ヒーローショートの秘書って仕事にようやく慣れたかなと思っていたその日、エンデヴァーの事務所から呼び出しを受けた。
 内容はとくに聞いてなくて、ただ一言、『今からウチに来い』と言われただけ。話の中身が説教なのか、はたまた仕事関係なのかは不明だ。
 ヒーロー活動で外回りの仕事に出ているショートには一応ラインを入れておいて、公共交通手段で移動。なるべく人目の多い道を選んで現ナンバーワンヒーローの立派な事務所を訪れる。
 テレビなんかではその姿をよく見ていたけど、きちんと目の前にするのは久しぶりだな、と思う父親を前に二人きりという、ひじょーに気まずい広い空間で背筋を伸ばすオレ。
 緊張で胃が。いい思い出のない人を前に二人きりっていうのは、歳を取って大人になったところでキツい。
 親父の方はといえば、何から言い出したものか、という思案顔だ。

「焦凍は元気か」
「はい」
「お前が秘書についてからは真面目に仕事をしているらしいな」
「そう、ですね。今のところは」

 真面目に仕事。事務所に二人だと誘惑されるのはしょっちゅうなんだけどそこは死んでも言えないことだ。はは、と空笑いすることしかできない。
 父親は難しい顔で眉間に皺を刻んでいたが、一つ溜息を吐くと、ヒーロースーツと顔の炎を消した。「誰と話しているんだお前は」「…エンデヴァーと」「俺はお前の父親でもあるぞ」……今更。そんな今更なことを言われても、オレにはもうよくわからないよ。父とも母とも距離のあったオレにはさ。
 母は父に厳しい特訓課せられて泣く焦凍を見ていた。
 父は言うまでもなく、己を超える個性を秘めた最高傑作たる焦凍を見ていた。

(オレのことは誰も見ていなかった)

 母が焦凍に衝動的に火傷を負わせてしまい、父により病院送りにされ。母しか寄る辺のなかった弟が一人で泣いているのを見たとき、もともと一人だったオレは、オレよりもかわいそうな子供に同情したんだ。同情して、同乗した。一人では淋しいと思う気持ちに焦凍を連れ込んで道連れにした。こじれた家族関係がオレたちという歪みを生んでしまった。
 乾いた笑いしか出てこないオレに父たる人は苦い顔をしていた。
 失った時間は戻ってこない。オレは焦凍を求めたし、焦凍もオレを求めた。お互いが固く手を繋いだままここまできてしまった。

(手を離すには遅すぎる。心に麻酔でも撃たなきゃ、他の誰かを見ることなんてできやしない)

 どうやらエンデヴァーは父親としての話がしたかったらしく、秘書としての仕事らしい話はないままに立派なビルの事務所を出た。「…今更なぁ」大きなビルを見上げて指で頬をひっかく。今更だなんてこと本人も自覚してんだろうけど。
 まぁいいや、あんまり考えないでおこう。焦凍には……うーんなんて言っても気にしそうだなアイツ。なんて説明しておこう。
 せっかくだからおいしそうなお弁当とか買って帰ろうかな、とビルを離れたところで誰かの悲鳴が聞こえた。「誰か…っ、ヒーローはいませんか!」女の人の声に何も考えずに駆け出して路地裏に飛び込んでも誰の姿もなく、あれ、と周囲を見回すと蜘蛛みたいな奴がビルとビルの隙間でこっちを見下ろしていた。悲鳴を上げた誰かはいない。罠。か?
 ヒーローショートの専属秘書になってからというもの、活躍する新人を早めに潰したいと考えているんだろうヴィランに狙われることが多くなった、という自覚はある。実際それで何度もショートに助けられている。「ばぁか」上で蜘蛛の巣を這っている相手が何かばら撒いてくる。液体。
 左手を振るって頭上に氷の壁を作り出すが、バシャン、と音を立てて液体がかかった個所から氷が溶けた。「やば」硫酸。とかか? かかったらマズい。
 オレが反応するよりも早く氷は溶かされ、落ちてきた液体に、じゅわ、とスーツの腕部分が溶ける。
 足元に氷の道を使って体を滑らせることで全身に液体がぶっかかることは回避したけど、左腕が、上がらない。気のせいか足もガクガクする。これはいわゆるピンチってヤツなんじゃ…。
 ビルとビルの間に張った蜘蛛の巣の上で男か女かわからないヴィランが笑っている、その向こうに、知っている炎が見えた。エンデヴァーだ。
 事務所から出てすぐのところで民間人を襲うという頭の悪いことをしたヴィランはエンデヴァーの一撃で簡単に沈んだ。「!!」怒号のような声は、オレを叱りつけるためのものじゃない。目が霞んできたオレを気遣っての。無事か、という、意味の……。
 意識が落ち、夢も見ずに眠り、目を覚ましたとき、知っている温度に強く手を握られていることに気付いた。
 目の焦点がようやく合ってきて、白い部屋で病院着を着てベッドに寝ている自分を自覚。視線をずらすと、思った通り。焦凍がいた。オレの手を両手で固く握って背中を丸め、祈るみたいに小さくなっている。

