすることじゃ、ないんだ。

「くそっ!」

 壁を殴りつけて破壊し、拘束されている奴を指して「やりゃいんだろ。やってやる。その代わりお前は絶対に次の実験を止めろ。これきりにしろ。いくらヒーローの数が減ったからって、これじゃやってることはヴィラン連合どもと変わんねぇだろうが!」久しぶりに苛立ちながら言葉を吐き出して扉をぶっ壊した部屋から足音荒く執務室を出ていく。
 とてもじゃないが、仕事をする気分じゃなかった。
 苛立ちのままにヒーロースーツを脱いでロッカーに投げ込む。「あ、あの、ショート。午後の仕事が…」恐る恐る投げかけられる同僚の声に「帰る」とだけ言い、さっさと着替えてバンと扉を閉めて鍵をかけ、仕事を放り出して、現住所であるマンションに飛んで帰る。
 頭を掻きむしったって、さっき見た現実は消えない。
 たくさんのガツで消された子供の顔。日付。埋め込まれた、黒く塗り潰された個性。
 ああ、くそ。なんだってこんなことに。なんだってこんな。ヴィランみたいな。
 俺たちはヒーローだ。ヒーローなのに。こんなのは間違っているのに。
 最上階のベランダに着地して脱力して、外を見てぼんやりしたいときのために買っておいたチェアに腰かけて腹の底から深く深く息を吐き出し、ごん、とテーブルに額をぶつける。

(なんだよ。ヒーローを育成? 量産の間違いだろ)

 唇の端が引きつる。どうしてもイライラが消えない。
 まだ昼間だが酒でも飲むかと顔を上げて、テーブルを挟んだ向かい側に、さっきタブレットで見た男か女かわからない奴が当然のように腰かけていて驚いて椅子を蹴倒した。「な…っ」青い目をしたそいつは無表情に俺のことを見上げた。

「とどろき、しょうと」

 声からも男女の判別が難しい。「……そういう、お前は」「個体番号。F105」「ちげぇ。名前だ」「………な、ま、え」首を傾げた相手は無表情に若干の眉根を寄せた。難しいことを訊かれて考えている、という顔にも見える。

(名前も、ないのか)

 誰かの子供であったなら。名前くらいもらってるはずだろう。
 それとも何か。個性因子だけじゃなく頭の中まで弄られてるってのか。それじゃあ本当にヴィラン連合がやってたことと変わりがねぇぞ。
 歯噛みする俺を見上げていた相手がふらりと立ち上がって、それで、ぎゅ、と弱い力で抱き締めてくる。「な、んだよ」「よしよし」ぽん、ぽん、と頭を叩く手に、それはどちらかといえば俺がお前にすべきことじゃないか、なんて思う。

「おくりだす、こどもたちに、こうしてきた」
「送り出す……?」
「そう。しょぶん。おれの、こせいで」

 処分、という言葉にぞわりと背筋が寒くなる。しかも、なんだって?「しょうとは、しょぶん、じゃないひと。おれと、おなじ、せいこうさく」ねぇ、と囁いて顔を寄せてくる相手はどこまでも人間味がなくて、それから、そうだ。あの電子書類の山の中で唯一の大人の背格好をしていた。

「ほめられた、こせいじゃ、なくても。ヒーローの、しごと。てつだう?」
「………どういう個性なんだ」
「うん。あのね」

 命を燃やすんだ。燃やして、消すんだ。
 そう囁く声が口にする内容は鮮烈なのに、なんの感情もこもってない無色透明で、なんでか俺の方が泣きたくなった。
 轟焦凍はかわいそうな人間だ。
 いや、かわいそうな人間だった、というべきか。
 エンデヴァーという、これ以上はいないともてはやされたヒーロー、オールマイトを超えたいがために、自分の子供を利用した、最低な親のもとに生まれた人。
 でも、焦凍はたぶん許した。のだと思う。今は電話で喧嘩してるけど。「うるせぇな。面倒みろって言ったのはそっちだぞ。急ぐんだろ? 許可だとか知らねぇよ、それくらいやれ!」乱暴に携帯を切る、その姿を横目にしつつ、買ってもらった水槽、その中で揺らめく海藻、海藻に隠れるようにして泳ぐメダカを眺める。
 水槽のガラスの表面を指でなぞって、コポコポと上がる気泡を眺めていると、「」と言う声が聞こえた。


