夏。ギラつく太陽の下、頑張って歩いて辿り着いたお店を前にして、私、麗日お茶子と芦戸三奈ちゃんは途方に暮れていた。

「これ、食べたいよねぇ……」
「うん」

 たまたま休日が合った三奈ちゃんと揃って見つめているのは、季節限定のハート型のかわいいケーキが描かれたボードだ。夏らしくムース、すっきりとしたグレープフルーツをメインにした柑橘系のフルーツケーキ。これを食べたい一心で電車で一時間遠出してきた。
 そんな私たちの前に立ちふさがるのは、『カップル限定』という表記。
 そうなのです。でかでかとそんなことを書いてある、ここはカップルしか入店できないお店なのです。
 雑誌でたまたま見かけて、おいしそ〜って盛り上がって遠出したはいいけど、まさかの障害に、二人してがっくり肩を落とす。「カップル」「限定」「慈悲ないやん…」「だ、ダメかな、女子同士とかでも……」三奈ちゃんの声に、私はすっとボードの下の方を指す。そこにはなんと『カップルである証明として、入店のさいキスをしていただきます。あらかじめご了承ください』ダメ押しとばかりにとんでもないことが書いてあるのだ。
 二人で無理だよ〜でもフォト映えする場所でハート型の夏らしいかわいいケーキ食べたいよ〜〜と嘆くだけ嘆いて、諦めるしかないか、なんて、ようやく気持ちがまとまったとき。「お」知っている声に二人揃って顔を向けると、マスクとサングラスで変装してる轟くんがいた。紅白の目立つ髪を誤魔化すためにパーカーのフードを被ってるのが逆に目立ってる。

「えっ、轟くん!?」
「ああ。奇遇だな」
「え、轟、まさかここに…?」

 宮殿みたいなフォトジェニックな空間で、ちょっとしたお姫様気分で、スイーツを。そんなテイストのお店に轟くんがやってきたこと自体に驚く私と三奈ちゃんは、彼の後ろからひょこっと出てきた白い髪、腰のところに翼がある人に揃ってあっと思った。
 最近話題になってる、轟くんの連れの子だ。謎に包まれた存在としてヒーロー誌でも取り上げられてた。「こんに、ちわ」どことなく引っ掛かりのある挨拶をしたその人がちらっとお店の方に視線を投げる。中が気になってるみたい。
 轟くんが首を捻って「入らねぇのか」と指すお店に、私たちは肩を落として事情を説明した。
 このお店がカップル限定であること。入店のさいはその証明としてキスしないといけないこと。だから、たとえば、轟くんたちに協力してもらって男女のカップルがここに二組成り立ったとして、証明のキスという段階で入店は無理なんだということ。
 一通り話を聞いた轟くんはふぅんとぼやいてそわそわしている白髪の子に視線を投げて、「食べたいか」ボードで手描きで宣伝されてる季節限定のハートのかわいいケーキを指せば、秒で頷いて返される。
 大して悩んだ素振りもなく白髪の彼を伴って入店していく轟くんに、三奈ちゃんと顔を見合わせ、ごくり、と唾を飲み込む。

「もしかして……キスって、ほっぺでもいいんじゃない?」

 三奈ちゃんの声にはっとする。
 確かに、ボードには『キスをしていただきます』としか書いてない。どこに、とは、書いてない。
 なるほど。だから轟くんは行ったんだ。それくらいならできるって判断したんだ。
 なんだ、それなら私たちにもできそうじゃん、と二人で盛り上がって、一応轟くんたちの成り行きを見守る。ほっぺにキスで入店できるなら、暑い中ここまで来たんだし、絶対に入ろう。そう思って。
 だけど、違った。色々、予想と違った。
 マスクを下げた轟くんは白い髪の彼の唇に唇を押しつけてキスをした。ように見えた。パーカーのフードが邪魔でよく見えなかったけど、そう感じた。「ひょっ」「ひっ」三奈ちゃんと二人揃って変な声を上げてしまう。
 私たちと同じく変な空気を飲み込んだんだろう店員さんに「これでいいですか」とぼやいてマスクを直す轟くんは、轟くんだった。どうしようもなく。
 なんてことを二ヶ月ぶりの女子会で報告すると、梅雨ちゃんが首を傾げて唇に指を当てた。考えるように大きな瞳を天井付近に彷徨わせる。

