ダイヤモンドにも似ている鉱物を生成できる個性の持ち主、は、保護されて三日目の今日も学生島で事情聴取を受けていた。
 憶えている限りの関わっていたヴィランとの情報の照らし合わせが主な内容で、仕事熱心な警察によって今日も午前中たっぷり拘束されたを連れ出せたのは午後も一時を過ぎた頃だった。

「昼、何がいい」
「なんでもいいです。轟さんが好きなもので」
「また蕎麦になるぞ」
「いいですよ」

 とくに好みがないらしいを連れて蕎麦屋に行き、今日も冷たいざるそばを二人前、ついでにタラの芽とたけのこという春らしい天ぷらも頼んだ。
 春に似合う桃色の髪を耳にかけ、俯きがちに蕎麦をすする横顔を眺める。
 作戦の前線として編成された俺は事後のことは報告でしか知らないが、どうやら俺らヒーローのことをどこかで嗅ぎつけたらしいヴィランの連中は、あの日、半数以上が出払っていたらしい。
 の個性のデミ・ダイヤを売りさばいて稼いでいた奴らだ。潜伏先はより取り見取り。今後の展開だってよくない予想はいくらでもできる。
 ただ、奴らがこれ以上に稼ぐことはできないはずだ。その手段はヒーローが保護した。
 天ぷらを口にしたが満足そうに口を綻ばせる。「春ですね」と。俺は食にはあまり頓着がないから、同じように天ぷらを食って「そうだな」とぼやいたとして、それは桜色のお前の髪を見て言ってるだけで、食べたものに向けて言ってるわけじゃない。
 俺は、自分が味音痴だということを知っている。
 蕎麦だって『生きるために仕方なく』食ったのが最初で、だからこれが美味いと思っているだけ。正直、何を食ったって変わりないと思ってる。だから普段はサプリを水で流し込んで栄養素を摂って、必要だからエネルギーも取る。生きるために。俺にとって食事っていうのはその程度の問題で、どちらかといえば、面倒なことだ。
 でも、たぶん、普通の人間は違うんだろう。俺の環境が歪んでて、それで味覚まで歪んじまったってだけで。

はまだ十代だし、もうちょっと、考えないと駄目か)

 でも自炊は面倒だな。雄英で寮生活してる間も、結局うまくはならなかったし。
 そういう栄養考えられた出前の弁当でも頼むべきかと考えながら昼飯を食い、店を出ると、晴れていた。今日もいい天気だ。
 事情聴取の時間で体が凝ったんだろう、は両手を空に向かって伸ばしてぐぐっと伸びをすると、その手で島でも上の方を指した。

「公園に行きませんか。桜が見ごろだってテレビで言ってたので、散歩がてら」
「ん」

 今はの護衛が主な仕事になってる俺に異論はない。お前が行きたいところへ行くよ。
 作戦が終わった今現在も俺とが島に残っているのは、事情聴取のためもあるが、これも仕事のうちだからだ。
 ヴィランの連中が戻ってくるとは限らないが、の個性はあちらにとっても貴重なはずだ。取り戻せるなら取り戻そうと思うはず。護衛がたった一人、俺だけで、隙もそれなりにあるとなれば、仕掛けてくる可能性もある。
 一人でも多くのヴィランを捕らえるための囮作戦なわけだが、はあっさりOKした。自分が撒き餌だと理解しながら今日も生活をしている。
 平日の昼間でもまぁまぁな人出のある公園までの緩い坂道には桜が咲き乱されていて、桃色の花弁が舞っていた。
 桜に似合う髪をしてるは、桜に歓迎されてるように花弁に纏わりつかれている。「もうすぐ散っちゃうなぁ」とこぼしながら髪についた花弁をつまんで、ふ、と吹けば、呆気なく飛んでいく。
 ベンチに座って自販機の飲み物手に日向ぼっこをする。こういう時間も、最近は嫌いじゃない。
 春の陽気のせいか、欠伸をこぼしたが目元を擦ると、その手についた涙が結晶になった。「くれ」その結晶をひょいと取り上げた俺を桃色の目が追ってくる。