「……あ」

 そうか、俺の個体番号。じゃない、名前か、と振り返ると、焦凍が唇を噛んで立っている。
 名前。俺は特別必要だと感じないけれど、人間の社会ではそうはいかないらしく、俺は暮らしていくにあたって『轟』として息をしている。

「仕事だ」
「うん」

 そうだろうね。お父さんと喧嘩してる電話はいつもそう。今も、怖い顔してる。「ヴィランのアジトが見つかった。場所はここだ」部屋の電気が消えて壁に大雑把な地図と、敵アジトの詳細な図、二つが映し出される。赤い玉は、敵の数だろう。

「民間人を人質に取られて、ヒーローは身動きができない状態だ。このまま膠着状態が続けばヴィラン側が逃走手段を用意してくる」
「うん」
「……過去に、ひでぇ銃撃戦を仕掛けてきた奴らだ。そのときはヒーローも民間人もたくさん死んだ。今回のアジトも武器庫が確認されてる」
「ぶきがあって。でもひとじちがいて。ヒーローはうごけない」
「ああ」
「じゃあ、ころすしかないね」

 俺が笑うと、焦凍は逆に表情を歪めた。
 赤い玉は七つ。おまけに一人一人の顔写真まで表示してくれる。これなら間違えようがない。
 腕まくりした手を水槽に無造作に突っ込み、海藻ごと引きちぎりながら、メダカを七匹掴み上げる。「メダカだから、あたま、つぶす、くらいしかできないよ」「……それでいい」はぁい、と返事をして、手の上でビチビチと跳ねている何も知らないメダカにもう片手で蓋をして、

「しょうきゃく」

 手のひらの中にあった小さな命が一瞬にして藻屑になったのと同時に、マップの赤点もすべて消滅した。
 開いた手のひらからパラパラと落ちた海藻のクズを眺めて、それ以外何も残っていない両の手を眺めて「また、かわなきゃ」ぼやいて、空に近くなった水槽を撫でる。
 こうして個性を使うと、なんとなく、施設にいた頃のことを思い出す。

(いつか、花をくれた女の子がいた)

 だけど個性が定着しなくて、暴走して、血を操る個性のはずが、自分で自分の心臓を破裂させて死んでしまった。
 それまで一緒に遊んでいた。パズルをやって遊んでいた。
 パズルピースは内側から破裂して死んでしまったその子の血と肉片で真っ赤に染まって、柄なんて、もうわからなくなってしまっていた。

(いつか、本を読んでくれた男の子がいた)

 だけど、マインドコントロール系の個性が定着しなくて、自我が崩壊した。俺のことも忘れてしまって、何もわからない子になってしまった。
 だから最期に俺がぎゅってして、頭をぽんぽんして、よくやったねって褒めて、抱き締めながら焼却処分した。

(いつか、施設から逃げ出そうとした子がいた)

 きっと頑張って計画を立てたんだろう。だけど大人は狡猾で、子供は無知だ。そして俺は、言われるままに、子供たちを焼却した。命令だった。入力される命令に体は自動的に動いた。やりたくはなかったけど、やるしかなかった。
 そのための動力源である生きた鼠を渡されて、両手に掴んで。潰すように燃やして。逃げ出そうと計画した子供たちを燃やした。
 だけど、今は、頼まれて、やっている。
 焦凍がお願いしたことをやる。もう頭の中を強制されて手が勝手に動くあの感覚はない。
 メダカが二匹泳いでいるだけの水槽をぼやっと眺めていると、また電話をしていた声が止んだ。ぱたぱたスリッパを鳴らして隣に立った焦凍に頭を撫でられる。「民間人は無事だ。こちらの被害はゼロ。よくやった」「うん」「………明日、また買いに行こう」「うん」きゅ、と音を立てて水槽の表面を撫でる。
 犠牲にするもののサイズによって、俺が焼却できるものは決まってくる。たとえばメダカみたいな小さな命なら、人の頭を吹き飛ばすのがせいぜい、とかね。
 でも、一度、施設にいた頃。無茶ぶりをされて、ビルを一つ吹き飛ばせと言われたことがあった。
 あのときは、たくさんの焼却処分の子供たちを用意されて。それでもエネルギーが足りなくて。結局自分の命を燃やして命令を果たしたっけ。

