ある秋の夜道。
 ヒーローの仕事を終え、夜も更けて人通りも少ない道を歩いていると、ジジ、と頼りなく点滅している街灯の下に何かがあるのを見つけた。

「……?」

 ジジ、とまた点滅を繰り返す頼りない光では、夜の暗闇の中に埋もれるそれが何かよくわからず、なんとなく寄って行けば、黒猫、だった。車かバイクにでも轢かれたのか、前足がおかしな方向に曲がっている。それが街灯の下に放置されている……。
 息はしているようだったから、そっと抱き上げて、すぐに動物病院に向かった。
 助けるという行為に人も動物も関係ない。
 そうやって助けた黒猫に首輪のようなものはなく、飼い主のわかるチップも埋め込まれていないとのことだったから、引き取り手を探すようヒーローカードを見せて頼んだ。
 猫の治療費まで出しておいてあれだが、俺はヒーローという職業柄家を留守にしがちだ。猫が嫌いとか苦手とかじゃねぇけど、きっと、寂しい思いをさせてしまう。だから俺は飼えない。

「わりぃな」

 薄目を開けている金の瞳の猫の頭を指で撫でて、手を離す。「治療費はヒーローショートまでお願いします。引き取り手が見つかるまでの諸経費もすべて持つので」「は、はい。しかし、本当によろしいのですか?」「……俺は、こいつに寂しい思いをさせると思うので。飼えません」ぺこ、と頭を下げて病院を出て、ふう、と一つ息を吐き、再び帰路につく。
 そんなことがあってから、三ヶ月と少しほどたった頃。
 年が明けて、ヒーローにとって最も忙しいとも言える時期……ヴィランの犯罪が増えるクリスマスからお正月にかけての地獄のような日々を切り抜け、ようやく世間が落ち着いたな、と思った頃に俺の誕生日がやってくる。
 1月11日。……昔はこの日が嫌いだった。
 なんでよりによって1ばっかりなんだよと、そう思ってた。昔親父が俺にそう強いていたように、『ナンバーワンになれ』と誕生日にまで言われているようで、お前はそのために生まれてきただけなんだと言われているようで、嫌いだった。
 今も、好きか嫌いかで言われたら、嫌い、になるだろう。
 雄英にいた頃は、みんなに笑顔で祝ってもらえて、誕生日っていいもんだなって思えてたけど。プロになった今はもう一人だ。そりゃあ、ラインで『誕生日おめでとう』と来て、返信はするし、ヒーローショートの誕生日として顔も知らない大勢の人間から祝われるが、それだって別に、そこまで嬉しいとは思えない。
 今日も、あと二時間で誕生日ってもんが終わる。そんな時間の帰宅になった。誕生日なのにな。まぁどうでもいいけど。
 ……飯めんどくせぇ。もうシャワー浴びてさっさと寝ちまおうか。そんなことを考えながらありふれたアパートのエレベーターに乗り込み、最上階の角部屋、自分の部屋の前に行くと、何かがいるのが見えた。小さくて黒い。

「……猫?」

 思わずぼやくと、その猫はぱっと顔を上げて駆け寄って来た。なんだか走り方が変だ。
 にゃあと鳴いて足にすり寄って来るその黒猫を抱き上げて、変な走り方をしていたことが気になって四肢に順番に触れていって、微妙に歪んでいる前足に気付いた。「お前、あのときの」それで思い出した。いつかの秋の日、動物病院に預けていったはずの黒猫を。
 確か、引き取り手が見つかったって連絡を電話で受けて。よかった、って、そう思って、だから忘れていたのに。
 今病院に電話しても出てはくれないだろうし、とりあえず今日はうちに入れるしかないか、と猫と一緒に部屋に帰宅すると、腕を抜け出した黒猫がぼんっと煙に包まれた。「っ?」唐突なことに思わず身構えた俺の前には、素っ裸の男が一人。「し、し、しょーと!」「……あ?」よく見ると耳と尻尾が猫のままだ。髪は黒くて瞳は金色。
 つまり。目の前のこいつは。さっきまでの猫…。片腕が微妙に曲がってることから見ても間違いない。
 ぐしゅ、とくしゃみをした相手にはとりあえず俺の部屋着を着せてやって、猫なんだから猫舌なんだろうと予想してレンジでぬるめにチンしたミルクをやると、ごくごくと元気よく飲み干した。

