朝六時過ぎに起床し、前日の夜の残り物を朝ご飯として食べて、眠いくせに起きてきた焦凍に不満そうな顔で見送られて朝七時のバスに間に合うようにマンションの部屋を飛び出す。
 走れば三分の距離にあるバスの停留所にはたくさんの人が並んでいるけど、この時間から海に行く人というのは少なく、オレが乗るバスはたいてい半分くらいしか人が乗っていない。帰りは混み合うけど、朝だけでも眠れるのは助かる。
 リュックを抱えて座席で眠りこけていると、俺のところに来てくれ、と言うイケメン顔を思い出した。「はっ!?」思わずがばっと起き上がる。いるはずがないのに、オレに壁ドンしてきたイケメンの弟の姿を幻視してしまう。
 いや〜ちょっと待って。とりあえず幻消えろ、と自分の前で両手をぶんぶん振っていると隣に座っているおばさんに変な顔をされてちょっと距離を取られた。スイマセン変な人じゃないんですスイマセンゴメンナサイ。

(焦凍め……)

 タチネコ、受け攻めでいえば俺がタチで攻める側なのに、なんだあのイケメン。
 ものすごく今更なことを言うようだけど、あれで受けとかおかしくないか。なんでオレなんかに抱かれてるんだろう。よっぽど美人な子を抱いてた方が納得する。
 っていうか、さ。何を意識してるんだろうオレは。
 例の不審者の個性でセックスしてからというもの、焦凍のこと意識しすぎじゃないか。ここまで普通にやってきてたのに……好きってのは厄介だな。
 一時間バスに揺られて辿り着いた氷のテーマパークでいつものように仕事をし、店長に体調について気遣われつつ、寒いその場所で、気付けば焦凍のイケメン面を思い浮かべている自分が病気みたいだと思う。恋は病気だとか言うけどさ。

「…いってぇ」

 心臓と。昨日噛まれた首が。どっちにも痕は残ってないし、もう平気なはずなのに。
 そんな自分を誤魔化すためにも、今日も施設内を点検がてら練り歩く。
 新しくなった冷房設備は調子が良く、氷のテーマパークは今日も今日とて盛況だ。
 夏の暑さを忘れてはしゃぐ人々の間をスタッフと書かれたパーカーを着て歩き、不審者がいないか、氷で調子の悪いものはないかをチェックしながら見回りをする。
 昼は休憩がてらラーメンをすすって、携帯の画面を点灯させると、ツイッターの鳥アイコンが目に入った。
 成り行きでフォローすることになったヒーローショートの公式ツイッターを仕方なくチェックしてやると、今日の昼飯なのか、カフェっぽい場所の飯が映っている。写真以外には一言『蕎麦以外も食えって言われて』栄養的にな。サラダもあるし、お前はこれくらい食べた方がいいよ。
 えぐい数のいいねとRTとリプがついてるツイートを眺めながらラーメンをすする。
 オレがフォローすれば頑張れるとか言うからフォローしただけで、オレはツイッターとか面倒なのする気はない。そういうのはラインで充分だ。

「ん」

 いつの間にか一人フォローされている。誰だ、と思ったらショートだった。ラーメンをすすっていたところからぶふぉっとむせ返る。
 ショートはいつの間にか100近くの公式ツイッターだったり蕎麦屋だったりをフォローしていて、その中にスルッと俺が入っていた。「お前な…」これなら許されるって思ったのか。そんなわけないだろ。ファンってのはすごいんだぞ。お前がフォローしたアカウント全員チェックしてる奴は絶対いる。その中でツイートの一つもなく『兄だよ』なんてアカウント名の奴、もう兄貴じゃん。身バレ。
 どうする、ブロックと解除でもう一回フォローし直した方がいいのか。とりあえずそうするか、とやってみたら瞬時にフォローされ直した。あの野郎。意味ないっつのソレ。
 じゃあもう一回ブロ解して、こっちを鍵アカウントにすればどうだ。オレからはショートのツイートが見えるけどあっちからは許可待ち状態になるはず。
 試しにやってみると、瞬時に『フォローリクエストが届いています』と通知がきた。「だからさぁ…」思わずぼやいてラーメンをすする。
 なんとなく、噛まれた首を手のひらでさすって、イケメンの壁ドンと俺のところに来てくれという涼しい声を思い出してしまう。

