生まれつき頭に猫耳の生えていた幼馴染は『猫っぽいこと全般』ができる個性の持ち主で、それがコンプレックスだ、と言っていた。
 お前はいいよな、かっこよくて強い個性で。よくそう羨ましがられた。
 通学路の途中で班を離脱。猫が三匹集まってる会議の中に当たり前のように並んでしゃがみ込み、班長の声も無視で猫会議に参加している姿を、少し離れたところで眺めてたっけ。
 幼馴染のことを観察しているのが地味に好きだった。
 猫の中に混じって当たり前みたいに寝転がっているのも、猫みたいに気紛れな性格も、見ていて飽きなかった。
 俺は猫の声はわからないし、猫みたいなこともできないけど。人間以外と意志疎通ができるのは楽しそうだなと、火傷の痕を撫でて思った。
 幼馴染には羨ましがられたけど。俺は自分の個性が嫌いだった。
 これのせいで苦労をした。これのせいで火傷を負った。これのせいで家族は壊れた。
 好きだよ
 耳を撫でた声に俯けていた視線を上げると、いつになく真剣な瞳がこっちを見ていた。その頭でぱたっと猫耳が動いている。
 この個性のことか。お前が言う強くてかっこいい個性だから。そのせいで苦労してるのに。
 もしかして、慰めようとでもしてるのか。別にいいのに。
 幼馴染は何かを濁すように曖昧に笑って俺のことをぎゅっと抱き締めて、黒くしなやかな尻尾を俺の腕に巻きつけた。
 何が、と問う俺には答えなかった。何が好きなのか、とは、明言しなかった。
 そんな幼馴染とは小学校を卒業したら疎遠になった。
 俺は私立、幼馴染は公立。俺たちの道はそのまま交わらず、途絶えた。
 途絶えた、と、思っていた。

(あ?)

 いつものように雄英に行くための電車に乗り込んだ朝。
 たまたま目に入ってきた吊り広告。そこに憶えのある黒い猫耳と黒い尻尾の持ち主がいた。
 穴があくくらい吊り広告を眺めて、流れた涙で、自分が瞬きもしていなかったことに気付いて目を擦る。
 吊り広告を改めてチェックすれば、どうやら『初の単独ライブ』をやるらしく、チケットの宣伝をしていた。
 じっと猫耳と尻尾を見つめ、アイドル? なのか、キラキラした服とキラキラした笑顔の相手を眺め、携帯を取り出してアイドル名の『』で検索してみると、すぐヒットした。「ぉ」思わず声に出してから手のひらで口を塞いで、そのまま携帯をタップし続ける。
 。本名からそのままアイドル名もとったらしい相手は、小学校を卒業して以降、学業と並行しながら猫系アイドルとして活動していたらしい。パッと調べた感じ『猫と一緒にパフォーマンスするアイドル』としてまぁまぁの知名度があるっぽい。
 猫。そうか。仕事にも能力にも直結しない個性がコンプレックスだって言ってたけど、それを武器にすることにしたんだな。
 チケット購入についてのページを表示させれば、一番前の特等席は座ることができて、どうやら抽選らしいとわかった。
 そうか。抽選か。
 ここで見つけたのも何かの縁だ。申し込むだけ、申し込むか。
 そうやって気がついたら携帯で申し込みを完了させてしまった自分がいて、こんなことしたの初めてだな、と軽く驚く。ライブとか。それに申し込むとか。見たいと思ったのも初めてなら、座席は抽選だってのにグッズのページをチェックしてる、そんな自分も初めてだ。
 まぁ、ここまでは『気の迷い』ですませられるからいいとしよう。

