世界のヒーローが連携を密にする、交流するということを目的に行われた派遣で赴いたドイツ、ミュンヘンであった電話でのタレコミ。その真偽を確かめるために住み込みで捜査を始めた結果、マークしていた人物は真っ黒であると判明。逮捕に至った。
 これで俺の仕事は終わり。派遣の期間も過ぎたし、蕎麦のないミュンヘンともお別れだ。
 大した感慨もなく街を出て、バカでかい空港でトランクを預けてチケットの発行をすませる。
 隣できょろきょろ辺りを見回してどっかに歩いて行こうとする相手を掴んで止めるのはこれで三度目だ。「」フラフラされると困る。
 禿げて羽の一枚も生えてない翼を腰に生やした相手は黄色い瞳を細くした。「いいにおい」たどたどしいが、なんとか意味はわかる英語だ。「腹減ったのか」「うん」筋肉の一つもついてない細い体を眺めて、まずはさっさと保安を抜けることにした。レストランなら中にいくらでもある。
 義務的に抜けた俺と違い、空港という場所が初めてらしいが保安の検査であまりにおどおどしていたから、後ろめたい、怪しい人物と間違われた。
 仕方なくヒーローのカードを見せて係員に事情を説明し、別室を用意してもらい、そこで所定の手続きをすませる。
 保安の件で委縮したのか、ぎゅっと上着の裾を掴んで離さない相手を一瞥し、もうちょっと気を遣うべきだったな、と思う。
 足を止めて、服を掴んで離さない手をゆっくり外して握ると、一拍あとに握り返された。まだこの方が安心できるだろ。
 またきょろきょろし始めたを連れて歩き、ドイツらしくビールやソーセージを扱っている店に入店。が抵抗なく食事できるようにしてやる。本当ならまがい物でも日本食の店に行きたかったんだが我慢だ。

「お金……」
「気にしなくていい」

 蕎麦が食いてぇな、と思いながら白ソーセージとジンジャエールを注文した俺に、は迷ったあとに同じものを頼んだ。
 迷ってたくせに、運ばれてきた食事にすぐがっつくところを見るに、相当腹が減ってたらしい。
 黒いシャツの襟もとに見え隠れする青痣になんとも言えない苦い気持ちを噛みしめながら、同じような苦さのあるジンジャエールを飲み下し、ミュンヘンの名物であるらしい白ソーセージをかじる。肉というより、ハーブの味がする。
 付け合わせの酢キャベツは酸っぱい。日本とはまた違う酸っぱさだ。
 一ヶ月滞在してわかったが、ドイツの飯はうまくない。ビール、ソーセージ、酢キャベツ、じゃがいも関係。冬が長い国らしく保存を優先して考えられた食べ物にうまさを求めるなって話かもしれないが、それにしたってこの酢キャベツ酸っぱいな……。
 そういや、これと同じ色だな。そんなことを思いながら白ソーセージみたいな白い髪をふわふわさせているを眺める。…ソーセージ食って満足そうだ。
 ひとまず腹が膨れて満足したらしいを連れてレストランを出たあとは、家族にくらいは土産を買っていこうといくつかの店に寄った。

「ドイツは何が有名だ」
「ビール」
「……それくらいはわかる。ビール以外」
「じゃあ、これ」

 細い指が手にしたのはグミだった。日本でも見たことがある…気がする。「子供にあげるわけじゃねぇから却下」姉や兄を思い浮かべながらグミ案を却下すると、相手は困ったように店内に視線を彷徨わせる。「じゃあ、これ」迷いながら次に手に取ったのは入浴剤だ。これならまぁ、風呂に入れて使ってればそのうちなくなる。これでいいか。
 うちの風呂はでかいし、でかいサイズで、日本じゃ売ってないやつにするか。
 店員に聞いて適当に見繕った入浴剤をボストンバッグに放り込み、チケットを確認して、指定されたゲートの方までブランド品で賑わう通路を歩く。
 はその間、きょろきょろと物珍しそうに左右に首を振って……なんか、翼があるせいか、鳥みたいだ。
 生まれたばっかりの雛鳥は親に盲目的についていく。
 今はまだ飛べない翼にはいつか羽が生え揃い、風を掴む。
 時間までは日本食があるラウンジで休憩しようとチケットを見せると、畏まったように通された。ファーストクラスっていうのはそういうもんらしい。これで何度か利用したが、未だに慣れない。
 シャワーも浴びられるしアルコールも飲める、飯も食える、仮眠場所もある、そんな小綺麗な空間に通されて、基本無表情か困った顔をしていることが多いの表情が少し明るくなった。「ご飯」…さっき食ったろ。そう思いながら、用意されている蕎麦に迷わず皿を手にする。蕎麦は別腹だ。「機内で飯もある。食いすぎるなよ」「うん」さっそくロールキャベツとスープをよそっている。
 茹でて置いてある蕎麦で、時間もたってる。それでも食えないよりはマシで、日本食を口にしたことで体はだいぶ落ち着いた。
 もう半日もすれば日本だ。帰ったら蕎麦を腹いっぱい食おう。
 ガラス張りの壁面の向こう、滑走路と行き交う大量の飛行機を眺めながら蕎麦を食い、デザートのアイスとクレープを持ってきたに呆れながら、仕方なく半分食ってやる。

