オフのその日、コンビニに寄って最新の雑誌類をチェックしていると、轟くんが表紙の雑誌を見つけた。
 ヒーロー誌だったら発売日にすかさずチェックしてただろうけど、轟くんが表紙をしているのは女性が買うファッション誌のようだった。

「わぁ」

 思わずそんな声を上げてしまってからはっと口を噤む。人って、イケメンがあんまりにイケメンなことをしてると、変な声が出るものなんだな……。
 夏っていう季節らしく、水も滴るいい男、という表紙になってる轟くんが映っている雑誌を手に取る。せっかくだし買っていこう。
 今日は休みなわけだし、たまにはお酒とか、つまみとか、そういうのを飲み食いしながら雑誌を斜め読みする、なんて休日の仕方もいいかもしれない。
 そんなわけで、アパートに一人暮らし人間にありがちな食生活。コンビニ弁当と気持ちばかり健康に気を遣ったサラダ、晩酌もコンビニで用意をすませてしまい、雑誌は大事に抱えて部屋に帰った。

(もうプロヒーローになってそれなりにたつのに、自炊、どんどんサボるようになってきてるなぁ。時間がないとか忙しいとか、疲れて帰ってきて自炊までする元気がないとか、色々理由つけちゃってるけど。体によくないよなぁ)

 水も滴るいい男に仕上がっている雑誌の轟くんを眺める。
 彼もプロになってからは実家を出て、一人暮らしをしてるって聞くし。自炊とかどうしてるのかな。経済力のある彼のことだから、毎度出前とかデリバリーなのかな……。
 なんて考えながらコンビニ弁当とサラダを片付けたところでラインにメッセージがきた。珍しい、轟くんだ。

『マンションの水道管が壊れた。明日の朝までには直るらしいんだが、水でねぇと不便だな』

 なかなか大変な内容にすぐに返信する。『災難だったね。僕、今日は休みでいるから、来てくれて大丈夫だよ』送信するとすぐに既読がついた。『わりぃ。泊めてくれると助かる』『うん、いいよ! 着替えとか持ってきてね』すぐに返事をしてすっくと立ち上がる。
 メッセージが届いたのが飲み始める前でよかった。
 すぐにトイレとお風呂を軽く掃除し、轟くんが来ても大丈夫なように気持ち部屋を片付けて、来客用の予備の夏布団をベランダで叩く。
 そうこうしているうちにピンポーンとインターホンが鳴った。「はーい」バタバタ玄関に行って扉を開ければ、夜だけどマスクと眼鏡で変装してる轟くんと、白い髪、腰に翼のある子がひょこりと轟くんの後ろから顔を出して「こんばんわ」と挨拶をくれる。それでつい「こんばんわ、いらっしゃい」とテンプレのような返し方をしてから思わず彼のことを二度見した。
 今日の轟くんは全体的に黒い服で、彼は対照的に白い。それがなんだかお似合い感出てる。

「君は…! 最近ヒーロー誌で特集されてる謎の子!」
「え」
「オフの轟くんと必ずと言っていいほど一緒にいて、変装してる轟くんを探すより君の翼を目印にした方が轟くんが発見できるって言われてるくらいの」
「緑谷。落ち着け」

 轟くんの手に視界を塞がれたことではっとして口を噤む。悪い癖が出てしまった。「とりあえず、どうぞ、上がってください」僕のさっきの剣幕にびっくりしたのか、白い髪の彼はそろそろとした足取りで部屋に入っていく。
 バタン、と扉を閉めた轟くんが声を潜めて「人見知りなんだ。あんまり質問攻めにはしないでやってくれ」と言う。うん、ごめんなさい。反省します。
 1LDKのリビングダイニングのソファにちょこんと腰かけた彼は、僕がさっき買ってきた雑誌を見つめて「ショウト、が、いる」とどこか舌足らずな声をこぼす。「それ、さっき買ってきたんだ」まさかご本人が来るとは思ってなかったからちょっと恥ずかしいな…。
 気を利かせた轟くんが差し入れに持って来てくれた、缶詰のおつまみやポテチとかのお菓子、たくさんあるビールを置いて、せっかく顔を合わせたわけだし、と乾杯をする。