(お前はなんでオレがいいんだろう)

 家族で、兄貴で、ここまで手を引いて歩いて来た。でもそれだけの男だったろ。手を離す機会も突き飛ばす機会もいくらでもあったろ。それこそ、オレよりいい男なんてものはごまんといるし。
 新人イケメンヒーロー。身長もあって頭も良くて性格も悪くないし、実家は金持ち。家庭環境には難アリだけどそこはそれ、お前に欠けてたものを満たしてくれる奥さんっていうのがきっとこの世のどこかにいるのに。
 リクエストが届いています、の通知を眺めているとラインまできた。『フォローさせろ』「…ダメに決まってんだろ」ぼやいた言葉をそのまま送信すると既読の文字だけがついた。
 今どういう顔してんのか知らないけど、真面目にやれって怒られたばっかりだろ。仕事しろよヒーロー。
 その日の帰りは夕立に降られ、駅で立ち往生を喰らった。
 コンビニでビニール傘を買って帰ればいいやと思ったけど考えることはみんな同じ。安価なビニール傘はどこも売り切れ状態。
 いつ止むのかわからない雨とうだるような暑さを前に考えた挙句、駅からマンションまでを走り抜け、Tシャツが絞れるんじゃないかってくらい濡れながら帰宅。
 玄関で濡れた服を脱ぎ散らかして乾いた服に着替え、濡れたものを含めて洗濯機を回してしまうことにする。
 ソファに寝転がって、ラグの上に放置されているヒーローショートが表紙の雑誌を取り上げる。「イケメンだなぁ」思わずぼやいて表紙をめくると、独占インタビュー、という文字が目に入る。昨日も斜め読みしたヤツで、今月発売する雑誌の見本だ。
 ヒーローショートへのインタビューだけど、同時に轟焦凍って人間の過去にもツッコんでいる内容で、『辛いときは兄に救われてきた』だとか、そういう恥ずかしいことも書いてある。「ひー」なんでオレの方がちょっと照れないといけないんだよ。イケメンてのはズルいな。

『これは女性陣が皆気になっていることなんですが、ショートは交際経験はどれほどおありなんですか?』
『ありません』
『ないんですか!? 本当に?』
『ありません。必要を感じませんでしたし、心にそういう余裕もありませんでした』

 これ読んだら世の女性が卒倒するんだろうなぁ色んな意味で。なんて考えつつ、昨日は邪魔されて読めなかった次のページへ。『交際経験がないとのことでしたが、しかし、気になっている人、というのは存在するのでは?』まだその話続けるかぁ。女は好きだよね、根掘り葉掘り。このインタビューよく受けたなぁショート。本当は嫌だったんだろうなぁ。
 ショートへのインタビューと、ホストみたいなスーツを着て撮られてる写真を眺める。なんでも似合うなぁこのイケメンめ。
 洗濯が終わるまでだらだらしてようとソファに転がって雑誌を眺めてたはずが、気付いたら寝ていたらしく、ガチャン、という鍵が外れる音で目が醒めた。げっ。
 寝起きで動きの鈍い体を急に動かしたから、ソファから立ち上がるのに失敗してどてっとラグの上に落ちる。いってぇ。



