生まれつき腰の辺りに生えていた翼と、五歳になって発現した個性。二つを合わせ持ったオレに両親はとても喜んだ。
 この個性社会では個性二つ持ちというのは何事にも有利に働く。オレと自分達の将来は明るい。そう泣いて喜んでいたのをよく憶えている。
 両親はいわゆる前科持ちで、ヴィランだった過去がある。
 一度社会に躓いた人間というのは、どうやっても普通の生き方には戻れない。
 表面上は取り繕うし、そういう人間にも未来があると教科書は説くし、やり直せないことはないと誰もが言うくせに、実際問題、躓いた人間の子供というオレが歩ける道はあまり多くはなかった。
 個性二つ持ちという有利性も、ヴィランだった両親というレッテルで帳消しになるくらいには、そこは閉鎖的な場所だった。
 そんな両親は、そういう社会に疲れて果てて、五年前に揃って崖から飛び下りた。靴は揃えて脱いであり、遺書もあった。
 海に落ちた二人の体は今でも見つかっていない。
 オレの手元に残ったのは、自分達は先に行くけれど、どうかあなたは幸せになってという、とても無責任なことが書いてある遺書だけだった。
(痛い)

 今朝も、鶏みたいにむしり取られた羽のせいで、腰の翼は骨と皮を残すばかりになっている。
 ズキズキとした痛みを伝えてくる腰を無視して、血が落ちている床からのろのろと立ち上がる。着替えて骨と皮だらけの翼を隠すように長い上着を羽織り、その上から作業用のエプロンをして、汚れた床を掃除し、何食わぬ顔で店先で花を飾る。そういう日常を、今日も送る。
 一週間に一度はようやく生えてきたって状態の羽をむしり取られる。
 あと、時折暴力は振るわれるが、それだけで済んでいるのだから、ここはまだマシな方だ。そう思うことにしている。

「おい、配達の依頼だ」

 電話に対応していた店主の言葉に「はい」と返してしゃがんでいたところから立ち上がりかけて、フラついた。腰が痛い。「しっかりしねぇか」軽く怒鳴られながらタブレットで確認すると、今しがた注文が来ていた。……またこの人か。
 店主と世間話をする間柄ではないし、今日は、虫の居所が悪そうだ。さっさと仕事に行こう。
 むしった羽根で趣味の細工物に没頭して、仕事なんてほぼしていないくせに、何をそんなにイラついているんだか。電話の注文で自分の趣味を中断されたことに気を立てているのかな。
 注文通りの花束を作って、自転車のカゴに入れて、最近週に二回は花を頼んでくる、常連となりつつある人のアパートに向かう。
 街は今日もいつも通りだ。少し小雨模様だからって何も変わらない。人の営みも、性も、何も。
 今日もミュンヘンの市庁舎は歴史的建造物として佇み、弱い雨に濡れそぼった美しい花で飾られている。
 デパートには多くの人が出入りし、昼が近いとあってか、レストランも賑わい始めている。
 自分には関係ない世界を凪いだ目で見つめてから、青になった信号に気付いて自転車を漕ぎ、十分で目的地に到着した。
 リンゴーン、とアパートのベルを鳴らすと、ほどなくして青年が一人出てくる。
 オレと同じくらいかなと思う年齢で、右が白、左が紅という髪色が特徴的な人だ。長めの前髪に隠れるみたいにはなってるけど、顔の左側に傷跡のようなものもある。「お待たせしました」花束を差し出すオレに、その人は無言で花を受け取る。

「いつもありがとうございます」

 常連となりつつある人だし、ここは憶えよくしてもらおうと笑顔をつけておくと、その人は逆に顔を顰めて眉根を寄せた。「あの」流暢な英語だ。ここじゃここまでキレイなものは珍しい。ならオレも英語で返そう。「はい」「血が」その指が示す方を見て思わず腰を押さえる。確かに、ぽたぽたとしたものではあるけど、煉瓦畳みの道には赤色が落ちていた。
 しまったな。赤いシャツに黒いパンツだから大丈夫だろうって甘く見ていた。今朝は結構思い切りむしられていたらしい。
 包帯でも巻いておくんだったな、と思いながらなんとか笑う。「ちょっと、引っかけてしまって。汚してしまって、すみません」苦しい言い訳だと自分でもわかっていたし、相手もわかっていたんだろう。口を噤んで何も見なかったことにしてくれる…かと思ったら、手を掴まれた。何か言う前に部屋の中に連れ込まれてバンと扉を閉められる。
 お世辞にも目つきが良いと言える人ではなかったけど、不思議と怖いとは感じなかった。
 花を置いた相手が無言でオレの体に手を這わせる。
 リップサービスくらいなら、常連さんだし、するけど。これはちょっとさすがに。
 その手が翼の骨に触れたときにズキンと痛みが走った。「っ、」ビリッとした刺激に思わず顔を歪めてしまって、それを見た相手が手を引っ込めて、指先についた血を見ていた。