「その人、会ったことあるわ」
「え、いついつ!?」

 まさかの展開にわっと盛り上がる私と三奈ちゃんに、梅雨ちゃんが携帯で表示させたのは、トロピカルっていう人気の屋内プール施設だった。「ここ、お水の施設だから、もしものときの助っ人として仕事をしてたことがあるんだけれど。二人が来たことがあるの」「ええ……ここってさ、今大人気のとこでしょ?」三奈ちゃんの言葉にうんうん頷く。「海に行かずとも南国リゾートの気分が味わえる! って大ウケしてるんだよね」季節を問わず水着で満喫できるってことで、チケットを取るには一年待ち。まさに夏の今、日焼けの心配のない海には行けたら行きたいけど、人気すぎて行くことができない場所なのだ。
 でも、轟くんなら。親御さんがエンデヴァーってこともあるし、優待チケットとか、そういうものをもらう可能性っていうのはあるのかも。
 三奈ちゃんが「いいな〜轟は」とぼやいて座席にぐでっともたれかかる。「エンデヴァーが親なのは私でも嫌だけどさ〜、色々有利」「そんなこと言っちゃ駄目よ」「わかってるんだけどさ〜」三奈ちゃんの言いたいこともわかる気はする。世の中、イケメンと美女には甘くできているのだ。
 私たち、自慢じゃないけど、美人、ってわけでもないし。プロヒーローでそれなりに活躍はしてるかもしれないけど、週に何度もテレビで見かけるような轟くんほどじゃあないし。
 そんなことを話してるうちに、急な仕事で遅れていた透ちゃんも合流した。
 これで、今日都合がつかなかったモモちゃんと耳郎ちゃん以外、女子会メンバーが揃った。
 それでは、改めまして。ランチをいただきましょう。
 ロコモコハンバーグのランチを人数分お願いして、外の暑さで参ってそうな透ちゃんにお水のグラスをすすめると、ごっくごっく喉を鳴らして飲んだあと、彼女はこう言った。

「ねーねー聞いて! さっきねー轟くんを見かけたんだよ」

 まさにさっきまで話していたことを言い出した透ちゃんに、私と三奈ちゃんは食いついた。「うそ、さっきまで話してたんよ」「やっぱりあれ、翼持ちの白い髪の彼、いた?」「いたいた! もうね、すっごいくっついてた! この暑いのに!」三奈ちゃんと顔を見合わせて頷き合う。それはぜひ、詳しく聞きたい話すぎる。
 透ちゃんが言うに、二人は最近できたジェラートのお店に並んでいたらしい。それで、轟くんがヒーローショートのオフとしてサービスして、並んでた人はモーゼの海割りみたいにさっと二人を通したとのこと。
 ジェラートを食べるわけだから、食べないよりは涼しくなれるだろう。でもだからってくっつく必要はあるのかな。
 私たちの中で冷静な梅雨ちゃんは「それは、轟ちゃんの個性で涼しくしていたんじゃないかしら?」と夏なのにくっついていたという二人の状態を的確に説明していたけど、そうじゃない方が話は盛り上がるのが女子ってものだ。
 私たちはランチを食べながら、デザートまで食べながら、二人の関係についての勝手な当てずっぽうを喋りまくった。たまに梅雨ちゃんにツッコミを入れてもらいながら、勝手な想像を膨らませた。
 女子会なんてそんなものだ。普段は喋る相手がいない話、プロヒーローという責任からついて回るプレッシャー、発言の重さを忘れて、ただただ笑うための時間。
 そういう貴重な時間を過ごして「またねー!」「今日は楽しかった!」「ケロ」「お互い怪我しないようにがんばろーねー!」なんて声をかけ合い、別れた。
 少しでも夏の陽射しから肌を守るために日傘を広げて歩く、そんな帰り道。
 立ち寄った公園で、ランチとパフェまで平らげてしまったお腹のために歩いていると、タイムリーにも、彼を見つけた。ふわふわした白い髪に腰に翼のある彼だ。腰のところに穴の開いたシャツとズボン、スニーカー、どこを見ても白い格好で立ち尽くしている。
 その姿だけを見ていると、今にもどこかに飛んで行きそうな白亜の鳥のようにも見えたし、どこか歪に歪んでいる翼は、狩人に狙われた手負いの小鳥のようにも感じた。
 ミーン、と蝉が鳴き叫ぶ声がする。