「……何やってんだ俺は」

 チケットが取れるかもわからないのに通販で物を買いまくった自分に軽く呆れながら、三日で届いた段ボールの箱をそろりと開封してみる。
 まず出てきたのはTシャツとパーカーだ。男が着てもそこまで変じゃない、胸のところに猫っぽい耳、後ろに尻尾が小さく描いてあるだけのやつ。色違いも揃えて買ってしまった……。
 これも全色買ってしまった猫耳のついたペンライトをズラリと並べて一人満足し、通学鞄にアクキーをつける。
 マフラータオルはグラデーションの入ったちょっと派手な色だったが、の文字が英語で入ってるだけで猫耳とかはない。これなら学校に持って行って使っても、派手だが、そこまで変じゃないだろう。
 さて。問題はここからだ。
 ごくり、と喉を鳴らして問題の物……ブロマイドセットとパンフレットを並べる。どっちから開封するべきか、迷って、ブロマイドから開けることにした。
 猫と一緒に映ってるものばかりのAセットに、と日常生活送ってるように錯覚する撮り方をされてるBセットに、一緒に出掛けてるみたいな気分になるCセット。全部を食い入るように見つめて、はぁ、と息を吐く。
 いや。本当に、俺は何をしてるんだ。
 特定のものにこんなに散財したのは初めてだな、と思いながら、俺に向かってが笑いかけてるように見えるブロマイドを眺め、ばち、と手のひらで顔を叩く。嬉しそうな顔すんな。にやにやすんな。
 好きだよ
 耳をくすぐる幼い声にばしんとまた顔を叩いて、痛みでなんとか気持ちを紛らわせる。
 あれは。俺の個性が、強くてかっこいいから好きだ、って言ってただけだ。他の意味なんてない。きっと、ない。
 仮に他の意味があったとして。困るだろ。……困るだろ?
 顔をぐにぐに揉んで無表情に戻してからパンフレットをめくる。
 のコメントとか、ライブに込める想いとか、猫との話とか、ここだけの秘話が載ってる…。買ってよかった。
 それでまたにやにやしてる自分を自覚してばしんと顔を手のひらで叩く。だから、にやけんな。
 一ヶ月後、チケット販売の締め切り日がやって来て、ドクドクうるさい胸で抽選結果のメールを待った。
 その日は蕎麦の味もわからないくらい緊張して……『当選のお知らせ』の文字を見たときには、思わず携帯を落としたくらいだ。それくらい狼狽した。
 いや。そんなに倍率が高いわけじゃないってのはわかってたけど。
 当たらなきゃ、グッズを買って遠くから応援するだけで満足できてたのに。最前列の席が当たってしまった……。

(どう、しよう)

 いや、行くけど。当たったんだから行くけどな。
 速攻で支払いをすませ、カレンダーにライブの予定を書き込み、アマゾンでが出してるCDを全部買った。ライブまでに全曲憶えるつもりで。
 歌なんて、学校の音楽で最低限のことしかしたことがない。人の歌とかも、意識して聞いたこともない。
 だけど、あいつの歌なら聞いてみたい。と。思う。
 CDを入れて再生ボタンを押したとたん、が囁くように歌い始めたから、思わず停止した。「まて。まて」一人ぼやいてにやけてきた顔をばしんと叩く。ちょっと待て。もうちょっと心の準備をしよう。
 そうだ。声変わり。してるはずだ。こういう声になってたんだな。知らなかった。破壊力すげぇ。
 五分くらい深呼吸して、ヘッドホンをつけ直し、もう一度再生ボタンを押す。
 耳元で囁く声に背中がぞわぞわするのを感じながら、歌詞カードの文字の綴りを目で追う。片思いの歌、っぽい。
 作詞はが自分でしてるらしい。
 じゃああいつ、片思い、してるのかな。それは。なんか。嫌だな。
 じわっと嫌な感じに滲んだ気持ちに、それがどうしてかはわからないまま、買ったCDを一通り聞き終わるのに二時間かかった。途中で休憩したり心を落ち着けてたら時間がかかった。
 携帯の方でも曲を一通り購入し、通学中も顔がにやけないよう注意しながらあいつの歌を聞きまくった。
 そうして迎えたライブ当日。
 グッズで全身固めた俺は、当日の物販にも並んだ。ここだけでしか買えないCDとかグッズがあると知って並ぶと即決した。おかげで今日は午前が物販、午後がライブと一日潰れるが、最近は体育祭のための自主練ばっかりしてたし、たまにはいいだろ。息抜きだ。