 さっきまで雑誌で見てたイケメンショート、もとい、焦凍が首を捻ってラグに転がっているオレを見ている。今日は平和だったのかボロッとはしていない。「何してんだ」「いや…寝てた」「飯、ないのか」「あー蕎麦作る」これだけはいつでも作れるよう、薬味その他は常備している。
 蕎麦さえ出してれば満足する節のある焦凍は寝こけてたオレに不満な様子もなく「先にシャワー浴びとく」と洗面所の方へ消えた。
 蕎麦はいい。茹でたらすぐできるし、これさえ出してれば焦凍は満足する。食については扱いやすい弟で助かる。オレも今日は蕎麦でいいや。
 シャワーを浴びた焦凍といただきますをして蕎麦をすすり、忘れないうちに洗濯物を干し、シャワーを浴びる。
 ソファで寝落ちたせいで覚めてしまった目で、自室でベッドに転がり、土日の目玉、氷のショーについて考えていると、背中側にのしっと重みがやってきた。「重いって……」もうガキの体重じゃないんだから、オレが潰れるだろう。やめなさい。
 オレの上に乗ってる焦凍がじっとこっちを見下ろしている。「それなんだ」「ああ…」箇条書きにしている内容が気になってるらしい焦凍にオレが今バイトしてる氷のテーマパークのホームページを表示させる。

「土日は目玉として氷のショーをやるんだよ。ま、ショーって言っても、氷の個性使って動物作るとか、花作るとか、そういうのなんだけど」

 いい案を出して採用されるといつもの給料にプラスアルファのお金が上乗せされるから、今ない頭を捻って頑張ってるんだよ。金はあるに越したことないし。
 この間、ヒーローのまねごとみたいな感じになった不審者の件は、子供には好評だったな。ターゲットが子供ならそういうお芝居もアリな気はする。これも案として書いておこう。
 携帯を弄っていると、背中の重みが全体的に広がった。「う…」何してんだと肩越しに視線をやるとイケメンのドアップがあって心臓が。痛くなる。睫毛長いなお前。

「何、してんだよ」
「乗ってる」
「そうだなーそういう意味じゃないな〜なんでオレの上に乗るんだよって話」

 ナチュラルにイケメン、そして天然も入ってる焦凍はオレの肩に頬を押し付けると携帯の方を突き出してきた。ヒーローショートが『兄だよ』となってるアカウントにフォローリクエストを送信して許可を待ってる画面だ。まだ諦めてなかったのか…。
 フォロー数が昼間の倍になってるヒーローショートの公式アカウントに、はぁ、と息を吐く。
 オレよりタッパがあって筋肉もある、つまるところオレよりずっと重い焦凍がフォロー返さないなら退かないとばかりに沈黙し、最初こそ無視して携帯を弄っていたけど、ネタ切れだ。考えられることは書き出した。もう寝よう。…寝たい。背中おっも。「しょーと…」「ん」あまりに黙ってるから寝てるのかと思ったけど起きてるし。
 意地でも退かないとばかりに身動きしない焦凍に、仕方なく。本当に仕方なくツイッターでフォローを返してやると、パッと顔を上げて嬉しそうに笑うではないか。この、イケメンめっ。「こんでいいだろ。オレは明日も仕事だから寝るよ」しっしと手を振ると昨日の今日でまだ体も痛いんだろう、焦凍は大人しくオレの上から退いて「おやすみ」と残して部屋を出て……行かなかった。ベッドを下りはしたけどそのまましゃがみ込んでじっとこっちを見上げてくる。

「え、なに…?」
「寝てくれ」
「ハァ?」
「俺のことは気にするな」

 それでじぃっと色の違う両目で見つめてくるから視線が惑う。
 やめろイケメン。そういうナチュラルに破壊力高いことしてくるな。気にしないで寝ろとか無理だろ。「いや、ムリだろ。見られてて寝るとか」「そうか?」「そうだろ。お前、オレにじっと見られてて寝れるわけ」「…………」立場を逆転して考えてみたらしく、焦凍がこっくりと一つ頷いて「無理だな」と言うと立ち上がった。今度こそ「おやすみ」と残して部屋を出て行ったイケメンに肺から深く息を吐き出す。なんなんだアレ。
 これからこんなことが毎日続くのだと思うと、ほんと、心臓キツい。もたないぞ。
 仕事先だけが逃げ場なのに、その逃げ場もあと一ヶ月もすればなくなってしまうのだ。そうしたらオレはどうなるんだ。どうするんだ。今から頭が痛い。