「……お前、なんなんだ。猫なのか? それとも猫になれる個性を持った人間なのか?」

 口にしておきながら、その可能性はないだろう、とわかっている。そうじゃなきゃ数カ月前、腕を怪我したまま路上に転がっていたはずがないからだ。個性を使ってて怪我をしたなら解除して自分で病院へ行ける。それに、動物病院で、この猫は猫として治療された。つまり。根津校長と同じようなモノ。個性が発現した、動物。
 カップを振ってまだ牛乳が飲みたそうにしている顔に、はぁ、と一つ息を吐いて同じものを用意してやると、またごくごくと飲み干された。

「お前、飼い主が決まったはずだろう」
「かいぬし。しょーと」
「…俺はお前の飼い主じゃねぇ」
「しょーと。が。いい」

 こん、とカップを置いた黒猫、だったものが抱きついてくる。案外重い。つうか、猫のくせに、人の体重してやがる。「いや、俺は、ヒーローしてるんだよ。家にはあんまりいない。お前のこと一人にしちまう。だから、」「まってる」「……いつも人がいる家にいろ。そうしたら寂しくない」「まって、る」ぺしょ、と耳を下げた相手がざらりとした舌で俺の頬を舐めてくる。くすぐって。

「あのね、あのね」
「ん」

 とりあえず、俺は座りたい。今日も疲れた。
 案外重い相手を引きずりながらどかっとソファに腰かけると、隣に座った相手がのしかかってくる。重い。「きょーは、しょーと、の、たんじょび!」「……よく知ってんな」「いってた。てれび、みんな」「ああ」今日はヒーローの仕事してる最中も、インタビューとかそれでもちきりだったしな。
 それで黒猫だったものが何を言うかと思えば、どん、と自分の胸を叩いて、自信満々にこう言うのだ。「ぷれぜんと!」「あ?」「ぷれぜんと!」………つまり。こいつは。自分が俺へのプレゼントだと、そう言い張りたいらしい。
 はぁー、と息を吐いて、べろべろと頬を舐めてくる猫の耳がついた黒髪をくしゃりと撫でる。
 動物に個性が宿るのは根津校長が唯一無二、だったはずだ。
 頭も体も疲れていたが、べろりと唇を舐められて思わず顔を顰める。じゃりってした。頬はなんてことないが、唇とか、皮膚が薄いとこは、猫の舌はいてぇな。

「お前、それ。変化? 的な個性、他に誰に見せた」
「いま、ここ、はじめて。しょーと、と、おなじ。なりたく、て、がんばた」
「……そうか」

 なら、飼い主の元へ素直に戻すってわけにはいかないな。

(動物の個性持ちってのはたいていがろくでもない理由だ。たとえば実験を受けてたとか。だけどこいつはそうじゃない。そうじゃないとしたら、動物が自然と個性を持ったっていうなら、こいつは貴重なサンプル、ってことになるだろう。一般人の手に戻すわけにはいかない。だが……)

 仮に、それを誰かに報告すれば。こいつがどうなるのかは想像がつく。
 すり寄ってきて重い相手にされるがままでいると、「あのとき、たすけて、くれ、て。あり、がと」と言われた。「しょーと、たんじょび、おめでと。おれ、もらって」とも。
 はぁー、と深く息を吐いて、ぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回す。
 こんな、右も左もわからない、ガキ以下の奴を。他の奴に渡すわけにはいかない。よくて『動物が個性を得るにいたった経緯』を調べるために実験されるし、悪けりゃ解体だ。
 それで、ぼん、と音がして煙が上がった。「…時間切れか」ぼやいて、ただの黒猫に戻った相手を抱き上げる。「俺の言うことはわかるか? わかるなら頷け」こくり、と一つ頷いた黒猫に、じゃあもう決まりだな、と覚悟を決める。
 個性を使うことを憶えた動物を、一般人の手に戻すことはできない。ヒーローとして俺が保護する。

「もらってやるよ。誕生日プレゼントなんだろ」
「にゃ!」

 さて。それならそれで、今の飼い主に連絡して、こいつを譲渡してもらう手続きに同意してもらって。やることはまぁまぁあるな。
 ゴロゴロと喉を鳴らして首を舐めてくる猫にくすぐってぇなと笑いながら、まぁいいか、と思う。
 面倒なプレゼントには違いねぇが。一生想い出に残るプレゼントになることにも違いない。

(好きとか、嫌いとか、誕生日に対するそんなつまらない考えを改めざるを得ないほどインパクトがあったよ、お前ってプレゼントは)