「あの」
「ん」
「ショートは、どうして、良くしてくれるのか。わからない」

 たどたどしい英語に首を捻る。
 最初に言ったが、動かぬ証拠のため、捜査のためとはいえ、俺はお前を利用していた。暴力その他を受けている可能性を知りながら二週間も放置した。その詫び……というには確かに、やってることは大げさだが。
 うまいこと説明できないものかと何度か頭の中で理論を組み立てたが、全部途中で足元が崩れて瓦解した。

「迷惑か」

 結局そんな言葉しか出てこなかった俺に、相手は緩く頭を振る。
 その頭が少し陥没しているということは病院で聞いて知った。命に別状はないが、過去に暴力を受けてできた傷だ。はそんなものが体中にあって、個性の一つである翼は見るも無残に骨と皮しかない。それでいて金も住む場所もないとなれば、どこへ行ってもそういう扱いを受けてきたお前を連れて行こうと思うのは、別に不自然な発想ではない。と。思う。
 巡回してるんだろう、カートを押したスタッフが「お飲み物はいかがですか」とにこやかな笑顔と日本語で話しかけてくるから、オススメを二人分頼み、片方をにやる。

「新しい人生を歩むんだ」
「………あたらしい。じんせい」

 オウム返しに呟いたが不思議そうに首を捻っている。そんなものは想像したことがなかったって顔だ。
 日本じゃお前のことを知ってる奴はいない。日本語を学ぶのは骨が折れるとは思うが、それさえできたなら、生きやすい国だ。
 これも何かの縁だ。お前が生きていけるようになるまで手を貸してやる。
 だから、いいかげん、生きてる心地がないっていうそのぼんやりした顔をやめてくれないか。
 搭乗時刻の十分前にゲートに行くと、ファーストクラスの人間はもう通され始めていた。「行くぞ」「うん」酒を飲んだせいかさらにふわふわした足取りのを連れてチケットとパスポートを見せ、ファーストクラス専用の搭乗口から飛行機の二階へ。
 毎度毎度、寝たり食ったりするだけの飛行機でこんな座席を取る必要はないって言うんだが、親父は鬱陶しい。ヒーローたるもの体が資本、休めるときに休ませろとかなんとか。正論は正論だが毎度本当に鬱陶しい。
 座席、というより狭い個室みたいな空間の机の下にバッグを置き、おろおろしてるを通路を挟んで向かいの座席にやる。「お前はここだ」「う、ん」おずおずと座席に腰かけてあちこち確認して弄り始めた姿を見て、仕方がないから、開閉できる扉は開けっ放しにしておくことにした。お互い顔が見れればまだ落ち着くだろ。
 テレビは好きに見ていいこと、食事も頼みたいタイミングでいいが、二回はきちんとしたものが出るから前後は食うなってことなどを説明してる間、は難しい顔をしていた。
 ウェルカムドリンクを配りに来た日本人の客室乗務員からアルコールを受け取り、おどおどしてるの分ももらっておく。今日はチョコがついてる。

「これ、何」
「乗ってくれてありがとうって意味のもん」

 適当に返してグラスを呷り、チョコを口に放り込む。甘い。
 その後、エコノミークラスまで搭乗が終わったらしいアナウンスに促されて自分の席でシートベルトを締め、関連の手続きで残っている書類を終わらせてしまおうとタブレットの電源を入れる。
 時折の状態を確認しながら英語の書類の作成を頑張って、一回目の食事は日本食を選択。まぁうまいな、と思う和食を食べ、引き続き書類を作成。あと一枚…。
 眠くなってきた目を擦って隣に視線をやると、なんかもぞもぞしていた。「どうした」席を立って声をかけにいくと、ベッドを作ろうとして、やり方がピンとこなかったらしい。「寝るのか」「うん」「ちょっと退いてろ」代わりにベッドを作ってやり、横向きに転がったの細い腰を撫でる。「薬、塗ろう」「うん」包帯をそっと外していき、軟膏タイプの塗り薬を禿げている翼、というか、骨、にそろりと塗り込む。
 この翼では、羽が生え揃ったとして、長いこと飛べないでしょう。根本から折れています。
 医師の言葉を思い出しながら、もう正常には飛ぶことはできないのだという翼の根元をなぞると、もぞもぞ動かれた。くすぐったいとばかりに。
 普段しないことをして疲れたのか、布団を被せたはアイマスクをするとわりとすぐに寝た。慣れない空間に戸惑いはするが、順応性は高いらしい。
 自分の席に戻って引き続き英語の書面と格闘し、一時間後、なんとか終えることができた。
 細かいスペルミスとかは知らねぇ。弁護士にチェックしてもらって直そう。とりあえず頑張った。

「はぁ」

 ネット経由で書類を送りつけ、タブレットの電源を切って充電器に繋ぐ。疲れた。苦手じゃないって言っても、専門用語が並ぶ書面は疲れる。
 ファーストクラスの乗客ともなれば、行動はチェックされている。「よろしかったら、どうぞ」あたたかいタオルを持ってきた客室乗務員に礼を言って受け取り、目元に押し当てる。
 次の食事までまだ時間がある。テレビを見るって気分でもねぇし、も寝たままだ。俺も少し、眠るか。