「こ、こんにちは!」

 一回顔は合わせてるわけだしと勇気を出して声をかけると、一拍あとにこっちを振り返った彼は首を傾げた。「あ、えっと。この間ちらっと会ったんだけど、轟くんの旧友で、麗日っていいます」憶えられていなかったことにちょっとショックを受けつつも自己紹介すると「うら、らか」舌足らずな声で私を呼んだ彼はまた首を傾げた。
 どこかに轟くんがいるんだろうと思って公園内を見渡すけど、紅白頭の彼は見つけられなかった。「轟くんは?」「じけん、て」なるほど、ヒーローとして行ってしまったのか。轟くんはプロ意識が高いから、オフでも困ってる人を放っておけないんだろう。私も、自分が見聞きしてる場所で事件が起こったら、同じような反応しちゃうだろうし。気持ちはわかる。
 ぼやっとしている顔の彼はくんといって、ドイツ人さんらしい。
 日本語はまだ勉強中で、発音がどこか舌足らずな感じがするのはそういうことなのだ。
 私は今日このあとの予定はないし、腹ごなしに歩いてたくらいだ。どうせなら彼の時間潰しに付き合おうと思って、ベンチで隣り合って座って、大きくない日傘の下で陽射しを避けながら話をする。
 ぽつぽつとした声を聞きながら、夏の空に視線を投げる。もう夕方だけど、全然陽が高い。空が青い。

「ショウト、は。とても。いそがしい」
「そうだろねぇ。彼、プロ意識高いから」
「ひーろー、は、たいへん。なの、に、どうして。ウララカ、や、ショウト、は、ヒーロー、する。の?」

 首を傾げた彼に、私は笑う。それは自分でもどうしようもない理由からきていることだったし、轟くんがそうとは限らないことなんだけど。「人の喜ぶ顔が好きなの」そんなどうしようもない、理屈もない理由。そんなことのためにヒーローになることを選んだ。今も、その道を選んでいる。
 じっと私の顔を見つめたくんは、ふわ、と笑った。見ているこっちがドキッとするようなやわらかい顔だった。「ウララカ、えらい。ね」「え。え、や、そんな」ドギマギする心臓で顔に片手を当てて表情を隠す。
 普段はヒーロー活動で忙しいし。そういう浮ついた、恋、とか、するような余裕なかったから。こういう感覚は久しぶりだけど。このドキドキは嫌いじゃない。
 自販機で冷たい飲み物を買って、くんと他愛のない話をする。彼の拙い日本語と、ジリジリとした暑さの中、轟くんが戻ってくるまでの時間限定で、私は彼の話し相手になる。
 そうしていて思い出すのは、最初に見かけたときのことだ。
 カップル限定でしか入店できないという店に、証明のキスがいるんだという店に、彼らは入っていった。よくは見えなかったけど、口と口をくっつけるキスをしていたようにも思えた。

「轟くんのこと、好き?」

 だから、つい、そんなことを訊いてしまったんだと思う。
 どこかで鳴いている蝉の声が遠くに聞こえる。
 彼は曖昧な、何かを誤魔化すような困ったような顔をしていたけれど、「すき」とこぼして笑った。観念した気持ちを吐露するような、そんな顔にも見えた。
 公園の入り口の方からその彼が走って来る。紅白頭。轟くんだ。事件が片付いたんだろう。「あ」気が付いたくんが立ち上がる。
 この暑いのに全力で走って来たらしい轟くんが、私に気が付いて眉間に皺を刻む。「麗日?」「や、偶然。轟くんが戻ってくるまで話し相手しとったの」お茶のボトルを揺らすと、くんもジュースのボトルを揺らした。
 なんだか拗ねたように唇を尖らせた轟くんはとてもわかりやすい。
 くんの手を握り込んで「世話かけた。もう行くから」じゃあ、と素っ気なく言って歩いていく彼の背中に手を振る。
 アレ、嫉妬やん。すっごいわかりやすいなぁ。
 この暑いのに隣り合って歩く二人を眺めて、これ以上は野暮だよなぁ、と思って、私は二人とは反対方向へと歩き出すのでした。