「なんだ。これ」
「……血。です」
「そういう意味じゃない。腰のソレ、翼だろう」
「まぁ。そうですね。そう、でした」

 最近はむしられ続けて羽が揃うこともない腰の翼は僅かな血を流していた。まだ生きている、とでも言うように。
 昔はそうだった。これで少し飛ぶこともできていた。でも、今はとても。
 視線を逸らしたオレに、相手は軽く息を吐くとポケットから何かを取り出した。そのカードを見て目を見開く。「ひー、ろー?」ドイツ語ではないけど、英語でショートと書いてある。所属は日本。
 ポケットにカードをしまった相手は問答無用でオレの上着を剥ぎ取った。「あの、ちょ」シャツをまくり上げられて、隠していたのに、骨と皮ばかりとなっているみすぼらしい翼を空気に晒す破目になる。
 服の下に隠れる部分の肌には無数の痣や傷もあって、禿げた翼と合わせて、オレの体は醜いことになっている。
 それを見て眉を顰めた相手はポケットから携帯電話を取り出すとどこかに電話を始めた。「親父、俺だ」…英語じゃないな。日本人だから、日本語、かな。さすがにわからないや。
 労わるかのように禿げた翼の骨を撫でる手に血の赤がつく。
 撫でられるたびにヒリヒリと骨が軋む。普段は無視している痛みが、ここぞとばかりに訴えてくる。生きている、ということを。

(あの場所をクビになったら、困るんだけどな。羽をむしられることとたまの暴力くらい、全然、耐えられるのに)

 逃げられないでいる間に電話は終わったらしく、オレに元通り服を着せると「行くぞ」と歩き出した。手を掴まれていて逃げられない。「どこへ」「病院」当たり前だろうという顔で言われて、そうなのか、と思うオレは、たぶんどこかが壊れている。
 羽をむしられることも暴力を振るわれることも日常的だった。オレって人間の人生を振り返ればそれが普通だったとも言える。だけど、たぶん、人にとっては普通じゃない。だから病院に行こうと言うわけだ。
 逃げられないまま連れて行かれた病院でもろもろの検査と手当てをされ、解放された頃には、オレが勤めていた花屋の店主は複数の罪状で告発、逮捕されていた。
 なんでも、店員のオレ以外にも暴力や脅しといったことを横行させていたらしく、今回たまたま現地にいたヒーローショートが調査の仕事を引き受けた、という流れらしい。それで証拠が掴みやすそうなオレに接触してきた、と。
 正義の執行は、まぁ、ありがたいことなのだと思う。世間的には。
 だけどオレにはどうかな。店に住み込みで働いていた身としては、急に仕事先と住む場所がなくなってしまった……。困った。
 少ない荷物をまとめてこれからどうしようかと途方に暮れていると、傘が差し出された。視線を上げると透明な傘を持ったショートが立っている。

「俺は今日でお役御免だ。帰国する」
「お疲れ様、です」
「一緒に来い」
「………?」

 首を傾げたオレに、ショートは一つ息を吐いた。それで手元のタブレットを弾いて何か、難しそうな英語の文章が書かれた書面を見せてくる。「お前のことは調べてある。捜査とはいえ利用した手前、面倒は見る」「はぁ…?」オレは英語にそんなに明るい方じゃない。法的な専門用語が並んでいる書類を見てもピンとこない。
 背を押されるままに歩いて、オレとは無関係でしかなかったショッピング街の店の一つに連れ込まれ、適当に服を買われた。「あの、お金が…」あんまりどころか全然ない。ブランドの高い服に使えるお金なんて持ってない。
 困惑顔のオレを一瞥したショートはさっさと会計をすませ、着替えろ、とオレを試着室に放り込んだ。
 オレの人生イチもののいい服を持ったまま鏡の前で立ち尽くしていると「着替えろ」と再三言われた。仕方なく物のいいシャツやパンツにそろりと着替え、ちゃんと腰のところに穴開いてるんだな、と妙に感心する。禿げて包帯だらけの翼でも、これで少し息がしやすい。
 そのまま手を引っぱられるままに店を出て歩いていくと、目の前に黒塗りの車が滑り込むようにして停まった。
 ……どうせ住む場所もないし、働く場所もない。
 人生、なるようにしかならない。
 ショートのことを信じると言えるほど、オレはこの人のことを知らないけど。ヒーローなら悪いようにはしないだろうと、背を押されるまま、車に乗り込むことにした。