「しょうと」
「ん」
「せっくす」

 力を使うと湧いてくる性欲は副作用みたいなものだ。どうしても勃ってしまう。「フェラでいいか」「やだ」「……じゃあ、風呂で。な」ぐい、と手を引かれて、引っぱられるままに歩いて、広くてきれいなバスタブのある場所でバスローブを落とす。
 俺は基本、あんまり身体能力が高くない。個性の力ばかりを伸ばしたばっかりに体の方の出来が悪かったのだ。大人の体格にはなったけど、体力筋力がない。上手に歩けないし立つのもふらつく。それで移動が面倒でたまにテレポとか使っちゃうけど、移動が楽なのに、あれはお前の命を削るだろうって怒られるしなぁ。

(苦しいな、しんどいな、と思いながら歩くのと、少し命を削って楽をすること。それなら、楽な方が、いいのに)

 焦凍が自分の中をきれいにしてるのをぼんやり眺めながら、あったかいなぁ、と思うお湯に浸かってうとうとしていると、ぺし、と頬を叩かれた。「するんだろ」「うん」ちゃぷ、とお湯に浸かった焦凍が若干頬を染めているのは、恥ずかしいからだろうか。もう何度だってしてきたのに。
 俺の体力がないから、基本焦凍が俺に跨って自分で動く。それで、俺がたまに動いて奥を突く。俺たちのセックスっていうのはいつもそういうものでしかない。ただの処理行為。
 ……施設では。あれ。なんだっけ。オナホールとかいうの、渡されて、それで処理してたっけ。
 轟焦凍はヒーローで、俺と違って体力も筋力もある。だから俺の上で延々と腰を振っていられる。

「ん…ッ」

 びくん、と震えて、中でイったんだろう焦凍のちんこを扱く。「や、やめ、さわるなっ」「やだ」「や、めろ、、やめ…ッ! またィ、いぐ、」びくびく痙攣するように震えて白っぽい体液を落とした焦凍の中がぎゅうっと締まって、それでようやく俺もイける。
 は、と荒い息を吐いて涙をこぼしている顔を眺めて、手を離す。
 こんな不本意なこと、焦凍はどうして、しているのだろう。

「しょうとは」
「…ん」
「おれの、せわを、するひと」
「お前が指定したんだろ。俺だったらいい、って」
「うん。そう。しょうとは」

 お湯に浸してきれいにした手で、消そうと思えば消せるのに、残したままにしている、顔の左側にある火傷の痕を指でなぞる。「しょうとはきれい」「…そうか?」「きれい。おかしたい」「おか…ッ」今してるって? うん、そうだね。
 この体が、もっと動けばな。そんなことを思いながらお湯の中に手を落として目を閉じる。
 あったかいなぁ焦凍の中は。このまま包まれて、眠ってしまいたいなぁ。永遠に。
 永遠に。目の覚めることのない。眠りに。
 そんなことを考えていると、唇に何か当たった。薄目を開けると焦凍と目が合った。「…?」口と口をくっつけてる。これはなんだろう。
 焦凍は顔を離すと少し呆れてみせた。「セックスは知ってるくせに、キスは知らないのか」「きす」「そうだ」「きす、って、なに」「何って……」口と口をくっつける行為のことをキスだというのはわかったけど、それをする意味は、何。
 首を傾げた俺に、焦凍がぐっと唇を噛んだ。自分からしてきたくせに、焦凍にもその行為の意味をうまいこと説明できないみたいだった。
 変なの、と思いながら、俺の上から退いた焦凍を眺める。
 俺が中に出したものを掻き出してる姿を見てると「見んな」と怒られた。「はぁい」目を閉じて、大人しく湯銭に浸かる。
 あたたかい。ぬくい。
 ああ、このまま、溶けて、消えてしまえたら、いいのに。