(おお……)

 物販会場でしか買えないCDと、靴下と、エコバッグと、ヘアバンドと、当日しか買えない色のペンライト、早い物勝ちのサイン入りポスターに、これも当日しか買えない数量限定の猫耳フードつきカーディガン、その他エトセトラ。
 前回のライブの余りものか、ちょっと安くなってるものもあって、余さず買い物かごに放り込む。
 目が回るグッズ量に翻弄されながら、持ってないもの全部カゴに突っ込んで持って行ったらスタッフに驚いた顔をされた。

(靴下、履くのもったいねぇな。でも買ったんだから使わなきゃ。ポスターは部屋に飾りたいけど、あんまり、あからさまかな。姉さんとかに見られたらなんて言おう。カーディガンは部屋着なら耳があっても…)

 そんなことを考えながら会計のために万札を三枚出して、レジ横の『猫のための募金箱』に余った有り金を突っ込む。
 猫と一緒に働くは、猫のために色々と活動をしてる。保護施設を作るとか、里親を探す全国組合とか、そういうやつ。
 活動には金がいるだろうし。今手元にはこれしかないけど、帰ったら公式からまた募金しておこう。
 募金箱に万札を突っ込む人間が珍しいのか、レジ打ちのスタッフが慌てたように無線マイクに何か吹き込んでいる。
 そこで、後ろに並んでる女の黄色い声を聞いた。うるせぇ。「あ、さんこっちです!」それで目の前のスタッフがそう声を上げる。
 ぎこちない動きで顔を上げれば、スタッフに呼ばれたが。黒い猫耳を生やした憶えのある顔をしてるがいた。まだ衣装を着る前のラフな格好だ。肩に猫がいる。どうやら後ろの黄色い声は本人が登場したかららしい。
 背、伸びたな。俺より少し高いか。「わ、買い物すごい。募金も、ありがとう」それでにこっと微笑みかけられて顔が。引きつる。にやけんな。
 俺がまぁまぁな買い物をしたからか、買ったエコバッグに物を詰めていってくれるが営業っぽいスマイルからふと思案顔になって俺のことを見つめた。思わず顔を背ける。「あれ」「…………」「もしかして」轟? と言う声にぎこちなく顔を戻すと、は猫耳をぱたっとさせて首を捻っている。肩にいる猫も同じように首を捻ってるように見える。
 それで、ポケットに手を突っ込んで財布から名刺を出したかと思えば、俺が買ったボールペンで何か書き込む。

「ライブ、楽しみにしててね」

 それで笑顔と一緒に名刺を渡された。
 すげぇ買い物してしまったな、と思いながらふらふらと歩いて会場を出て、もらった名刺を見てみる。……電話番号が書いてある。携帯の。事務所のとか、じゃない。
 にやけた顔をばしんと手のひらで叩く。だからにやけんな。

(連絡していいって、そういうことか)

 でも。これからライブで、準備とか、忙しいだろうし。今したら迷惑な気がする…。
 そうやって悩んでいる間に午前の物販の時間は終わった。
 駅のコインロッカーで荷物を預け、午後のライブに向けてしっかり食わなきゃ、とデパートに入ってる蕎麦屋に行ったはいいが。「………」うまい蕎麦があるっていうのに、俺はさっきから名刺を取り出しては眺めてしまって、というのを繰り返している。天ぷらまで頼んだのに箸が進まない。

(連絡。したいけど。どうせなら今日の、ライブを見た感想とか。そういうのと一緒の方が、も喜ぶだろうし。俺も話題に困らない、だろうし)