「いつも思うんですけど、それ、どうするんですか」
「保管してる」
「保管」
「悪用されてたわけだからな。もうそうはさせねぇから安心しろ」

 は苦く笑って頷くが、それが俺を信用してるからかはわからない。
 ……の個性は自分の体液を結晶化させ、鉱物へと変えることができるという変わったものだ。
 ただし、常時発動型で、体から分泌され離れた体液……たとえば涙とか、唾液とか、尿も、全部本人の意思とは無関係に結晶化(多少結晶化を遅らせることはできるらしいが、結晶化そのものを消すことはできないらしい)、一度結晶になったものは二度と元には戻らない。
 の手にも足にも、蚯蚓腫れになって消えない痕がたくさんある。それは『血液を結晶化させるため』にわざと傷つけられたものだという。
 が言うには、自分を捕らえていたヴィランの親玉はリカバリーガールように相手を治癒できる貴重な個性の持ち主で、傷つけられては治され、何度も殺されかけては地獄を見て、でも無理矢理生かされる、そんなことを個性が発現した五歳のときから十年も続けてきたらしい。
 首にある大きな傷跡はナイフによるもので、痕を隠すためにタートルネックを着ている。「…もう痛くないですよ」俺の視線に気付いてか相手は苦く笑うが、そういう問題じゃないと思う。
 俺の顔の火傷だって、たったの一回で痕になって、その一回がすごく熱くて痛かった。
 あの地獄を、一人で、何度も味わう。……俺ならきっと正気じゃいられない。狂った方が楽だ。
 そんなことを思いながら、桜がよく似合う相手を眺めていると、そのまま桃色の花弁に埋め尽くされてどこかに消えてしまう気がした。
 消えてしまう前に、連れて帰らなくては。
 指でなぞれば痕で溢れていることがわかる手首を握って「帰ろう」と言うと、は大人しくベンチを立った。
 寝起きできればそれでいいと思って借りたワンルームのアパートは、二人で住むには狭い。
 人の好さそうな老人が掃き掃除をしているアパートの最上階の角部屋に帰ると、暗証番号と指紋での認証がなければ開かない鍵のついた引き出しを開ける。そこには容器がたくさん入っていて、『唾石』『涙石』などのラベルを貼り付けてからこぼれ落ちた結晶が分別して収まっている。
 振ればカラカラと音のするデミ・ダイヤを眺めていると、トイレに入っていたがおずおずとプラのカップを持ってやって来た。「えっと。あの。はい」それで差し出されたカップの中にある鉱物を『尿石』とラベルのしてある容器に流し入れると、カツカツと硬質な音が響く。
 これが尿だったとか、言われたって信じられねぇけど、実際結晶化していくとこを見てるしな。
 ………こうしてキラキラした鉱物を眺めてると。宝石とかキラキラしたもんに弱い女の気持ちが少しだけわかる気がしてくる。
 これを見てるとなんとなく満たされるんだ。
 いずれこの容器がキラキラしたものでいっぱいになるんだって、考えるだけで、なんだか唇が緩んでくる。
 親父からはが生成するデミ・ダイヤについて処分を任されてるが、燃やして溶かすつもりは毛頭ない。

「これ、食べたらどうなるんだ」
「え」
「…たとえば、キスするだろ。舌入れたら唾液も入るだろ。そういう場合とか、どうなるんだ」

 興味本位で訊いてみると、の表情が硬くなった。桃色の視線が惑ってから床に落ちる。「やめた方が、いいと思いますけど」ぼそっとした声とぎゅっと握られた拳を見るに、経験はあるらしい。
 寝涎と、歯磨きのときに出る少しの分しかないから、唾石は量が少ない。季節柄汗もそこまでかかないから、寝て起きたときに少しサラサラしてる砂みたいな汗石も少なめだ。

「とても、物好きな、人がいて。あなたと同じように、俺の結晶を取り込んでいったらどうなるのかとか、自分の体で試した人が。いて」
「そいつ、どうなった」
「……詳しくは、知りませんけど。死にましたよ」

 俺の結晶は毒なんです。そうこぼして困ったように笑う姿に、容器を引き出しにしまう。
 そういう顔をさせるつもりはなかったが、軽率な話をしたとは思う。
 謝ろうと口を開いて、気付いた。「…? どうしたんだ」それ、と股間を指す俺に春の髪を揺らした相手が俯く。「あの」「ん」「引かないで、聞いてほしいんですけど」「ん。聞く」震えている気がする手を取ってベッドまで引っぱり、なんでか知らないが勃ってる股間は気にしないようにして、人の体温は安心するらしいからとのことを緩く抱く。全部緑谷からの受け売りだけど。
 結婚するつもりはないし、恋人を作るつもりもない。こういうことも、他人にするつもりはなかった。
 体温とか、俺はある程度自分でコントロールできるし。だから、人の体温がぬくいなんてことも今更知った。
 春色の髪に顔を埋めると、公園に行ったせいか、桜の香りがする。気がする。

「俺の、結晶は。ランクがあって」
「ランク」
「たとえば、唾液と尿は、不純物とか気泡とか混じるから、価値は低くて。涙は普通で。血液は、量があって加工がしやすいからって、望まれてて。でも一番は」

 の手が俺の手を緩く握った。そのままその手を自分の股間に持っていって、勃起してるもんに擦りつけられる。「一番、価値が高かったのは、精液で。そのために、俺、ここも、管理、されてて」管理、とオウム返しに呟く。
 射精を管理されてたってことか。なんだそれ。拷問か。
 いや、今更か。首を掻き切るような、殺すような傷をつけて、テメェの個性で癒しながら、十年も生き地獄を見せてた野郎だ。射精したもんが結晶化するなら放っておいたわけはない。純度が高いとなればなおさら。
 だから、自分でしたことがないんです、とこぼす声は震えていた。
 保護して今日で三日。その間一回も抜いてないなら、そりゃあこうもなる。
 十五の自分をなんとなく思い出す。俺はそういうことに興味がなかったけど、それでも抜くことはしてた。他人のはやったことはないが。「俺がしてやる」今も、義務的にするだけだから、へたくそかもしれねぇけど。そこは勘弁してほしい。