「それにしても、水道管、災難だったね。老朽化?」
「いや。同じ階の住人がなんかやらかしたらしい」
「そっかぁ」
「最初は、ホテル取ればいいかと思ってたんだが。今日はなんか…ライブ? があったとかで、近場はどこも埋まってて。かと言って、実家も顔出しづらくてな」

 轟くんが白い彼へと視線を投げれば、スーパーで一つ五百円くらいしそうな缶のおつまみをもりもり食べて、くぴくぴと喉を鳴らしてボトルのワインを飲んでいる。
 顔を出しづらいっていうのは、彼を連れて行きづらい、ってことだろうか。「えっと、彼は?」「っていう」呼ばれたことでこっちに顔を向けた彼に手を差し出して「僕は緑谷っていうんだ。よろしくね」と自己紹介すると、迷ったあとにそっと差し出された手と握手をして、すぐに引っ込められた。
 う、避けられてる。さっきの僕よくなかったもんな。怖がらせてごめんね……。
 あんまり気にしないようにしながら、さっきコンビニで買ってきたチータラをつまむ。
 最近仕事が忙しかったこともあって、こうやって人と話してダラダラするのって、久しぶりだ。「すごく今更だけど、元気?」「ああ。緑谷は」「うーんちょっと仕事疲れしてるって感じ。自炊がさ、全然できてなくて、今日もコンビニ弁当なんだ。ダメだってわかってるんだけど」空になった容器を一瞥した轟くんがビールの缶を呷る。イケメンはそれだけでも様になるからズルいと思う。

「轟くんは自炊してる?」
「……休みの日はしてる。普段は」

 空になった缶を置いて新しいものをプシュッと開けた彼がちらりとくんのことを見やる。「普段の飯は、に任せてる」「………ん?」はて、と首を捻る僕。轟くんは一人暮らしだったはずでは……。
 それで、何か思い立ったように携帯を操作して、写真を見せてくれる。フォルダには『の料理記録』と書いてある。「この間はこれ作ってくれた」写真には透き通ったスープに大きなラビオリのようなものが浮いている。「これは…?」日本で言う水餃子に近い感じがするけど、形とか大きさが違う気がする。
 轟くんが考えるように顎に手をやったけど、思い出せなかったらしい。「、これなんだっけ」写真を見せられたくんが、バリ、とポテチの袋を開封しながら「Maultaschen」なんて?
 首を捻った僕に、ああ、とぼやいた轟くんが「それだ。マウルタッシェン」僕にはわからなかったけど、彼には聞き取れたらしい。
 轟くんの携帯にはくんの料理がたくさん撮ってあって、僕に一つずつ紹介してくれる彼は、なんというか、嬉しそう。に見えた。
 というか、これは、一緒に暮らしてるよね。今日、水道管が壊れて水が出ないからってここに来た轟くんなわけだから、一緒に彼がいるっていうのは、そういうことだよね。
 でも。いくら友人だからって、あまりに突っ込んだ話をするのも、失礼かな。と思うし。世間ではくんについて憶測な話が飛び交っている現状、聞いてはみたいけど。やっぱり失礼かなと思うしな。
 一時間後。
 ポテチ、缶詰のつまみその他、色々食べて、コンビニではいい方だろうワインのボトルを空にしたくんは平和な顔で寝ていた。腰にある翼を考えてだろう、ソファの背もたれにしがみつくような感じで、スヤスヤだ。
 さっき叩いてきれいにしたところの布団を持って来てそっと被せる前に、どこか歪んでいる、と感じる翼を見つめる。
 パッと見て僕でわかるわけだから、彼と一緒に暮らしてる轟くんが、翼の状態に気付いてないわけはないだろう。それに、ところどころ歯抜けになってる羽とかもある。正常な翼とは言い難い。「轟くん、くんの翼って」「……これ以上は、もう治らないって言われた」静かな声に、そっと布団を被せてから振り返ると、轟くんが五缶めになるビールを開けたところだった。さすがに飲みすぎじゃあ。
 ぐび、と中身を呷った轟くんがはぁーと深く息を吐いて、投げやり気味にチータラを口に詰め込んでいる。
 そういう彼は珍しくって、思わずまじまじと見つめてしまう。