 そんなことをぼやっと考えながら蕎麦と天ぷらを食い終え、午後。
 最前列の人間から通され、一番前のど真ん中、当たってしまった席に腰を下ろし、会場入りのときにもらった猫耳カチューシャをつける。
 が出るライブでは毎度これが配られるのが定番らしい。つけるのは強制じゃないが、こんな機会でもなきゃつけないから、つけとく。
 会場の入り口で買ったドリンクのコーラをすすってみると、喉がしゅわしゅわした。
 普段飲まないからな、こういうの。喉渇いてもこれじゃ潤いそうにないな。でもはコーラが好きらしいから(ってパンフに書いてあった)どんなものなのか飲んでみたくて……。
 薄暗い空間にはどんどん人が入ってきて、そう広いわけでもない会場があっという間に人で埋まった。
 猫との共演をすることが前提のライブは、俺が思ってるより猫、だった。
 チリン、と首輪の鈴を鳴らして俺の前までやってきた猫がジャンプして膝に乗ってくる。
 は個性で猫と意思疎通ができるから。ここにいる猫はライブに出ることをOKしてて、逃げ出すこともないんだろうけど。「…、」そろりと手を伸ばして猫の頭を撫でてみる。なんか、ごろごろ、音がする。喉鳴らしてるのか。

(始まる前に、トイレすませておこう。長いだろうし)

 そっと猫を下ろして(だみ声で抗議された)男子トイレに行くと、女子トイレとは雲泥の差で空いていた。女子の割合が多いってのは知ってたけどここまでとは。
 鏡に映ってる紅白頭の自分がいつも通り無表情なことを確認して一つ頷く。猫耳がついてる以外はいつもと同じだ。にやけてない。
 変な顔するなよ俺。最前列なんだから、から見えちまう。絶対にやけんなよ。
 自己暗示しながら席に戻ると、まだ猫がいた。「お…」俺の代わりみたいに席に座ってる。
 また抗議のだみ声を受けながら猫を退かして座ると、ぱぁっと逃げていった。他にも数匹会場には猫がいるみたいで、誰かの膝の上だったり、抱っこされてたり、写真撮られてたりしている。
 猫ありきのライブなんだな。ここにいる人はそのスタイルが好きで来てるんだろう。
 ……は今も猫と一緒に遊んだりするのかな。小さい頃はよくしてた。叶うならそれを近くで観察したいもんだけど。
 そんなことを考えていると照明が落ちた。次いで、パッと目の前が明るくなって、猫がいっせいに鳴いた大合唱を聞く。
 猫の行進。その先頭に立って出てきたのはキラキラアイドルしてるだ。
 自分の喉が変な感じに息を吸い込んで、むせた。
 イメトレはしてたのに。目の前のキラキラしたものに理解が追い付かない。

(ちゃんと見ろ。もったいない……)

 喉を潤すことがないコーラをすすって覚悟を決めて顔を上げると、猫用なんだろう、キャットタワーがいくつも設置されてて、それの一つに腰かけてアコギを手に取ったがいる。『今日は来てくれてありがとう』にこっとしたスマイルと鳴らされたギターに細長い指が映える。
 猫に囲まれてるブロマイドはあったけど。本物は、いいな。
 買ったはいいけど振るタイミングがわからなさすぎて膝に置いてるだけのペンライトもそのままに、CDで何回でも聞いた歌声を聞く。
 サビくらいは歌えるようにって練習したのに、全然口が動かない。
 チリン。
 音と音の合間に鳴った鈴の音に視線を落とすと、さっきの猫がいた。いつの間にかステージから下りてきている。「…?」なんか、首輪のとこに挟まってるな。メモ用紙か?
 じっとこっちを見上げて動かない猫に、取れってことか、とメモを引き抜くと、ぱぁっとステージに戻っていった。早い。
 たたまれている用紙を広げ、ステージからの眩しい光で照らして読んでみる。

『轟へ。17時にこの建物の裏、駐車場前に集合』

 チカチカする視界にチカチカする文字が飛び込んでくる。
 ふ、と息をこぼして、変な顔になってるだろう自分の表情をマフラータオルで覆う。
 お前のこと、少し離れたところから見てこうなんだぞ。俺は。どういう顔して。会えばいいんだ……。