特急電車やバス、いくつかの交通機関を乗り継いだその先の、見る限り緑しかない田舎の町で『ボランティア』として草むしりやらゴミ拾いやらをする、これはチームアップミッションなのか? と言えるような、老人に顎で使われるハードな一日をこなしたその日。
 どさっ、と力尽きるように喫茶店のソファ席に崩れ落ちた麗日に「大丈夫か」と声をかけつつ、空いてるようだったから、隣の座席のソファ席で同じく崩れ落ちた。
 男の俺で、体力ないわけじゃないって自負してる俺でキツいんだ。いくら個性の無重力で草むしりとかできるからといっても、麗日もキツいに決まってるだろう。個性の使い過ぎで吐かなかっただけ偉いもんだ。
 今回の俺らを引率してくれてるヒーロー、ウォッシュの方は。……ウォッシュウォッシュ言ってて何言ってるのか俺にはわからねぇし。つうか、この人洗濯ばっかやらされてたけど、大丈夫なのか。

「ご老人の相手、お疲れ様です。どうぞ」

 そこで、この喫茶店の店主だろう男が柔和な笑顔でココアをサービスしてくれた。「すみません。ありがとうございます」ぐったりしているウォッシュと麗日の代わりに礼を言って頭を下げる。
 水はサービスだし、あとは何か腹に入れれば帰りくらいもつだろうってつもりでいたけど。疲れた心身に甘いもんは沁みるな。
 ずず、と甘いココアをすすって、店外に視線を投げてみれば、杖をついた老人や、よぼよぼ歩きながら犬の散歩をしている老人。老人ばかりが目立つ。
 都会からは程遠い田舎町だ。ここに若者がいたとして、出ていくのは自然の摂理ってやつだろう。
 今日一日いただけで、『ヒーローとその見習い』ってガワがあったのに、顎で使われ、あれやれこれやれと命じられるような、そんな一日だった。
 ここに生まれ育ったら『若い』ってだけの理由でどんな目に遭うかは想像がつく。
 たった一日いただけの町をそう悪く言うもんじゃねぇとは思うが、それが正直な感想だった。
 俺が頼んだホットサンド、麗日が頼んだパンケーキが運ばれてくると、さっきまでのびてたくせにシュバッと素早い動作で起き上がった麗日がココアを飲んでばくばく食べ始める、その勢いに若干引く。女子ってみんなこうなのか…?
 ハムとチーズ、スライスされた玉ねぎの入ったあたたかい焼き立てのサンドイッチを頬張りながら、「ウォッシュはいいんですか」声をかけてみるも、疲れて切ってるのか、「うぉしゅぅ」としか言われなかった。…なんて返されたのかわかんねぇから、まぁ、いいか。疲れてるってことにしておこう。
 そんな感じで、俺たちは田舎町でのチームアップミッションを終え、夕方に一本あるだけの電車に乗って帰路につく。はずだった。

「あ」

 イマドキ電子マネーに対応してない田舎町で、券売機で切符を買おうとして気付いた。財布がねぇ。
 電車が来るまですることもねぇしって、あの喫茶店でだらだらしてたから。会計が先だったし、どこかに出しっぱでそのまま忘れたのか。
 時間がなかったが、店はすぐそこだ。「わりぃ麗日、財布忘れた! 取って来る!」「え、今から!? 電車きとる、急いでーっ」わかってる、と返しながら全力で走って世話になったカフェに駆け込むと、うっかり店主とぶつかってしまった。「うわっ?」「、」反射で腰に手を回して両足で踏ん張って、なんとか転倒は堪える。「す、みません。大丈夫ですか」「ああ、うん。びっくりした。ありがとう」その手には見覚えのある財布がある。

「ちょうどよかった。このお財布を渡しに行かなくちゃと思って。君のだろう」
「すみません、そうなんです。すぐ行かないと」
「うん。急ぐんだ」

 背中を押されるまま、「ありがとうございました」と頭を下げてから駅に猛ダッシュして、そこに麗日とウォッシュがいないことに気付いた。……まさか。
 携帯を取り出してラインを開けば、麗日から着信がきていた。
 今電車内だとしたらかけ直すわけにもいかないから、ポチポチと文字を打つ。

『電車、行っちまったのか?』
『そうなんよ! あと一人すぐに来ますからって頼んだのに、おっさん、待ってくれなかったの! ほんと信じらんないっ』

 マジか。
 念のために時刻表を確認するが、もう、今日ここから出る電車はない。ここから去るための交通機関は、ない。
 駅のベンチに座り込んではぁーと腹から息を吐き出し、背中を丸める。
 今日は疲れたから。風呂にゆっくり入って、草いじりとかで汚れた体をきれいにして、すぐに寝ようって、思ってたんだけどな。
 この周辺をマップで表示してみるも、近くにあるのはさっきも世話になったあの喫茶店くらいで、民宿とか、漫画喫茶とか、寝泊まりできる場所はありそうになかった。
 どうするか、と考え込んでいると、もう今日は電車は来ないってのに、コツコツと早足の足音が聞こえてきた。「ああ、やっぱりか」「、」憶えのある声にのろりと顔を上げると、喫茶店の店主がいた。

