「今すっごくしたいことあるんだけど、言っていい?」
「………叶うかは別として、言うだけならタダだろ。なんだよ」
「こたつに入って一歩も動きたくない。あったかいこたつで、醤油つけて焼いて焦がしたお餅に海苔巻いて食べたい……」

 そんな理想のお正月の風景とは裏腹に、目の前には荒野が広がっている。
 うう、寒い。そんなことを思いながら片手を挙げて禊のための神具を手にする。「そんな雑念ばっかりで大丈夫なのか」隣で胡乱げに目を細くしているヒーローショートに、荒野の息を吸って、吐く。「仕事はちゃんとするよ。大丈夫」お金、もうもらっちゃってるしね。
 ここは昔、ヴィランとヒーローがぶつかって多くの血が流れた場所。そのうちの一つだ。
 ぽい、と草履を脱いで、撒いて回るために御酒を抱えて、神具、っていうか見る人によってはただの数珠を鳴らしながら、荒野を歩いて回る。

「さあさ、お目覚め。ここは眠る場所ではないよ。
 世々の禍よ、去り消えよ。
 此処に残る全ては、奇跡を纏って帰りなさい。還りなさい」

 そこに残る思念、無念、残留した様々な思いを、払ったり、ときには浄化したり、ときには持ち帰るために懐にしまったり。そんなことを延々と、延々と、繰り返す。
 他人から見れば憑りつかれたようにその行為ばかりを繰り返して、夜になって、朝が来て、それでも禊が終わらないと、たいていショートに止められる。「。もういいだろ」「いや、まだ。もう少し」全体の六分の五くらいはきた。本当にあともう少しなんだ、止めないでくれ、とその手を払うと、強い力で掴まれた。いて。

「壊死するぞ」
「ん?」

 裸足で荒野を歩き回ったせいか、血が出て汚い自分の足の指先は、言われてみれば確かに、もう感覚がない。色もちょっとおかしいかな。
 だけどこれはしょうがないんだ。この地に接しながら、触れ合いながらじゃないと、できないことだから。

「ああ、本当だ。あっためて」

 そのためにいるんだろ、と笑うと、ヒーローショートは苦い顔をして左手をかざした。絶妙な加減で左手を熱くして、揃えた足を手のひらで覆う。
 眩しい朝陽が語り掛けてくる声にブツブツと答えていると、ショートがこっちを見ていることに気付いた。「ん?」「……いや」俺はやるべきことをやっている。ショートもそうだ。これはただそれだけの、簡単なお仕事の話だ。
 依頼された場所の浄化作業を終えた俺は、ヒーローショートによって社務所ではなく病院に連行された。なんでも本当に足の指が壊死寸前らしく、入院して治療しないとならないらしい。ぜんっぜん気付かなかったなぁ。

「餅……こたつで餅…」

 足の指以外は元気な俺なので、当然食欲もあるわけで。病院食の味気なさにはげんなりである。
 しかし、足を固定されているので、トイレだって満足に一人でできないわけで。そんな俺が病院内のコンビニに行ってとりあえず腹を満たす、なんてことは夢のまた夢だ。
 ………社務所に帰れば七輪があって、それで醤油につけたお餅を腹いっぱいになるまで焼いて、食べて、ぜんざいだって食べれるし、こたつでぬくぬくだってできるのに。病院って空間はなんて味気ないのか。
 そんな時間は、壁にかかっている時計を見るごとに嫌いになっていく。
 いつもならすぐに治してくれる専門の人がいるんだけど、そう、世はお正月。そのお医者さんも今はお休みだ。だから俺はこんなに悲しい思いをしているわけである。
 はぁー、と溜息を吐いていると、コン、と扉がノックされた。「はぁい」ご飯の時間じゃない。来客か、看護師さんか。
 それで、ガラ、と扉を開けて入って来たのはヒーローショートだった。や、今は普通の格好してるから、轟焦凍、か。「具合いどうだ」「うん、全然ダメ」まだ一人でトイレも行けない悲しい状態だよ俺は。
 そうか、とぼやいた轟がガサリと腕から提げている袋を揺らした。「何それ」「餅と醤油と海苔。と、紙皿と、お手拭き」ベッドに並べられたものに目が点になる。「お見舞い品…?」「いや」それで腕まくりした焦凍がチラリと天井を見上げた。どうやら火災報知器の位置をチェックしてるらしい。
 そんで何をするかと思えば、洗面所で手をきれいにしたあと、餅を手にして、ばちゃっと醤油をかけた。遠慮なく。そして左手で焼き始めた。それでいい感じにぷくっと膨らんだ餅にもう一回醤油をかけて焼いて海苔を巻き、紙皿に乗せたそれを俺にくれる。

