朝、起こさなきゃいつまでもベッドでうとうとしてる轟を叩き起こし、放っておくと適当な食事しかしないから朝食を用意し、俺はゲームで遊んで、轟はタブレットか電話で仕事をする。
 轟の仕事がない日は外に出て、学生島の見どころに出かけてみたり、二人で出歩く。
 そういう日々に慣れてきて、このままこの人と一緒にいられたらまぁまぁ幸せなのかもな、と思いながらタートルネックの上から首の傷痕を押さえて、散ってしまった桜を眺める。
 もう緑の葉ばっかりだ。春も深まって本格的にあたたかく、というか、暑くなってきた。

「このまま一緒にいてぇな」

 ポツリとした声に緑の桜から視線を投げると、同じように桜を見ていた轟が自分の口に手をやっていた。「……?」自分で漏らしたくせに首を捻っている。
 たぶん、この人、天然なんだろうな。イケメンで天然てどんだけだよって思うけど、言葉に悪気はないし、計算も感じない。だから今のは本当にそう思って、ポロッと本音がこぼれただけなんだろう。
 俺は笑うしかない。笑って受け流すことしかできない。
 桜は散った。春は終わった。
 もうすぐやってくる雨の季節が想いのすべてを洗い流して、全部を暴く、夏が来る。

「本土に引き上げるんでしょう」
「……今からでも親父に直談判する」
「轟さんは実力のあるヒーローなんだから、こんなところで腐ってちゃ駄目ですよ。この島は今平和なんですから、あなたの出番もないですし、本土で仕事した方がいい」

 じゃあお前も一緒に。そんなことを言おうとしているんだろう轟を遮って「俺はここに残って、ヴィランを誘き出せないか、引き続きやってみますから」だから轟とはこれでお別れだと、暗にそう示すと、相手は唇を引き結んで押し黙った。眉間に皺寄せちゃって、機嫌悪そうだ。
 その日は、荷造りをして帰還の準備をしなきゃならないのに、轟は強引に俺をベッドに引き倒した。
 唇に触れるだけのキスをしてくる相手を突き飛ばしたところで、プロヒーローだ。筋肉ついてて体幹もしっかりしてる。俺程度がどついたところで意味ない。
 遠慮なくズボンの中に突っ込んでくる手にちょっと呆れる。未成年になんてことしてるんだ。

「も、一人で、できますから」

 最初はわかんなくて教えてもらったし、そのことには感謝してるけど。もう自分でできる。
 機嫌悪そうな轟は眉間に皺を寄せた顔で「俺がシたいんだ」と、未成年になんてことを言ってるのか。
 俺より太い手首を両手で掴まえて「だったら、手袋を、してください。約束でしょう」百均で買ったビニールの手袋を目で示すと、相手は黙り込んだ。約束という言葉が響いたらしく、仕方なさそうにビニール手袋をつける。
 素手でして、俺の体液が、たとえば爪の間とかに入り込んだ場合。結晶化すれば相当痛い目に遭う。
 キスだって絶対に触れるだけだという約束のもと許してるわけで………いや、冷静に考えたら、なんでキスを許しているのか、って話にはなるんだけど。それを言い出したらどうして俺たちは兜合わせしてんのかって話になるから、もうあんま考えないようにしてる。
 イケメンと向かい合って、というか俺が膝に乗っかる形になって、体も密着した状態で、轟の手が自分のと俺のを合わせてしごいてる。「…っ」がり、と唇を噛んで耐えても気持ちいいものは気持ちいい。

(ああ、くそ)

 この澄ました顔にぶっかけられるもんならそうしてやりたいのに、そんなことしたらどうなるかって考えてしまって、結局何もできない。
 嫌な個性を持って生まれてしまったもんだと思う。
 せめて、自分がそうしたいと思ったときに発動できる個性だったらよかった。こんな、垂れ流したもん全部が石になるんじゃなくて。
 吐き出した白濁がすぐに結晶化して散らばり、轟の指が結晶を拾い上げて、色の違う両目がしげしげと結晶を眺める。「きれいだな」「……物好き」「ああ」一番大きな結晶を拾い上げた轟は、とくに躊躇うでもなく、精液、だったものに口付ける。

