五歳の頃の話だ。
 俺と轟焦凍は幼馴染だった。いわゆる大人のお付き合いで、ヒーローの親同士が……っていうよくあるやつだ。
 それでも俺と焦凍の仲は悪くはなかったと思う。
 その日もいつもと同じだった。
 親同士の付き合いで轟家についでにやって来た俺は、焦凍と遊んで、一緒に風呂に入って、石鹸で体を洗って、肩までお湯に浸かって一緒に30数えて広い風呂から出て。バスタオルで体を拭った。
 これは、まぁ、ませたガキの話なんだけど。五歳の俺は、轟焦凍という幼馴染を、幼馴染としてではなく、恋愛対象として見ていた。
 ピンク色の乳首を舐めてみたいと思っていたし、あの小さな口とキスしたいと思っていたし、あの小さなちんこに触れてしゃぶってみたいとさえ思っていた。
 だけど、それはきっと普通の思考じゃない。だから隠さなきゃ。友達でいるために、これから先も一緒にいるために、誰にも言わないで、自分の中に閉じ込めなきゃ。幼心にそう思っていた。
 そんな俺には、目の前で裸体を拭っている焦凍というのは刺激が強かった。
 なんとか視線を引き剥がすと、鏡が目に入った。そして、鏡の中の自分と目が合って。笑った。

「、」

 瞬間、ばさ、とバスタオルを残して、俺は焦凍のいる世界から消えた。それが十年前の話だ。
 俺が勝手に名付けた『鏡の世界』には今日も誰もいない。
 ただ、鏡を通して見える景色で世界というのが形作られている。どこかの家の洗面所だったり、どこかの家の姿見だったり。そういうもので頼りなく輝く光り歪んだ世界が出来上がっている。
 この世界に迷い込んで、十年がたった。
 なんでそれがわかるかというと、俺がここに来ることになった原因? というか。
 轟家の鏡。そこに映る焦凍が高校生になったからだ。毎朝洗面所で寝癖を直して顔洗って歯磨きして。そんな焦凍の毎日を見ながら、答えはないと分かっていながら、「おはよ。寝ぐせ直しなよ。今日もイケメン」と声をかける。
 誰もいないこんな世界に十年閉じ込められて、俺が狂ってこなかったのは。好きな相手が鏡の向こうに毎日現れるとわかっていて、ときたま、独り言のように話しかけてくれることもわかっているから。
 雄英高校一年生。俺って幼馴染をなくし、死んだ目をした、父親への恨みつらみだけで屍みたいに生きている、とてもじゃないが見ていられない。そういう幼馴染が、今日も洗面所で顔を洗っている。
 焦凍にとっては顔の左側には、昔はなかった、火傷の痕がある。「あーあ、もったいないな。昔はあんなにかわいくて、今はこんなに、かっこいいのにな」鏡に向かって手を伸ばして、ごつ、と指先がぶつかる。……出られない。
 何度だって試した。ここから入って来たんだからここから出られるはずだと。
 けど、ただ壁としてぶつかるだけ。轟家の鏡のその先へ行けた試しはない。
 これじゃあまるでタチの悪い怪談だよなぁ、なんて思いながら、ふと気が付く。

(そういえば。俺の個性って、なんだっけ?)

 ここに迷い込んだのはちょうど五歳の頃だ。もしかしたら俺の個性が関係しているのかも……。っていうかどうしてそう考えなかった、おバカだな俺。そりゃそうか、五歳で止まってるもん、思考力。体は勝手に成長してんのに。
 俺しかいない、温度もとくにない、誰の視線も感じない鏡の世界をぺたぺた歩き回って考える。

(焦凍は炎と氷。わかりやすくて強いやつ。じゃあ俺は? 俺はなんだったっけ? 個性診断、受けたような、受けてないような……)

 この世界に迷い込んだとき。俺は焦凍とお風呂に入ってた。いつもみたいに石鹸で体を洗って、肩までお湯に浸かって、30数えて出て。バスタオルで体を拭って、たまたま鏡を見て、そしたらその中の俺が笑ったんだ。
 ……いや、全然意味わからん。
 はぁー、と息を吐いて、フルチンでごろーんとその場に転がる。どうせ誰も見てないし。寒くも痛くもないし。構わん。

「えー、なんだろう。個性だよなぁ。きっと何か発動条件があって、俺は鏡の中の世界に入ってしまった、って感じで………だから外に出ることもできるはずなんだけど」

 時間だけが、ここには、腐るほどにある。逆を言えば、それしかない。
 轟家の鏡の前でフルチンで歩き回ってブツブツ考えて、わからなくって投げ出した。
 ぼやっと鏡の景色を見ていると、学校が終わった焦凍が帰ってきて、親父さんと運悪く会って喧嘩でもしたのか、今にもブチ切れそうな顔をしてバンと鏡に手をついた。その手に、自分の手のひらを重ねる。お前の方がちょっと大きい、かな。雄英で頑張ってるんだろう。