「え……?」
「? 食いたかったんだろ」

 違ったか、とばかりに首を傾げて手を洗っている轟に、「食べます。食べ…っ」がぶっとかぶりつく。七輪で焼いた餅には及ばないけど、まだ角が硬いけど。でも醤油餅だ。俺はもうちょっと焦げてる方が好き。
 でもずっと食べたかったから、「二個目ちょうだい」と言うと轟が呆れた顔をした。「そんな、泣くほど食いたかったのか」「うん」この三日食べてきた病院食の味気無さときたら。そりゃあもう、おいしい醤油餅に泣きたくもなるさ。
 これでこたつがあったら最高なんだけど、これ以上は贅沢だな。

「おいじいーどどろぎずぎー」
「大げさだな。餅くらいで」
「ううー、うまいもん。病院食まずいもん。餅好き。餅焼きに来てくれた轟も好き」

 二個目、今度はさっきよりも上手に焼けて焦げ目もばっちりな醤油餅に海苔を巻いてかじっていると、轟が急に黙った。「じゃあ付き合ってくれ」「ん? 何に? 俺今動けないよ」「そうじゃねぇ」じゃあどういう意味だ、と首を捻る俺を轟が睨んでくる。「なんで俺がお前の担当か、考えたことねぇのか」「担当…ああ、仕事の?」はて、と首を捻る。それは、放っとくとこうやって足を駄目にしたりする俺の監視のためとかじゃないのかな。
 他に特に浮かばないな。なんでだろう。
 考えていると、はぁ、と息を吐いた轟がベッドに手をついた。それでそのままキスされた。

(ん? んん???)

 俺の頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。
 顔を離した轟は拗ねたような顔で「お前、放っておくと指が壊死しそうになるまで仕事するし。声かけなきゃ崖の際まで行くし。自分のことそっちのけで払うって仕事して。まるでヒーローだ」「…ヒーローじゃあ、ないけど。まぁ、これが、仕事だから」そういう個性だった。そんな理由で選んだだけの職場だ。
 人が遺した想いが見える。だから適切な対処をする。そのために神職と呼ばれるものの一員になった。ただそれだけ。

「もう仕事辞めろ。俺が養う」
「え」
「ああ、わりぃ。順番が変だった。
 好きだ。お前を放っておけない。だから養う。だから、仕事、辞めろ」

 ………いや。急にそんなことを言われましても?
 カチン、と時計の針が刻む音がこのときばかりはやけにゆっくりで、返事を待つようにこっちを見つめる色の違う双眸に、なんというべきかと、ものすごく悩んだ。

「ええと………そのぉ、言いにくいんだけど。俺がこの職を選んだのは、個性がそれ向き、だから。たとえば仕事をやめたとして、個性はなくならない。放っておけないって思った場所を見つけたら、俺はお前を置いてでも行っちゃうと思う」

 醤油餅はおいしいし、お前の気持ちは、まぁ、ありがたいんだけど。俺はお前のことそういう目で見たことはないしなぁ。すぐにどうこうって答えは出ないなぁ。
 轟は俺の返事に眉間に皺を寄せてたけど、人の足音にささっと手早く餅とか醤油とかを片付けて袋を隠した。コンコン、というノックの音のあとに看護師さんのご登場だ。「あら、なんだかいいにおいが…?」そりゃあさっきまで醤油餅食べてましたから!
 しかし、ヒーローショートが営業スマイルで「すみません、俺が家で醤油餅食ってたんで。そのせいかも」なんて言えば、世間で人気なヒーローショート。看護師さんだってイチコロだ。
 イケメンって便利だなーと思いつつ、俺は布団を被って轟から逃げた。
 いや。だってさ。急に好きだとか、恋愛対象として微塵にも見てなかった相手に言われたら、困らない? 困るよね普通? それで養うとまで言われたらさ? ちょっと、なんか、考えちゃうよね。
 養うって。俺はもう働かなくていい、ってことだろ。ペットの猫みたいにごろにゃんして轟の機嫌を取ってれば、こたつで餅食い放題。
 うう、いいなぁ。それいいなぁ。さっきは偉そうなこと言ったくせに、気持ちがなびいてきた……。

「じゃあな。明日も来る」

 ぽん、と頭を叩いた手にもそっと顔だけ出すと、イケメンと目が合った。
 ぐぬぬ、と布団の下で唇を引き結んでる俺の口は、轟が作ってくれた醤油餅の味でいっぱいだ。