「こういうことは、恋人にしてくださいよ。俺はあなたの恋人じゃない」

 轟の膝から逃げてズボンをしっかり腰まで上げて、前々から思ってたことをぼやくと、ベッドの上の轟は眉根を寄せた。また不機嫌そうになる。「エンデヴァーが度々お見合いの話を持ってくるじゃないですか。あなたはお見合いに対して否定的ですけど、一回会ってみればいい。その人とこういうことをするんだって、将来のこと思いながら会えば、少しは実感が」逃げるために開きかけた部屋の扉がバキンと音を立てて凍り付いた。思わず手を引っ込めて、そろりと窺えば、ものすごく不機嫌そうな顔がこっちを睨んでいる。

(なんでそんな顔するんだよ)

 俺のことは、仕事で保護しただけのガキだろう。ヴィランの残党を誘い出すために一緒に生活をしてて、護衛をしてる。自分でそう言ってただろ。
 お互いのためにならない。それ以上踏み越えちゃいけない。
 何度だってそう思ってきたし、今もそう思ってるのに、轟に抱き締められると、俺は何も言えなくなる。右側が少し冷たくて左側が少し熱い、そんな体温に逃がすものかとばかりにきつく抱き締められて、「」と囁く声に、いつも、何も言えなくなる。
 言葉の代わりにこぼれた涙がカツンと音を立てて床に落ちた。

(やめてくれ。これ以上、優しくしないでくれ)

 カツン、と音を立てて結晶が落ちる。
 春が終わって、穏やかな空はやがて雨雲に覆われて、嵐が来るのに。わかっているのに。一人で止まない嵐を耐え忍ばないとならないって、わかってるのに。
 これ以上俺を搔き乱さないでくれ。青い空の下になんて引きずり出さないでくれ。
 俺は止まない嵐の中で生きるしかないんだから。勘違い、させないでくれ。

「いったん、帰るけど。すぐに戻ってくる」

 頭にすり寄ってきてそうぼやく声はまるで呪文だ。甘い。じんわり、頭に響く。「ここに常駐できるようにする。そしたら」ずっと一緒だ、と囁く声に、苦しい、と思うくらい抱き締めてくる相手に、目を閉じる。それでもカツンと落ちる涙の音は止まない。
 次の日。ものすごく不服そうな顔をした轟がフェリーに乗るのを見送り、デッキに出ていつまでもこっちを見ている紅白頭に手を振り続けて、やっと見えなくなった。「はぁ」腕振り続けて疲れたっつうの。
 轟の代わりに本土から俺の護衛のためにやってきたんだというヒーローと挨拶し、握手を交わして、ついさっきまで轟と一緒に住んでいたアパートに向かう。
 一ヶ月、轟と生活してきた。それだけと言えばそれだけの場所だ。「じゃあ、今日からよろしくね」「こちらこそ。よろしくお願いします」二人して頭を下げあって……気付いた。なんか、部屋の物の位置が。出たときと違う。ような。俺、ゲームあの位置に置いたっけ。
 荷物の片付けだろう、トランクを持ち上げた相手が寝室である奥の部屋へと入っていって、ギャ、と声を上げた。ごん、と床に落ちたトランクがそのまま倒れる。
 床にじわりと広がっていく赤い色を眺めて、ああそうか、普通の人は結晶化しないんだ、なんて場違いなことを考える。
 寝室からぬうっと出てきたのは、ヒーローの人じゃない。あの人だ。俺にとっての人生の嵐。手には赤い雫を落とすナイフがあって、白いワンピースは赤い色で汚れている。

「ヒーローショート、全然あなたから離れないんだもの。おかげで遅くなっちゃった」

 ごめんね、と謝りながらにこやかに笑うその人に、俺も、諦めて、笑う。
 桜は散った。
 春は終わった。
 雨の季節が、想いのすべてを洗い流して、
 全部を暴く、
 夏が来る。
 嵐で荒れ狂う、夏が来る。