「あのさ。聞いても、いいかな。くんのこと。もちろん口外はしないから」
「…………ああ」

 五缶めともなればさすがに酔いが回って来たのか、少し赤い顔をした轟くんは、言葉を選びながら、寝ているくんを起こさないような静かな声で話をしてくれた。
 世界のヒーローとの交流を目的とした派遣先のドイツ、ミュンヘンで彼と出会ったこと。彼の両親が元ヴィランで、そのせいで不当な扱いを受けていたこと。本人はそのことを不当と思う心もなくて、全身怪我だらけで、出会った当初は翼の羽は一枚も生えていなかったこと。
 両親はすでに他界していて、頼れる誰かもいない。そんな状態の彼を見かねて日本に連れ帰ってきたこと。一緒に部屋に住んでいること。そうやって暮らしてきて、そろそろ五か月くらいになる、ということ。

「なぁ緑谷」
「うん」
「愛ってなんだ」
「うん!?」
「好きって、なんだ」

 くんの身の上話から突然ぶっ飛んだ方向にいってしまって無駄にあたふたする。
 轟くんは片手で顔を覆うように隠して、残っていたチータラを掴んで口に押し込んだ。
 ……話の流れを考えるに。それはたぶん、くんに関係したことで。轟くんは彼のことでとても悩んでいる、のだと思う。今日水道管の件で僕を頼ったのだって、こういう話をしたかったからかもしれない。
 でも、困ったな。僕は人に偉そうに説教できるほど恋愛経験なんてないぞ。
 ビールの六缶めに手を伸ばした轟くんから、さすがにこれは取り上げる。「飲みすぎだよ」彼の手の届かないところにビールを持って行く。
 轟くんはふらっと立ち上がると、トイレに行って、戻ってくるとなんだか泣きそうな顔でくんの頭を撫でた。「ころしてやりたい」「えっ?」「のことをこんなにした奴らを、ころしてやりたい」「え、と」飲みすぎている彼のためにコップに水を注いだ姿勢で固まってしまう。

が何したっていうんだ。何もしてねぇじゃねぇか。親が元ヴィランってだけで、頭陥没するくらい殴られて、翼ボロクソにされて、なくして、なくして、なくしてばっかりだ」
「轟くん……あの、お水、飲んだ方がいいよ」

 きっと悪い酔いしてしまったんだろう彼にコップの水をすすめたけれど、押し返された。「おかしいだろ。なぁ緑谷、俺は」俺はこいつを幸せにしてやりたいだけなんだ。笑ってほしいだけなんだ。言葉を吐露した轟くんが泣き始めるから、僕は困惑した。こんな轟くんは初めて見る……。
 僕なんかが、なんて言葉をかければいいのか。なんて言葉をかけてあげられればいいのか。
 彼が僕に慰めを求めているのかといえば、違うだろう。ただ、自分の中に溜め込んでいた、叫び出したいくらいの気持ちを、お酒の力を借りて吐き出しただけなんだと思う。
 でも、何か声をかけるべきだよな。気休めでもいいから何か。そうやって言葉を探して視線を彷徨わせて、もそり、と動いたくんを見た。「…?」のろりとした動作で顔を上げた彼は泣いている轟くんを見るとぱちりと一つ瞬きし、届く距離にいる彼のことを緩く抱き寄せる。