「今日の担当の車掌さんは、気分屋でね。今朝は奥さんと喧嘩でもしたのか、モーニングを食べながら機嫌が悪そうだったのを知ってたから、もしかしたらと思って」

 ……だからって、麗日だって頼んでくれたのに、客を置いて発車するか。普通。困るってわかってて置いていくとか、相当性格悪いなその車掌。
 俺の前まで歩いて来た店主が手を差し伸べる。「とりあえず、うちにおいで」「……すみません。ありがとう、ございます」びゅお、と吹いた風が急に冷たい。野宿できるかとも思ったが、外で一夜ってのは無謀そうだ。ここは大人しくこの人に従おう。
 俺がヒーローの見習いの仕事で泥だらけ、そして疲れてるってことを察してくれた店主の人は、まず俺に風呂を勧めてくれた。「狭いけど、それでよかったら」と。「その間に僕から雄英の方に連絡を入れてみるよ」と言われて、頭を下げてお願いして、ありがたく風呂に浸かった。
 確かに、足は伸ばせねぇし、狭いし、古いタイプのもんだけど。今日はとにかく疲れたから、あったかい湯が身に沁みる……。
 シャンプーやせっけんタオルその他、ありがたく使わせてもらって身綺麗になり、用意されているバスタオルと、袋に入ってる新品のアンダーにはものすごく感謝した。
 活動中はヒーロースーツだったから、移動中しか着てない制服を着ることに抵抗はなかったけど。正直汗だくになったもんを二日続けて履くのは抵抗感があったんだ。
 制服を着直して出ていくと、あの人は電話を終えていた。あとなんか、いいにおいがする。
 ひょこ、とカウンターの奥を覗くと小さなキッチンと食卓があって、エプロンが良く似合う店主がいた。

「あの、上がりました。ありがとうございます。あの、ご飯も、すみません。お金なら、」
「いらないよ。困ったときはお互い様だ。雄英の先生方ともその方向で話がついてるよ」

 店主が小さな食卓に並べてくれたのは、カルボナーラと、スープと、サラダ。バランスの採れた食事が二人分。
 どうぞ、と席を勧められるままに座って、ぐう、と鳴った腹を思わず押さえると、向かい側で少し笑われた。
 半日草むしりとゴミ拾い、それも休みなんてほぼなしだ。疲れるし、腹だって減るだろ。

「そういえば、名前を聞いてなかったね」
「雄英高校のヒーロー科で、一年の、轟焦凍です」
「僕はといいます。どうぞ、よろしく」

 頭を下げられて、頭を下げて返す。……礼儀正しい人だな。俺みたいな子供相手に。
 冷めないうちに食べようかと言われて、腹も減ってたし、ありがたく食事をいただくことにした。
 店をやってるだけあってうまい。そりゃあランチラッシュには及ばないが、なんか優しい味がして、うまい。

さんは、なんで、ここで、喫茶店を?」

 こんな田舎で、という意味は込めてないつもりだったが、やっぱり言外に伝わってしまったらしい。相手は苦笑いをしながらくるくるとパスタをフォークで巻いていく。「親父のを継いだというか。継がされたというか」「……やりたくなかったんですか?」「いや、そんなことはないよ。ただ、物事には需要と供給があるだろう? この場所じゃそれが成り立たないんだ。つまり、売り上げと経費の話」「……そう。ですよね」見た限り、今日の客も俺たちくらいだった。老人はいくらでも店の前を通りがかるが、入って来た人は一人もいない。
 たまに遠方から用事や帰省でやってくる、俺たちのような客だけで店が成り立つわけがない、ってのは、経営科でなくてもわかる。
 だから、このまま店を続けていっても、この人に残るものはないんだろうってことも。
 この人が立たされている状況はあまりよくないのだろう。それでもあくまで朗らかに言うのだ。「だから、来月いっぱいで、借金を抱えてしまう前に、畳むつもりなんだ」と。
 何気ないその言葉に。どれだけの重さがあるのか。子供の俺にはまだわからない。

「そしたら、どうするんですか」
「幸い、ここを買い取りたいっていう人がいてね。金額としては少ないけれど、土地ごと、マイナスが出ないで売れるだけ上々さ。
 そのお金で上京して、しばらくは働いてお金を貯めるつもりだよ。
 そうしていつかまた、自分の店をもてたら……なんてね」

 困ったように笑うその顔が少し泣きそうに見えて、なんか知らないが俺の方が泣きたくなって、ぐっと唇を噛んだ。
 ……疲れてる俺たちを気遣ってココアをサービスしてくれた。この人の作る食事はうまいしあったかい。人柄も優しい。
 でも、世界は、世間は、この人に優しくない。
 俺は、笑うのは、まだうまくできないし。今なんて、なんだか滲む視界を堪えるので精一杯だけど。
 また食いたい。この人の言ういつかがいつになるのかわからないけど、そのいつかを、応援したい。
 だって、あなたは、いい人だ。
 いい人が損をするような。苦い味だけを噛みしめるような。そんな世界は嫌だし、なってほしくない。
 だから、今はまだ口約束にはなるけど。

「俺が、プロのヒーローになったら。資金援助します」
「え」
「そしたら、自分のお店を作って、またご飯、食べさせてください」

 うまく、笑えているだろうか。……笑えていたらいいな。そう思いながら小指を差し出す俺に、さんは困ったなと言う顔で後頭部をかいて、観念したように小指を差し出して指切りをした。