「しょーと」

 掠れた声で呼ぶと、ぱっと顔を上げた焦凍の目から雫が落ちた。色の違う両目が涙で煌めいている。「なに、ないてんだ…」左手を伸ばそうとして動かないことに気付く。ヴィランがぶちまけた液体がかかった方だ。どうやらまだ動かないらしい。
 焦凍は涙を落としながらなんとか笑おうとして失敗した。イケメンはそんな顔でも様になる。「心配、かけさせるな」「ごめん……」ヒーローでもないのに飛び出して、挙句このザマじゃ、怒られても文句は言えない。
 顔を寄せてきた焦凍に自然とキスをされた。まぁ、心配かけさせた手前これくらいは……なんて思ってたら、なんかちゅっちゅとすごくキスされる。
 おいコラ舌を入れようとするな。ここ病院。誰か来たらどうするんだ。
 片手は握られてるし、片手は動かない。突き放すこともできず、口だけは絶対に開けないと力を入れて噛みしめていると、諦めたのか、若干不満そうな顔をした焦凍がパイプ椅子に腰かけ直す。

「ヴィランの方は親父が捕まえた」
「そこは、みてた。なんとなくだけど」
「……アイツが間に合わなかったら、そのまま攫われるところだったんだぞ。なんでヒーローでもないのに飛び出すんだよ」

 ごもっともです。エンデヴァーの事務所が近かったんだから、そっちに戻って悲鳴が聞こえたんですって報告をすればよかった。冷静に考えればそうだ。
 冷静。じゃなかったんだろうな、あのときのオレは。「たよりたくなかった……んだろうなぁ。あのひとを」それでもあのときオレが取るべき行動はエンデヴァー事務所に駆け込むことだったろう。わかってる。オレが悪いよ。反省してます。
 オレの手を握ったまま離さなかった焦凍がようやくナースコールを押して、名残惜しそうにオレの指を撫でて、離れた。
 やってきた看護師さんに「目が覚めたみたいです」とオレのことを報告する顔はさっきまで泣いていたくせに、今はクールなイケメンそのものだ。そういうとこだぞ焦凍。
 看護師さんがオレの状態を簡単にチェックしてから個性関係の医師を呼び、先生には『一晩寝たらよくなってるよ』とものすごく簡単に言われた。
 なんでも救急隊が到着した頃にはエンデヴァーがヴィランに個性の情報を出せと脅しにかかっていたらしく、あの液体は触れた個所を中心に一時的に体が麻痺。それ以上の毒性はなく、時間経過で痺れも取れるものらしい。だから先生は軽く寝てたら治るなんて笑うわけだ。
 液体系でかけられた個性は時間経過で回復する。回復速度は本人の体力次第。とりあえず一晩入院してまずは様子を見ましょう。そんな感じで話はすんなりまとまった。

「で、何してんの」
「今日はここに泊まる」

 当然の顔でヒーロースーツを脱ぎ出した焦凍に軽く眩暈を憶える。「え、なんで…?」「またヴィランがきたらどうする。ここは病院で、ヒーローが常駐してるわけじゃねぇんだ。お前を攫いに来られたら咄嗟には誰も出られない。病院に許可はもらってる」あ、そうですか。準備いいね。病院の許可が出てるならオレに言えることはないや。
 Tシャツと短パンに着替えた焦凍にトイレを手伝ってもらい(片手はやりにくいし)、足は動くな、なんてことを確かめながらベッドに寝直すと、なぜか部屋の電気を消された。消灯時間まではまだあるのに。
 病室は個室で、中から鍵がかけられる。その鍵をかけてダメ押しとばかりにちょっと凍らせる焦凍に嫌な予感がする。「え、何してんの…?」じろ、とこっちを睨んだ焦凍が当たり前のようにベッドに上がってくる。狭い。シングルベッドがぎいぎい悲鳴を上げている。

「心配した。泣いた」
「それはごめんってば。反省してます」
「このまま目を覚まさなかったらどうしようかと思った」
「そんな、大げさな」

 空笑いしたオレの両頬を焦凍の手のひらが挟む。右が冷たくて左が熱い。
 心配した、とこぼす焦凍のイケメンを前に視線が泳ぐ。本気で心配されていた、っていうのは声でわかる。「ごめんて……」オレにできるのは謝ることと、二度と同じことはしないって反省することだけだ。他には何も…。
 焦凍の手が離れて、なぜか布団を床へ放った。何してんだ、と思う暇なくゆかた型の病院着の紐を解かれる。「は? ちょ、」動く手の方で解けた紐を掴んだけど焦凍の手で無理矢理開かされた。そのまま恋人がそうするみたいな指の絡め方をされて動く方の右手を拘束されてしまう。
 焦凍はイケメン面のままもう片手でオレのボクサーパンツをずり下ろす。「焦凍」言葉での抵抗虚しく、とてもそんな気分じゃなくて萎れたままのオレのを、焦凍が口に含む。何も躊躇うことなく。