「うん」
「どこ、行ったんだ。なんで消えたんだ。なぁ」
「うん。俺、ここにいるんだよ。焦凍」

 なるべく鏡にくっついてみる。そのまま焦凍が引っぱり出してくれないかなぁ、なんて思いながら。

「こんなことなら、言っときゃよかった」
「何を?」
「俺さ。お前とずっと、一緒に、いたかったんだ」
「そうなの? そんなの俺も同じだよ。かわいかったお前と、今はかっこいいお前と、ずっと一緒にいたいよ。キスして、えっちなことしたいよ」

 口にした瞬間、ず、と体が傾いた。「へ」そのまま焦凍のいる鏡の向こうへ、目をまん丸にした焦凍を巻き込む形でドターンと落っこちる。いってぇ。
 え、っていうか。え?
 ばっと顔を上げると、今から風呂に入ろうっていう素っ裸の焦凍がいる。「…?」「しょーと?」嘘かほんとか、と手を伸ばしてぺたぺた体を触る。火傷の痕にも触る。温度がある。感触がある。ちゃんとある。
 いや、もしかしたら、鏡の世界での時間が長すぎてついに俺が狂ったのかもしれない。そう思ってべろりと舐めてみる。…あ、しょっぱい汗の味がする。
 それまでポカーンとしていた焦凍の顔がだんだん赤くなってきた。「お、ま、何し…っ。いや、違う、今までどこに、」「ん」鏡を指すと、焦凍が眉根を寄せた。そんな顔されたって俺にだってわかんないよ。

「鏡の中の世界にいた。もしかしたら、そういう個性、なのかも。よくはわかんない」
「個性……」

 それで、お互いフルチンで洗面所で何やってんだってはっとして、とりあえず風呂に入ることにした。あの日のように。
 ただし、あの日みたいにひっろいお風呂だなぁとはもう感じない。それだけ月日がたって、俺たちは成長したのだ。

「個性のせいなら、調査した方がいい。お前が消えたあの日、すごかったんだぞ。神隠しだなんだって」
「はは」
「笑うところじゃねぇ。俺は、お前が目の前で消えて、それで」

 唇を噛んで黙った焦凍に一歩詰めてみると、逃げられなかった。「ところでさ、さっき言ってたこと本当?」「……なんのことだ」「俺とずっと一緒にいたかった、って」首を捻った俺に、焦凍の顔に朱色が走った。「き、こえてたのか」「うん。むしろ、それに俺もだよって返して、出れた」「なんだそれ」「わかんないけど、ほんとのことだよ」「……そうか」ぼやいた焦凍が俺の方を向いて、ばちゃ、とお湯を揺らして俺のことを抱き締めた。知っているより立派になった体で、だけどあのときみたく甘えん坊な声で、「会いたかった。ずっと、会いたかった」と言われて、今にも泣きそうな歪んだ声に、なんだ、根っこは変わってないんだな、とほっとした俺は逆に笑う。

「とりあえず、個性の詳細な調査するまで、鏡は見ない。あと、焦凍とずっと一緒にいる」
「……ん」

 それで、俺たちは自然と顔を寄せ合ってキスをしていた。
 五歳の頃にはうまく言葉にできなかった気持ちも、自覚していた想いも。十五になれば形になるってものだ。「俺ね、焦凍のことだーいすき」あのときは隠そうとした気持ちを、今は全部曝け出す。「どんくらい?」「えっちしたいくらい」「は、」短く笑った焦凍の声に拒絶はなかった。「するか? やり方知らねぇけど」「えっ、いいの?」思わずばしゃっと距離を取った俺に焦凍が首を傾げる。
 あんなにかわいかったのに、こんなにイケメンになって。それでも大好きだけど。「え、いいの…?」そろりと手を伸ばしてピンク色の乳首をきゅっとつまんでみる。ぴく、と反応した焦凍はとくに何も言わない。
 いいのかな、と思いながらキスして、指で口を開けさせて、舌を捻じ込む。
 その手をお湯の中に突っ込んで、焦凍のものに触れる。わぁおっきい。「ん、ぅ」成長しても口の小さい焦凍が僅かにこぼした声が喘いでいるみたいでちょー興奮する。
 そんなふうにして、俺たちはお風呂でお互い気がすむまで触り合いっこってのをしてるうちにのぼせてしまい、救出にきた轟家の皆さんにはたいそう驚かれながらも、は十年たって『神隠し』ならぬ『鏡隠し』から帰還したのでした。ちゃんちゃん。