「ないて、る、の」
「ん」
「かなし、の」
「ん」
「だいじょうぶ。だいじょうぶ」

 くんによしよしされて、彼をきつく抱き締めてなんとか泣き止んでくれた轟くんにほっとしつつ、唐突に気付いた。これは僕がいると邪魔な空気では? ということに。
 二人とも結構お酒が入っているし。好きとか、愛とか、轟くんはそういうことを言っていたし。二人は一緒に暮らしているわけだし。それはつまり、そういうことじゃないかと、経験の浅い僕でも気付いたりするわけで。
 ちょっとわざとらしいかなと思いつつもあっと声を上げて「明日のご飯が何もないんだ。ちょっと、コンビニで買ってくるね! 二人はお風呂とか入ってて大丈夫だから!」財布と携帯、部屋の鍵を入れた鞄だけ持って速攻で部屋を出た。
 僕も、明日は仕事だけど。今日は休みでダラダラしてたから、体はそれなりに休まってる。就寝時間が遅くなるとしても大丈夫だ。
 コンビニを数件梯子して、適当な雑誌を立ち読み。アイスコーヒーを買ったり、トイレを借りたりして時間を潰しつつ、一時間じゃああれかな、と思って二時間後に朝食の材料になりそうなものを買ってそっと部屋に戻ったら、明かりをつけたまま、二人はソファで重なるようにして寝ていた。裸だ。
 なるべく視線を逃がしつつ、床に落ちている布団を掴んで被せて肌色を隠す。
 こういう事態を予想したからこそ席を外してたわけだけど。いざ本当にそうなってると、こう。自分の部屋なのに居づらい。

(僕も寝ないと…。明日仕事だ)

 欠伸をこぼして卵やハムを冷蔵庫に放り込み、歯磨きをして着替え、すぐに自室のベッドに潜り込んだその日は、オールマイトの目覚ましに叩き起こされた。『朝が〜来た〜!』「う…」ぱち、と目覚ましを叩いて止めると、なんだかいいにおいがすることに気がつく。
 のそりと起き上がってドアを開ければ、小さなキッチンでは白い髪に腰に翼のある彼が朝ご飯を作っていた。僕が買ってきたハムと卵、心ばかりのサラダとパンが組み合わさってサンドイッチになっている。
 そうだった。昨日はくんと轟くんが来たんだった。

「おはよう緑谷。昨日は色々、悪かった」

 服を着てる轟くんに謝られて、なんとか笑う。別に全然悪いことはないんだけど、こう。居づらい。「僕は大丈夫だよ。ちょっと眠いだけ。轟くんは大丈夫?」「ん。ちょっと、頭いてぇ」「結構飲んでたからね」浅く頷いた彼が朝食をテーブルに並べる。あ、ちゃんと僕の分もあるや。
 自分以外にも人のいる食事というのは仕事以外では久しぶりで、やっぱりいいものだな、と思った。高校時代が懐かしいかも。
 それから、これはちょっとした後日談だ。
 この間のお詫びに、と高い焼き肉屋さんに奢りで連れて行ってもらった僕は、幸せそうにお肉を食べているくんと、そのくんを幸せそうな顔で見ている轟くんという図を二時間に渡って見せつけられた。
 別に、その時間が不快だったとかそういう話ではなくて。

(これはもしかして、くんは充分幸せだと感じているのでは。轟くんの希望は叶ってるのでは?)

 高い焼き肉屋さんの食べ放題で遠慮するのも違うだろうと思って、僕もたくさんお肉を食べたけど。お肉の脂よりも二人から漂う甘い空気で胸がいっぱいだ。

「美味いか」
「うん。やわらかい。おいしい」
「好きなだけ食っていいぞ」
「うん」

 今はやわらかい笑顔を見せている轟くんも、決して順風満帆と言える平坦な人生ではなかった。
 その彼が泣いてまで想う人がいる。幸せになってほしい、と願う人がいる。
 暑い夏の夜。まだしている蝉の声を聞きながら二人と別れて、そっと振り返ると、熱帯夜なのにピッタリ隣り合って歩く彼らがいて。大丈夫だよ轟くん、君が思う未来はきっと近いところにあるよ、なんて思うのだった。