「しょーと…ッ」

 左手を、なんとか動かしてみようとするけど、指先が跳ねたくらいでちっとも持ち上がらない。
 股間に顔を埋めてフェラを始めた焦凍はオレが気持ちいを感じる場所を口を使って容赦なくしごいていった。
 オレが焦凍の弱いとこを知ってるように、焦凍もオレの弱いところを知っている。
 右手を振り解いてなんとか焦凍を止めようという努力も空しく、焦凍にフェラされて勃起したオレは、このまま出せとばかりに喉の奥まで先っぽを入れて苦しそうにしているその顔に背筋が騒いでいる。苦しいんだったらやめればいいのに、自分からそんな顔してさ。馬鹿だろ。
 出すまでフェラをやめないつもりの焦凍に観念して吸われるままに射精する。「ば、っかだろ、しょーと。ここ病院…」下手な物音や声を出そうもんなら誰か来るのに。
 飲み切れなかったらしい白い液体を袖で拭った焦凍は苦しそうな顔をしていた。泣きそうだ。

「目を、覚まさないかと思ったんだ。心臓が止まるかと思ったんだ」
「だから、それはごめんって言ってる……」
「悪いと思ってるなら、俺にお前を感じさせてくれ。生きてるって、ここにいるって」

 焦凍は最初からそのつもりだったのか、着てるものを脱ぎ捨てるとオレの上に跨った。後ろの孔はほぐされててやわらかいし、ローションも入ってる。

(なんて声をかければいいんだ。泣きそうな顔してオレを見下ろしてる幼い表情に、何を言えば)

 自重でオレのを自分の中に埋めていった焦凍がキスをしてくる。声を抑えるために。
 片手は相変わらず握られたまま、もう片手は動かない。オレにできることはといえば焦凍のキスに応えて舌を出すことだけだ。
 どうやらオレが思っている以上に焦凍はオレのことを心配したらしい、というのは、快感とは違うところで涙をこぼしている顔を見て嫌でも思い知った。
 病院でセックスをする。その背徳感もあったせいか、いつもより早く達したオレは、焦凍の中に二度目の欲望を吐き出した。「…ッ」びくん、と腰を跳ねさせた焦凍が熱い息を吐きながら顔を離す。ずっとキスしていたから口が腫れぼったい。
 抜かないままオレの上に座り込んだ焦凍がまだ泣いている。「…なんで泣いてんだよ」いい加減その顔は嫌だぞ。腕が動かないから泣くなよと涙を拭ってやることもできない、そんな自分を殴りたくなるからさ。

「伝えられないまま、死んだら、どうしようかと。思った」
「…?」

 だから、このくらいじゃ死なないって。確かに左腕が動かないけど一時的なもので。
 首を捻るオレに焦凍が息を吸って、吐く。ぐじゅ、と内側が収縮する。オレがいるってことを確かめるように。

「好きだ」

 こんな形で言うつもりじゃなかったと涙とともにこぼしながら、もう我慢ができない、と泣いた顔が言う。「好きなんだ」と。「愛してる」と、オレがずっと我慢してた言葉を。
 笑おうとして失敗する、火傷の痕があってもキレイな顔。

(手。手、動け。動け左手。頼む動いてくれ。頼むから)

 指先、指一本、手のひら、手首。全身の力のすべてを左手に持っていく。石のように重い左腕を持ち上げ、泣きながら笑う顔を抱き寄せて自分の胸に押し付ける。
 ………この手を離すにはもう遅すぎて。心に麻酔を撃ったとしても、たとえばふやけた心でも、オレたちはお互いのことしか考えられないのだろう。どんなに遠く離されたとして、世界の端っこに立たされたとして、探すんだろう。愛する以外になかったお互いのことを。

「オレも好きだよ。愛してる」

 一度口にすれば二度と戻れない場所へ、二人で堕ちる。
 紅白の髪を撫でて「愛してる」と囁く。焦凍の中がぎゅっと締まるのに片目を瞑って耐えながら愛を囁き続ける。これまで閉じ込めてきた気持ちを解放する。
 世間様に言わせればイケメンで実力もある抱かれたい男ナンバーワンに輝くヒーローは、オレの腕に抱かれて満足そうに目を閉じている。

(快楽に喘ぐ顔も、動物みたいに啼く姿も、涙で蕩けた目も、全部オレのものだ。オレだけのものだ)